オードリー若林「生きづらさ」の答え。あるべき論から自由になる

オードリーの若林正恭による、2016年の旅行記『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』が文庫化され、書き下ろしの新章として「モンゴル」「アイスランド」「コロナ後の東京」の三編と、彼とプライベートでも親交の深いDJ松永(Creepy Nuts)による「解説」が追加された。

かつて「人見知り芸人」と呼ばれた若林は、2016年に逝去した父が家族に遺したメッセージを読んだことがきっかけで、「外の世界」へと目を向けるようになっていく。自分が抱える「生きづらさ」の要因が、「スペック」や「勝ち負け」を重視する新自由主義的な価値観にあり、そこでサバイブするための隠しコマンドは「没頭できる趣味」「血の通った関係」であると気づいていく。そんな過程を綴った本書は、単なる旅行記エッセイとは一線を画す。試行錯誤を繰り返しながら「生きづらさ」を乗り越えようともがく、自らの生き様を曝け出したある種のドキュメンタリーといっても過言ではないだろう。

インタビューで若林は、「この新自由主義のシステムのなかで、『いまの自分でいいんだ』と思える人がどのくらいいるのか僕にはわからない」と話していた。多かれ少なかれ「生きづらさ」を抱える私たち現代人は、どのようにして「没頭と自己肯定」を得ればいいのだろうか。本書をガイドに、コロナ後の世界を生き抜くヒントについて若林に話を聞いた。

キューバ、モンゴル、アイスランドーー若林が、束の間の休暇で旅に出たわけ

―今回、文庫化にあたり『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』をあらためて読んでみて、どんな感想を持ちましたか?

若林:キューバの旅行がもう4年前なんですよ。なので、いまの自分よりも4歳若い人が書いているんですけど、「この人、しつこいなあ」と思いましたね(笑)。だって東京がどういう場所なのか知るために、わざわざ一人でキューバに行くとか……38歳でしょ、こいつ? 早く大人になれよと思いました。

―(笑)。あれから4年、若林さんは「大人」になった感覚はありますか?

若林:それを聞かれちゃうと、未だに「キン消し」(『キン肉マン』の消しゴム)のガチャガチャをやりに一人でお台場まで行っているし(笑)、自信を持って成長できた感じはないんですよね。

若林正恭(わかばやし まさやす)
1978年9月20日生まれ、東京都出身。同級生である春日俊彰とお笑いコンビ、オードリーを結成。その後、『激レアさんを連れてきた。』『スクール革命』『あちこちオードリー』など数多くのバラエティー番組に出演。彼らの主戦場であるニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』が2019年に10周年を迎え、同年3月には日本武道館でライブを行った。著書に『社会人大学人見知り学部 卒業見込』『ナナメの夕暮れ』がある。2020年7月からnoteにて「若林正恭の無地note」を開設。月2本のペースで更新中。

―文庫版には書き下ろしの新章として、「モンゴル」「アイスランド」「コロナ後の東京」の三編が収録されています。モンゴルもアイスランドも、旅行慣れしていない人が一人で行くにはハードルが高い国だと思うのですが、なぜ行こうと思ったのでしょうか?

若林:モンゴルは、子どもの頃に見たドキュメンタリー番組の記憶がずっと残っていて。彼らの「定住しない」暮らし方が、当時は信じられなかったんですよね、自分の住む場所が動いているってどんな感じなのだろう? と。それで「定住」が始まった歴史を調べていくうちに「ちょっと見ておきたいな」と。それと、草原が地平線までずーっと広がっている風景がどうしても見たくて。実際に行ってみたら、言葉では表せない不思議な気持ちがありました。

―アイスランドは?

