AAAMYYYが映画から学ぶ、個人への想像力が争いなき世界へ導く

はじめにーー新型コロナウイルス感染症について

まずはじめに、新型コロナウイルス感染症で亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。そして、現在闘病中の方々のご回復をお祈りしております。

私がこのコラムを執筆している間にも、SNSを中心にさまざまな意見が飛び交い、ときにはだれかを傷つける言葉によって心を痛めたり、憤る様子を目の当たりにしています。正しい情報を得て、人間同士思いやり支え合うことが、私が思い描く理想の「人間」という生き物の在り方です。

皆さんの心に安息のときが訪れますように、コラムや音楽という形ではありますが、私にできることを模索し邁進していきたいと思う所存です。

2020年3月末日 AAAMYYY

コラム連載第3回は、北欧で社会現象にもなったハートフルストーリー『幸せなひとりぼっち』

AAAMYYY(えいみー)
長野出身のシンガー・ソングライター / トラックメイカー。キャビンアテンダントをめざしてカナダへ留学、帰国後の22歳より音楽を制作しはじめ、2017年よりAAAMYYYとして活動を開始。2018年6月、Tempalayに正式加入。2019年2月、ソロとしての1stアルバム『BODY』をリリースした。

北欧映画やドラマはたいていの場合、少し暗くて、「北欧ノワール」という括りでたびたびタグ付けされる。前回のコラム『ぼくのエリ 200歳の少女』も、前々回の『ザ・レイン』もわりとダーク寄りで、更に昨今の暗い雰囲気に心疲れしたこともあり、今回は明るく心温まる作品を選んでみた。フレドリック・バックマン原作のベストセラー小説を映画化した『幸せなひとりぼっち』は2015年に公開され、当時スウェーデン国内で160万人を超える動員数を叩き出し、社会現象となったヒューマンドラマである。

スウェーデンの小さな住宅地に住む老人オーベは、妻に先立たれて以来怒りっぽくて叱言が多く、近所からも嫌厭され孤独な日々を送っていた。彼の日常は早朝の住宅地パトロールから始まり、社会に決められたルールを従順に守り、規律を保つことで回っていた。

ある日、43年間働いてきた会社から解雇され絶望の淵に追い詰められたオーベは、妻の元へ旅立とうと決意し、首吊り自殺を試みる。しかし、隣に引っ越してきたパルヴァネ一家にたまたま阻害されてしまう。その後も自殺を試みるたび、近所に住む人々やお節介なパルヴァネ一家に邪魔されうんざりしていたオーベだが、自殺未遂の度に見る過去の走馬灯と、ご近所との面白おかしい日常の繰り返しで、彼の人生は次第に変化していく。

『幸せなひとりぼっち』場面写真 / ©Tre Vänner Produktion AB. All rights reserved.

同じ方向を向いているはずの人間同士が、なぜ争ってしまうのか

どうしたら人間が争いをせず平和に共存できるのかを、この映画を引き合いに出しながら考えていきたいと思う。私は近頃の情勢の中、とある友人の署名活動に賛同する投稿をSNS上でしたところ、さまざまな意見交換が繰り広げられ、さらに非常に興味深い展開を見ることになった。同じ目標に向かっているはずの人が、誰かの揚げ足を取っては別の論点で攻撃し合うという事象が発生したのである。

私の表現によって語弊が生まれたのは確実なので反省しているのだが、この論争は実に心身ともに疲弊する出来事であり、同時にもうひとつ、考えることがあった。世の中に存在する職業は多種多様だが、どうやら人々の感覚において全職業が存在意義のある職業ではないらしい。例えば芸術家、フリーランス、飲食業、ホステスやセックスワーカー……こういった職業に就く人は、もしかすると「下」に見られている可能性が浮き彫りになったのだ。どの職業種にも存在意義があり、いち人間同士として対等に接するべきだと思いたかったが、残念ながらそうではないのは、収入や体裁などの優劣観が引き金になっているのだろうか。

そもそも、なぜ人々は争い合ってしまうのか。この映画の主人公であるオーベという老人が生涯貫いて来た「規律」というものが、この違和感の原因究明の鍵なのではという憶測にたどり着いたのである。

『幸せなひとりぼっち』場面写真 / ©Tre Vänner Produktion AB. All rights reserved.

