菊地成孔の美食コラム ポストモダン料理を味わいにセララバアドへ

料理界に革命をもたらしたポストモダンの料理店を考察する

連載第2回目にして早くもクラシックではなくポストモダンが来るとは思わなかった。しかし、よくよく考えれば、当然、とまでは言わないが、順当、ぐらいの話ではある。

当欄読者の中で「noma」をご存知の方はどれぐらいいるだろうか? そしてこの、ポストモダン・デンマーク料理店をご存知の方の多くは、スペインの「エル・ブジ」もご存知の筈だ。

更にその中の0.1%ほどの方が、筆者の音楽家としてのデビューソロアルバムのタイトルと、物書きとしての処女エッセイ集のタイトルをご存知かもしれない。前者は2002年に発売された『デギュスタシオン・ア・ジャズ』、後者は2003年に出版された『スペインの宇宙食』である。どちらも料理界に何度目かの革命をもたらしたエル・ブジの料理に由来しているのは言うまでもない。

「何の話か、全然わかんないよ」という方には、少々の我慢をお願いし、音楽作品である『デギュスタシオン・ア・ジャズ』に関してのみ、簡単な説明をさせて頂く。これは、世界で最初にコンピューターによる編集のみで製作されたアコースティックジャズのアルバムで、メンバーはスタジオで顔さえ合わせていない。バラバラに呼ばれた、ベース、ドラムス、ピアノは、お互いの演奏も聞かずに、一人一人で演奏させられ、それを筆者が編集し、あたかも同時に演奏したかのように仕上げた物で、1曲の平均時間は1分半、アルバムには60曲ほどが収録されている。

演奏される音源はアコースティック楽器、奏者は一流揃い、それを音楽作品に仕上げるツールはすべてコンピューターを使用している。当時の音楽加工技術のほとんど全て駆使され、ぱっと聴きは何の音楽か全くわからない事により、2002年当時は、ほとんど誰にも理解されなかったこの作品手法は、現在では一般的になっている(当該作ほど極端な形ではないが)。まるで、閉店したエル・ブジの料理のように。

ポストモダン料理は、実際に旨いのか? 腹は満たされるのか?

「セララバアド」の料理が、ポストモダニズムの様々なジャンル区分(最低でも「エル・ブジ」と「ファット・ダック」<分子ガストロノミー料理を提供するイギリスのレストラン>と「noma」と「龍吟」<伝統的な発想・技法とは異なる手法で素材の味をひきたて美しい一皿を提供する日本料理店。ミシュランでは5年連続三ツ星を獲得>は区分されるべきだが、相当なジェットセットグルメであろうと、これらを明確に区分できる者は少ない筈だ)を大雑把に飛び越えて『「noma」みたいな』、という風にメディアで書かれてしまうのは、半分以上間違いだが仕方がない。

菊地成孔、小さな庭のあるセララバアドの入口にて
菊地成孔、小さな庭のあるセララバアドの入口にて

何せ店内にはエル・ブジとnomaの巨大なレシピブックがドカンと置かれ、料理には皿ごとにBGM(と、後述するが、ヴァン・デギュステーションならぬ、ジュ・デギュステーションとして、驚くべき斬新なジュースが、一杯ずつ供される。今回筆者が最も驚き、感心したのはこのジュース群の素晴らしさだった)が転換する。そして、橋本(宏一)シェフは実際に「noma」の厨房に入っていたのである。但し、オープン前の約1か月だけ。

セララバアドの店内。木目調のインテリアに「科学的なものだけではなく自然の感覚をとりいれたい」と語るオーナーシェフの思想が表れている
セララバアドの店内。木目調のインテリアに「科学的なものだけではなく自然の感覚をとりいれたい」と語るオーナーシェフの思想が表れている

ポストモダン料理全般に対する「最もよくある質問」は、「実際に旨いのか? 腹は満たされるのか?」であろう。今更ながら敢えて、最も誠実に、メディア上の政治的力学を一切受けずに回答するならば「とても旨く、腹も満たされる」が正解である。

「セララバアド」の料理は、エル・ブジによって既に一般性さえ持つに至った、テクノロジーによるハイスキルを、マクロビの様な健康志向とは違う意味での、エコロジカルかつナチュラルな方向へ、そしてエル・ブジの過度にモダンアート的なイマジネーションを、イタロ・カルヴィーノ(イタリアの小説家)的な牧歌的で幻想的な物語センスの方向へ転換し、素晴らしい成功例となっている。そこには「noma」と似て非なる、もしくは和製「noma」と言ったものとも違う、橋本シェフの外柔内剛な理念が揺るぎなく存在し、ともすればとっ散らかり、混乱しがちなポストモダン料理(エル・ブジもnomaもドキュメンタリー映画になっている。そして両作が露呈させるものは、まるで激戦地のようなバックヤードの大混乱である)を、凛として芯のある物に高めていると言えるだろう。筆者が感じたのは、ポストモダニズムを一周して回帰した、懐石料理の精神である。

