「普通」や「異常」の線引きはいらない。AAAMYYYが綴る多様性

「普通」や「異常」の線引きはいらない。AAAMYYYが綴る多様性

2020/12/25
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撮影:タケシタトモヒロ 編集:石澤萌(CINRA.NET編集部)

多様性とは、一部の性質を持つ人だけを認めることじゃない

多様性について、我々はどの程度の理解があるのだろうか。このドラマを観ていて私が感銘を受けたのは、学校教育の中に教育内容云々はともかく、多様性への理解が念頭にあることだ。デンマークを含む北欧と日本では、教育システムとそのシステムが構築されるまでの背景が全然違うのだろうが、近年急速に進められている、多様性に配慮した取り組みは北欧各国が先進であると感じられる。

ここで言う多様性というのは、右利き・左利きの人、ハンディキャップのある人、ADHDの人、LGBTQの人など、生まれつきのさまざまな性質(Nature)を持つ人のことで、さらに言えば育ち(Nurture)による事情がある人なども含まれる。

我々の住むこの日本において、その多様性を日常的に知るところまでやっと差し掛かってきたが、本質的に理解し共存していくところまで到達しているとは個人的には言い難い。なぜならばその多様性の中には、先に述べたさまざまな性質を持つ人の他にも、天才と言われる人、平凡と言われる人、自分は普通だと思っている人も含まれるはずだからだ。つまり多様性という概念は本来、我々人間全般のことを指すのだろうし、もしも利き手やハンディキャップ、性的指向だけをハイライトするのであれば、結局は人間を分類して差別化を図るのと同じで、つまりは差別を助長することに繋がると思うのである。

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『リタ』を観ていると、少なくとも北欧圏においては、学校教育の中に、多様性を柔軟に理解し共存しようとしており、その上で起こるさまざまな問題を、子どもも大人も一緒に考えて解決していくのだと感じる。理不尽なルールだとか、もう現代の社会とは適合しない古いシステムを、根本的に改善していくことができる。

「普通」からはみ出たものを「異常」とする価値観は、どこからきたのか?

前回までのコラムと重なる部分もあるが、世の中には規律などから派生して生まれた優劣感による、二極化した意識が存在する。社会で生きていくにあたって、我々は一定の価値観や規律を幼い頃から学校や家庭で身につける(「育ち(Nurture)」とも言える)。それは、平和に幸せに暮らしていくために、そして地域や国が発展していくために、長い年月をかけながら作り上げられたものである。

仕事や役割が細分化され、評価基準が設けられ、意識向上と実績のために競わせる。そういったシステムが成就して高度経済成長を経たのは確かで、暮らしにはたくさんのルールが制定されて、より住みやすい環境が整えられている。

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その一方で、『ぼくのエリ』『幸せなひとりぼっち』のコラムでも何度か引き合いに出した、「大人と社会が作り上げた教育観念への風刺」だとか「規律によって生まれる優劣観」にも通ずるのだが、多様性への理解が乏しいまま、一定の価値観の上に積み重ねられてきたシステムは二極化を助長し、社会的弱者や変わり者、「普通」じゃない者は排除されるようになってしまったのだと私は思うのである。

1960年代からアメリカではじまった「Nature or Nurture(子どもは生まれか育ちか)」という論争も、元をたどれば遺伝的異常で産まれた子どもの治療のために始まったもので、そもそも「異常」は治療されなくてはならないという既成概念も、その論争を考えた医師の育ちによる優劣観で出来上がっているのではないだろうか。

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プロフィール

AAAMYYY(えいみー)

長野出身のシンガー・ソングライター / トラックメイカー。キャビンアテンダントをめざしてカナダへ留学、帰国後の22歳より音楽を制作しはじめ、2017年よりAAAMYYYとして活動を開始。2018年6月、Tempalayに正式加入。2019年2月、ソロとしての1stアルバム『BODY』をリリースした。

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