高木正勝×相良育弥 上辺の「新しさ」に惑わされない心の授業

働くことと、暮らすこと。その二つは人生の大部分を占めるにもかかわらず、両方に満足できている人はそう多くないし、仕事のせいで暮らしがままならなくなることもしばしばだ。「北欧の暮らし」に人々が憧れるのは、「仕事」と「暮らし」が別物ではなく、「心地良い暮らしのために、どう働くか?」という問いがつねにあるからなのだと思う。つまり、「暮らし」のなかに「仕事」が含まれているような感覚。そこから学べるのは、「いい仕事をするため」に「どう暮らすか」を丁寧に考えてみるということ。その発想の転換が必要なのではないか。

音楽家・高木正勝と、茅葺き職人・相良育弥。ともに30代後半、自他ともに認める働きざかりだ。そんな二人は、よりよく働き、暮らすために、都会ではなく田舎で生きることを選んでいる。自然に囲まれたその場所で、二人はなにを感じて、なにを見据えているのだろうか? それを探るべく村を訪れたところ、自然や周りの人々からたくさんのものを受けとり、唯一無二の新しさを生み出し続ける、職人気質な二人の姿があった。

移住した人をたくさん知ってるけど、かっちゃん(高木)はすごく観察眼があるんですよ。(相良)

3年前、京都・亀岡市から、人口31人の村に引っ越した高木正勝。2001年のデビュー当時から先進的な手法を用いて映像・音楽表現をおこない、Apple社の広告にも起用されるなどして話題となっていたが、今は村に溶け込み、時に村人たちとともに楽曲制作をおこなっている。

一方、「茅葺き職人」の相良育弥は、故郷の村でずっと暮らしている。大工だった祖父の姿を見て、幼い頃から「百姓」になりたいと思っていた彼は、茅葺きの親方から「茅葺きで百姓の技のうち十ぐらいは学べる」と言われ、茅葺き職人に志願。今は「くさかんむり」という茅葺き職人ユニットの棟梁だ。高木の移住をきっかけに出会った二人は、自然とともに暮らすことにどんな魅力を感じているのか?

―高木さんが村に越してから、3年たつんですよね。

高木:もうそんなになりますね。

相良:はじめに村に来たとき、かっちゃん(高木正勝)、蜂に刺されとったよね。通過儀礼だなあ、と思って嬉しかった記憶があります(笑)。もうまむしの匂いとかわかるでしょ?

高木:わかる。まむしだけじゃなくて、今日なんかあるな、みたいな危険な予感もわかるようになりましたね。だいたい、良いことも悪いことも思った通りになるから、なにか予感がしたらそのまま受け入れるようにすると、いろいろうまくいくんです。

左から高木正勝、相良育弥
左から高木正勝、相良育弥

相良:移住した人をたくさん知ってるけど、かっちゃんはすごく観察眼があるんですよ。3年でそこまでいけるのかってぐらい、村になじむのが早い。移住者のお手本みたいな人です。

高木:田舎に引っ越してくる人にも、いろんなタイプがいますよね。大きくは2種類で、地域に馴染みたくない人と、馴染みたい人。町内会や消防団への参加のように、村から出て行った人が嫌がるような要素を面白いと感じる人と、そうでない人がいる。煩わしいと感じる人は、田舎に住んでいても、心は街の人なのかもしれない。

相良:せっかくだったら、関わったほうが面白いんだけどねえ。

有り余る自然のなかに、喜びも苦しみも全部あります。(相良)

―田舎に暮らすということは、自然と暮らすことであり、同時に人と暮らすことでもあるんですね。どちらも選べるけど、二人は、「自然や人と関わる」ことを選んでいる。そこにはどんな喜びがありますか?

高木:一時期、いっくう(相良育弥)が会うたびに「カエル、カエル」って言っていた時期があったんです。

高木正勝

―カエル……?