若林:アイスランドは友人がすすめてくれたんですけど、「地球の地面が生まれてくる場所」があるらしくて。つまり、そこに行けば、地球自体も生きて活動していることを感じられる。東京にいて、コンクリートの地面を見ていても「生きている」という感覚はないじゃないですか。「地面が生まれてくる」ってどんなものなんだろう? というのが最初の理由でしたね。

いまの東京で、100%自己肯定することは難しい。そのなかで生きていくために大切なのは「没頭できるもの」

―若林さんは、やってみて楽しかったことやストレス発散になったことをメモ帳にランキングづけしているそうですね。

若林:例えば半日とか1日休みをもらったとき、自分は何がやりたいのかいつもわからなかったんです。だからゲーセンに行ってメダルゲームをやったりして、でも「これで合ってんのかなあ?」って。世間がすすめるような「夕方以降の東京での時間の過ごし方」みたいなものも、なんか自分にしっくりこなくて。それで一度、自分は何が好きなのかをちゃんと確かめたいと思ったんです。

―「好きなこと」「やりたいこと」を書き出すようになったら、自分が好きなものに対して敏感になったということですね。

若林:そうなんです。「好きだな」と思うものを書き出して並べてみると、「年相応であるべき」とか、「これを好きと言っておけば間違いないだろう」みたいなことから自由になれたというか。例えば僕の年齢で「ゴルフが好き」と言っても誰も何も言わないと思うんですけど、夜中に一人で「3ポイントシュート」を打ってるなんて言うと「何それ」って捕まっちゃう(笑)。でも、それが本当に「好き」ならやりたいなと、メモをすることで思えたんです。

―そうやって「没頭」できるものを見つけることには、どんな意味があるのでしょう?

若林:この新自由主義のシステムのなかで、「いまの自分でいいんだ」と思える人がどのくらいいるのか僕にはわからないですけど、なかなか東京で、100%自己肯定することって難しいと思うんですよ。そういう生きづらい世の中でバランスを取るためには、自分の脳味噌を別のところへポーンと持っていける「没頭するもの」を見つけることが大切なんですよね。

―本のなかでも、いままで生きづらいと思っていたことの一端が「新自由主義」的なシステムにあるのではないか? と書かれていました。それこそ芸能界やお笑いの世界は弱肉強食の競争社会のように思うのですが。

若林:確かに「強い人」が多いところだとは思います。「強い人」とは妥協しない努力家であり、自分の意見を言うことにも、いじられることにも強い、要するにコミュニケーション能力の高い人たち。ただ、そういう人たちには、「弱い人」に寄り添って言葉を一つひとつ紡いでるのかな? とも思うんです。……って、こんなこと言っちゃっていいのかな(笑)。もちろん、寄り添ってコメントされている方も、なかにはいらっしゃいますけど。

以前は「強い人」たちがうらやましかったし、そこを目指していたときもありました。けど、最近は「遠い国の話」みたいにピンとこなくなっているというか。自分はそういう性質ではないんだなと思うようになりましたね。

―それこそ『あちこちオードリー』(テレビ東京)や『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)の番組で若林さんは、レアな芸歴を持っている方や経験をした方に対し、すごく興味を持って話を聞いていますよね。そんなふうに「他者」への興味が湧いてきたのは、最近のことですか?

若林:いまこうやって話しながら考えていたんですけど、キューバに行っていた4年前だったら出来ていないかもしれないですね。自分のことで精一杯だったし、ナルシストで自意識過剰、しかも生意気にも「生きづらい」なんて思っていたので。それこそ鏡を見て髪形を何度も直しているような感じで、自分のことばっかり見ていましたから(笑)。

いまは、車好きの人が「ここのデザインどうなってるんだろう?」っていろいろ覗き込んでいるような感じかな。フワちゃんとか、俺がいままで見たことない車の形をしてるからすげえ気になる(笑)。「このタイヤ、どうなってんの?」みたいな。

「『諦める』とは、『自分の持っているものを確認する』という感覚に近いのかもしれないですね」

―「あとがき」として収録された「コロナ後の東京」には、緊急事態宣言が出される少し前、すっかり様変わりした東京の街並みにキューバをオーバーラップさせた若林さんの心境が綴られています。現在は「コロナ後の社会」をどう捉えていますか?

