デンマーク・コペンハーゲンで2015年から行なわれているデザインのカンファレンス『Design Matters(デザイン・マターズ)』。毎年、世界中のデザイナーがコペンハーゲンに集い、インスピレーションを与え合う場となっている。
2021年は3つのメインテーマが設けられ、その1つが「ポストパンデミック・デザイン」だった。どのようなデザインが紹介され、どんな議論が行なわれたのだろうか。パンデミックがテクノロジーの使い方やニーズに与えた影響、またそこから生まれたトレンドとはどのようなものなのか。『Design Matters』のコミュニケーション部門責任者、ジョージア・ロンバルド氏が綴る。
■目次
1. コロナ禍に台頭した新しい製品や潮流が、アフターコロナの社会で存在価値を保ち続けるには?
2. リモートによる共同作業のニーズ、問われる労働倫理や柔軟な働き方 / Gravity Sketch、Dropbox、Sketchの例
3. 『Design Matters』に集ったデザイナーたちが注目している最新トレンド
4. パンデミック中、社会的弱者は自分のニーズに合った製品を利用できていたか?
5. 北欧のデザイントレンド。パンデミックによる社会の変化をどう反映している?
コロナ禍に台頭した新しいトレンドやデジタル製品が、存在価値を保ち続けるには?
言うまでもなく、新型コロナウイルス感染症の大流行は世界を劇的に変化させました。働き方から人とのコミュニケーション方法まで、私たちの生活や習慣はそれまで考えもしなかったようなかたちへと変化を強いられました。
「新しい生活様式」への移行を迫られるなか、デザイン業界は人々の新たなニーズに素早く対応することが求められ、これまでとは違った働き方やコミュニケーション、娯楽や教育のあり方、さまざまな活動への新たな参加の仕組みを可能にするデジタル製品・体験が考案されるようになりました。以前から存在していたサービスもありましたが、Twitch、Zoom、Discord、Miro、Stravaのように、パンデミック下において新たな存在意義が生まれて急成長を遂げたものもあります。一方、まるで流星のように現れて、一瞬にして人々の話題から消えていったClubhouseのようなサービスもありました。
こうした新しいトレンドやデジタル製品のうち、どれが定着するのでしょうか? パンデミック後の社会で存在価値を保ち続けるためにはどのような機能や特性が必要なのでしょうか? パンデミック後の近い将来、人々がどのような生活を送っているかを予測しようとしているデザイナーなら、そんな疑問を持つことは当然の流れといえるでしょう。
今年の『Design Matters』では3つのテーマに絞って議論しましたが、その1つが、「ポスト・パンデミックのデザイン」です。ここで生まれた議論や、そこから見えた潮流を見ていきましょう。
リモートによる共同作業のニーズが高まる。3Dデザインプラットフォーム「Gravity Sketch」の急成長
オルワセイ・ソサンヤ氏がCEO兼共同創業者を務めるGravity Sketchは、直感的に操作できる3Dデザインプラットフォームです。Gravity Sketchを使えば、複数の異なる分野からなるチームがさまざまなデジタルツールを駆使してVR(仮想現実)で創作活動を行なったり、コラボレーションしたり、プロジェクトを見直したりすることができます。『Design Matters 21』で同氏は、パンデミック中いかにコネクティビティー(ネットワークによって互いにつながっていること、接続のしやすさ)とリモートコラボレーションへのニーズが高まったかについて論じました。
実際、ユーザーはすでに普及していたFigma(デザインツール)のようなコラボレーションツールを使いこなせるようになると、自宅でも効率よく作業を続けるために、より多くのことを求めるようになります。製品、輸送、エンターテインメントなどに携わる3Dデザイナーはその傾向が顕著で、空間を共有して協働できる手段を必要としています。Gravity Sketchがこの2年間に目覚ましい成長を遂げ、2020年だけで370万ドルの資金を調達することができた理由はここにあります。
パンデミックの影響で、デザインチームや技術チームを世界中に分散させて成長している多国籍企業が急増しています。こうした企業は全員が同じ場所で勤務していた頃と変わらない精度を実現するためにコネクティビティーを維持する必要があります。Gravity Sketchのようなツールが可能にする、質の高い、分散化された働き方は、デザイン会社が今後のビジネスで成功を収めるうえで絶好の手段となるでしょう。
問われる新しい働き方や労働倫理。Dropboxによる「バーチャル・ファースト」の試み
オンラインホワイトボードを提供するMiroのデザイン部門責任者ヴラド・ゼリー氏は、パンデミックによって、使用するツールやプロセスばかりでなく労働倫理も再定義されていると力説しました。
MiroやZoom、Slack、Googleドキュメントなど、私たちはこれまでよりはるかに多くのツールやアプリ、プラットフォームに依存するようになりました。このことは、ビデオ会議疲れやデジタル・バーンアウト(燃え尽き症候群)、意欲低下を招き、手順の煩雑化や生産性の低下につながります。企業やチームは絶えず変化する新しい環境にどのように適応すればいいのでしょうか? 労働慣習を再設計し、将来に備えて十分なレジリエンスを確保するには何をすべきでしょうか?
