戸田真琴×飯田エリカが語らう、魂が喜ぶように生きることが大切

戸田真琴による映画上映×トークイベント。自分自身を愛する方法を、見つけたいあなたへ

※このイベントは、東京都の外出自粛要請が発表される前に実施され、当日参加者のみなさまにはアルコール消毒液の使用、マスク着用をお願いしております。

すべての人が持って生まれる「性」。それを根に、今まで受け継がれてきた性のイメージのなかに閉じ込められて、生きづらさを感じている人も少なくないのではないだろうか。

渋谷ヒカリエのカルチャースペースMADOで、AV女優の戸田真琴が2019年に初監督作品として発表した映画『永遠が通り過ぎていく』の上映と、映画の製作にも携わった少女写真家・飯田エリカを交えたトークイベント『わたしが、わたしを愛する日 −戸田真琴が贈る映画上映×トークイベント−』が行われた。本イベントは、北欧カルチャーマガジン「Fika」で連載されている戸田のコラム「戸田真琴と性を考える」のスピンオフとして企画されたものだ。

左から:戸田真琴、飯田エリカ

『アリアとマリア』『Blue Through』『M』と短編3作のオムニバスとなっているこの作品で描かれるのは戸田自身の記憶も反映した「私」という存在と「孤独」について。そもそもなぜこの映画を作るに至ったのか、上映後、満員の会場に「嬉しい!」と喜ぶ戸田が語り始める。

戸田:突然、私の話を曲にしていいですかって大森靖子さんからDMがきて。それで、短編映画のタイトルにもなった“M”という楽曲が生まれたんです。それに対して何か私からもお返しがしたい気持ちがあったのと、曲の力ってすごく強いけど、ひとつのイメージだけじゃなく、曲になる前の原風景が持っていた空気感を伝えたかった。映像で情報を足して、私と“M”という曲をひとつのものにできるようにしたいなって。だから、MVなり映画を作りたいという気持ちになっていきました。

左から:戸田真琴、飯田エリカ
戸田真琴(とだ まこと)
2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に発売し、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。
戸田が歌詞のモデルとなっている楽曲”M”。大森は、戸田が参加した『ミスiD 2018』で審査員を務めていた

もともと映画を撮りたいという気持ちを強く持っていた戸田。昨年、実際に動き始めたことを「大森さんの曲ありきで、本当にやらなきゃいけないタイミングがきたんだなと思った」と振り返る。ギリギリまで脚本を書き直していたというその3作品は、すべてのセリフが口語ではなく詩のような書き言葉で展開されるのが印象的だ。

戸田:言葉がそのまま通り過ぎていく表現をしたかったんですよね。言ったことがそのまま伝わらず通り過ぎていく、相手の耳に言葉が入らず、そのままディスコミュニケーションが進んでいく気持ちを表したくて。

『永遠が通り過ぎていく』場面写真 ©2019 TODA Makoto

自身の体験や感じたことを言葉に乗せ、映像にしたという戸田は「わかってほしいと思わないわけはないんですよ。でも、自分が自分であることを歪ませてまでわかってほしいとは思わない」と続ける。映画の登場人物たちも、もちろん戸田も、そして、多くの人が感じるえも言われぬ孤独感。ひとりで大丈夫だと思っていても、ふと寂しさが襲ってきたり、苦しくなってしまうとき、戸田はどうやって乗り越えているのだろうか。

戸田:私は孤独じゃないと思ったことがないんですよ。孤独でも大丈夫って思うよりも、それに対する比較対象がないんじゃないかな。そういう私が今日まで生きているし、孤独でも大丈夫なんじゃないかなって思う。

飯田:孤独が悪いものというイメージになっているのがそもそもよくないですよね。「結局ひとりだよね」って私もしょっちゅう思いますけど、すべての環境に変化がないわけではなく、ひとりのときもあれば、人とすごく関わらなきゃいけないときもあるし、それによって疲れてしまうこともあって。

でも、誰かといて心温まる瞬間とか人と関わってまぎれもなく美しい瞬間って、自分のなかに生きていると思うんです。それがずっと私の心のなかで変わらないまぶしいものであって。孤独だと感じたら、そういう瞬間を思い出したらいいんじゃないかなって思います。

飯田エリカ(いいだ えりか)
1991年東京都出身。2013年少女写真家として活動をはじめる。自らの少女時代の記憶をもとに今だからこそ写せる少女、女の子を撮影した”少女写真”という表現を追い求め作品を制作。女の子たちのための写真活動を志している。19年から女の子を撮る女の子のコミュニティー『またたく女の子たち』を主催している。

