菊地成孔の美食コラム 北欧バイキング「スモーガスボード」を堪能

「ブッフェ」はお洒落で、「バイキング」は庶民的なのか?

予想通り、最終回はスモーガスボード、しかも老舗の「レストラン ストックホルム」となった。唯一、筆者も過去に訪れた事のある銘店である。幼少期に近く、夢のような気分を味わったものである。

現在では「ブッフェ」と呼ばれる、いわゆる「食べ放題」だが、これはフランス語の「buffet」から来ており、意味としてはパーティーやレストランでの陳列棚から転じて、「立食パーティー」を意味するようになり、今日に至る。しかし、私のような昭和の男はブッフェなんて小洒落たことは言わない。「食べ放題」は断然「バイキング」である。一生の夢は帝国ホテルのバイキングである。

現在でも地方のホテルなどで「ランチバイキング」「特選寿司、しゃぶしゃぶバイキング」等と、すっかりブッフェはお洒落だが、バイキングは庶民的であるかのごとき扱いを受けている。しかし、帝国ホテルのバイキングを夢見た昭和の子供にはブッフェなど笑止千万、小賢しさの象徴である。単なる大喰らいをグルマンディーズ等と呼ぶのに近い。

昭和が一点の疑問もなく「バイキング」という言葉を受け入れたのは、海賊の荒々しさと逞しさ、つまり大喰いと、毎食ごとにあらゆる食材を食べ尽くすイメージであり、それを北欧のみならず、欧州全土の人々が(アメリカに非ず、ここ重要)洗練させたパーティー形式だと思っていたからであろう。1960~70年代の「バイキング料理」のイメージは、現在のホテルブッフェのようなカジュアルではなく、きちんとドレスアップして向かう高級レストランのそれであって、今回ピックアップする「レストラン ストックホルム」も、その伝統を継いでいる。もちろん、どなたでも来店できるが、適度な敷居の高さが心地良い。

「好きなだけ食う」という行為をシックでエレガント、かつ楽しいものに保っている

ただ、伝統的な北欧料理である「スモーガスボード」は、ガキが食い散らかしたり残し散らかしたり、気がつけば辺りの風景が残飯のこねくり回し、といった下品さ(言葉だけ「ブッフェ」とか上品風に変えて、実態がヤンキー化することは、よくある文化的愚行である。もちろん、一義的にヤンキーと下品が悪い訳ではないが)とは無縁である。そもそも、食べ放題と言ってもルールがあり、ママゴト遊びや箱庭療法のようにはいかない。

閑話休題、筆者がバイキング料理とスモーガスボードの関係を知ったのは、小林信彦の『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』(1978年)という、食文化をテーマにした短編集の中の「スモーガスボードで終幕(フィナーレ)」という一遍による。確か、短編集の最終話だったように記憶している。スモーガスボードはライトフォーマルでありながら、やはり祝祭性が強く、大団円に相応しいパーティー感を持っているのであろう。

特別食通ぶったり、食に関するエッセイ集を出したりせず、小説にさらっと出てくる料理に関する高い教養と情熱によって「こいつ、ヤバい食道楽だな」と感じさせる技巧と美学を持っていた小林が、初めて食文化をテーマとして採り上げた『ドジリーヌ姫』シリーズは、今読み直しても高い水準にあり(日本では独立して区分されない、中国の潮州料理をテーマにしたり)、そこで紹介される「スモーガスボード=バイキング説」と、それにまつわる、適度に洗練された短編小説は、文字通り垂涎のものがあった。

菊地成孔
菊地成孔

終戦直後の欠食児童とまでは言わないが、昭和の、腹を減らした子供たちは皆スモーガスボードに憧れた。しかし昭和の空気にあるような、寿司からカレーからビフテキから中華までずらっと並び、ややもすればテーブル上がかき回された残飯皿の乱立になってしまう、退行的な喜びを許す雰囲気などなく、タイドアップしてホテルの北欧料理店に向かい、ゆったりとマナーを守りながら、しかし貪欲に楽しむ、というものである。そもそものパーティー文化全般が、上辺だけきらびやかだが(モデルなんかのパリピがいて)、下品で快楽的で退廃的な方向に(シャンパングラスと反吐)傾いているという、退行一本槍の世界の中で、「レストラン ストックホルム」は、その店構えから店内デザイン、店の持つオーラ、サービス諸氏の立ち振る舞いまで含め、適度なフォーマルさが気持ち良く、「好きなだけ食う」という、ある意味下品さの極限とも言える行為をシックでエレガント、かつ楽しいものに保っている。価格も適切で、安心してお勧めできる。「ちょっとお洒落して出かける場所」の、優秀な穴場の一つ、と言えるだろう。

