各種さまざまな映像配信サービスによって、海外ドラマに触れることが多くなった昨今。なかでも注目を集めるのは英米作品ばかりだが、膨大なライブラリのなかで、それ以外の作品を見過ごしてしまうのはもったいない。
そこでこの連載では、「海外ドラマ=英米ドラマ」という固定観念を解きほぐすための「北欧ドラマ考」として、世界中で愛される北欧作品から、現地で愛される人気作までを幅広く紹介していく。今回は、田舎町からオスロに進学した女子大生イーダの日常を描く北欧ブラックコメディ『女子大生イーダのユーウツ』について、羽佐田遥子が綴る。
(メイン画像:©︎ Viaplay)
女子大生の日々を描くブラックコメディでありながら、心の機微や惑いを丁寧に描く
ドラマを見ながら、思っていることも伝えたいことも言っていることも全部食い違っていて、「本当の在り処」を探すことが難しかった大学生のころを思い出した。
大学に入学したての4月。たくさんの先輩が校門前から列をなして、「あなたがほしい」と熱烈にアピールをしてくる。まるで、自分がとても素晴らしい人間であるかのような錯覚に陥るけれど、新歓では顔や生い立ちで値踏みされて、自尊心が傷つけられるような落差を味わった。しかも、同級生たちのほとんども「友だちになってもいいかどうか」、じっくり様子を見て、私を何かしらの基準でジャッジしてくる。
理由もわからず落選すれば、飲み会や他学校との集まりに呼ばれない。川崎のヤンキー学校でたたきあげられた私は、彼らの素直さを懐かしく思いながら、新生活に戸惑った。誰を信じていいのだろう? 私は必要とされるのだろうか? 漠然とした葛藤を抱えながら、自分の信じたいものややりたいこともわからず、ただ愛想笑いを繰り返すことでどうにか居場所を見つけていた気がする。だけど、ずっと、不安だった。
『女子大生イーダのユーウツ』は、頼りなくも愛らしい主人公イーダの日々を描くブラックコメディでありながら、漠然とした不安を主題にして、恋愛や友情といった人間関係のなかで起こる心の機微や惑いを見逃すことなく、丁寧に描く。前回のコラムで相田冬二さんがノルウェードラマの共通点として「そこにあるのは、深い人間洞察と豊かな人間観察だ」と語ったように、本作も主人公・イーダの視点で、人間の「わからなさ」を徹底的に語る。
イーダには「失恋パーティー」に呼んでくれるような心を開ける友だちもいなければ、近況報告を欠かさない家族も、本気で愛したい男性もいない。本音の置き場所がどこにもないのだ。
「人はもっとわかりあえると信じたい」(第二話より)
けれど、人間はわからないことばかり。騙されることが多く、友だちづくりもうまくいかないイーダは肩を落とす。自分自身さえ相手をわかろうとしているのか、自信を持って答えることは難しい。性善説のような、ピュアでやさしい祈りは、さまざまな経験を経て少しずつかたちを変えていく。それは苦しいけれど、必要な時間なのだとドラマを見ながら過去の自分に話しかけていた。わかりあえないことを前提に人と関わっていくこと、そんな答えをぼんやり見つめながら、イーダも憂鬱な日々と格闘する。
ピュアで不器用がゆえ、あらゆる選択を間違えてしまうイーダの行く末
イーダは、ノルウェー南部の田舎町から親元を離れ、大学で心理学を学ぶために一人都会に出てきた。「都会の電車では人が突き落とされる事件が年に数件ある」「人が誘拐される事件の発生場所は都会ばかり」と、非常に心配症で社会に怯えている彼女。とくに、街中で発生する「無差別殺傷事件」を恐れ、事件の被害に遭う自分を妄想しては呼吸困難になることも。不審者に対応するためのビデオを見ては、「起こり得るすべての事象に対して、万が一に備えること」と学ぶ。つまり、治安のいい故郷から大都市オスロへ引っ越すことは、彼女にとって勇気のいることだった。
しかし、心配症なわりには純朴で、駅で出会った詐欺師に簡単に騙されてお金を渡してしまうし、長期不在にする兄から強引にペットの世話を頼まれても断れない優柔不断で危なっかしい一面も。なんとか都会の生活に慣れようとするなかで、はじめて訪れた学部のパーティーで、アクセルという青年に出会う。