若林:うーん……それがね、いっときは「リモートの可能性」が謳われてましたけど、「やっぱりお客さんが入ってて、近距離で絡むのがいいよね」という、逆にそっちの価値を再確認したような感じになってきていて。「新自由主義」というのは本当にしぶとくて、普通に戻っていく感じが強いですね。

自粛期間中は、もうちょっと価値観の変動があるかと思ったじゃないですか、ニュースでも「コロナで価値観が変わる」みたいな見出しが続いていましたし。「どんなふうに変わっちゃうんだろう?」と不安すら覚えましたけど、やっぱりシステムというものは、いい意味でも悪い意味でもしっかり構築されているんだなあと。それを強く感じていますね。

―先日『あちこちオードリー』で若林さんが、「俺はセカンド7番で死んでいく」と発言したことが大きな話題となりました。あの発言で言いたかったことも、そんな「新自由主義」的な世界で生きるための一つの考え方なのかなと思ったのですが。

若林:ああ、なるほど確かに。やっぱりメディアでニュースになりやすいのは、勝者の振る舞いや功績だと思うんですよ。個人的には圧倒的な才能の人との共演などを繰り返し、40歳を超えたところでようやく「諦め」がついて自分のスタイルができた。それって、働いている人はみんな経験していることだと思うんですけど。

―自分の欠落と向き合うことを、「あとがき」には「ボンネットを開けて欠落の構造を自分なりに理解する」と書いています。そこで「諦念と感謝」が生まれ、「外に目を向けられ他人への興味が急激に湧いてきた」とも。─般的に「諦め」とはネガティブな感覚とされていますが、諦めることで見える世界もあるのではないかと思います。

若林:本当にそう思います。やっぱり一目瞭然な価値をニュースにするし、それをみんなが評価すると思うんですよ。そのほうがわかりやすいですしね。でもそれが自分に「合っている」かどうかは、また別の話というか。「諦める」とは、「自分の持っているものを確認する」という感覚に近いのかもしれないですね。

―「諦念と感謝」という新たな感覚を身につけたことは、オードリーのあり方や、仕事のスタイルにも影響があると思いますか?

若林:質問の答えになっているかわからないんですけど、仕事が全くなかった若い頃は、やっぱり「強者と弱者」という分け方をさせてもらうのであれば、僕らは「弱者」だったわけです。芸能界では出演回数などがわかりやすい「価値」になると思うんですけど、余程の天才じゃない限り、時代が変われば若い世代に取って代わられる。

その彼らに対して「お願いします」という立場で絡んでいくようになっていくなかで、とにかく背伸びもせず、やれることをやるしかないという気持ちに変わってきました。前よりも「先を見なくなった」という感じなのかもしれない。

―そんなふうに等身大で、肩の力が抜けたオードリーに、再びテレビの仕事が増えているのは必然なのかもしれないですね。

若林:こればっかりは、自分でコントロールできないんですよ。僕らがやっていることは「下請け仕事」ですし、「オファーをいただいて現場へ行く」という立場なので、そう思って頂けているなら嬉しいですけどね。

―ちなみに、いまでもネガティブになってしまうときはありますか?

若林:ネガティブな感情というのは、「風邪を引く」みたいな感じでハマってしまうことがありますよね。「ネガティブにハマっても何の意味もない」と頭ではわかっていても、つい囚われてしまうことはいまもあります。そういうときは、「いまの心の様子は、100点満点でどのくらいか?」って、自分で点数をつけていますね。ひどいときは「今日は2点だな」みたいなときもある。でもそれをメモに残しておくと、風邪と同じで3日くらい経つと、少しよくなっているのがわかるんです。

自分の状態がいいときには点数なんてつけないので、読み返してみると2点ばっかり書いてある(笑)。で、日にちがポーンと空いて、また1点、みたいな。でも、そうやって「客観的な視点」を持っておくと、メモを眺めながら、「そんなもんだな、体調もあるし」と思える。ネガティブのなかに潜っていって「答え」を見つけられたことなんてないっすからね、本当に。

世の中のシステムは、人生を「長期的なデザイン」として考えさせようとしてくる

―若林さんにとっては、2016年4月にお父様がお亡くなりになったことも、生き方や価値観の変化に大きなきっかけを与えたのではないかと。

若林:そうですね。病院に毎日通ったり、自宅に戻ってきて一緒に過ごしたりしながら亡くなっていく過程を見ていたことは、かなり強烈な印象として残っています。1日というものに対する感覚が変わりましたね。