戸田:永遠ってないのかもしれないですけど、今の話にでてきた「瞬間」って、永遠のことなんですよね。記憶のなかで変化していくかもしれないけど、そのワンシーンの本質ってきっと変わらない永遠の記憶で。そのことを永遠って呼ぶんじゃないかなって思うんです。だから永遠って通り過ぎていってしまうもので、とどまってはくれないものだけど、それを救いにして生きていくことは美しいことだと思います。

来場者には、上映後に映画の感想を書いてもらった。その手紙の束を見て「いっぱい! 嬉しい、ありがとうございます」と戸田。そのなかからいくつか感想が紹介された。

18歳のときに初めて彼氏ができたあとの不安定な気持ちを思い出した。今は大人になってしまって、気持ちを見繕うことをできることになったから忘れていました。(中略)もう戻れない、あのとき感じたあの気持ちにアクセスできる映像でした。

戸田が描いた「永遠が通り過ぎていく」という言葉の意味をそのまま感じ取っているかのような感想の数々に、戸田と飯田は「嬉しい。鳥肌が立ちました」と満面の笑み。持ち帰って全部読む、と意気込み、イベントの前半が終了した。

フェミニズムのもと、なぜ男と女は罵り合う?「もっと冷静になって話がしたい」

後半は性に関する生きづらさをテーマにしたトークが繰り広げられた。AV女優として、性の話をすることをこれまで躊躇してきたという戸田と、少女写真家として活動している飯田は、それぞれ「性」を語ることに対して何を考えているのだろうか。

戸田:AV女優のファンになってくれる男性にはいろんな方がいて、心から友達になれると感じられる人もいるし、どうしても「AV女優としてこういう性格であってほしい」っていう理想ありきで好きになってくれる人もいる。だから、性の話ってある人にとってはノイズだったり聞きたくない話でもあったりすると思うんです。

私はこの職業に従事しているということに無責任ではいたくないから、AVファンの人たちにとってノイズになる可能性のあるものはなるべく出さないようにしたいという気持ちが強かった。でも、文筆業やトークのなかで性について語らせていただいている傍らで、本業では、コラムで書いているようなことと真逆の内容を表現する作品に出ることもある。主張がダブルスタンダードになっている感じもしていてモヤモヤしていたのもあるから、こうして連載という形で性について発信できるようになってとてもよかったです。

飯田:私は「少女写真家」として活動していて、女の子だけを撮りますっていうことが、差別的にとられないか危惧していて。私が撮影する女の子ってまだ自分のなかに迷いや揺らぎがあって、自信がないし、悲しい経験をしている子が多いんですよね。女性だから受けてしまった苦しみを聞くこともあります。例えばグラビアとか、女の子の写真ってどうしても消費されてしまうことが多いけど、私はそういう写真を撮りたくないんです。女の子が消費されるのが当たり前になっている現状は、活動するうえでずっと苦しく感じています。

飯田エリカの作品

戸田:すごくわかります。私もグラビア撮影の時、撮られててつらいって思うことがあるんですよ。その人のよさを自然な形で残そうとしてくださる方もいるんですけど、既にあるセクシーな女性像に当てはめるようにしか撮影をしない方もいる。「これじゃ誰がモデルでも一緒だろうな」って思うこともある。

撮られる場面じゃなくても、男性が「この女の子たちのなかで誰がいい?」とか勝手に選手権を行っていたりして。そういうとき、性的対象として人気がある場合でも、逆に論外として扱われる場合でも、どちらにしても嫌なんですよね。生きてるだけで女としてジャッジされて消費されるんだったら、いっそお金にしちゃったほうが納得できると思ってAV女優をやっている部分も少しあって。

そんな戸田がコラムでいつも綴っている思いは「男女のくっきりとした境目はなく、なだらかに双方が繋がっている」ということ。戸田はコラムのなかで「男も女も傷だらけの隣人同士」と書いていたが(連載第5回『戸田真琴が試みる、男女共存の世界 私たちは傷だらけの隣人同士』)、昨今はジェンダーについての議論も盛り上がってきているものの、実態は「男なんか」「女なんか」と分断が見えてしまうシーンも多く、隣人として手を取り合うことを望んでいるはずの人々の言葉に、アンバランスさを感じてしまうことも少なくない。

