1993年に1stアルバム『Debut』でソロデビューして以来、その唯一無二な感性で前人未到のサウンドスケープを世に提示し、ポピュラーミュージックシーンの最前線を走り続けてきたアイスランドの至宝、ビョーク。音楽のみならず、女優として『カンヌ国際映画祭』でパルムドールを受賞したり、活動家として貧困・環境問題や、女性の権利についてメッセージを発信したり、その言動は常に世界中の注目を集め続けてきた。
最新テクノロジーを導入した先鋭的なサウンドと、母国・アイスランドを始め様々な国の伝統音楽を融合したその音楽性が象徴するように、彼女のこの25年間の活動は、アイスランド人としてのアイデンティティーと、そこから解放され自由になりたいという衝動のせめぎ合いのなかから生まれてきたもののように思う。では、そんな彼女の姿をアイスランドの人々は、どんな気持ちで見つめてきたのだろうか。
アイスランドの音楽に魅了され、コーディネーターや通訳、音楽ジャーナリストなど様々な活動を通して、アイスランドの文化を幅広く紹介する「ICELANDia」の小倉悠加に、ビョークについて話を訊くと、意外な答えが返ってきた。未だ謎の多い神秘的な国・アイスランドに、2017年から暮らし始めた彼女ならではの、貴重な証言の数々をご紹介しよう。
アイスランドでのビョークの立ち位置ってちょっと特殊ではないかと思うんです。
—地元アイスランドでは、ビョークは老若男女誰もが支持する国民的なシンガーなのかと思いきや、どうやらそうでもないと小倉さんに伺って驚いています。
小倉:「国民的シンガー」というと、やはり少し違うと思います。今回のお話をいただいて、たとえば「12 Tónar」(アイスランドにあるレコード屋兼レーベル)のスタッフにも確認したのですが、ビョークやSigur Rosの音源を買っていくのは大抵が観光客みたいで。地元の人で、彼らの作品を買っていくのは音楽やアートが好きな特殊な人たち。普通の人たちは、そんなに関心がないんです。
小倉:たとえば私たち日本人でも、海外で評価されている人たち……今年も『グラミー賞』にノミネートされた喜多郎さん(キーボーディスト・作曲家、最優秀ニューエージアルバム賞にノミネート)や、世界的に有名な坂本龍一さんにしても、お茶の間で親しまれているわけではないですよね。それと同じように、アイスランドでのビョークの立ち位置ってちょっと特殊ではないかと思うんですよね。
—なるほど。逆に、アイスランドの「国民的な人気歌手」というと、誰が挙げられるのでしょうか。
小倉:若手ではMugisonという、日本にも以前来日したことのあるソングライターですかね。彼は歌がとても上手いですし、アイスランド語で歌っているし、そんなに小難しいこともやらない(笑)。漁師の息子っていう意味でも親しみやすい存在なのかもしれないですね。
小倉:あとはSigur Rosも、デビュー当時こそ異端でしたが、ようやくアイスランドの庶民たちにも受け入れられて来ているのかなと感じますね。個人的な感触では、今のアイスランドではビョークよりもSigur Rosのほうが人気はあると思います。
—昨年末、レイキャヴィクで開催されたSigur Ros主催のアートフェスティバル『Norður og Niður』(読み:ノルズル・オグ・二ズル)に行きましたが、そこで彼らのライブを観たときに僕もそれは強く感じました。
小倉:そうでしたよね。ただ、客層はやはり若者が中心だったじゃないですか。受け入れられつつあるとはいえ、彼らも老若男女が楽しめる音楽ではないんですよね。
参考記事:Sigur Ros主催フェスを現地取材 アイスランドの絶景と共に紹介(記事を読む) / 撮影:黒田隆憲
アイスランドのミュージシャンに質問すると、みんな口を揃えて「アイスランドの自然と自分たちの音楽に関連性はない」って言うんです。
—Sigur Rosが一般層に受け入れられつつある一方で、ビョークがある種異端な存在として評価されているのは、わかりやすい「アイスランドらしさ」から、ビョークはどんどん遠ざかっていったからなのかなと、お話を伺いながら思いました。12歳のときに母親の勧めでデビューした彼女は、当時アイスランドでも大ヒットしたわけですし、国民的な人気歌手だったと思うんですよ。それがそうじゃなくなったのは、より先鋭的なサウンドを志向していったことも大きいのかなと。
小倉:音楽性の変化は大きいかもしれないですね。彼女は最初のデビューのあと、パンクに影響を受けたTappi Tikarrass(読み:タッピ・ティカラス)やThe Sugarcubesに加入する。そこから、活動の幅をさらに広げるためにアイスランドを飛び出してイギリスへ渡ったわけですからね。「ここじゃダメだ」と思ったのかな。