「少年性の夢想感覚」と「実直で堅牢なスキル」によって生まれるコース料理

エル・ブジ閉店から6年が過ぎても尚、「へえ、この手の料理って、こんなに旨いんだ」「食べてるだけで体が浄化されそう」といった、ポストモダニズムの果たすべき大義を、代々木上原という「おしゃれで旨い店」激戦区で地道に啓蒙する、といえば、一聴だに修行のようなストイシズムを感じるだろう。しかし「セララバアド」は、宮沢賢治的とさえ言える、少年性の夢想感覚をエンジンに、「エコロジーとナチュラリズムを信じる」という揺るぎない信念と、「確実に旨いものを食わせる」という実直で堅牢なスキルによって、余裕綽々で客を待っている。

各皿の解説は一切省き、懐石の品書きと同じく、名称とコンテンツのみ示す。写真と照合し、大いに想像力を昂めて頂きたい。筆者からのコメントはただ一つ、「誠実で、とても旨く、腹も頭も洗われ、磨かれるようだ」ということだ。

1. イケバナ ハモン
・北海道十勝の生ハム
・ピザ生地(ジュニパーベリーとメイプルシロップ、松の葉)

菊地成孔

2.朝霧
・梅昆布茶の液カプセル
・蓮の葉

菊地成孔

菊地成孔

3.花蜜
・ナスタチウムの花の蜜
・ガスパチョを透明にしたジュレ
・オリーブオイルをたらした透明なトマトジュース

オーナーシェフの橋本宏一。「子供の頃に花の蜜を吸った記憶」さながら、ナスタチウムの蜜は花から直接吸って味わう
オーナーシェフの橋本宏一。「子供の頃に花の蜜を吸った記憶」さながら、ナスタチウムの蜜は花から直接吸って味わう

菊地成孔

4.夏の高原
・ヤギのミルクとレモングラス風味のミルク
・青草の香りのオリーブオイル
・ラベンダーの花添え
・パプリカと生姜のジュース

5.渚
・カレー風味のムール貝のエキスが入った、ピザ生地
・しらす、アンチョビ、海藻で作ったパウダー
・波に見立てた泡のソース

小瓶に入ったストーリー仕立てのメニューリスト
小瓶に入ったストーリー仕立てのメニューリスト

6.夜海
・イカスミをレース状にしたチップ
・白いか、小玉ねぎ、枝豆、セロリのスプラウト
・ハッカの氷を入れたスイカのジュース

菊地成孔

菊地成孔

7.とちの木牛 マコモ茸
・とちの木牛とマコモ茸
・じゃがいものムース
・BGM:薪の爆ぜる音

8.夏の夕暮れ
・ビワのコンフォート
・しそのシロップ
・トンカ豆のクッキー
・レモンシュガー
・BGM:海の音

恒例の「選曲」だが、現状の「エンヤ風のインストと、状況音」も大いに結構だが(ファット・ダックは、シーフードのアソートにiPhoneを添え、イヤフォンから、「その食材を獲った海の音」を聴かせる、という悪趣味な演出を凝らしたが、実直でロマンチストですらある橋本シェフは、牛肉のグリルに薪の爆ぜる音を流し、「この、パチパチいうのはノイズじゃないんですよ」と、楽しそうに苦笑した)、料理が持つ風格を踏まえ、別の作品を提案したい。最高級の現代音楽、しかもアコースティックでエコロジカルな作品が最もマリアージュするだろう。武満徹やジョン・ケージ等が作曲に際し、自宅の庭や近所の森から全ての素材を見出そうとした事をポストモダン料理は知っておいて損はない。皿毎に音楽 / 音響が変わるという童話的な手法から、食前から食中を経て、食後に至るまで流れ続ける自然界の交響楽として、ここでは武満徹の“テクスチュアズ”を。

菊地成孔

店舗情報
セララバアド

住所:〒151-0064 東京都渋谷区上原2丁目8-11 TWIZA上原 1階
営業時間:ランチ(土曜のみ) 11:30オープン 12:00コーススタート、ディナー 18:30オープン 19:00コーススタート
休店日:日、月曜
電話:03-3465-8471

連載『菊地成孔の北欧料理店巡り』

2003年に発表した『スペインの宇宙食』において、その聴覚のみならず、味覚・嗅覚の卓越した感受性を世に知らしめたジャズミュージシャン、文筆家の菊地成孔。歓楽街の料亭に生まれ、美食の快楽を知る書き手が、未開拓の「北欧料理」を堪能し、言葉に変えて連載形式でお届けします。

プロフィール
菊地成孔 (きくち なるよし)

1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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