戸田:頭に血がのぼる気持ち、すっごくわかるんですよ。フェミニズムにまつわる話を聞いて急に自分が消費されてたことに気づいた同業の子もいるんですけど、それまでまったく考えてこなかった人ほど、自分が傷ついていたことに突然気づいてびっくりして、攻撃的になってしまうんですよね。

逆に、自分は人に優しく生きていると思っていた男性も、急に加害者ですって言われて驚いて攻撃してしまう。そうやって激しくやりあった結果が、フェミニズムっていう言葉の後ろに「(笑)」がついてしまうことが増えてしまった、現在の状況に繋がっているんじゃないかなって。過激な人だけが取り組むような、敷居の高い運動だと思われてしまうことがすごく悲しいし、馬鹿にする人も多いせいで、大切な言葉が汚されてしまったような感覚になります。もっとみんなと冷静に話がしたいなと思って、コラムを書いています。

飯田:フェミニズム、女性について活動されている方やその方たちと対立してしまう方の言葉って、「男」とか「女」とか、主語が大きいように感じるんですよね。個人を攻撃しているわけじゃなくて、あまりにもふわっとしている対象だから、罪悪感なく何でも言えちゃうのかなって。それだとちゃんとした生産性のある議論にはならないですよね。

戸田:憎んだら楽なのにと思うこともありますけど、個人的には、自分自身に対して完全に女だと言い切る自信があまりなくて。たまたま体が女性に生まれて、恋愛対象、性的対象が男性だけど、自分が女性であることに疑いがないわけではないし、どこか自分のなかに男の子が住んでいる気がするときもあります。

男の子みたいに、女の子に対して気持ちを抱くこともあるし、女性に恐れを抱くこともある。男性に対して友情を感じることもあるし、相手によってなだらかに変わっているんだなと思って。全然わかりあえない女の子もいるし、すごく気持ちを理解できる男の子もいるし、そういう自分だからこそ、決して安易に、大きな主語で語ってはいけないと自戒しています。

異性から性的に見られることへの嫌悪感。家族と性。寄せられた性の悩みに寄り添う

ふたりの性に対する姿勢にじっくりと耳を傾ける来場者。ここからは、コラム読者と来場者の性に関する生きづらさを綴った悩みをいくつかピックアップし、戸田と飯田が答えていく。まず寄せられたのは、性に対する目線の悩み。

男性から性的に見られているなと気がついてしまった瞬間、その人のことが気持ち悪いと感じてしまいます。
男性女性としてではなくて、まずは人間として人を見たいと思っているつもりですが、実は自分は異性への差別意識のようなものが強いのかもしれないと悩んでいます。

戸田:それは差別意識じゃないよ、絶対。人と人として知り合えていない人とは、何にもなれないんじゃないかな。そうじゃないと苦しいよ。私、マネージャーが毎回若い男性なんですけど、マネージャーと付き合ってるんじゃないかって必ずと言っていいほどどこかに書かれたり噂をされたりする。マジでそんなわけはなくて。私は円滑に仕事ができるようにコミュニケーションをしているだけだし、お仕事で関わる人に対してはいろんな線引きをきちんとしているつもり。だから、この方はむしろ女性というだけで性的に見られる、という事実を不愉快に感じている。差別をする側ではなくて、されて不愉快になっている側の気持ちなんじゃないかなと思います。

性に開放的になりすぎたことが原因で勘当された弟のことを、家族で隠しています。
性と関連づけて家族を語ること、家族が性を語ることの嫌悪と正面から戦えず、今も迷っています。

飯田:家族のなかで性ってタブーですよね。

戸田:そうですね、家族のなかで性というか……私は性の100歩手前のところまでタブーのような家だったんですよ。家族が嫌いっていうわけではないんですけど、家族とは別の世界で元気でいることが私にできる正しいことなんじゃないかなって。

飯田:家族ってどうしても愛し合っていて当たり前って概念があるじゃないですか。そうではなくて、家族であろうが人と人だから、わかり合える点もそうじゃない点もある。今回は弟さんとわかり合えない点があったってことだと思うんですけど、そこを無理にわかろうとすると苦しいかもしれませんね。大事にする方法って無理やり一緒にいるだけではなくて、それぞれのことを守るためにも離れるっていうのも一種の愛だと思います。自分の心が苦しくならないような向き合い方で正しいんじゃないかなと思います。