The Sugarcubesのベストアルバム『The Great Crossover Potential』(1998年)を聴く(Spotifyを開く)
—それに、「アイスランドらしい音楽」って存在すると思いますし、それはあの大自然と切っても切れない関係があるのかなと。
小倉:同感です。アイスランドのミュージシャンに質問すると、みんな口を揃えて「アイスランドの自然と自分たちの音楽に関連性はない」って言うんですけど、私は「そんなはずない」と思うんですよ。ちょっと意固地になって、言い張っているだけなんじゃないかと(笑)。
ただ、たとえば「アイスランド人の、10人に1人は聴いている」と言われているアウスゲイルくんあたりが、「知らないうちに自然からの影響は受けているかも」なんて言うようになり、他の人たちも少しずつ認め始めているようですね。私自身、Sigur Rosを聴いて初めてアイスランドへ行ったときは、「Sigur Rosの音楽ってこのアイスランドの風の音なんだ!」って思いましたよ。
Sigur Rosの音楽を想起させるアイスランドの風景① / 撮影:黒田隆憲
Sigur Rosの音楽を想起させるアイスランドの風景② / 撮影:黒田隆憲
—まさに。あのアイスランドの大自然を音に置き換えたら「そうならざるを得ないよね?」というサウンドを、Sigur RosもMumも出しているなって僕も思います。
小倉:そう。だって、そこら中に大自然が広がっているんですから(笑)。
ビョークの自宅から5分くらいのところに高級マーケットがあって、そこに行くとよく見かけますよ。
—あとはやはり、言語の影響も大きいのかなと思いました。先ほどおっしゃったMugisonのように、アイスランド語で歌っているほうが「私たちの音楽!」という意識が強くなるのかもしれないですよね。たとえばアウスゲイルが、全編アイスランド語で歌ったアルバムを、グローバルデビューの際に英語で歌い直しましたが、あのときの現地の反応はどうだったのでしょうか。
小倉:「やっぱりアイスランド語のほうがよかったね」っていう声が多かったかな。
—そうなんですね。小倉さんはアイスランドに移り住んでちょうど1年だそうですが、ビョークと遭遇することってあります?
小倉:ビョークの自宅から5分くらいのところに高級マーケットがあって、私もたまに使っているのですが、そこに行くとよく見かけますよ。でも、なんか変に居心地悪くなるんです。向こうはもちろん、私のことなんて知らないんですけど、「目が合ったらどうしようかな」とか「向こうが気を遣ったらどうしよう」「ぶつかったらどうしよう」って。
—確かに、スーパーマーケットにビョークがいたら緊張しますね。そういえば、『Norður og Niður』でも彼女を見かけしました。普通に受付のところに並んでいるから、なんだか不思議な気持ちでした。着ているのは普段着なのに、ピンクの派手なマスクをつけていて。そのギャップは何なんだと(笑)。
小倉:本当に(笑)。さすがにマーケットでは普通にすっぴんでしたけど、目立ちたいのかそうじゃないのかよくわからないですよね。
—今日こうやってお話を聞くまでは、アイスランドって人口の割にはアーティストが多いし、国全体がアートへの造詣も深く、なんなら庶民も含めて大部分の人が普通にポストロックを聴いているのかと思っていたのですが(笑)、そんなこともないのですね。
小倉:私も実際に行くまではそう思っていました(笑)。確かに狭い社会ではあるんですけどね。たとえば、アウスゲイルの甥っ子アクセル・フロヴェントが最近デビューしましたが、その腹違いのお兄さんもシンガーソングライター(Þórir、読み:ソゥリル)で、以前Fighting Shitというメタルバンドをやっていたんですが、オーラヴル・アルナルズが友情参加で何曲かドラムを叩いているんです。Sigur Rosの身内だけを集めたフェス(『Norður og Niður』)が成立してしまうくらいですからね(笑)。とにかく狭い。
アイスランドでは、男の人が子育てを「手伝う」のではなく「する」のが当たり前。やってないほうが常識を疑われます。
—せっかくなので、アイスランドという国についてお話を伺いたいのですが、かなり日本と共通点は多いみたいですね。
小倉:アイスランドの広さは10万平方キロ、よく「四国と九州を足したくらいの大きさ」と言われています。総人口は34万人。日本の人口密度は1平方キロメートルあたり338人で(2017年)、アイスランドは1平方キロメートルあたり3.4人だから、およそ100分の1ですね(笑)。共通点は、島国で火山大国であること、温泉もあって捕鯨もする国。あと、ミス・ワールドを何人も輩出するくらい美人が多い(笑)。
—アイスランド人の気質はどうなのでしょう。日本人はよく「島国根性」なんて言われますが、アイスランドもそういうところがあると感じます?
