飾らないおもてなしを、あなたに。北欧を訪れた塩谷舞が考える

飾らないおもてなしを、あなたに。北欧を訪れた塩谷舞が考える

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塩谷舞
編集:青柳麗野(CINRA)
2020/08/21
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宝石のように美しい、新・北欧料理に魅せられて

ここで良いんじゃない? とふらりと入った、カフェのような佇まいのレストラン。

少し暗くなっている店内を覗くと、ウェイトレスはすぐ私たちに気がつき、笑顔で「ご予約してますか?」と尋ねてきた。予約はしていないのだけれども、ちょうど席が空いていたようですぐに奥へと案内される。まだまだ明るい時間帯であるにも関わらず、店内には仕事帰りなのか、デートなのか、数組の客がご機嫌な様子で夕食を楽しんでいる。ウェイター、ウェイトレスたちは、腰に黒の短いエプロンを巻き、足元はスニーカーという装いで、テーブルとテーブルのあいだを軽快にくるくる回る。

とても雰囲気の良いお店だね、だなんて夫と喜んでいたのもつかの間。渡されたメニューに並ぶお値段に面食らってしまった。高い。バチバチに高い。これじゃあ記念日価格じゃないか。

北欧は、物価も税金も高いってことは知っている。ユーロと円の換算だって、何度も確かめたが間違っちゃいない。払えないほどの金額感ではないけれど、覚悟なくふらりと入るには高かった。驚愕だ。だって、高級レストランですという顔をしていないんだもの。

今更引き返すのも恥ずかしいし、カードの限度額まではまだすこし余裕があったなと、メニューのなかから高すぎない料理をいくつか選ぶ。「やっちまったか……」「やっちまったな……」だなんて日本語でコソコソ話しながらも、その場にいるみんなが幸せそうに食べてるんだから、ぼったくられる訳じゃあないでしょうと座して待つ。

そうして運ばれてきた料理たちの、キラキラとした宝石みたいに美しいこと! スモーキーな香り、あたらしい味、たのしい食感、でも和風出汁みたいな懐かしさもある。美味しいと楽しいと珍しいとで、頭が興奮してしまう。

ね、最高に美味しいでしょう、という顔でお皿を引き上げにくるウェイトレスに、ほんと最高! と感想を述べる。こりゃあみんな、ご機嫌になる訳だ。ここで働くのは、さぞかし幸せな仕事なんじゃなかろうか。

先程までの不安は吹っ飛び、気分も良くなってきたので、もう一皿と、お勧めされたノンアルコールドリンクも頼んでしまおう。限度額までまだ余裕があったはずだし……。

自然がいちばんえらい、アニミズム的思想

調べてみれば、デンマークのコペンハーゲン中心街にあるその店は、権威ある賞も受賞しているほどの名店らしい。はやい時間だったから幸運なことにするりと入れたのだけれど、1時間もすれば店内はたちまち予約客で満員になった。

コペンハーゲンにNomaという気鋭のレストランが生まれ、それが幾度となく世界一のレストランの座に輝き、この美しき都市が美食の街に変わったとは聞きかじっていたけれど。なるほどここも、そうした潮流から生まれたお店だったのね、なるほどなるほど……と、その創造性を味わいながら納得する。

お店で働くひとたちの顔ぶれをよくみれば、街の様子よりも随分多国籍で、きっと各国から修行に来ているのだろう。料理とアートは文化の先頭打者だわ、だなんて感心してしまうほどの熱気に満ちていた。

そもそも、北欧は厳格なプロテスタント信者が多く、美食とは程遠い街だったらしい。というのも、彼らのなかでは「贅沢な食事」を好むことは浅はかで恥ずかしい行為であったからこそ、北欧の食文化がさほど凝ったものにならなかったんだとか。

それがいまや、世界きっての美食の街だ。食文化がほとんど更地だった土地に、Nomaの天才シェフが道をこしらえた結果、他の国々をフォロワーとして従えるまでに急成長。しがらみが少ないほど自由度も高くなり、足取りも軽やかになるんだろう。まるで若者だらけの新興IT企業が急成長するような破竹の勢いだ。