菊地成孔

欧州式の荒々しさと、欧州式のエレガンス / フォーマルの同居は、スモーガスボード経験でしか得られない

さて、スウェーデン料理としてのスモーガスボードにはルールがある。よーいどんで出て行って、好きなものを好きなだけ皿に乗せることは、基本的にはできない。

一皿目 ニシンのマリネ尽くし

ニシンのマリネ尽くし

菊地成孔

一皿目は、ニシンを食わないといけない。「ええ! ニシンだけ、しかも全部マリネ! マリネ液が違うだけっすか!」と思うかもしれないが、給仕長でありマネージャーでもある紳士曰く「ニシンにはまってしまい、一皿目でほとんど済ませてしまうお客様もいらっしゃいます」とのこと。筆者は「プレーン」「西洋ワサビとブランデー」「マスタード」「サワークリーム」「ハーブ&ガーリック」と、四種を頂いたが、紳士の言うことにブラフはない。まあ、仕事抜きだったら、ニシンだけでもう3周していただろう。我々が「ニシンのマリネ」に持つ、屈辱的とまで言って良い、小者イメージを完全に覆す、主力コンテンツであり、スウェーデン料理の象徴でもある。

パン

パン

ここでパンが供される。ビストロのパンやトラットリアのパーネやグリッシーニ(ポッキーみたいなやつ)に慣れた我々に、ゲルマン系のパンのあり方自体が軽いカルチャーショックだが、意外なシナモンロール(アメリケーヌでは全くない。独自の、黄色くて軽い仕上がり)はともかく、定番の、酸味の強い、食感ザラザラの黒パン、そしてクネッケである。クネッケはグリッシーニやビスキュイに当たる、いわゆるカリカリの乾物だが、見た目の味気なさと違い、豊かな粉感が質実剛健で、北欧料理全般の特徴として、大量のバターが添えられる。

二皿目 冷たい魚料理

冷たい魚料理

冷たい魚料理

冷たい魚料理

シーフードのコールドスターターは、さすがに欧米料理とは比較にならない。この皿をしてクライマックスと断ずる者も少なくはあるまい。ラングスティーヌではなくエクルヴィス、つまりザリガニであるが、塩茹でで食べられる大振りの甲殻類が出てくると、変にスペシャル感が出てしまい、無駄に時間を取られるのがオーディナリーだが、ここでのザリガニは、ルックスこそ派手だが、味付け、食べられる量ともに軽く爽やかな食べ口で、どんどん先に進める。

菊地成孔

菊地成孔

甘エビのサワークリーム和えは、ここのスペシャリテの一つと考えられ得る。フレンチなどで、創作系の一皿として出てきそうなものだが、伝統料理としての安定感と、「やっぱり甘エビはクリームと合うわあ」という喜びに満ちている。

あとは、とにかくキャビア、キャビア、キャビアである。赤、黒、クリーム和えと三種類食べたが、ジャズの名曲“スウェディッシュ・シュナップス”こと、アクアヴィット(度数40度前後の蒸留酒。瓶が氷の塊の中に埋め込まれている)でやれば、クラッカー30~40枚は楽勝の絶品である。いかに我々が、ベルーガであれ何であれ、日常的に、キャビアを美味しく食べるという至極簡単な行為から遠いところにいるか、ため息とともに知ることになる。「高いのを缶ごと出しときゃあ良いだろ」というイージーさとの違いをかみしめて頂きたい。

氷の塊に埋め込まれているアクアヴィットの瓶
氷の塊に埋め込まれているアクアヴィットの瓶

 

菊地成孔

三皿目 冷たい肉料理

菊地成孔

冷たい肉料理

菊地成孔

シャルキュトリーかと思いかけるとさにあらず。あれは主に、極寒ではないが、そこそこ寒い、程度のラテン系ユーロ文化である。パテは言うまでもなく、すべての品に火が入っている。いわゆる保存食の顔つきをしているのは、タンのスモークで、ローストビーフ、鶏の香草ボイル、豚のロースト等々は、冷ましてあるだけの普通の肉料理であり、すべて冷ましても旨いクオリティーにある。豚のひき肉をモヒートの味付けにした、いわゆる遊びの一品も楽しい(ミントとラムの味が爽やかな、肉のふりかけ)。

四皿目 サラダ

菊地成孔

菊地成孔

ここでやっと、満を持して野菜の時間がやってくる。ビーツの酢漬けなど、北欧ブランドのものもあるが、全般的に繊細な工夫が凝らされ、ガツガツにグリーンサラダを食いますよ。といった自動的な流れにさせない。

五皿目 温かい肉料理

温かい肉料理

 

「肉料理」とあるが、厳密には「肉とジャガイモ」である。IKEAによって啓蒙された、「北欧といえば、果実のソースのミートボール」であるが、さすがに舌をまく旨さで、バリエーションも多い。デミグラス煮込みも、果実ソースも、愛想のないプレーンも、「何個でもいけちゃう」力を持っている。ソーセージ、ロースト系の旨味は言うまでもなく、畜産が盛んだとイメージされない北欧に、いかに滋味豊かで清涼感あふれる肉文化があるか思い知ることになる。