―それは、どんなふうに変わったのでしょうか。

若林:やっぱり世の中のシステムは、人生を「長期的なデザイン」として考えさせようとしてくるというか。例えば「スペック」を身につけるためには「このときに、ここにたどり着いていないと」みたいな考え方があると、いまの自分と比較したときに自己肯定できなくなってしまう。それを、僕自身もずっと繰り返してきたのですが、これからは「いま、この瞬間を楽しもう」と思うようになりました。それで夜中に一人、3ポイントシュートを打ってるのかもしれないですね(笑)。

テレビの収録一本に対する気持ちも変わりました。親父が寝たきりになったとき、最後に残ったのがテレビだったんですよ。本のページをめくると息が上がってしまう、歯磨きもできない状態になっても、テレビはスイッチを押せば見れますからね。それで笑っている親父の姿を見ていて、やっぱりテレビってすごいなあと。

noteを開設し文章を書き始めたわけ。テレビでは伝えられない「整えていない言葉」をいまのうちに届けたかった

―ところで最近、noteでの執筆活動を始めたのはどんな経緯だったのですか?

若林:自分は言葉を発するとき、テレビでは非常に言葉を整えて話すことがあって。頭がよくない割に言いたいことはあるので、少しでもダメージを食らわないように喋ってしまうんです。まあ、単純に叩かれることに怯えてるわけですが。

お笑い芸人として、あと何年くらいテレビでお仕事させてもらえるのかなと思うと、せめてラジオのリスナーやライブを観にきてくれている人には「整えていない言葉」をいまのうちに届けておきたい、そういう思いで始めました。

―反響はいかがですか?

若林:芸能人や有名人がSNSで叩かれたり悩んだりしていると、よく「応援してくれるサイレントマジョリティーのことを想像しましょう」なんて言われるじゃないですか。でも、そんなの想像できないですよね、サイレントなわけだから(笑)。

―確かにそうですね。

若林:僕はライブやラジオをやっていたりするので、応援してくれる人がいることはわかっていたんですけど、noteのコメント欄を見ると、その人たちが「生活」をしているんだなということが、手に取るようにわかったんです。普段の生活をしている人が、ラジオを聴いてくれたりテレビを見てくれたりしているんだなと思うと非常に励みになります。「サイレントが可視化された」ということだと思うんですけど、本当にやってよかったなと思います。

―若林さんにとって文章を書くことは、どんな位置づけなのでしょうか。

若林:時間制限がないのが文章の世界なんですよね。バラエティーはテンポが速いし、長く話す人はやりにくい。マスに向けているものではあるので、わかりやすくなければいけないし、明快でなきゃいけない。もしかしたら「正論じゃなきゃいけない」みたいなプレッシャーも感じているのかな。

―若林さん自身はいかがですか?

若林:僕自身、「正論」がなかなか言えない人間なんですけど。正論で、コンパクトで、わかりやすくあればあるほど、その言葉は価値が高いとされているのがテレビの世界。

でも「書く」ということはすごく不思議なんです。例えば僕がドトールに入って何かを書こうと思ったら、締め切り以外の制限はないんですよ。「セカンド7番」という言葉が『ワイドナショー』(フジテレビ系)まで飛び火したのはどういうことなのか? を延々と考えていられる(笑)。

オードリーは「けったいなおじさん」であることを許していこうって気持ちが強くなった

―こうした執筆活動も含め、若林さんはさまざまなお仕事をされていますが、あえて「主戦場」をあげるとしたらどこですか?

若林:それは『オールナイトニッポン』ですね。ブースに入って密室で、春日という「個体」としゃべるのは、オードリーにとって一番ミニマムなスタイルなんです。ああやってふたりで対話することの先に、漫才もあるわけですから。

『オードリーのオールナイトニッポン』Twitterより

―春日さんと話しているときは、いつも本当に楽しそうです。

若林:あいつにそれ言うのは悔しいけど、楽しいですね。ああいう人間は僕からすると信じられないんですよ。頭おかしいですよね、(いまの奥さんと)10年つき合ってたのを内緒にしていて、そこそこの事件を起こしているのに結婚もして。しかもあまり気にしてないっていう(笑)。

―昨年、武道館で行われた漫才もオードリーの新境地といえるものでした。あれからおふたりとも結婚され、社会全体もコロナによって大きく変わっていくなか、これからのオードリーの漫才もかたちを変えていきそうですか?

