近年、日本でも盛り上がりを見せている「北欧ミステリー」の世界。豊かな自然や家具、雑貨といったイメージとは少々異なるかもしれないが、1992年に北欧の推理作家が、その年のいちばん優れたミステリー作品を選出する『ガラスの鍵』賞を設立するなど、北欧諸国は良質なミステリーの産地でもあるのだ。
そんな北欧ミステリ―の魅力を、ミステリーを愛する各界の著名人に語ってもらうという本企画。今回登場していただくのは、日本でも有数のミステリー作家である山村美紗を母に持つ、女優の山村紅葉。母の影響により、幼少の頃からミステリーの世界に親しんできた読書家であり、テレビの2時間サスペンスをはじめ、ドラマや映画など、数々の映像作品に出演している彼女は、北欧ミステリーをどんなふうに読んだのだろうか。
今回、山村が紹介するのは、今日の北欧ミステリーブームの火付け役ともなった、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』。この小説から彼女は何を感じとったのだろうか。日本のミステリーとの比較などもあわせて語ってもらった。
母がミステリー作家だったものですから、本棚にミステリー小説が揃っていたんです。
—山村さんといえば、テレビドラマの2時間サスペンスなどでお馴染みですが、ミステリー小説も、かなり読まれるとか?
山村:そうですね。母がミステリー作家だったものですから、自宅の本棚に「ハヤカワ・ミステリ文庫」などのミステリーの本が大方揃っていたんです。なので、私も小さい頃から、そういうものを読み漁っていました。
大学は早稲田だったんですけど、「ワセダミステリクラブ」というサークルに入っていました。サークルメンバーからミステリー小説の最新の情報を教えてもらったり、本を貸し合ったり、あと批評みたいなこともし合ったりしていましたね。
—かなり筋金入りのミステリーファンなのですね。ちなみに、山村さんがいちばん好きなミステリー作家というと?
山村:やっぱり、アガサ・クリスティ(1920~1930年代ごろに活躍した、イギリスのミステリー小説家)ですね。もともと、母が「日本のアガサ・クリスティ」と呼ばれてとっても喜んでいたので、「どんな作家なんだろう?」と、気になって読むようになったらファンになってしまって。なかでも、『ミス・マープル』のシリーズが好きですね。映像化されたものも、けっこう見たりしています。
『ドラゴン・タトゥーの女』は、スウェーデン版とハリウッド版の両方とも見たぐらい好きなんですよね。
—そんな山村さんがオススメする「北欧ミステリー」はスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズということですが、この作品を選んだ理由を教えてください。
山村:シリーズのなかでも、いちばん最初に衝撃を受けたという意味で、その第1弾である『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』を今日は持ってきました。これは映画にもなっていますけど、スウェーデン版とハリウッド版の両方とも見たぐらい好きなお話なんですよね。
—どういったところが、印象的でしたか?
山村:まずは、ミステリー小説として私が好きなタイプだったんです。事件の舞台となるのが、島なのですが、普段は繋がっているはずの橋が閉鎖されていて、閉ざされた空間になっている。
アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)も島が舞台だったし、『オリエント急行の殺人』(1934年)も列車のなかという閉ざされた状況で事件が起こりますよね。つまり、そのなかに犯人がいるはずで、そこに居合わせた人たちが、全員容疑者になる。そういうミステリーの王道ともいえる舞台設定であることに惹きつけられたんです。
—物語のキーとなる40年前の事件が、島にあるお金持ちの大邸宅で起こるという……たしかに王道ですよね。
山村:そう。ただ、そういう王道な設定から入りながら、実はそういう話ではなく、ものすごく意外性のある展開になっていくんですよね。詳しくは言いませんが、私にとっては予想外の展開と結末でした。かなり意表を突かれたんですよね。
『ミレニアム』シリーズ全体が、女性や移民など、基本的に差別されたり虐げられている人々の問題を扱っている。
—登場人物も、王道とは違う感じがしますよね。
山村:はい。この小説は、リスベットというパンクな女の子とミカエルという中年男性のペアが主人公なんですけど、リスベットを向こう見ずな勇ましいキャラクターにして、ミカエルを理性的なキャラクターにしていたり、通常のステレオタイプを外しているところが面白いんですよね。
その他の登場人物たちも強烈で、良くも悪くも個性的な人ばかりなんです。あと、主人公が完璧すぎないところも良いんですよね。リスベットはけっこう過激で、問題行動ばかり起こしているし。なかなか日本では、そうはいかないところがあると思うんですよね。
—というと?
