北欧を代表する映画監督、アキ・カウリスマキ。しみったれた人生の一幕を淡々と描き続けてきた彼が、突如引退を宣言したのは今年はじめのことだった。多くの映画ファンが衝撃を受けるなか、同じく大ファンである劇作家、ケラリーノ・サンドロヴィッチはこんなツイートをしている。
「アキ・カウリスマキってたしかまだ60前。俺と5歳ぐらいしか違わない。引退は早すぎると思うけど人それぞれだ」
50代を終えようとする熟練の映画監督と、50代半ばを迎えてますます精力的に活躍し続ける劇作家、ミュージシャン、演出家、映画監督。国と立場は違えども、それぞれに「引退」に対する強い想いがあるに違いあるまい。というわけで、ケラリーノ・サンドロヴィッチに話を聞いてみることにした。溢れるカウリスマキ愛と、クリエイターの引退にまつわる証言をお届けする。
カウリスマキが引退宣言した年齢は、ちょうど「(自分も)そのぐらいまでかな?」と思ってた年齢なんですよ。
ーずばり聞きます。KERAさんはカウリスマキの引退宣言をどう受け止めましたか?
KERA:寂しいは寂しいけれど、じつはそんなになんとも思わなかったんですよ(苦笑)。リンチやタランティーノも、みんな引退っぽいことを仄めかしているけど、またやりたくなれば戻ってくるんだろうし、無理して作るよりはいいだろうなと思うんです。特にカウリスマキには、がむしゃらに撮るイメージがない。いつも酒を呑みながら、のらりくらり映画を撮っている。フィンランドの園子温みたいな感じ。
ー作品のタイプはだいぶ違いますけどね。
KERA:じつは2000年代にカウリスマキと会ったことがあるんですよ。「会う」というより「出くわした」と言った方が正しいかな。僕は6年間ぐらい、渋谷でホテル住まいをしてた時期があるんです。荷物が増えすぎちゃって出るに出られなくなって、ホテルに交渉して月契約で住まわせてもらってたんです。それである日、夜中にガタガタ音がするのでドアを開けてみたら、廊下で泥酔したカウリスマキが寝てたんですよ。
ー嘘みたいな話(笑)。
KERA:当時、カウリスマキが来日していたことは知ってたから本人だと認識できたんだけど、どうやら取材対応のために滞在していたらしい。フロントに連絡して状況を話したら、お連れの人に抱えられていってね。それだけなんだけど、すごく不思議な出会いでしょう。
ーホテルの薄暗い空間を想像すると、もうすでにカウリスマキの映画って感じです。
KERA:そんなこともあって妙な親近感があるんです。個人的な話ですけど、僕はいま54歳で、父親は59歳で亡くなったんですね。
ーカウリスマキと同い年ですね。
KERA:祖父も58歳で亡くなったものだから、自分はそんなに生きられないだろうと予感して生きてきたんです。25歳で父親を亡くしたときから、もの作りにピリオドを打つのが50代として計算していかないと、いろいろやり残すぞ、と思いながらいたんです。そして50歳を超えて、ちょうど父親が働けなくなり始めた時期に僕はすでに突入している。もちろん70、80歳まで生きて仕事ができればそれに越したことはないですけど。だからカウリスマキが引退宣言した年齢は、ちょうど「(自分も)そのぐらいまでかな?」と思ってた年齢なんですよ。
カウリスマキっておしゃれとかスタイリッシュとは無縁。もっと野暮ったくて、そこがよいところ。
ー事前に思い入れのある作品を挙げていただいたのですが、初期から中期のものが多い印象です。カウリスマキとのファーストコンタクトはどの作品でしょうか?
KERA:たぶん最初は『レニングラード・カウボーイズ ゴーアメリカ』(1990年日本公開)。まだカウリスマキにアキとミカがいることも知らなかった頃です(ミカ・カウリスマキは実の兄で、同じく映画監督)。
『レニングラード・カウボーイズ ゴーアメリカ』(1990年日本公開) ©Sputnik OY
ー90年代初頭ですね。
KERA:いわゆるセゾン系の全盛期で、たしか六本木のシネ・ヴィヴァンで観ました。「ミニシアターで公開される映画はおしゃれ」みたいな売り方がされている時期で、今と比べると遥かに高い宣伝費が投じられていたはず。ジム・ジャームッシュなんかもその流れで人気を得ていた。でも、実際のところカウリスマキっておしゃれとかスタイリッシュとは無縁。むしろ野暮ったさが魅力と言ってもいい。
ーしみったれた港町と歌謡曲的世界というか。
KERA:だいたいフィンランドって国自体誰も知らないでしょ。モンティ・パイソン(1970年代に人気を集めたイギリス代表するコントグループ)の歌に“フィンランド”って曲があって、日本では谷山浩子さんが訳してたと思うけれど、<フィンランド、フィンランド、フィンランド、どこかにある国~>って歌ってる。
ーゴダイゴ的に言うと“ガンダーラ”的扱い(笑)。
KERA:「誰も知らない」って歌われちゃうような国ですからね。余談ですけど、カウリスマキに憧れた知人が――脚本家の坂元裕二くんですけど――フィンランドまで行ったらしいんですよ、当時。カウリスマキの本やポスターを探しに。そしたら、フィンランドの人は誰も知らなかったそうです。本屋の店員も「誰、それ?」みたいな感じで。意外でしょ?