相良:言ってましたね(笑)。村にはすごい量の蛙がいて、初夏になると大合唱になるんです。

高木:それがもうね、予想を上回る量の声なんですよ。蝉の声や螢の光のピークにも同じ現象が起きるんですけど、まるで宴や祝祭みたいで。

そういう自然が作る大合唱の雰囲気と、村の人たちの姿は同じだなって思うんです。村の人たちの思いーーたとえば誰のことが好きだとか、村の自然をこう思いやっているとか、良い感情に限って、恥じらいゆえに普段は表に出ていないことがあって。そういうなにかを思う良い感情が、お祭りや酔いの席で溢れるほど出てくる瞬間がある。それはこちらが受けとれないぐらいの量なんです。

相良:わかる。

左から高木正勝、相良育弥

高木:その感覚が僕は好きだし、いっくうも好きなんだろうなと。田舎に住んでいる人の、「自分とこはええとこや」と言うときの感覚は、有り余るなにかがそこに溢れていて、それを好いているということ。そこに溢れてるから、それを見て多分、曲を作ったり、屋根を葺いたり、表現したくなる。

相良:僕らの田舎では、秋祭りが村の人たちの盛り上がりのピークなんですけど、「次の秋祭りで感情を爆発させるまで待つのか……? いや、待てない!」みたいな感覚でやっているところはあるかもしれませんね。

高木:茅葺きの茅も、手をかけて育てているわけじゃなくて、その辺に勝手に生えているススキを刈って材料にしているわけです。刈り取れば役に立つけど、刈り取らなければ、次の年も生えてくるだけ。その有り余っている自然のエネルギーをどうしよう? ってむずむずして、人が思わず手を動かしてしまう。

相良:その有り余る自然のなかに、喜びも苦しみも全部ありますよね。宮沢賢治の『春と修羅』なんかを読んでも、本当にそう思います。

相良育弥

―人の手がくわわることで、自然にはどんな変化が起きるんでしょうか?

高木:自然はそのままで循環していますが、人の手が入るとその循環のスピードが遅くなったり、ひとまずストップしたりする気がします。自然のままにしておくと腐って土に還ってまた生まれてくるようなものでも、干して乾かして水分を抜くことで、何十年も長持ちしたり。いっくうの仕事の茅で屋根を葺くのはそういうことやと思います。

土井善晴さんという料理家が、「料理というのは、まずくしないこと」と言っていて。たとえばアクは人間にとっては美味しくないから、そこを削ぎ落として食べやすいものに変えるのが料理だっていう。

なにかを「作る」というのは、彫刻みたいにそぎ落としていく作業に近いですよね。「まずくしない」という言い方には、なにかをつけ足すよりも豊かなものを感じます。一番最後に残った良いところが、ぎゅっと凝縮されている。その感覚が、ここに越す前はわからなかったけど、今はすごくよくわかるんです。

「いい屋根ですね」と言われてもあんまり嬉しくなくて。それよりも「いいチームですね」と言われたい。(相良)

高木が村に引っ越したのは2014年。2013年に発表した『おむすひ』のインタビュー(高木正勝による気楽な生き方のススメ)において、「音楽を作り始めるときは、大体Twitterを見る」と語っていたのが印象的だった。

それは、自分の投稿に対するファンの好意を確かめるためではない。自分をフォローした人たちに関心を持ち、その人たちのことを見つめ返しながら曲を作っていたのだ。「以前と比べて音楽を一人で作ってる感じがなくなりました」と語っていた高木は、そのときから「人やまわりの環境と関わりたい人」であったとも言える。

―高木さんの曲は、私小説や内省的なものというものとはもっと違った大きなものを歌っている感覚があります。

高木:自分個人じゃなくて、みんなでなにかできたら良いなと思うし、そこに憧れがあるんです。

高木正勝

―村の人たちの歌や語りが入っていたり、ライブで演者が自由に動きまわっていたり、その人らしさが活かされているような曲の作り方も大きいですよね。音楽を受け取る側のこちら側の思いや存在まで、肯定されるような不思議な気持ちになります。

高木:個人だけで完結しているものはもちろん尊いものなんだけれども、自分の音楽も含めて、それだと限度がある気がしていて。そのことがだんだんわかってきてからは、ある集団で同じ景色を見て、みんなで「ああ、これがいいね」って馴染む感じを出せるようになりたいと思ったんです。蛙の合唱のようなことがしたいのかな。