山村:どこか完璧な理想像みたいな人を、主人公に置きたがるところがあるじゃないですか。日本のミステリーで主人公が女性だと、いわゆる才色兼備の女性が多い。母の小説の主人公も、大体そんな感じですよね。「赤い霊柩車」シリーズの明子さんも、きれいで頭が良くて正義感に溢れた女性だし。まあ、そこは母も悩んでいたというか、ちょっと葛藤みたいなものがあったようですけど。
—たしかに、日本のミステリーにはあまりないキャラクターかもしれないです。
山村:あと、これは『ミレニアム』シリーズ全体に言えることですけど、女性や移民など、基本的に差別されたり虐げられている人々の問題を扱っているんですよね。そういう差別を、物語のなかで大きく否定しているんです。それを前面に打ち出しているわけではないんですけど、物語の根底には、いつもそういう問題意識があるように思うんです。それは作者が、もともとジャーナリストだったことにも関係しているのかもしれないですよね。
—『ドラゴン・タトゥーの女』のオリジナル版の副題が、「女を憎む男たち」であるように、女性差別の実態を告発しているようなところもありますよね。
山村:非常に大きな問題提起をしているように思います。むしろ、そのために書いんじゃないかと思うくらいに。そういう小説が、日本を含む世界中の国で受け入れられたことは、非常に興味深いですよね。人間社会が抱えている普遍的な問題というのは、やっぱり変わらないというか。
いまだに、移民や女性に対する差別発言が問題になったり……日本だって表面上は男女平等ということになっているけど、大学の入試ですら、いまだに男女差別があったわけで。
—そうですよね。まったく他人事ではないというか。
山村:そういう差別の問題は、世界中のどの国にも依然としてあるんですよね。スウェーデンという、国民の幸福度が高くて、そういった問題のなさそうな国ですら、『ミレニアム』のような小説が出てくるわけですから。だからこそ、世界中の国の人の共感を得たんじゃないでしょうか。
(スウェーデンは)男女平等な社会のイメージが強かったのに、この小説を読むと、必ずしもそうではないんだなと。
—ちなみに、山村さん自身は、実際スウェーデンに行かれたことは?
山村:実際に訪れたことはないですね。ただ、「ストックホルム」というスウェーデンのスモーガスボードのお店があるのですが、そこにはよく通っていました。だから、スウェーデン料理には、けっこう馴染みがあるんですよね。アクアヴィットを飲んだりして。(参考記事:菊地成孔の美食コラム 北欧バイキング「スモーガスボード」を堪能)
—スウェーデンという国に対して、どんなイメージをお持ちでしたか?
山村:美しい自然や、きれいな住宅や家具のイメージがありました。あとは、ゆりかごから墓場までじゃないですけど、社会保障が充実していることでしょうか。まあ、社会保障が充実しているからこそ、消費税が25%と高かったりするんですけど。私は昔、国税局で働いていたものですから、そのあたりのことには詳しいんです(笑)。
—なるほど(笑)。
山村:社会保障の充実した素晴らしい国で、憧れはいっぱいありましたよね。
—とはいえ、この小説で描き出されるスウェーデンは、必ずしも素晴らしいだけではないですよね。
山村:そう、社会保障の充実した男女平等な社会というイメージが強かったのに、この小説を読むと、必ずしもそうではないんだなと。その根っ子の部分では、さまざまな差別が根深くあるんだと知りました。ちょっと調べてみたら、本当に強姦犠牲者数が多かったりするみたいで。
美しい自然や充実した社会制度とは真逆のことが、現実として起こっている。そういう意味では、現実にちゃんと立ち向かっているし、大きな挑戦をしている小説だと思います。
—それこそ、スウェーデンの負の歴史にも触れていますよね。
山村:はい。だから、情報量がすごく多い作品ですよね。私は普段、タブレットで小説を読むことが多いんですけど、読む前に、推定の読了時間が出るんです。普通のミステリーの読了時間は3~4時間ですけど、この小説は、11時間って出てきて。それぐらいかかったら、普通は読むのをやめるじゃないですか?
