「Fika(フィーカ)」とは、仕事や家事の合間に、コーヒーや甘いものでほっと一息つく北欧スウェーデンの習慣。休息をとってリフレッシュするだけでなく、周囲の人々と会話を楽しみ、関係性を深める時間としても大事にされているそう。2003年に放送されたテレビドラマ『すいか』にも、そんなフィーカの精神に通じるような、人と人との温かい時間が切り取られている。
小林聡美、ともさかりえ、市川実日子、浅丘ルリ子らが共演した『すいか』は、三軒茶屋にある賄いつきの下宿「ハピネス三茶」に住む四人の女性たちを中心とした物語。現在Huluでも配信されているが、放送から18年経った今夏、Blu-ray Boxが発売され、その根強い人気をあらためて示した。ドラマ『すいか』は、なぜこんなにも長く愛されているのか? 『すいか』を「魔法のドラマ」と呼ぶ岡室美奈子氏(早稲田大学演劇博物館館長)がつづる。
18年のときを経てBlu-ray Box化されたドラマ、『すいか』とは
毎年夏になると『すいか』を思い出す。と言っても夏になると果物屋やスーパーの店先に並ぶあのすいかではない。2003年に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマのことだ。
脚本を担当したのは木皿泉。木皿泉は、和泉務と妻鹿年季子というご夫婦の共作ペンネームである。『すいか』は視聴率的にはふるわなかったが、『第41回ギャラクシー賞』優秀賞や『第21回ATP賞』テレビ記者賞などを受賞し、木皿泉も本作によってテレビ界を支える優秀な脚本家に贈られる『向田邦子賞』を受賞するなど、高く評価された。そして何より、いまなおドラマ好きのあいだで語り継がれる珠玉の傑作ドラマなのである。『すいか』のBlu-ray Boxが放送から18年を経て発売されるのを機に、このドラマがなぜいまも愛されるのか、あらためて考えてみたいと思う(ネタバレあり)。
簡単にあらすじを紹介しておこう。信用金庫に勤める早川基子(小林聡美)は、34歳で独身、親離れもできないままに平凡な毎日を送っていたが、同僚の馬場ちゃんこと馬場万里子(小泉今日子)がある日突然三億円を横領して逃走する。それを機に基子は「ハピネス三茶」という賄いつきの下宿に引っ越し、そこで大家の芝本ゆか(市川実日子)、売れないエロ漫画家の亀山絆(ともさかりえ)、「教授」こと大学教授の崎谷夏子(浅丘ルリ子)らに出会い、日々の出来事を通して、少しずつ変化していく。
ハピネス三茶とノストラダムスの大予言。日常のすぐ隣にある非日常
このドラマで重要な役割を果たすハピネス三茶とはどんな場所だろうか。三軒茶屋なのにアパートの前には小川が流れ、その小川ではすいかが丸ごと冷えている。まるで昭和のような、どこか浮世離れした風景である。ハピネス三茶の建物自体、縁側と中庭のある古い家屋で、2階の教授の部屋の床が本の重みに耐えかねて抜けてしまったりもする。住人みんなで食卓を囲んで、新聞を回し読みしながらゆかのつくる朝ご飯や晩ご飯を食べる姿は、シェアハウスというよりは、昔懐かしい下宿屋の風情だ。
だからご飯が並ぶのは、決してダイニングテーブルではなく、食卓でなければならない。そこで住人たち(ときには教授の教え子の間々田さん<高橋克実>や、その知人の響一くん<金子貴俊>が加わることもある)は食事をしながら雑談を交わす。ゆかがつくる食事は庭で採れた夏野菜をふんだんに入れたカレーなどで、美味しそうだがごく日常的な料理である。ハピネス三茶は、日々の暮らしが丁寧に積み重ねられるユートピア的な空間に見える。その温かさは、心地よい空間で家族や友人と過ごす時間を大事にする、北欧の日常にも通じるのかもしれない。
しかしそんなハピネス三茶の食卓にも、ときには大トロの刺身や松茸など、いつもと違うごちそうが並ぶこともある。大トロは逃亡犯の馬場ちゃんがハピネス三茶に捨てていったものだ。そのことが象徴するように、じつは彼女たちの穏やかな日常生活のすぐ隣では、非日常的な事件が起こっている。彼女たち自身、平々凡々な日常を過ごしているだけではなく、さまざまな非日常的な出来事に巻き込まれたり、経験したりもするのだ。