若林:こういう言葉でいいのかわからないですけど、オードリーに対して「けったい」であることを許していこうと思ってて。僕らは若い子の前でも『キン肉マン』の話とか、プロ野球や1990年代カルチャーの喩えとかしちゃうんですよ。すると当然、「そんなおじさんの喩えなんかわからない」と彼らは言いますよね。でも、そうなってもいいのかなと。

武道館の前までは、喋りのキレ味をちゃんと深夜のラジオでもやっていかなきゃと、ちょっと思ってたんですよ。でも、「けったいなおじさん」であることを許していこうという気持ちのほうが強くなりました。

―以前ラジオでも「俺たちはめんどくさいおじさんじゃなくて、可愛いおじさんにならなきゃダメなんだ」という趣旨のことをおっしゃっていたじゃないですか。そこの境界線は紙一重だと思っているのですが、めんどくさいおじさんではなく「けったいなおじさん」になるためにはどうしたらいいのでしょう。

若林:それって、まさにいま考えていることで。ちょっと言葉を選ぶんですが、おじさんが「おじさん」であることに自信が持ちにくくなっていることが、僕は気になっているんです。むしろ、どんどん「おじさん」って言われていこうじゃないかと。それは僕らがそもそも「おじさん」だからなんですけど、若い子に人気のスニーカーを履いて、『鬼滅の刃』を読むってことは絶対やらないぞという(笑)。

―若い子に寄せていくのではなく、むしろ「おじさん」を貫き通すと。

若林:要するにカルビが食べられなくなったり、胃カメラが怖かったりした話を「正直に話していく」ということなんです。もちろん、「おじさん」がこれまで行なってきた悪しき風習もあったと思うんですよ。だけど、いまって「おじさんは傷ついても大丈夫」と思われているから、ポリコレ的に一番後回しにされているなと思うんです。

……これ、言い方を選ぶのですが、「おじさん」ってこんなに言えるけど、僕はもう「おばさん」という言葉を絶対テレビでは使わないし、美醜に関することも言わないようにしています。でも、おじさんが太っていることに対しては、誰が何を言ってもいいことになっていますよね。だったらもう、どんどん「おじさん」と言われていこうと思っているんです。それで面白い深夜ラジオをどこまでやり続けられるか、すごく楽しみなんです。

―「おじさん」であることをポジティブに「諦めている」というか。

若林:ラジオのゲストに来てくれる若い子や、若いリスナーの子たちから「『キン肉マン』も野球選手の名前も、20年前のラップの話も知らないから、自分たちにとっては最新の情報になる」と言われたんです。「調べてみたら面白そうだったので、『ドラゴンボール』を読み始めました」みたいな声が結構くるんですよ。もちろん、ラジオという環境もあると思うんですけど、おじさんが本気で好きなものに「興奮」していれば、伝わるんじゃないかという仮説を立てているんですよね(笑)。

本気で興奮していないことを押しつけたら、それは「めんどくさいおじさん」だと思う。でも本気の人を見ていると、おじさんとか関係なくなってくるじゃないですか。

―あははは。それも「没頭」ということですよね。

若林:ああ、そうですね。ただ、僕自身はテレビって基本「御座敷芸」だし、お茶の間のご機嫌を伺うものではあるとは思っているんですよ。なので、あまりにも若い子が『鬼滅の刃』の話をしているようだったら僕も読みますけどね(笑)。

書籍情報
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

2020年10月7日(水)発売
著者:若林正恭
価格:792円(税込)
発行:文春文庫

プロフィール
若林正恭 (わかばやし まさやす)

1978年9月20日生まれ、東京都出身。同級生である春日俊彰とお笑いコンビ、オードリーを結成。その後、『激レアさんを連れてきた。』『スクール革命』『あちこちオードリー』など数多くのバラエティー番組に出演。彼らの主戦場であるニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』が2019年に10周年を迎え、同年3月には日本武道館でライブを行った。著書に『社会人大学人見知り学部 卒業見込』『ナナメの夕暮れ』がある。2020年7月からnoteにて「若林正恭の無地note」を開設。月2本のペースで更新中。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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