「規律」の存在と、「善悪」にこだわりすぎてしまう私たち

私の引いた事典によると、規律とは「社会生活・集団生活において人の行為の基準となるもの、一定の秩序、きまり」とのことらしい。例えばゴミ出しのルールだとか細々したものから、交通規則、条例、大きくなると法律まで、さまざまな規律によって私たちの毎日の人間生活が保たれている。

我々は幼い頃から、家庭や学校や社会でこれを学びながら大人になっていくが、時代や環境の変化に応じて、規律自体も改良改正を重ねられてきたと信じている。オーベも、私の家族や親戚も友人も、はたまた世界中の多くの人も規律を守り生きてきた。

規律を守ってきたおかげで住みやすい現状があると言っても過言ではないだろうし、ありがたいものなのは確かだ。また規律の存在によって我々の持つ良し悪しの基準が生まれ、善と悪がはっきりと区分された。そうしなくては、悪しきものを正し、規律の範囲に矯正することができないからだ。しかし、そもそもこの善悪のラインを定義するということが、人々を歪ませる根本的な原因なのではあるまいか。

撮影:AAAMYYY

規律の上で右往左往する私たちは、より良い人間であるために、規律という概念に頑なになりすぎてしまう。なぜならば我々の誰しもが学校や家庭や社会で、良い人間であれ、誠実に生きよ、悪しきは正し改心せよ、と教育されてきたからだ。しかしその過程で、悪しき者になってしまう理由を究明することなく、教え込まれてきた善に当てはまらないものを排除するようになってしまった気がする。そして、排除によってより多くの悪を生み出してしまってはいまいか。

我々が持つ、犯罪者となった人に向ける意識を挙げるとわかりやすいかも知れない。幼少期にも現在でも、必ずまわりに何人か、いたずらっ子だとかいじめっ子だとか、この映画の主人公オーベのように変人として避けられる人だとかがいるだろう。それらの対象となる人は、例えば経済的に苦しい家庭で育っているかもしれないし、家族からの愛情を受けられずにここまで生きてきた可能性だってある。

そういった人が日々抱いている鬱憤は、窃盗や怠惰、陰口、暴力だったりとさまざまな形で表に出てくることがあり、ときとして社会や誰かに対する「SOS」なのかもしれない。しかし、事情がわからない人から見れば、それらの行動は「矯正されるべき悪」として映ってしまう。そこで我々の規律が振りかざされれば、日々のSOSを表現した人々はなおさらやり切れないだろう。

「善」の側にいることで安心して、「悪」を切り捨ててしまってもいいのか

犯罪が社会に対するSOSとしての側面もあるとして、そういった発信を行おうと罪を犯してしまった人のその後も、かなり厳しい。刑務所に入り更生に励む。前回のコラムでも参考文献として挙げた、岡本茂樹著『いい子に育てると犯罪者になります』(新潮社、2016年)の中で、岡本氏は「少年院の体質と、個々の教官の意識が変わらないかぎり、少年院における教育によって少年達が立ち直るのは難しいと言わざるを得ません。」と述べている。

岡本氏は刑務所での受刑者の更生支援に直接的に関わった臨床教育学博士であるが、彼は「反省文」の無意味さや「『形が整っていること』が評価の基準」であることなど、刑務所・社会への違和感を本書で明言している。例えば少年院で「私語厳禁規則」に則って抑圧的な環境を強いられる中で、受刑者たちが自発的に内省できるかといえばそんなに簡単なものではないだろうと想像できる。さらに、模範生でいることが最善と評価される刑務所において、のちに出所した人の再犯率が高いという現実は、根本的な更生が成されていないということと等しい。

だが実際、世間では責められる対象はーーその人が犯罪に至るまでに、どんな背景を持っていたとしてもーー犯罪者であり、刑務所を否定する意見は水面上になかなか表れない。もちろん、罪を犯してしまったことは擁護できるものではないが……しかし、我々に少しの想像力が備わっていれば、初期のSOSーー犯罪に至らないような迷惑行為かもしれないし、言葉かもしれないーーに気づいた時点で、彼らが罪を犯さないよう、手を差し伸べる行動に出られるはずだ。それが難しいのは、我々が振りかざす善という意識が、悪を生み出す環境を作っている可能性があるにも関わらず、その事実に蓋をして、表面的な善悪観で一刀両断することで安心しているように思う。

さらに、犯罪者には悪というレッテルが貼られ、レッテルを剥がそうと思っても、周囲からの偏見が邪魔をすることがある。例えば、雇用に支障が出たりいじめられたりする。バイアスで誰かを見ることのできる特権とでも呼ぶべき「善側に居る」優劣観が、意識せずともそこには生まれている。つまり規律は、善悪という概念を、善は優、悪は劣という優劣観を生み出す原因になり得る。

「どうしたら人間は平和に共存していけるのか」という問いへの、ひとつの答えを映画に見出す

『幸せなひとりぼっち』で、規律に従順であるにも関わらず降り注ぐ不条理を経て孤独となったオーベは、近所の規律を守ることでその不条理から自己を隔離し、平穏な家で亡き妻との美しい思い出に浸ることを選んだ。<運命とは人の愚行の積み重ねだ>という彼のセリフがある。それはオーベ自身の愚行ではなく、他者の愚行によって彼自身の運命が決められていくという意味である。