でもしがらみはゼロじゃない。彼らは、日本で言う地産地消のようなことを大切にしていて、自然との共存意識がとても高い。自然はコントロール出来ないもので、それゆえの不自由やしがらみはあるが、それらは喜んで受け入れよう、といった具合だ。一番えらいのはそこにある自然で、人はそこに住まわせてもらっている、食べさせてもらっている、というような、アニミズム的な価値観に包まれていると感じる。これは日本でいう八百万(やおよろず)の神々や、季節の旬や素材の味を生かした和食に通ずるところがありそうだ。

訪れたデンマークのお店をあらためて見回すと、ラフな装いの客ばかりが目立つ。価格帯としてはまごうことなき高級店だけれども、まとう空気は飾りっ気がなく、テーブルマナーだってさほど要求されない。ウェイトレスたちは友人のように話しかけてくれながらも、その知識量はプロフェッショナルだ。

こうしたレストランは、北欧だけにとどまらず、世界各国に増えている。ただカジュアルなのではなく、「一流の」飾らない店だ。

自然や人を支配し、権威の側として世界をおさめてきたヨーロッパ主要国のラグジュアリーな文化とは対象的に、ポスト・ラグジュアリーとでも呼ぼうか、「飾らない文化圏」という勢力が、デンマークや北欧の個性として打ち出され、それが食文化とともに世界中に浸透しているように感じる。

繁盛するパッケージフリーショップ、閉店する高級百貨店

私は2018年からニューヨークと日本との二拠点生活を始めた。世界屈指のトレンド好きや物好きばかりが集まる大都市は、世界のあらゆる箇所でくすぶり始めた小さな文化の火種をつかまえて、商業とインフルエンス力でたちまち一大勢力にしてしまうほどのパワーがある。だからこそ、いま世界のあちこちでなにが「価値あるもの」と認められつつあるのか、街を歩けば明け透けなほどにわかりやすい。

移住当初、どこで服を買えばいいのかさっぱりわからず、とりあえずガイドブック頻出の老舗百貨店、マンハッタンのど真ん中にあるバーニーズニューヨークに行ってみた。なかではさぞかし『プラダを着た悪魔』的な世界が繰り広げられているんだろうと期待して入店したものの、あっけないほどに閑散としていた。ちらほら見かける客も、私のような「とりあえず来てみた」おのぼりさんか、馴染み客らしきラグジュアリーなマダムが1人、2人。熱気のようなものをさっぱり感じない。その後2年足らずで、アメリカの全店舗を閉店というニュースが象徴的に報じられた。

それとは対照的に、ブルックリンにあるパッケージフリーショップという、環境に配慮した日用品ばかりを集めているお店はいつも盛況だ。量り売りの洗剤や、箱すらない固形石鹸、へちまのタワシなどなど、その名の通りパッケージフリーで売られている商品がずらりと並び、購入を済ませたらガサッと自らのエコバッグに入れて持ち帰る。観光客も、地元客も、目を輝かせて日用品を選んでいる。インフルエンス力は凄まじく、トークショーを開くと店はパンパンの大賑わい。

それだけじゃない。ファーマーズマーケットとか、地域住人の協同組合であるフードコープとか、街中に設置されたコンポストに生ゴミを捨てにいく行為とか、そうしたものが私が思っていたよりもずっと「かっこいい」こととして定着しつつあるらしい。ラグジュアリー店の相次ぐ閉店と、ポスト・ラグジュアリー的な店舗の怒涛の開店により、街の景色はオセロのようにパタパタと入れ替わっていく。

Nomaの創業者のひとりが、ニューヨークの中心地、グランドセントラル駅のなかにAgernというレストランを開いたのだけれども、ここもやっぱり、高級レストランながらに飾らない接客が人間らしく、とっても魅力的だ。

この大都市にトランプタワーが建設された1980年代とも、『プラダを着た悪魔』が公開された2003年とも、まるで景色や価値観が違うのだろう。長くこの街にいる人は、みんながその変化をしみじみと語る。といっても、5年もいれば古参なのだけど。

私もすっかり、この街に漂うポスト・ラグジュアリー的な空気が気に入ってしまった。日本生まれ日本育ちの私だけれども、90年代にインターネットにハマり、IT産業という無礼講こそが正攻法……みたいな場所でキャリアを築いてきた身としては、この価値観のほうがうんと居心地が良い。