小倉:今はすっかり受け入れてもらっているけど、私がアイスランドに通い始めた15年前は、コミュニケーションに壁を感じました。初めて行ったときは、まだ「観光客」という扱いで歓迎してくれたのですが、実際にビジネスを始めるとなると急にハードルが上がったんですよね。ちょっとした内弁慶気質はあるかもしれないです。
アイスランドの人って、近くにあるフェロー諸島に遊びに行くと、ちょっと大きな顔をするんですよ。「僕らアイスランド人は、フェロー諸島に行くとアメリカ人のように振る舞えるんだ」なんて冗談を言う人もいます(アイスランドは歴史的に、ノルウェーやデンマークの植民地だった過去がある。一方、フェロー諸島は現在もデンマークの自治領となっている)。
—アイスランドは女性の社会進出が進んでいるというイメージもありますが、男女平等問題や、結婚・子育てに対する意識の高さについていかがですか?
小倉:世界経済フォーラム(WEF)が独自に分析、発表している「ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)」というものがあるのですが、アイスランドは2年連続1位で最も男女格差が少ない国です。ちなみに日本は114位。昨年の111位から3ランク下がってしまいました(苦笑)。
内閣府男女共同参画局が発表した結果を見る(サイトを開く)
小倉:日本がなぜ低いのかというと、女性政治家の数や、企業における女性の扱いなどが響いているみたいなんですよね。アイスランドの前首相はハンナ・シグルザルドッティルさんという、レズビアンであることをカミングアウトした初の首相です。当時、外国のメディアは、アイスランドの首相がレズビアンだと騒いでいましたけど、アイスランド人はそんなこと一切気にしていませんでした。政治手腕と、性的傾向は全く関係ないですからね。ちなみに現首相はカトリーン・ヤコブスドッティルさんという方で、アイスランド人にしてはごく小柄の可愛らしい女性で、3児の母です。
—育児に関する意識も、日本よりアイスランドのほうが高いと感じますか?
小倉:まず、男の人が子育てを「手伝う」のではなく「する」のが当たり前。やってないほうが常識を疑われます。そんなの当たり前のこととしてやっているから、いちいち語られもしないほどですね。ただ、私みたいな外から来た人間からすると、「すごいなぁ」と感心させられます。育児休暇も普通に男女で均等に取れますしね。
あと、事実婚も進んでいて、法的に結婚していてもしていなくても、同居届けを出していれば結婚しているのと同等の権利がもらえます。なので、あえて結婚する必要がないと考えている人も、結構多いようです。ちなみに、70%が私生児。出生率も高いですよ。
—そういった話を聞くと、ビョークがイギリスに渡ってからいわゆる男女平等問題などを訴えているのは、アイスランドで生まれ育ったからこそと言えるかもしれないですね。
小倉:それはきっとあると思います。
1990年代に音楽教育の改革があり、その教育の下で育った若者たちが今、次々とデビューしてシーンを彩っている。
—ビョークは社会に対してアクションを起こす活動家としての顔もありますが、アイスランドではどのような形で知られていますか?
小倉:投資会社のオイズル・キャピタルが、ビョークの名前を冠したベンチャービジネス基金を2008年に設立しました。オイズルは、女性が中心となって設立された若い投資会社なのですが、ビョーク自身も「基金を私の名前にしていただき光栄」と話しています。
また、その数か月前にも彼女は、国内外のアイスランド人起業家にエールを送り、特にアイスランド経済の建て直しに貢献できる若者を応援したいと表明していました。彼女は自然保護運動にも力を入れていて、オイズルの基金ではアイスランドの自然や文化を大切にする、クリーンな企業を育てたいようです。
—経済や自然、文化と様々な分野でアクションを起こしているんですね。
小倉:それと、オイズル基金と同年に設立された、アイスランドのアーティストをサポートするクロイムル(アイスランドの音楽基金。正式名称は「Kraumur Tónlistarsjóður」)の理事会メンバーに、Mugisonやキャータン・スヴェインソン(ex.Sigur Ros)と一緒にビョークも名を連ねています。去年はJFDR(ヨフリヅル・アウカドッティル)もこの基金で受賞していましたね。
小倉:ビョークは直接関係ありませんが、アイスランドには他にも、「Musiktilnauir(音楽実験)」という新人発掘を目的としたバンドコンテストがあって、ここは結構な数のアーティストを輩出しているんです。
有名なところではOf Monsters and Menや、Samaris、それからオーラヴル・アルナルズのボーカルサポートとして来日したアルノル・ダンも、このバンドコンテストの優勝者であるAgent Frescoのメンバーです。昨年、初めて英語詞でアルバムを出して国際的に話題になったMammútも、ここの優秀賞を取っています。1990年代に音楽教育の改革があり、その教育の下で育った若者たちが今、次々とデビューしてシーンを彩っているんですよね。
アイスランド人にとって音楽は商売ではなくて趣味だから、他人と同じことをやっても仕方ないんです。
—小倉さんは、ビョークの音楽性についてはどうお考えですか?