「私には、父親の血が流れている」家族という関係に、人生を縛られている人の悩みに答える

続いては、家族と離れたとしても、自分のなかに家族を感じてしまう瞬間の悩み。

私が幼い頃に離婚したため、父との記憶はないのですが、ずっと酷い人だったと聞かされて育ちました。
父と同じく暴力を振るってしまった過去があり、もう落ち着いてはいるものの、今でも家族に怖がられてしまうことがあります。
そのたびに、父親と同じ血が流れている時点で、もう運命は決まっているというか、過去は過去でも父が私の中にいるようで、辛くなります。
私がわたし自身を愛せるようになりたいとき、父が邪魔をする。どうすればいいでしょう。

戸田:そうだねえ、苦しいね。親って選べないよね。

飯田:質問している方のことがすごくわかります。私も父親が相当ひどくて。それを間近で見ていたので、男性に対してコンプレックスも抱いてしまうくらいでしたし、その父と同じ血が流れている、父と同じようになってしまうかもしれないという恐怖もありました。

でも父親が自分のなかにいることで、自分ができているわけじゃないって思ったんです。この方はそういう性質があるかもしれないって自覚しているし、自覚できたらコントロールもできると思う。自分のことを知ることはすごく難しいけど、もう知っているじゃないですか。だから、ここを超えたらやばいってラインもわかっているはず。ときにキャパを超えてしまっても、愛してくれてる人はそこを支えてくれると思いますよ。

人生で大切なのは、自分が本当に喜ばしい日々を送ることだけ

38歳でまだ処女、未婚、彼氏も居ません。
婚活もしてきましたが、疲れてしまって、今は一人で生きる事も考えています。
まこりんは今後、どの様に生きて行くか決めていますか?

戸田:女の人がひとりで生きていくのって今でも難しいことになってしまっていますよね。人生は絶対に自由だし、女性だからこうすべき、男性だからこうすべきっていう考え方は絶対に嘘って信じて生きてます。

女の子がひとりで生きていくためにはどうしても強くならなきゃいけないという状況自体がひどいなって思う。弱いままでひとりで生きていくことがどうしてできないんだろうって。質問をしてくれた方はすごく自分を客観視されていて、婚活もチャレンジして、そのうえでしっくりこないっていう答えにたどり着いているのだから、なんの苦しみもなくひとりで生きることが祝福される世の中になってほしい。私は絶対に祝福します。

戸田:私は、人生って何か大きなものをなさなきゃいけないんじゃないかっていう思春期特有の意識を持ったまま大人になってしまったなと思っているんです。それがたとえば映画を撮るとか、本を出版することかもしれないけど、女性だとそのなかに、いつかやらなきゃいけない大きなイベントのような感じで結婚と出産があって。とくに出産は年齢的なリミットもあるから、順風満帆にそれを実行できる人って相当人生がうまくいった人なんじゃないかな。あまりにも簡単にはできないことだと思います。

飯田:それをしなきゃいけない圧に頑張って従った結果、ちょっとした歪みが生まれてる感じもありますよね。自分の正直なところをちょっとどこかで殺して、一般的にはこれが幸せだっていうレールに乗らなきゃっていう違和感に慣れてしまう人っていると思うんです。

戸田:そうだよね、自分の魂が本当に喜ぶ生き方って本当に人によるんだと思う。綺麗事かもしれないけど、人生で大事にすべきことって、そこだけなんじゃないかな。だから大きなことを成さなきゃいけないんだっていう気持ちに対して、そんなことないなって最近気がついたんです。1日のなかで、自分の何か大事な思いを殺していないだろうかとか、そういうことを問いかけて、自分にとって本当に喜ばしい日々を送ることだけを目指せばいいんじゃないかなと思っています。

性を考えることで見えてくる、女でも男でもくくれない、ただ「ひとりの人間」という姿。戸田の言うように女性も男性も、その枠に押し込められた傷だらけの隣人なのかもしれない。その枠から自由になって、隣人同士で手を取り合うそんなきっかけをくれるような言葉の数々に、来場者も熱心に聞き入っていた。

イベント情報
『わたしが、わたしを愛する日 -戸田真琴が贈る映画上映×トークイベント-』

2020年3月22日(日)
会場:渋谷ヒカリエMADO

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。

飯田エリカ (いいだ えりか)

1991年東京都出身。2013年少女写真家として活動をはじめる。自らの少女時代の記憶をもとに今だからこそ写せる少女、女の子を撮影した“少女写真”という表現を追い求め作品を制作。女の子たちのための写真活動を志している。19年から女の子を撮る女の子のコミュニティー『またたく女の子たち』を主催している。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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