風変わりな彼のSNSを見ると、女に見下されていると愚痴をこぼし、卑猥な動画に一方的な感情をのせている。それを見たイーダは、彼が女性を憎悪する「インセル」ではないかと不安を抱くようになる。「インセル」と呼ばれる女性にモテない卑屈な男が、銃撃事件を起こす傾向にあるという説を聞いたためだった。いつか彼が事件を起こすのではないかーー。こうしたイーダの妄想にも似た強迫観念によって、彼女のこれからの選択はことごとく間違った方向へと進んでしまう。
基本的にイーダの選択は、自分発信の前向きなものではなく、あらゆる最悪を想定して危なくない道に進むことを優先する。
アクセルに「勉強を手伝ってほしい」と頼まれて断らなかったのも、「断ったら何をされるかわからないから」という理由。目の前にいる彼ではなく、「裏の顔」に翻弄されて恐怖心がさらに募っていく。顔を引きつらせながら、なるべく相手を怒らせないような態度をとる。そんな彼女の不安定さはおかまいなしに、アクセルは彼女との関係を築こうとする。彼だけでなく、登場するあらゆる人々が他者に興味・関心を持っていないのが、よりイーダの孤独や不安を増長させる。
そんななかで、イーダが恋に落ちるヨナスはやさしく誠実で、魅力的にうつる。フードデリバリーのバイトで、地道にお金を稼ぐヨナス。詩を書くという自分の夢を持ちながら、初めて会う人たちとも打ち解けられる柔和さがあり、何よりイーダの不安定さに寄り添うやさしい人物像は、物語に光をさしていた。
しかし、イーダの後ろ向きな選択によって、明るい道にはなかなか進まない。アクセルと距離をとろうと画策するも、関係はこじれるばかり。ヨナスに対しても器用に振る舞うことはできず、彼女は苦しい選択を迫られることになる。
人間の複雑さやわからなさを見つめる
かつて、大学の社会学の授業で「純粋な関係性とは、特別な信頼があることが大事だ」と教わったことを思い出した。
必要とされたいがために八方美人になったり、SNSの投稿が本人のすべてだと感じてしまったりと、希望よりも、恐怖心が優先される状況はどんな関係性のなかにもあるはずだ。ドラマのなかでも描かれるように、SNSによって人間関係が複雑化しているせいもあるだろう。本人の指先から生まれた言葉にちがいはないけれど、それがその人のすべてであるわけではない。
「純粋な関係」をつくっていくには、相手に対して希望を持つことが大事ではないか。イーダのように相手の顔色ばかりうかがうのも、アクセルのように他人に興味がないのもちがう。相手に何かを望んだり本気でぶつかったり「本心」を見せることで、信頼が生まれていくのではないかと彼女たちを見ていて思った。それは簡単なことではない。だから、本心を見せる勇気は、こうした不安や惑いを重ねていきながら、少しずつ養っていくものなのかもしれない。
イーダの心理学の授業で、教授がこう話す。
「生理的欲求の上に安全欲求、安全欲求の上位に“愛の欲求”があり、愛とコミュニティを得ることで上位に進んでいける。しかし、さらに上の自信、社会的地位、自尊心はどれほど努力しても満たされることはない」
考えれば考えるほど不安で、他者を信じられなくて、うまくいかない日々はつづく。しかし、誰もがモヤモヤを抱えていて、自信や社会的地位や自尊心と戦いながら生きているのかもしれないと、イーダを見ながら思う。正しさやハッピーな結論を急ぐことなく、そのモヤモヤを存在させたまま、ドラマに昇華しているのはとてもおもしろいし、日本の作品で見たことがなかった。
本作は、最後までイーダの視点のみで語られる。あるときは反面教師のように、自分なりの希望や本心を持つことを学びながら、人間の複雑さやわからなさを見つめる。作品を見終えると、小さく変化している自分を発見するかもしれない。
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『女子大生イーダのユーウツ』
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