『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』、北欧の風景が果たした役割

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる最後の作品となる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が10月1日から公開されている。パンデミックの影響による延期を経て、ようやくお披露目された本作。北米でも公開を迎え、最初の週末のボックスオフィスで第1位になるなど、待ち望んでいたファンたちの期待感の高さが窺える。

本作でもイタリアやジャマイカ、キューバなど世界を飛び回るボンドだが、じつは劇中に北欧の風景も登場し、スクリーンのなかで役割を果たしている。北欧カルチャーマガジンである「Fika」では、本作を彩る北欧の風景に着目。映画評論家の小野寺系にそこから見えてくる『007』最新作の潜在的なテーマを探ってもらった。

※本記事は『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

劇中に登場する北欧の風景。「ある場所」として描かれたフェロー諸島の自然

『007』映画25作目にして、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じてきた、通称「クレイグ・ボンド」シリーズの最終作にあたる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が、ついに公開された。足掛け15年にもわたるシリーズの鮮烈な終幕は、同じ刻を過ごしてきた観客たちにとって、一時代の終焉を意味すると言っても、大袈裟ではないかもしれない。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』ポスタービジュアル © 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

言わずと知れた「007」ことジェームズ・ボンド。「殺しのライセンス」を持った、世界を股にかける凄腕の英国諜報員である。イタリア、ジャマイカ、キューバなど、本作でも世界各地を巡り、彼は熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして、本作におけるクライマックスの舞台となるミステリアスな島は、日本に関係する「ある場所」に存在しているという設定だ。しかし、じつはこの島々の風景、ノルウェーとアイスランドのほぼ中間に位置する、デンマーク領のフェロー諸島で撮影されているのだという。

日本を舞台にしていたトム・クルーズ主演のアメリカ映画『ラスト サムライ』(2003年)は、富士山そっくりに見える「タラナキ山」がそびえるニュージーランドで撮影され、それを日本の風景としてスクリーンに映し出していた。文化的にも全く異なる遥か彼方の場所に、類似した場所が存在するというのは、ある種のロマンである。

今回フェロー諸島が撮影に使われたというのは、物語の設定から想定される実際の場所が政情不安で、大規模な撮影の許可をとることが困難だったということと、本国イギリスからかけ離れていることが影響しているはずである。北欧の風景がこのような使われ方をしているのは、面白い事実ではある。しかし、物語やテーマにかかわる部分でより重要なのは、本作に登場するもう一つの北欧の地、ノルウェーである。

映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』予告編

現地政府の支援を受けて行なわれたノルウェーでの撮影。物語に関わる重要なシーンも

ボンドの運命の女性マドレーヌ(レア・セドゥ)が回想する、彼女の少女時代の悲劇が描かれる冒頭のシーンには、雪に覆われた大地と、氷に閉ざされた水辺が登場する。そんな冷え冷えとした光景のなか、少女時代のマドレーヌは母親とともに邸宅で、悪役サフィン(ラミ・マレック)の襲撃に遭う。とくに恐ろしいのは、雪原のなかを、銃を抱えてゆっくりと進んでくる彼が、不気味な能面を被っていることだ。そんな人物に襲われた異常な経験があれば、マドレーヌならずとも恐怖の記憶が鮮明に残り続けるだろう。

撮影が行なわれたのは、ノルウェーの首都オスロ近郊の山中にある、Langvannという湖のほとりと、オスロ近郊のLutvann湖だ。本作はさらに、湖周辺の森や、ノルウェー北岸を結ぶ「アトランティック・オーシャン・ロード」と、多くの場面でノルウェーのロケ地が採用されている。これは、ボンド映画でお馴染みの、劇中に登場させる商品を広告とする「プロダクト・プレイスメント」の一環であり、ノルウェー政府は今回、招致のために多額の資金を提供したことが明らかになっている。クリエイターにとってそれは、一種の制約であることは間違いないが、そこに意義や必然性を与えるのがプロの仕事である。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

孤独なプレイボーイ、ジェームズ・ボンドが触れた「温もり」

冒頭で惨劇が起きた邸宅と湖は、本作でもう一度登場する。そこでボンドは、最愛のマドレーヌと、彼女の幼い子どもとともに、束の間平和な時間を過ごすのである。手ずから料理をつくり、子どもに与えるボンド。そんな珍しい姿を、しみじみと見つめているマドレーヌ……。この温かい一家団欒のような経験は、孤独な境遇に生き、敵を殺し命を狙われるという人生を歩んできたボンドへの贈り物といえる。

「家庭」という要素は、『007』シリーズが意識して忌避してきたものだ。海外を飛び回り、各地で女性たちと情熱的な夜を過ごすジェームズ・ボンドという存在は、長年にわたり多くの男性にとっての憧れのファンタジーであり続けた。ボンドは、絶えず外の世界で羽を伸ばすことにその価値があり、それゆえに、家庭を持つことは彼の物語の終焉を意味することになるのだ。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

1年の半分ほどの期間、雪に覆われるノルウェーでは、長い時間を家の中なかで過ごす住民が多い。そのため、断熱性や気密性に優れた快適な家が必要となる。そんな、外界から隔絶されたマドレーヌの邸宅は、むしろ温かい雰囲気を感じさせ、家族のつながりを意識させる場所となっている。シリーズ第1作でボンドを魅了したヴェスパーをはじめ女性との関係が、両親を失った少年期の孤独とどこかで結びつき、悲しみを背負っているように見えた本シリーズのボンド。彼が追い求めていた幸せがノルウェーにあったというのは、その意味で納得させられるところがある。

