菊地成孔の映画コラム 知られざるカール・テオドア・ドライヤー

菊地成孔の映画コラム 知られざるカール・テオドア・ドライヤー

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菊地成孔
編集:川浦慧(CINRA.NET編集部)

筆者は「ドライヤーで何か一本」と言われたら、『奇跡』を推したい。

そして、ドライヤーの代表作を、ぶっちぎりで本作に固定してしまい、「カール・ドライヤー=北欧キリスト教というエグさが、絵画的、病的に濃厚な人」というシンプルな記号化に落とし込む事が、どれほどの安易で怠慢的な愚行であるかを、最短にして最高の形で知る方法がある。

それが『奇跡』(1955年)を観る事であるのは間違いない。ベルイマンの項でも書いたが(参考:菊地成孔の映画コラム ベルイマンの「喜劇」は北欧文化の裏遺産)、本作は、何と驚くべきことに、異形の、しかし明らかなコメディーである。しかも、1955年、あらゆる意味でピークを迎えていた合衆国のテレビドラマ、特にコメディ・ホームドラマの影響下にある。

少なくとも、セットの組み方、画角の決定、キャメラの移動に関しては、『奥さまは魔女』だの『じゃじゃ馬億万長者』と変わらない。そしてそのストーリーは、農場主である反ルター派(つまり、街では異端者)である家父長と、女神であり母性である長男の嫁(妊婦)、無神論者の長男、神学とキルケゴールの勉強のしすぎで、自分を現代のキリストだと信じ込んでいる発狂した次男、宗派の違いから恋人との結婚が果たせないでいるイケメンの三男からなる宗教ホームコメディーで、手慣れた神学論争を、まるでアメリカンコメディーのように綴っていく奇跡の作品であり、その、異様なまでのユーモアと宗教的感動の豊かさは、再見の機会の少なさによって価値が何十倍化している。ヴェネチアで金獅子を受賞しているが、日本では研究家以外は観る事もない。

過去の研究家は口を揃えていう、ドライヤーは多様性の作家であったと。79年の人生で長編が14作というのは、寡作ギリギリの数と言って良いだろう。しかし、『裁かるるジャンヌ』の強烈さ(ゴダールの啓蒙も大いに加担していると思うが)に持っていかれ、ましてや最新プリントの迫力に圧倒されて、ドライヤーを止めてしまってはいけない。ほぼ全作を見る事ができる、コンテンツ&コンプリートの時代だが、局所は2つである。

ドライヤーはその後、最後の長編である(これまた全く毛色の違う)『ゲアトルーズ』(1964年)を9年後に発表し、更に4年後に没する。あえて極言すれば、だが、筆者は「ドライヤーで何か一本」と言われたら、『裁かるるジャンヌ』でも『吸血鬼』でもなく、『奇跡』を推したい。ここに見られる、異様で、永遠に新しいユーモアが、神学議論を下敷きにしているという事は、まさに奇跡的とも北欧的とも言える。

*両国とも国教はプロテスタントのルター派である(極めて私事だが、筆者は、デンマークのコペンハーゲンでも、スウェーデンのストックホルムでも、カソリックの友人と、「カソリックの教会はないか?」と聞いたところ、ほとんど嘲笑に近い激しい笑いとともに「あんな、時代錯誤のお化け屋敷に何しにゆくんだ?(笑)」ぐらいの扱いを受けたことがあった)。

現在のスウェーデンは、あらゆる宗教の自由が許されるという表向きの顔と、スウェーデン国教会が頂く、ルター派の強権が失墜してきたという裏の状況のタンデムであり、一方デンマークは、異教徒の国内流入を防ぐため、移民の締め付けが極めて厳しく、また、イスラム系の移民にも、プロテスタントの祭り事(クリスマスやイースターなど)を行うことを義務付けるなど、現在における宗教事情はかなり違うものの、2人の作品が扱う時代は、いずれもルター派の教会権威が健在であり、その内部から分離独立し、やがて教会権威を脅かす存在となってゆく医学・科学などの近代性をも、まだ教会権威に服従的であった(その事がネタになっている作品も多々ある)牧歌的な時期に当たるものが多い。

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連載『菊地成孔の北欧映画コラム』

ジャズミュージシャン、文筆家の菊地成孔が、北欧にまつわる映画人にスポットを当てたコラムを連載形式でお届けします。ジャンルを横断した造詣の深い書き手が、多様な視点から見る、その土地や文化、時代を書き綴ります。

プロフィール

菊地成孔(きくち なるよし)

1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。

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