けれども、日本の文化はニューヨークほど循環しない。島国だし、独自の言語を守っているのだし、それは素晴らしいことでもある。ちゃんとした文化を育もうとするならば、流行り廃りみたいなのは、遅いくらいがちょうどいい。が、たまに少し息苦しいこともある。

権威的なラグジュアリー的価値観を輸入し、長らく受け入れ続けてきた日本は、それらがすっかり制度やマナーのようなものとして染みついてしまっているように感じる。

「飾らないおもてなし」の価値観と、固執した日本文化のなかで

包装ひとつとっても、なかなか価値観の移行は難しい。

「どっちにしても、お客様からクレームが来ちゃうもんだから……!」

東京で小売業、いわゆるEコマースを営む友人が嘆いていた。聞けば最近はお客様からの梱包材への反応があまりにも二極化してしまって、経営者として判断も対応も悩ましいというのだ。

壊れないため、品質保持のための包装をマトリョーシカのように解いていったうえでさらに「見栄えのため」の包装をすれば、SNSへの投稿が増えて、認知も上がる。けれども、過剰包装だ! と批判されてしまうこともある(まぁ実際に、そうなのである)。

過剰包装は環境への負荷はもちろん、制作や梱包にお金も手間もかかるし、送料だってかさんでしまう。しかし、必要最低限の包装にすればSNSへの投稿がガクンと減ってしまったり、クレームが来てしまうかも。そんなことを恐れて、経営側としてはなかなか簡易包装に踏み切れないし、「あったものをなくす」過程には想像以上に摩擦を伴う。

もともと日本人の多くは、物を本当にていねいに扱う。レジ仕事をする人だって、音をたてないようにコトン、と置くし、何かと紙や布で包んでは大切に持ち歩く。湿度が高いからこそ衛生意識も抜群に高い。だからこそ「飾らない」という選択は、人によっては無礼、もしくは安全性の保証されないものと受け取られかねない。

ただそんななかでも、合理的な形で安全は確保したうえで、どうにか「飾らない文化圏」を、もうすこし受け入れてもらえやすいものに出来ないだろうか。

だから私は、ここしばらく、ごく小規模なレジスタンスを実行している。

インターネットで買った生活用品や、誰かからもらった贈り物。それらがどれほど魅力的で素敵な包装紙に包まれていようとも、絶対にSNSには投稿しないぞ、という断固たる抵抗運動。あまりにも小規模なレジスタンスである。

数年前の自分であれば、かわいい包装紙を喜んで撮影してからInstagramにアップし、また何かに使うかもしれないとコレクションしていたのだけれども。ポスト・ラグジュアリーの熱風を浴びたいまの自分にとっては、包装は簡素でも、中身や品質、生産背景にこだわってくれたほうがずっと嬉しい。だから人になにかをプレゼントするときも、そのままポイと渡す。

そうしたところ、生活するうえでの荷物やゴミがぐっと減り、どんどん身軽になってくる。ついでに言えば、紙の請求書や資料の印刷なんかも、どんどん廃止しているし、よほどのことがない限り、スーツも着ない(好きで着る場合は大賛成!)。

ただやっぱり、異なる価値観からこうした在り方を見たときには、ガサツに感じたり、無礼に受け取られてしまうのかな、だなんてちょっぴり怯えている。ゆえにおそるおそる、1つ、また1つとマナーの撤廃を試しているのだが、そこで相手が「私もじつは、そうしたいと思ってました!」と言ってくれれば大喜びだ。双方の鎧が脱げてようやく、「飾らないおもてなし」は成立するんだから。

ということで、お互いちょっと気を抜いてつき合っていくのはどうだろう? いまの時代、それこそ贅沢ってことでいいんじゃなかろうか。どうだろう?

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プロフィール

塩谷舞(しおたに まい)

1988年生まれ。京都市芸術大学 美術学部 総合芸術学科卒業。2012年に株式会社CINRAに入社し、ウェブディレクター、PRを経て、2015年からフリーランスで活動開始。自身が編集長を務めるメディア「milieu」では、アート、デザイン、音楽、映画などのあらゆる領域のクリエイティブをインタビューやコラムで発信。現在はニューヨークを拠点にしている。

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