『スカイフォール』で描かれた「英国の現実」。時代の変化に反応してきた『007』シリーズ

だが、果たしてそれだけだろうか。本作の舞台にノルウェーが選ばれていることの意義深さを、ここからさらに追求してみたい。そのために思い出してほしいのが、「クレイグ・ボンド」第3作にあたる、『007/スカイフォール』(2012年)である。

この作品では、珍しくイギリス国内を中心に物語が展開し、衰えを見せるジェームズ・ボンドの復活劇が描かれた。そんなボンドに投影されていたのが、「英国の現実」だ。『007』シリーズは、これまで英国スパイが世界の危機を救い続けるという構図を描き続けてきた。しかし娯楽作品とはいえ、果たしてそこにいまリアリティーを感じられるだろうか。かつての国際的な競争力を失い、「アメリカの州の一つ」と揶揄されることもあるイギリスのイメージは、劇中で古い軍艦に例えられ、さらに老兵ボンドに重ねられているのだ。

そんなボンドを救うものとして登場するのが、イギリス北部、スコットランドの谷間の地、グレンコーにある生家だった。ボンドは、この古い景観をとどめる大地に帰還することで、本来の力を取り戻すことになるのだ。つまり『007/スカイフォール』は、イギリスをもう一度原点に立ち戻って見直すことで過去の誇りを取り戻そうというテーマが、裏で進行しているのである。この作品がとくにイギリス本国の観客から大きく支持された要因の一つには、この潜在的なメッセージに、イギリス人の心の琴線を震わせる部分があったのではないだろうか。

『007/スカイフォール』(2012年)予告編

ボンド映画は時代の変化に対して、つねに敏感に反応してきたシリーズである。『007/スカイフォール』におけるナショナリスティックともいえる方向性への反響は、その後、イギリスが国民投票によってEUを離脱し、政治における国家の役割を増大させ、移民への引き締めを強くした「ブレグジット」へと至る先触れだったのかもしれない。

しかし、EU離脱が決定したことでイギリスが立ち直れたのかというと、実際は逆の効果を生んだ部分が多いようだ。貿易問題や、移民の数が減ったことによる労働コストの増大で、多くの産業や流通業がダメージを受けているという指摘がなされているのである。イギリスの伝統的な産業であるスコッチウィスキー業界も、その一つだ。コストが高まることによって食品の物価が高騰するなど、「痛み」は企業だけでなく、市民たちの経済状況をも逼迫させることにもなった。そう考えると、一部で問題視されていた移民こそが、むしろ国の産業を活性化させていたともいえるのではないだろうか。それでは、ボンドが『スカイフォール』で原点に返ることによって立ち直ったように描かれたのは、根拠のない希望的観測に過ぎなかったのだろうか。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

多様なルーツの人々によって構成されてきたイギリスと、ボンドの「家」

象徴主義的な作風で知られるサム・メンデス監督の『007/スカイフォール』において、ボンドの力の源泉となったものが、スコットランドの大地であったことは前述した。そのようなものから力を借りるという感覚は、「自然を支配する」というような自然観を持つキリスト教をベースにした世界観ではあり得ないだろう。根底にあるのはそれよりも、もっと自然に根ざしたプリミティブな思想なのではないだろうか。そこにかつて外からイギリスに持ち込まれた「北欧神話」との関連を見ることもできるかもしれない。

ボンドは強大な敵との対決において、水に潜り、火に囲まれ、爆風に耐えて地中を進んだ。「地」「水」「火」「風」の象徴となる試練をくぐり抜けた先で、ついにボンドは敵を打ち倒す力を手に入れるのである。このような自然の「四大元素」の記述が見られる信仰の一つに、北欧神話が存在する。

そもそもイギリスには、純粋な「イギリス民族」なるものは存在していない。アングロ・サクソン人を中心に、数々の移民が絶えず入り込み、社会に溶け込むことによって、現在のイギリス人が存在しているのである。その多様なルーツのなかで、「北欧神話」をイギリスに持ち込んだのは、例えばノルウェーを中心に北欧の土地から海を越えてやってきた、ヴァイキングの民であった。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

本作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で、ボンドが長い旅の果てにたどり着いた、「帰るべき」温かな家がノルウェーにあったことは、何という偶然だろうか。ボンドは、スコットランドに自分のルーツを見出し、さらに自分を生み出した民族と文化の源流の一つであり、力の源泉であったと考えられるノルウェーへの大地へと、先祖返りのように戻ってきたのである。

日本にもルーツを持っている、本作の監督キャリー・ジョージ・フクナガに代表されるように、現在のアメリカの多くの市民は、海外にルーツを持つ人々たちによって構成されている。同じように、現在のイギリスもまた、移民によってかたちづくられ、発展した島国なのだ。これまで以上にさまざまな人種や女性たち、他国の人々が共闘し、世界を救うためにそれぞれが活躍する本作は、そんな歴史的事実を意識させる作品でもある。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

イギリスの「ブレグジット」はもちろん、タリバンのアフガニスタン支配による女性への弾圧や、人種・性差別を背景に、社会問題が表面化している各国の状況など、世界は反グローバルの姿勢に転じ、分断されつつある現状といえる。それはやはり、日本も例外ではない。本作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、そんな世界の流れへの内省や抵抗としての意志を、「クレイグ・ボンド」シリーズに上書きすることになったのではないだろうか。だとすれば、それもまた「いま」を描く『007』シリーズの一つのかたちである。

作品情報
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

2021年10月1日(金)から公開中

監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、スコット・バーンズ、キャリー・ジョージ・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ
出演:
ダニエル・クレイグ
ラミ・マレック
レア・セドゥ
ラッシャーナ・リンチ
アナ・デ・アルマス
ベン・ウィショー
ジェフリー・ライト
ナオミ・ハリス
レイフ・ファインズ
配給:東宝東和



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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