それはともかく、『レニングラード~』の予告編を見たときは「これはなんなんだろう?」と思った。短編のプロモーションビデオみたいなのも作ってるけど、映画のために結成されたらしいというし、でも、その後もバンドは活動を続けていたし。
ーKERAさんにとって『レニングラード~』の良さってなんですか?
KERA:やっぱりニューウェーブの匂いがしたことですよね。髪型がドリルみたいなリーゼントで、同じユニフォーム。イメージとしては「Devo」(1970年代後半にアメリカで結成したグループで、ノイズミュージックの先駆けともされる)。
ー匿名性を感じるルックスと、北欧という当時はあまり知られてない国からやってきた謎の人々、というか。
KERA:そうですね。実は彼らはニューウェーブには興味無かったことがわかるんですけどね。その後に何本も映画を見て、フィンランドという国の背景や街のムードが、カウリスマキ作品の大きな力になっていることを理解していくことになる。
ー今となっては「北欧=おしゃれでかわいい」という印象があるし、ブームになっているけど、その頃はほとんど知られてないし、人気もなかった。だけど、30年も前の作品でも、やはりカウリスマキの作品は画が洗練されていると感じるし、色使いもきれいです。
KERA:うん。とにかく僕は、カウリスマキの映画は大好きです、何本かの例外を除いて。ジャン=ピエール・レオー(幼くして『大人は判ってくれない』に出演した、ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優)が出演した 『コントラククト・キラー』(1990年)のようなブラックコメディーも、『愛しのタチアナ』(1994年)みたいな明るいのも好きです。最近の『ル・アーヴルの靴磨き』(2011年)あたりは、難民問題をテーマに扱っていてなんか白ける感じもあるけどさ(苦笑)。
『コントラクト・キラー』(1990年) ©Villealfa OY
KERA:この取材に備えて、昨晩は『街のあかり』(2006年)をDVDで見返してたんだけど、「なんでこんなに面白いんだろう!」って改めて思った。僕の奥さんは、次の日早いから1分だけ見てたんだけど、それでも「一瞬見ただけでどうしてこんなに魅了されてしまうんだろう」って言ってました。
『街のあかり』(2006年) ©The Match Factory 2006,All Rights Reserved
ーうだつのあがらない警備員の男が女にだまされて、犯罪の片棒をかつがされる話ですよね。女に惚れ込んでいる主人公は、警察に尋問されても口を割らない。
KERA:ストーリーはどの映画もシンプルで、ベタなんですよ。語り口ですよね、独特なのは。あとは『マッチ工場の少女』(1990年)も好きです。ナイフを突きつけた少女がいて、家族が後ずさってフレームアウトして画面に誰もいなくなる。しばらくすると、指をおさえて少女がフレームインしてくるっていう。この絶妙な間ね!
『マッチ工場の少女』(1990年) ©Villealfa OY
KERA:僕なんかも何本か映像作品を作ったりしているんだけど、編集の人に「もうちょっとカメラを動かしてくれてると(編集しやすいです)」なんて言われるわけですよ。最近のドラマを見ていると、なんでもないシーンでもカメラがゆっくり動いている。FIX(固定)ばかりの撮影素材で編集すると、古めかしくなっちゃうから今はとってもリスキーなんです。でもカウリスマキは頑固なくらいにFIXでしょう。どうしても必要なときでもズームやパン(カメラを並行、垂直に移動させる撮影技法)ぐらい。
こんな映画を当然のように作れることに嫉妬しちゃいます。
ーカウリスマキの映画にはno-where感がありますよね。「どこだここ?」「いつだここ?」っていう。
KERA:どの作品にも少なからず寓話性がありますよね。昔とある俳優の友だちが映画を紹介するコラムを連載していて、ネタが無いと言うから『マッチ工場~』を薦めたら「こんなものを面白いというヤツの気がしれない!」と書かれた(笑)。たしかにたいして何も起こらないし、起きても悪いことしか起こらない。さしたるひねりもどんでん返しもない。だから合わない人もいるとは思うんだけどね。前向きな教訓もないし。
でも、人物造形やストーリーを極限まで削ぎ落とすことで、付随する感情を想像させてくれる。脚本のセオリーからいえばダメな脚本ってことになっちゃうんだろうけど、そういうところで勝負してないんだよ。そういえば前に、カウリスマキの映画を倍速で見たことがあるんですよ。
ー(笑)。何か変わりがありましたか?