たとえば基子は、いきなり同僚が指名手配されるだけでなく、母が癌になって手術することになる。絆はかつて双子の姉を亡くした経験を持ち、さらに愛猫の綱吉が失踪したり、刃物を持った通り魔を阻止して腕に軽傷を負ったりもする。教授にいたっては教え子が自殺未遂をしたり、かつてハピネス三茶でともに暮らしていた親友が亡くなったり、理事長を殴って大学を退職したりもする。
新聞やテレビのニュースになるような事件や人生を左右する出来事は、意外と身近で起こっているのである。そもそも20年前に子ども時代の基子と絆が初めて出会ったときに話題になったのは、1999年に恐怖の大王がやって来て人類が滅亡するというノストラダムスの大予言やハルマゲドンだった。
私たちの日常は、決して永遠に続くわけではない、かもしれないのだ。にもかかわらずこのドラマを思い出すとき、真っ先に思い浮かぶのは、みんなで食卓を囲む日々の暮らしの風景である。それはなぜだろうか。
「あなたは20年後、何をしていますか?」
そのことについて考えるために、基子の変化を追ってみよう。基子はハピネス三茶で暮らし始めて、どのように変わっていったのだろうか。
引っ越す前の基子は、信用金庫に勤めるごく平凡なOLだった。過干渉気味の母親(白石加代子)にうんざりしつつ、当たり前のように出勤し、若い後輩の面倒も見つつ淡々と仕事をこなす。同期の馬場ちゃんとお弁当を食べながら雑談するのがささやかな楽しみだ。ところがそんなある日、馬場ちゃんは三億円を横領して指名手配される。ドラマは、馬場ちゃんの非日常的な逃亡生活と、ハピネス三茶での基子たちの日常生活を対比させながら進んでいく。
終盤で基子は、街頭インタビューで「あなたは20年後、何をしていますか?」と尋ねられる。しかし基子がイメージする20年後の自分は、いまと代わり映えのしない「あまり幸せそうでない」姿でしかない。それに対して教授は基子に、「あなたがハピネス三茶に越してきて楽しいのはどうして?」と尋ねて言う。
「20年先でもいまでも同じなんじゃないかしら。自分で責任を取るような生き方をしないと、納得のいく人生なんて送れないと思うのよ」
それまでただ母親に言われるままに流されて生きてきた基子は、初めて自分の意思でハピネス三茶に来ることを選択していたのだと気づく。それは自分でも気づかないほどの小さな決断だったかもしれないけれど、人生は自分の責任で選び続けていくものだということを、基子は知るのだ。
木星は「涙が出るくらい健気な星」
基子を溺愛していた母の梅子にも変化が現れる。癌の手術をした病院で、家の外の新しいコミュニティに参加するという経験をし、友人ができたのである。友人は梅子に木星の話をする。「木星って大きいのよ」、「この木星がなかったらあんた、地球に隕石がばんばん落ちてきちゃって、生命が人間に進化できるような安定した環境はできなかったのよ」。
それを聴いていた梅子は尋ねる。
「つまり木星は地球のお母さんみたいなものってことですか?」
木星は太陽にもならず、地味に隕石を受け止めることで地球を守る淋しい星だ。しかし二人は言う。「えらいんですねえ、木星って」「涙が出るくらい健気な星よ」
梅子はその経験を経て、基子の自立を認め、「独立記念日 早川基子」というのしをつけた紅白まんじゅうをハピネス三茶の住民たちに配るよう、基子に手渡す。梅子は木星のようなお母さんになることを決意したに違いない。
別々のところで暮らし、母離れ / 子離れをしても、親子の縁が切れるわけではない。梅子と基子は同じようにおせんべいを吸いながら食べ、同じような花柄のワンピースを着る。そこには切っても切れない親子の絆がちゃんと存在する。
そうして基子は、未来を思い描くことのできなかった状態を脱し、自分で未来を選びとれる力を獲得していくのである。そしてそのことが、最終話の重要な決断へと結びついていく。
梅干しの種で気づく日常の尊さ、そして基子の選択