小倉:自分自身の音楽を貫き通している人ですよね。それも、「隣の人と同じものを作りたくない」というアイスランド人の気質によるところが大きいのではないかと思うんです。日本だと、ひとつヒット曲が生まれると二番煎じをすぐ作りたがるじゃないですか。
ビジネスとしてはある意味正しいかもしれないですけど、アイスランド人にとって音楽は商売ではなくて趣味だから、他人と同じことをやっても仕方ないんです。自分が本当にやりたいことだけをやる。何より、「~と似てる」なんて言われるのが一番恥ずかしいことだと、Quarashi(読み:カラシ)のメンバーも話してくれました。だからこそ、あんな小さい国なのにユニークな音楽が、次々と生まれるのだと思います。
—ちなみに、小倉さんが最も好きなビョークのアルバムは?
小倉:2001年発表の『Vespertine』ですね。このアルバムの曲は、“Hidden Place”も“Pagan Poetry”も大好きですが、1番のお気に入りは“Cocoon”です。
ビョーク『Vespertine』を聴く(Spotifyを開く)
小倉:『Vespertine』は、女性の本当に深いところを歌っているアルバムじゃないかと思うんです。「そんなことまで歌うの?」って思ったし、ちょうど失恋したときにこれを聴いて、ものすごく刺さりました(笑)。
近年2作、『Vulnicura』(2015年)や『Utopia』(2017年)も、ビョーク自身の女性としての感情が歌われたアルバムですよね。「どうすれば、自分のこの気持ちをうまく表現できるか」「どうしたら、まだ誰も鳴らしていないサウンドを作れるか」——いろんな人とコラボレーションをし続けているのも、そうした自己表現の追求から始まっているのかもしれないですよね。
—アイスランド人としてのアイデンティティーを大切にしつつ、そこから解放されたいという思いもあり、その狭間を行き来しながら作品を作り続けているのがビョークというアーティストなのかもと思いました。それにしても、ジャケットはどんどん過激になっていきますよね。「悪趣味」といえるくらい……(笑)。
小倉:そういえば、ビョークを輩出したSmekkleysaって「悪趣味」という意味なんですよね。The Sugarcubesは、「とにかく悪趣味なことをやろう」というのがコンセプトでしたし、彼女にとって「悪趣味」へのこだわりは、未だに強いのかもしれないですね。
ビョーク『Utopia』ジャケット(Amazonで見る)
—ライブなどで観ると、この世のものとは思えない存在感を放っているし、「この人は、本当に人間なのだろうか?」と思う瞬間もあって。ただ、当たり前ですが彼女もアーティストである前に一人の女性であり、きっとアイスランドにいると、そういう彼女の「素」の姿を見る機会が多いのかもしれないですね。だからアイスランドの人たちは、僕らほどビョークを「神聖化」していないというか。
小倉:そうかもしれないですね。マシュー・バーニー(現代美術家)と結婚して、ずっとニューヨークに住んでいたのに、破局したら自宅を黒く塗って、アイスランドに戻ってきて(笑)。「せめて地元では、そっとしておいてあげよう」っていう感じでみんな見守っているのかもしれない。だから、アイスランドではちょっと孤独な人なのかもしれません。今はね、Tinder(マッチングアプリ)で知り合った男性と新しい恋に落ちて、それこそ「ユートピア」なのかもしれませんね(笑)。幸せになってよかったなって思うし、このまま幸せでありつづけてほしいと思います。
- 企画情報
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- 『アイスランド・エアウエイブスとオーロラの旅』
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アイスランド在住の音楽ジャーナリスリト / コーディネーターの小倉悠加が企画し、今年で12回目を迎えるツアー。アイスランド最大の音楽フェス参加や自然観光に加え、アーティストを迎えての食事会やバスツアー、プライベートスタジオ訪問での独占ライブなど、音楽ファンの夢を叶える企画を毎年実現させています。会場を出るとオーロラが見えるときもあり、音楽ファンがアイスランドへ行くならこのタイミングが一番でしょう。
- プロフィール
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- 小倉悠加 (おぐら ゆうか)
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1970年代半ば洋楽に目覚め、単身アメリカへ留学。大学時代から来日アーティストの通訳に従事し、レコード会社勤務を経てフリーに。以来、音楽業界で幅広く活動。カーペンターズの解説の殆どを書いているためカーペンターズ研究家と呼ばれることも。2004年自らアイスランドの音楽を扱うアリヨス・エンタテイメントを設立。ミュージック・ペンクラブ会員。