KERA:倍速でもストーリーがわかるんですよ! つまり僕らのスピード感覚で言えば、倍速の方が普通なんです。でもやっぱり、正しいスピードで再生した方がいいんですよ。日常のスピードだとあの味わい深さはわからない。当たり前ですけどね。カウリスマキも「当たり前だ!」って言うと思いますけど(笑)。
カウリスマキにしかできない息継ぎの仕方というか、ブレスの感覚があるんですよね。今、僕はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』(19世紀ロシアを代表する劇作家。変革期を生きる人々を多く描いた)の稽古をやっているんですが、チェーホフも僕よりも全然ブレスが長いんですね。本当に苦しくなるまで、書いて、書いて、書いて、やっとブレスするっていう。長いのと短いのではどちらがいいとは一概に言えないけれど、その長短が作家の大きな個性になっていくんです。
ーカウリスマキのブレスは特異?
KERA:うん。いきなり終わらせたりもするじゃないですか。あとはタバコを吸うシーンが独特の間を生み出している。ただただタバコを吸っている時間が、結構あるでしょ。カウリスマキの映画に出てくる人たちは、もはや強迫観念のようにタバコを吸う。10本以上タバコを吸ってない映画って、カウリスマキにはないんじゃないですか?
カウリスマキ作品に敬意を払いタバコをくわえるケラリーノ・サンドロヴィッチ
ー絶対に吸わずにいられない。
KERA:それも、まばたきをするように吸うんだよね。あと、映画内の時系列もでたらめでしょう。『愛しのタチアナ』では、主人公が冒頭でお母さんをクローゼットに閉じ込めて、最後に帰宅してしれっと解放するけれど、いったい何日間閉じ込められてたんだか。
それと、僕はサイレント映画が好きなので『白い花びら』(1999年)には「やられた!」って感じでした。20世紀末以降に作られたサイレント映画って、どれも作為的でしょ。過去の映画のパロディーかパスティーシュ、あるいはノスタルジーなんですよ。
でも、カウリスマキって普通に「今回はサイレントで撮る」みたいな感じで、憧憬も懐古趣味も感じさせない。まったく特別なことをしているように見えないし、気負いもない。こんな映画を当然のように作れることに嫉妬しちゃいます。
カウリスマキと小津安二郎から「がっつかなくてもいい」の精神は受け継いでると思います。
ーKERAさんとカウリスマキの作品では、かなりテイストが違うと思いますが「ここは似ている!」と感じるところはありますか?
KERA:ありません。全然違うと思います。僕の場合はセリフを最強の武器としている。セリフが極端に少なく、「間」ばかりっていうのは映像では成立しても、舞台だとかなり危なっかしい。「死に間」っていうんですけど、スクリーンやモニターのようなフレームを持たない舞台では、その「間」が何を意味しているのが伝わらずに死んでしまう場合が多いんです。とくに広い劇場では「間」はなかなか生かせない。
ただ、間尺の取り方についてはカウリスマキから刺激されるところは大いにあります。あとは、これはカウリスマキからだけじゃなくて小津安二郎の影響も大きいけれど「がっつかなくてもいい」の精神は受け継いでると思いますね。
ーカウリスマキも小津も、気負いのなさが魅力ですね。もちろん、精緻な技術なしには成り立たないものですが。
KERA:僕はいろんなタイプの作品を作ってきて、一時期、道徳性や善意、モラルみたいなものによって、むしろ残酷になってしまう世界に取り組んだことがあります。そこで参考にしたのが小津の登場人物でした。
小津の『晩春』の終盤に、笠智衆と原節子が演じる親子の名シーンがあります。嫁に行く娘と父親の会話なんですけど、僕の『消失』という作品で、まったく異なる設定でこの会話をそのまま引用したんです。兄弟の会話です。弟がロボットなんですが、自分がロボットであることを知らない。一種のディストピアものなんですけど、当然ながら、同じテキストでも響き方は全然違う。作りながら、なんとなくカウリスマキのことも考えていたんですよ。
ーカウリスマキも小津からは大きな影響を受けていると言っていますもんね。この二者は、繊細な行き違いから傷ついてしまう善き人をたくさん描いている。
KERA:そういうキャラクターの設定に対して、極めて抑制した演出を与えるでしょう? ほぼ棒読みの演技であるにもかかわらず、過不足なくイメージが伝わる。
ーカウリスマキも小津も、かなり削ぎ落としていますね。やはり、北欧の世界観と日本人の持っている性質には、通ずる部分がある気がします。
KERA:そうかもしれないですね。そして突如、ぶっきらぼうなまでに突如、飛躍する。『街のあかり』でも、警備員の主人公と、彼を騙そうとしている女がはじめて出会うカフェのシーンで、いくつか会話を交わした後にいきなり「俺と結婚するか?」と言っちゃったりする。そのリアリティー。日本では高倉健なら成立するかも、というようなぶっきらぼうな飛躍ですよ。
歪曲して歪曲して、ストレンジな方向に持っていこうとする会話よりも、よっぽど端的で、驚きがあって、おかしくて、美しくて、見事な会話です。僕も「ここぞ! というときにそういうセリフが書けたら」って心から思います。
どこかで突然に人生がキャンセルになるかもしれないぞ、とは常に思っています。
ーそこで最初の質問に回帰したいと思います。KERAさんが59歳になったときも演劇を続けていると思いますか? それともカウリスマキのような引退宣言はありえますか?