刑事の生沢(片桐はいり)に執拗に追われ、逃げ疲れた馬場ちゃんは、基子の住むハピネス三茶にやってくる。外出中の基子を待つあいだ、馬場ちゃんはハピネス三茶の食堂をのぞく。そこには朝ご飯を食べたあとの茶碗や皿がそのままになっていて、それぞれに梅干しの種が残されていた。馬場ちゃんは基子に置手紙を残して去ってゆく。翌日、基子に再会した馬場ちゃんは梅干しの種について語る。
「愛らしいっていうか、つつましいっていうか、なんか生活するってこういうことなんだなって思ったら泣けてきた。掃除機の音も、すごい久しぶりだった。お茶碗とお皿が触れ合う音とか、庭に水まいたり、台所に行って何かこしらえて、それをみんなで食べたりさ、なんか、そういうのみんな、あたしにはないんだよね。そんな大事なものを、たった三億円で手放しちゃったんだよね」
三億円で大量のブランド品を買い、飛行機に乗るなど、やってみたかったことをやり尽くした馬場ちゃんは、非日常的な逃亡生活のなかで初めて日常の尊さを知るのである。
馬場ちゃんは基子に航空券を差し出す。逃亡生活に疲弊した馬場ちゃんの孤独を思いやって海外への逃避行に同行しようとする基子に、馬場ちゃんは選択を迫る。片方の手には航空券、もう片方の手には、基子がハピネス三茶を出るときにゆかから頼まれた、「卵、牛乳、コーヒーフィルターのぺーパー」と書かれた買い物メモが握られている。日常と日常の対比が馬場ちゃんの両手に見事に凝縮されていると言えるだろう。
「どっちだ? 早川の人生なんだから自分で選びな。ほら」
母からの独立を経て、自分の意志で自分の未来を選びとる力をつけた基子は、ここで大事な選択をする。基子がどちらを選んだのか、ここには書かない。ただ言えることは、このドラマは、ただ繰り返される生活に流されていた基子が、誰のせいにもせず、自分の意思と責任で人生を選択するまでの物語なのだということだ。そしてその選択の尊さに、私たちは心を揺さぶられるのである。
人生は奇跡に満ちている
私たちの人生は同じような毎日の繰り返しだ。それでも私たちは小さな決断を積み重ねながら、よりよく生きていこうとする。ときには大きな決断を迫られることもある。最終話で、教授は学生時代から住み続けたハピネス三茶を離れ、旅に出る。
そしてハピネス三茶に残された者たちにも小さな変化が訪れる。基子が会社から持ち帰った腐ったすいかの種を埋めた「すいかのお墓」からは新しい生命が芽吹き、小さな実をつける。いなくなった絆の愛猫の綱吉は突然帰還する。
教授が「本当はどんな未来が待っているかなんて誰にもわからない」と言うように、私たちの同じように見える毎日も、じつは奇跡に満ちているのだ。
これまで見てきたように、『すいか』は、平凡な人生を捨てた馬場ちゃんの非日常的生活と、ハピネス三茶に居場所を見つけた基子の何気ない日常生活を対比させながら、たとえば梅干しの種を馬場ちゃんが愛らしいと感じたように、日々の暮らしがどれほどかけがえのないものかを描いている。だから『すいか』は、特にドラマチックではない(ように見える)すべての人生を奇跡に満ちたものとして肯定してくれる、魔法のドラマなのである。
『すいか』がいまも愛されているのは、私たちが人生で迷ったり辛くなったりしたときに、常に温かく受け入れてくれるドラマだからだと思う。『すいか』は私たちにとってのハピネス三茶なのだ。
最後にゆかのナレーションを引用しておきたい。
「あの北斗七星だってときが経てばやがてかたちを変えてしまうそうです。星さえかたちが変わるのだから、私たちに何が起きても不思議ではないのかもしれません」
- リリース情報
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- 『すいか』Blu-ray BOX
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2021年7月21日(水)発売
価格:24,200円(税込)
VPXX-71859
発売元:VAP