
映画『ある人質』から見出す、テロ組織と国家政府の共通点
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- 真鍋厚
- 編集:矢澤拓(CINRA.NET編集部)
※本記事は映画本編の内容に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。
過激派組織「イスラム国(IS)」の人質になった写真家の実話を映像化したデンマーク・スウェーデン・ノルウェー合作の映画『ある人質 生還までの398日』(2019年、監督:ニールス・アルデン・オプレヴ、共同監督 / 出演:アナス・W・ベアテルセン)が2月19日からヒューマントラストシネマ渋谷ほかで順次公開される。
「イスラム国」の人質といえば、日本では2014年8月~2015年2月にかけて起こった元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんの拘束・殺害事件を思い出す人も多いだろう。
この映画の主人公であるデンマーク人の写真家ダニエル・リュー(エスベン・スメド)は、2013年5月から2014年6月までの期間拘束されており、人質救出の専門家による身代金の交渉、家族が積極的に行なった募金活動などが実を結んで解放までに漕ぎ着けることができた。
映画『ある人質 生還までの398日』予告編 監督インタビュー映像字幕あり
国家の方針で家族を見殺しにさせられる構図。犠牲に鈍感な「権力」
物語のメインとなるのは、ダニエルをはじめ人質たちが直面する目を覆うような惨状と、微々たる支援と情報しか得ることしかできない家族の苦悩だ。デンマーク政府は、身代金に関する取り引きには応じない姿勢で、家族は自分たちでどうにかするしかない立場に追い込まれていく。時系列でみてみると、ちょうどダニエルの事件が無事解決した2か月後に、日本人の拘束事件が発生している事実からも、この映画が描く数々のエピソードはわたしたち日本人にとっても強烈な現実味を帯びていることが理解できる。
ダニエルは当時まだ24歳の若者で、演技中の事故により体操選手を引退した後、写真家に転身したばかりだった。戦時下の暮らしを切り撮ることに興味があり、それを世界へ発信することに使命感を持ち始めていた。内戦中のシリアで現地の人々の生活などを撮影していたところ、突然地元を支配していた武装勢力に拉致されたのである。何の前触れもなく始まる拷問と「おまえはCIAのスパイだ」と断定され続ける尋問。ダニエルを襲う想像を絶する痛みと寒さと飢え、そしていつ処刑されるかも分からない死の恐怖と向き合う中で精神はいよいよ限界に達してしまう……。
ここで露わになるのは、生身の個人が体験する悲惨さと政治的な駆け引きの温度差だ。ダニエルの姉アニタ(ソフィー・トルプ)は、「イスラム国」から要求された70万ドルという身代金の支援について、デンマーク政府の役人に「非公式に政府が貸してくれませんか」とお願いするが、返答は「残念ですが無理です」とにべもない。アニタの「政府なんかどうでもいい。私の弟なのよ」という叫びは、国家の方針によって家族を見殺しにさせられる構図を浮き彫りにしている。この不条理はいくら強調しても強調し過ぎることはない。後述するが、国家権力が持つ「暴力の独占にこだわるがゆえに、ささいな恥辱を恐れる習性」は、最終的には一切の犠牲に鈍感になるその本質を見事に表しているのである。
単純ではない人質問題。テロリストとの交渉を誰が行なうのか
まず押さえておかなければならない重要なポイントは、「テロリストとは交渉しない」というよく聞く決まり文句は自明ではないということだ。例えばAFP通信は、2014年にこんな記事を配信している。
2013年6月の主要8か国(G8)首脳会議では、自国民が人質になった場合でも身代金を払わないことが約束された。昨年1月にも、英政府主導で国連安全保障理事会(UN Security Council)が同様の決議を出している。
しかし、その効果はほとんどない。国境なき記者団(Reporters Without Borders)によれば、ISによって12人の外国人記者が解放された。ほとんどが、おそらく身代金が支払われた後の解放だったとみられている。
イタリア政府はもう少しで、支払いの事実を認めるところだった。また、ニューヨーク・タイムズ紙の調べでは、オーストリア、フランス、スペイン、スイスが何千万ドルもの身代金を国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に支払っている。(「人質が斬首されても身代金を拒否する米国」/2014年9月25日/AFP)
しかも、映画にダニエルの人質仲間として登場する、実在したフリージャーナリストのジェームズ・フォーリー(トビー・ケベル)は、現実でもアメリカ政府のテロ組織との交渉を禁止する方針によって最悪の結末を迎えてしまった。しかしこの一連の犠牲者に関する議論が沸騰したことをきっかけにアメリカ政府は、一般人によるテロ組織との交渉を起訴しない形に転換した。外交におけるアメリカ政府の原則は変わらないが、事実上の二重基準を容認したのである。ことほどさように人質問題は単純ではないのだ。
作品情報

- 『ある人質 生還までの398日』
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2021年2月19日(金)からヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町で公開
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ、アナス・W・ベアテルセン
原作:プク・ダムスゴー『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還』(光文社新書刊)
出演:
エスベン・スメド
トビー・ケベル
アナス・W・ベアテルセン
ソフィー・トルプ
上映時間:138分
配給:ハピネット