KERA:もう4年後の58歳までの仕事が決まっちゃってるんですよね(苦笑)。だから倒れでもしない限りは続けているはず。心配なのは、急に体調が悪くなるケース。人間って、4年かけて次第に具合が悪くなっていくとは限らないから、どこかで突然に人生がキャンセルになるかもしれないぞ、とは常に思っています。
ーたしかに、そうですね。
KERA:だけど、50代で自分が働けなくなるかもしれないっていうことを生々しく考えてしまうと動けなくなっちゃうから、あるときからそう考えるのをやめたんです。今は、もうちょっとやれると思ってるし、50代のうちにやっておきたいこともいくつかあるから。
それと、歳をとってからの方が面白く書けること、面白く演じられることがあるのもわかっている。その上で、「これをやるには遅かった」「これはもっと先でもよかった」というのがあったりする。こんなこと昔はかけらも考えなかったことなんですけどね。
KERA:ところでカウリスマキの引退の理由ってなんなんでしょう?
ー詳細はわからないですが、突如として言いそうな雰囲気はある人ですよね。
KERA:ファンとしては最後に『浮き雲』(1996年)みたいな映画を撮って、有終の美を飾ってくれたら嬉しかったですけどね。
ーでも、それこそ宮崎駿のように、引退撤回とかありえる気もします。
KERA:戻ってきたとしても、文句を言うファンもいないでしょうしね(笑)。僕の場合、引退ってことでいうと、劇団にしろ、バンドにしろ、自分一人でやっているものではないから、引退したり解散する理由がもはやないんですよ。
若い頃は誰でも、他のメンバーがいろんな意見を言うことで、自分が持っているビジョン、可能性がつぶされてしまうことに恐れるものです。そして結果として、解散に至る。でも、劇団員もみんな40代50代だし、バンドメンバーも僕とそんな歳は変わらないから、辞める理由がないんですよね。
ーその感じは、とってもいいじゃないですか。
KERA:去年、古田新太とやってた企画が三部作として完結したんですよ。でも、またやりたくなるかもしれないから、そのときは三部作シリーズ第四弾としてやろうぜ、って話はしてます。
ー勝新太郎の映画で『悪名』ってありましたけど、あれも『続悪名』、『新悪名』、『続新悪名』と延々続きましたね。そんな感じで(笑)。
KERA:「あの二人が帰ってきた!」なんてことも言わず、しれっと「四作目でーす」って感じでやりたい。カウリスマキもそんな感じで帰ってきてほしいな。
- 公演情報
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- ナイロン100℃ 44th SESSION
『ちょっと、まってください』 -
2017年11月10日(金)~12月3日(日)
会場:東京都 下北沢 本多劇場2017年12月6日(水)
会場:三重県 三重県総合文化センター 三重県文化会館 中ホール2017年12月9日(土)、12月10日(日)
会場:兵庫県 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール2017年12月12日(火)
会場:広島県 JMSアステールプラザ 大ホール2017年12月16日(土)、12月17日(日)
会場:福岡県 北九州芸術劇場 中劇場(リバーウォーク北九州6F)2017年12月20日(水)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
- ナイロン100℃ 44th SESSION
- プロフィール
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- ケラリーノ・サンドロヴィッチ
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劇作家、演出家、音楽家、映画監督。1963年、東京都出身。劇団「ナイロン100℃」主宰。82年、ニューウェーブバンド・有頂天を結成。並行して85年に劇団健康を旗揚げ、演劇活動を開始する。92年の解散後、翌93年にナイロン100℃を始動。99年には『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、数々の演劇賞を受賞。12年より岸田國士選考委員を務める。音楽活動では、バンド「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」のほか、13年には鈴木慶一氏とユニット「No Lie-Sense」を結成するなど精力的に活動中。
- アキ・カウリスマキ
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フィンランドを代表する奇才映画監督。『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』などで世界的に注目を集める。2歳年上の兄ミカ・カウリスマキも映画監督として活躍している。