Miroはコラボレーション用のオンラインホワイトボードサービス
Dropboxのエグゼクティブ・エディトリアル・ディレクターのティファニー・ジョーンズ・ブラウン氏は、パンデミックを受けて同社はバーチャル・ファーストに舵を切り、チームの働き方を抜本的に改めたと語りました。
現在Dropboxの社員はリモートワークが基本。そのシステム化にあたって同社は、社内調査を実施し、リモートワークのポリシーに関する、以下の5つの目標を設定しました。
―企業のミッションを支える
―社員が自由かつ柔軟に働けるようにする
―人間的なつながりと企業文化を守る
―企業の健全性を長期的に維持する
―学ぶ姿勢を持ち続ける
従来の働き方との違いの1つは、個人が働きやすい時間帯に業務を行なう「ノンリニア」就業日を採用した点です。複数のタイムゾーンが重なる時間帯をコア・コラボレーションの時間に設定し、それ以外の時間帯は各従業員が自分でスケジューリングするよう推奨しています。
このように設定することにより、異なるタイムゾーン間で柔軟性が高まり、「コラボレーションの時間」と「個人の業務に集中する時間」とのバランスが取りやすくなります。Dropboxは従業員がより適切に時間を管理し、健康を保ちながら、バーチャル環境でより効果的にコミュニケーションを取れるよう、「バーチャル・ファースト・ツールキット」というガイドも作成しました。
メタバースにおける可能性やDiscordの成長。『Design Matters』に集まったデザイナーたちが注目する最新トレンド
『Design Matters』は登壇者からインスピレーションを得るだけの場ではなく、デザイナーたちが意見やアイデアをぶつけ合う場でもあります。ワークショップやデザイナー間の会話のなかでは以下のような話題が取り上げられました。
―Gravity Sketchを始めとする3Dコラボレーションツールは、メタバース(インターネット上に作られた3次元の仮想空間)で新たな活躍の場を築くだろう。
―ソーシャルディスタンスを強いられていた頃は、主にビデオチャットを使って人とつながる新たな方法を模索していた。これは、人々が互いの顔を見たいと感じているという事実を浮き彫りにしている。ロックダウン中、ZoomやGoogle Meetupsはもちろん、Houseparty(友達のグループが1つのビデオチャットに参加し、一緒にゲームを楽しめる)のようなアプリまで利用が急増した理由はここにある。
―パンデミック中にビデオゲームが人気を集め、Discordは劇的な成長を遂げた。同様に、ストリーミングプラットフォームのTwitchも飛躍的な成長を見せた。
―私たちが住む現実社会はますますテクノロジーが主導するようになるだろう。テクノロジーの向上や新製品の開発が進み、より多くの雇用が生まれ、たくさんの人の生活の質が向上する一方、巨大テクノロジー企業の影響力はさらに強まり、恵まれたデジタル環境にある人とデジタルツールやテクノロジーの利用が困難な人との経済格差は拡大。誤った情報はより速いスピードで拡散するようになる。これが感情や誤った情報に基づいた意見の先鋭化につながり、社会の安定を損なうおそれがある。
パンデミック中、社会的弱者は自分のニーズに合った製品を利用できていたか?
パンデミックは人々に甚大な心理的・社会的影響をおよぼしました。マイナスの影響を減らすためにテクノロジーが必要不可欠な役割を担うのは当然なことです。
障がいのある人がサービスを利用したり、感染予防対策(手洗い、家具などの表面や自宅の頻繁な清掃、ソーシャルディスタンスの実践など)に取り組んだりする際に、身体の障がいや環境的障壁、サービスの中断によって困難に直面する場合があることをパンデミックは明らかにしました。こういった人々に配慮して開発された製品の1つとして、透明のフェイスマスクがあります。これは聴覚に障がいがあり相手の唇の動きを読み取る必要のある人の感染を予防すると同時に、意思疎通を可能にするマスクです。
高齢者もまた、若い世代よりも重症化しやすいリスクを抱え、孤立した環境で自立した生活を送ることに苦労しています。極端な社会的孤立は不安障害やうつ病を引き起こすことがわかっています。この問題を克服するために、チェコの企業Kaleidoは作業療法士の協力を得て、森のなかの散歩、砂浜でのリラクゼーション、ヨーロッパの都市、名所の散策、美術館めぐり、チェロコンサートなど、高齢者のニーズと嗜好に合わせたオーダーメイドのVR体験を提供しています。
北欧のデザイントレンド。パンデミックによる社会の変化をどう反映している?