オーベが経験した不条理とは、彼が「白シャツ」と比喩する人々による「正義」の振りかざしにある。「白シャツ」とは、会社というひとつの力を背負いながら、人々の善悪概念を巧みに操り、愚行をも巧みに善として罷り通らせる人々のことだ。その「白シャツ」によってオーベは何度も人生を踏みにじられてきたし、だからこそ孤独で叱言の多い変質者と周りに呼ばれるような老人となってしまったのである。

『幸せなひとりぼっち』場面写真 / ©Tre Vänner Produktion AB. All rights reserved.

脳科学者の中村信子著『人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム、2020年)の序章に「他人に正義の制裁を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出される」とある。私はこれはオーベに当てはまるのではないかとも考える。近所の住人に執拗に注意喚起することで彼自身の精神は保たれていたのかも知れないし、不条理から自分を救うために、オーベ自身が正義を貫くことで平然と生きていくことができたのかも知れない。

パルヴァネ一家はオーベから何度も厳しく怒られながらも、自分の非を認めつつ前向きに、周囲を思いやりながら過ごしていた。近所の人々がオーベを変人と呼ぼうとも、彼女はオーベをひとりの人間として向き合い、共存を試みた。彼女は少しずつオーベに歩み寄り、彼の頑なな心を溶かしていったのだが、パルヴァネの行動が私がこのコラムの最初に述べた「どうしたら人間は争いをせず平和に共存していけるのか」という問いへの、ひとつの解答なのではないかと考える。それは彼女が持ち合わせていた、「非を認める」こと、「想像力」、そして「優しさ」ではなかろうか。

『幸せなひとりぼっち』場面写真 / ©Tre Vänner Produktion AB. All rights reserved.
『幸せなひとりぼっち』場面写真 / ©Tre Vänner Produktion AB. All rights reserved.

二次元で見る相手が、三次元に生きる人間であると想像すること

昨今ではご近所同士のコミュニケーションは、地方の小さな市町村では未だあるものの、都市ではもはやほとんど見かけない。テクノロジーの目まぐるしい発達で、誰もが画面越しの仮想現実に没入し、そこで不特定多数との友好関係の確立や対人交流、仕事までもがスムーズにできてしまう。

文字列やデータによって表現されるすべてのものに「暗黙のルール」とでも呼ぶべき規律が発生し、誰もが発信可能な二次元の世界は、矛盾するようだが、無法地帯化している。仮想現実と現実の差も、もはやあってないに等しく思える。画面越しに悪口を書いた、どこの誰だか知らない他者。三次元世界にその人物の実体があって、息をし生きていると想像することすらもやめてしまった。そして、想像をやめてしまったという非を認めることも、やめたのである。そんな我々が二次元で巻き起こす正義論争の意義は一体何なのであろうか。

撮影:AAAMYYY

このご時世、凶悪犯罪や悲しい事件が増えているが故に、誰もが警戒し、誰かを常に疑ってかからなくてはならないのもわかるし、その中で他者に想像力を持ち、優しく接することはすごく難しいことだ。

しかし、我々すべての人間が善にも悪にもなりうるということを忘れてはならないと強く思う。日常に巻き起こるすべてのことには必ず原因があって、正義らしき概念の上に立つ規律が生む不条理があることを、想像しなければ何も変わらないのである。だから一度、当たり前とするすべてが本当に正しいのかどうか熟考し、違和感があるのならばその非を認めるのも間違ってはいないはずだ。そして我々が他に対して想像力を持ち、温厚に物事を見ることができれば、負の連鎖はどこかで止まるのではなかろうか。

作品情報
『幸せなひとりぼっち』

監督・脚本:ハンネス・ホルム
出演:ロルフ・ラスゴード

プロフィール
AAAMYYY
AAAMYYY (えいみー)

長野出身のシンガーソングライター / トラックメイカー。キャビンアテンダントをめざしてカナダへ留学、帰国後の22歳より音楽を制作しはじめ、2017年よりAAAMYYYとして活動を開始。2017年の『WEEKEND EP』を皮切りに、『MABOROSI EP』『ETCETRA EP』と3作品をカセットテープと配信でリリースしている。さらに、RyohuのゲストボーカルやTENDREのサポートシンセ、DAOKOへの楽曲提供やCMソングの歌唱、モデル、ラジオMCなど多方面に携わるなか、2018年6月からはTempalayに正式加入。2019年2月、ソロとしての1stアルバム『BODY』をリリースした。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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