ジャガイモはストレートに塩茹でが定番だが、グラタン・ドゥフィノアにあたるジャガイモのグラタンを、「ヤンソンの誘惑」と呼ぶ。スウェーデンの伝統的な家庭料理だ。その名の来歴は聞かなかったか、聞いてもアクアヴィットで酔っ払って忘れてしまったが、「ヤンソンという魔法使いかなんかが、これを出してくると、どんなに腹がいっぱいでも食ってしまう」といった話であろう。とにかく「ちょっと落ちるな、これもう要らない」という品がないことに驚く。

六皿目 チーズ

チーズ

菊地成孔

チーズかスイーツを選ぶのではない、まずチーズをやるのである。チーズ文化は、概ね他の欧州列強とさほどの違いはないが、ゴートチーズの一種で、生乳に火を入れる際、カラメル状に焦がすまでやって、仕上がりが赤紫色になっている品は楽しかった。これらを生姜のクッキーでやるのだが、何せワインじゃないし、全体的にちょっとエキゾチックなチーズアソートの経験となる。

七皿目 スイーツ

菊地成孔

スイーツ

スイーツ

この連載もこれでつつがなく最終回だが、たった3回の連載でも、裏テーマとして「北欧のスイーツは軽くて見た目が可愛くて高性能、つまり家具と一緒。なんで日本で一般的にならないのだろう」というものがあったと思う。連載初回では、小さなウェディングケーキほどに積み上げられたセムラが、ここでは慎ましい一品となっているが、しっかりしたルセットにクオリティー落ちはない。りんごとアーモンド粉を使った焼き菓子もなかなかのエキゾチックだが、これだけ食べてもまだいくらでも食える感、が頼もしい。

しかしこれは、所謂「別腹」感とは全く違う、あるいはこう言うことができるだろう。「スモーガスボードは、すべての皿が、別腹で喰われるのだ」と。この欧州式の荒々しさと、欧州式のエレガンス / フォーマルの、激突するような同居は、スモーガスボード経験でしか得られないであろう。あらゆるブッフェが乱立する現代で、是非一度ご経験されることをお勧めしたい。

モダンデザインによって、その価値を21世紀に入ってから世界に知らせた北欧

肝心の「音楽」だが、すでに店内は、伝記映画さえ作られた、スウェーデンジャズの伝説的歌姫、モニカ・ゼタールンドのアルバムが流れていて、もう選曲まで完璧なのである。欧州は、北欧であれ、中欧であれ、南欧であれ、東欧であれ、西側東側を問わず、戦後モダンジャズの評価と吸収に於いて、ある意味で産地である合衆国をリードしていた。「北欧ハードバップ(ジャズのジャンル名)」の、まさに北欧的としか言いようがない洗練と、オーセンティズムとエキゾチックが混同されたタッチは、ジャズファンにはお馴染みであり、それはスモーガスボード文化、アクアヴィット文化の最高潮時と共にあったと言えるだろう。最終回に因んで、筆者からの敢えての選曲は、ご容赦いただくことにする。

懐かしさと新しさ、これは現代において黄金に匹敵する価値である。北欧はファニチュア / インテリアデザインをはじめとしたモダンデザイン全般によって、その価値を21世紀に入ってから遅まきながら世界に知らせた。しかし、音楽と料理という強力な2カードはまだ残っている。シュラスコがここまで定着したように、ドイツ料理やベルギー料理、合衆国の南部料理、アフリカ料理や中東の料理が「誰でも美味しく食べられるわけではないよね。あれは好事家のモンでしょ」という偏見から脱する可能性、その豊かさは、ネット社会になってもまだまだ残っている。筆者は、まずは北欧から、という選択に微塵のミスもないと思う。ちょっと可愛いよそ行きを着て、「ストックホルム」へどうぞ。

菊地成孔

店舗情報
レストラン ストックホルム

住所:〒100-0014 東京都千代田区永田町2-14-3 東急プラザ赤坂1F
営業時間:ランチ11:30~15:00(土・日・祝日のみ)、ディナータイム17:00~23:00(月~土)、17:00~22:00(日・祝)
休店日:なし
電話:03-3509-1677

連載『菊地成孔の北欧料理店巡り』

2003年に発表した『スペインの宇宙食』において、その聴覚のみならず、味覚・嗅覚の卓越した感受性を世に知らしめたジャズミュージシャン、文筆家の菊地成孔。歓楽街の料亭に生まれ、美食の快楽を知る書き手が、未開拓の「北欧料理」を堪能し、言葉に変えて連載形式でお届けします。

プロフィール
菊地成孔 (きくち なるよし)

1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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