アースカラーと天然素材、自然回帰
最後に、北欧にフォーカスして現在のデザイントレンドを見ていきましょう。パンデミックによって北欧の人々の多くは自宅で過ごす時間が増え、自然とのつながりを再発見する機会も増えました。このような自然回帰は家具やインテリアデザイン、ファッションだけでなく、これらの製品を販売するアプリやウェブサイトのUIに至るまで、数多く見られるようになりました。
アースブラウン、ベージュ、ナチュラルクレイ、落ち着いたサーモンピンクなどのナチュラルカラーと、木、土、布、植物繊維などの天然素材を使用していることがこのトレンドの特徴です。自然の要素を自宅やデジタルインターフェースに採り入れることで、北欧の人々は自然とのつながりとスタイリッシュな外観を両立させています。UIでは自然の色合いと幾何学模様の組み合わせを目にすることが多く、インテリアブランドのBolia、Ferm LIVING、Louis Poulsen、Muutoはその好例です。
サステナビリティーのためのデザイン
自然回帰のトレンドと同様の考えで、サステナビリティーを意識したデザインの傾向も強まっています。北欧ではリサイクルショップやフリーマーケットはとても人気があります。古着の売買を手がけるアプリやオンラインショップもたくさんあり、スウェーデンのSellpyやTradera、デンマークのTrendsalesはその代表例です。デンマークで開発されたRewearitはユーザー同士の古着の貸し借りを可能にするアプリです。ほかにも、食品ロスを防ぐアプリの人気も高まっており、TooGoodToGoやEat Grim、Simple Feast、Karma Lifeなどがあります。
フィンテック企業のUIに見る美的なミニマリズム
北欧のデザインは清潔感のあるミニマルなアプローチに定評があり、シンプルなラインと光の空間を重視しつつ機能性と美しさを併せ持っています。このミニマリズムは多くの北欧フィンテック企業の最新UIに顕著に現れています。金融取引は重要な問題で、ましてやパンデミックのために予測がつかない状況においてはなおさらです。混乱のもとを徹底的に排除することは、誤解を招くリスクを最小限に抑えながらメッセージを伝える賢明な手段となるのです。Pleo、Klarna、Lunar、Anyfinはその好例です。
生々しく飾り気のなさを装うブルータリズム
ブルータリズムは1950年代に出現した建築様式です。一般的に、荒々しさを残した打ちっぱなしのコンクリート、奇抜な形、重厚感のある素材、まっすぐなライン、そして小さな窓が特徴です。ブルータリズムは機能主義とシンプルさを大切にする思想から生まれた運動で、戦後の復興が求められた世界に受け入れられていきました。
現在のデジタルデザインにおけるブルータリズムは、生々しさ、無作為、飾り気のなさを意図的に装うスタイルです。建築物でもデジタルデザインでも、ブルータリズムは人工物や軽薄さに対する反動を表現しているため、パンデミックの最中やパンデミック後にこのトレンドに新たな人気が出るのも不思議ではありません。GANNIやAcne Studioなどの北欧のファッションブランドや、広告制作会社、コンサート会場、保険会社のウェブサイトなどにも数多く見られます。
- イベント情報
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- 『Design Matters』
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Design Matters(デザイン マターズ)はコペンハーゲンで毎年開催される「デザイナーによる、デザイナーのための」デザインのカンファレンス。2015年に始まって以来、世界中からデザイナーが集まり、デザインに関する動向を共有するだけでなく、インスピレーションを与える場として発展してきた。来場者は年を追うごとに増え続け、2019年には1,000人ほどのデザイナーがコペンハーゲンに集まった。
- プロフィール
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- ジョージア・ロンバルド
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『Design Matters』コミュニケーション部門責任者。デンマーク・コペンハーゲンを拠点に、ブランディング、デザイン、戦略の領域を行き来してコンテンツを制作。イタリア・ヴェネチア出身で、日本学の学位と経営学の修士号を持つ。デザインとテキストおよびビジュアルでのコミュニケーションへの情熱からキャリアを歩んできた。
豆知識:これまでに6か国に住み、「ONEコンドーム」のデザインコンテストで5回受賞経験がある。おしゃべりなブリティッシュショートヘアの猫を飼っている。