—そうですね。11時間はけっこうヘビーです。よっぽどの理由がなければ途中でやめてしまいます。
山村:だけど、やっぱり面白かったんですよね。それぐらい時間をかけても、最後まで読みたくなる面白さがあるんです。
私の母は、基本的に3時間で読み終えることができるものを、いつも意識していたみたいなんです。その昔、新幹線で東京から大阪までって、大体3時間だったじゃないですか。その間に読み終えられるものとして、書いていたみたいなんです。
—たしかに、それ以上になると集中力も続きませんよね。
山村:そうなんですよね。上下巻になったとしても、3時間で読めるものにしていたようです。だけど、『ドラゴン・タトゥーの女』は、その11時間をまったく途切れることなく楽しめたんですよね。その理由を考えてみると、この小説が映画化されたときに見た映像がとてもきれいだったんです。水や空の色も、日本では見たことがないような美しい色をしていて。雪とか氷って、どこか聖なるイメージがあるんですが、そのなかに生々しい現実があるっていう異物感が、物語を面白くさせるひとつのポイントなのかなと思っています。
—美しい場所で恐ろしいことが起こる、という対比なのでしょうか。
山村:以前母が、「なぜ、いつも京都が舞台なのか?」と聞かれたときに、深い歴史があること、歴史が積み重なっている街であること、それと同時にすごく美しい街だからと言っていて。京都の街にある美しい建物や自然のなかで、殺人事件という生々しいものがあると、すごくインパクトがあるんですよね。
—変な話、汚い場所で、どす黒い事件が起こっても、それはそれで当たり前のように感じますね。
山村:そのコントラストですよね。この小説も、舞台が北欧じゃなかったら、かなり印象が変わったように思いますし。
—なるほど。事件としてはかなり陰惨なものだと思いますが、北欧の豊かな自然の描写によって、ちょっとその息苦しさが紛れるというか。
山村:そうなんですよね。そういうものを見て、ちょっとホッとする。起きている事件はえげつないし、その背景にあるものも深いし、作者が言いたかったことも、きっといっぱいあると思うんですけど、景色や建物が美しいから、そういった問題がスッと入ってくるというか。美しい景色があるから、濃密な話でも、読み続けることができたんだろうと思います。
ガイドブック代わりに母の小説を持って、京都の街を歩くっていう楽しみ方もある。北欧ミステリーにも、きっとそれがあると思うんです。
—それにしても、なぜ人々は、ミステリーに惹かれるのでしょうね。
山村:それはやっぱり、殺人を起こすというのは、よほどの理由があるわけで、普通の人の人生で起こり得ないことだからじゃないですかね。だけど、もしかしたら明日、自分に起こらないとも限らないわけですよね。当事者ではなくとも、そういう事件に巻き込まれる可能性はあるわけで。
だから、もし自分がそういう状況になったらどうするかっていう想像力を喚起させられるんじゃないでしょうか。あと、私の母は、数学の幾何が得意で、幾何の証明が大好きだったんですよね。
—ほう。
山村:それと同じ面白さがミステリーにもあると思うんです。普通の計算問題だったら、正解できて当たり前で、間違えたら悔しいだけだけど、幾何の証明って、自分が思いついた論理を組み立てていって、物事を証明するわけじゃないですか。その快楽があると思うんです。それが難しい問題であればあるほど、解けたときの喜びが大きい。
それはミステリーも同じで、誰が犯人で、どういうトリックを使ったとか、自分で推理していって当たったときの喜びはすごく大きいんです。他のジャンルでは、なかなか得られない快感ですよね。テレビで2時間サスペンスを見ながら、家族で「あの人が犯人じゃないか?」なんて推理して言い合ったり。そういう楽しみ方もあると思うんです。
—なるほど。では、『ミレニアム』シリーズを筆頭に、いま「北欧ミステリー」が注目を集めている理由については、どんなふうに思われますか?
山村:いちばんは、知らなかったっていうのが大きいでしょうね。北欧について詳しいわけじゃないし、実際行ったこともないなかで、ただ想像だけが膨らんでいく。何となく想像できる場所だから読んでいても楽しいんですよね。まったく知らない国の話だと、なかなか頭のなかで絵が浮かばないので。北欧が舞台となると、例えば雪が降っていても、陰気に降っているイメージではなく、トナカイがソリで走ってきそうなイメージがあったりとか(笑)。
—(笑)。そういう意味では、ちょっと観光小説的なところもありますよね。
山村:そうですね。母の小説は京都が舞台になることが多いですけど、若い女性たちのあいだで、母の小説に出てくるお寺やレストランを実際に訪問するのが、ちょっと流行ったことがあって。
だから母は、全部実在の場所やお店にしたんですよね。で、美味しくないお店は載せないっていう。だから、ガイドブック代わりに母の小説を持って、京都の街を歩くっていう楽しみ方もあるんですよね。北欧ミステリーにも、きっとそういう楽しみ方があると思うんです。
—『ドラゴン・タトゥーの女』も、冒頭に舞台となる場所の地図がついていますし、実際行ってみたくなりますよね。
山村:なりますよね。その小説を読みながら、さらに想像が膨らんで、いつか自分も行ってみたいと思ったり。食べ物が出てきたら、それはどんな味なんだろう、本当に美味しいのかなと想像してみたり。北欧という美しい土地だからこそできる、ミステリー小説の楽しみ方だと思います。
- プロフィール
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- 山村紅葉 (やまむら もみじ)
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早稲田大学在学中にANB「燃えた花嫁~殺しのドレスは京都行き~」で女優デビュー。以来在学中に20数本出演するが、国税庁国税専門試験に合格し、卒業後は国税局に勤務。結婚退職を機に、ふたたび女優の道へ。400近い原作を残した、亡き母・山村美紗さんの作品を中心に、「赤い霊柩車」「名探偵キャサリン」「京都祇園芸妓」「狩矢警部」などの代表シリーズ出演。また、バラエティーや舞台にも活動の幅を広げ、2006年9月 山村美紗没十年追悼「京都 都大路謎の花くらべ」(南座)や新春喜劇公演「俺はお殿さま」(新宿コマ劇場)。2010年10月 山村美紗サスペンス「京都花灯路恋の耀き」(南座、東京、他地方公演)に出演。日本喜劇人協会理事でもある。