相良:僕も屋根を作っているけど、屋根単体を見て「いいですね」って言われてもあんまり嬉しくなくて。だったら、いいチームですねって言われたい。屋根を作る前に、この「くさかんむり」というチームが僕の作りたいものであって、そのチームで屋根を作っているんですという感じかな。

相良育弥

高木:畑仕事も、野菜が育ちやすいように土を整えるのが仕事ですもんね。そういうふうに自然の根本の流れにちょっと参加させてもらうというか、手を入れさせてもらうと、勝手に溢れてくるものがあって、その豊かさをいただいている。

相良:弟子にいつも「僕がバイクで事故って死んだとしても大丈夫なようになってね」って言ってるんです。土壌を作りたいんですよね。

高木:田舎の人は全部そのためにやっていますよね。「自分がおらんくなっても続くように」って。土を整えれば、あとは自然に花が咲きますから。それは、人間、その人らしく生きるっていうこととも、同じ仕組みだと思います。まず土を整えて、そこで、その人らしく咲けばいい。

猫

見えているようで、実は見えていないものをもっとよく見る。そういう細やかな集中力を持てるかどうか。(高木)

高木:ピコ太郎さんの「Apple Pen」ってあるじゃないですか。好きな曲ですが、あそこで歌われているリンゴとペンを合体させるように既にだいぶ完成されたもの同士を組み合わせるのが得意な人と、そうではなく、素材になっているリンゴやペンそのものを作っている人がいる。そういう源泉に近いものに触れたり、生み出している人の感じている世界観を僕も感じてみたいと強く思うようになりました。

相良:僕も、昔は文化財の修復作業が好きだったんですけど、最近、そこには根っこがないことが気になっていて。人が住んでいないし、ある時代の様式をとどめて残すだけ、という感じがする。今の空気を吸って、循環している感じがしないんですよね。

高木:茅葺きを毎年葺くというのは、なんというか、普通の意味で「新しく」しようとしなくてもいいんじゃないかな。音楽だと、新しい曲であるためには「前と同じメロディーはダメ」というのがあるけれど、同じメロディーでも違う曲なんやけれどと思うことがよくあって。

いっくうの茅葺きは、一見同じに見える素材で同じような屋根を葺く仕事やけれど、その年ごとに使う茅の状態も違えば家が置かれている状況も違って、そういう微妙な違いを見極めていて、すごいと思う。粗いレベルにおける違いを判別するよりも、ずっと高い解像度でものごとを見ている。

相良:そうか。

高木:音楽も同じで、同じメロディーに聴こえるけど、よく聴いたら、見えてくる景色が違うものってたくさんありますよね。解像度のドットが粗いと「前と同じ曲じゃないか」と思ってしまったり、詳しくないジャンルの曲を聴くと全部同じに聴こえたり。そう考えると、「新しさ」という基準は、その人の解像度によって左右されるものだとも思えてくる。

高木正勝

相良:同じ場所に咲いていても、違うタンポポですからね。自然を見ていると、同じものなんてない。

―人は見えないものを求めがちだけど、本当は見えているんじゃないかと。見てないだけで。

高木:野菜ひとつをとっても、採れてすぐ食べる豆と、一日たってから食べる豆は、本当に味が違います。有機や化学肥料で育てていることの違いよりも、新鮮なまま食べるかどうかの違いが一番大きいと思いました。越してきて一番感じたのは、これまで、自分が好きだなと思っていた対象に対してでさえ、全然ちゃんと見られてなかったし、粗かったんだなと。本当にそれを好きだったのかな? と思うくらい。

見えているようで、実は見えていないものをもっとよく見る。そういう細やかな集中力を持てるかどうかで、ずっと心や体が気持ち良くなるし、楽になりました。

「新しいもの」ってどの仕事でも要求されるけど、「新たにする」は「改める」と一緒のこと。(高木)

さきほど、田舎では「自分がいなくなった後も、大丈夫なようにしておく」という話があった。住人数が少ない場所では、人が一人いなくなることが、極端に言えばひとつの文化の消失にもつながるのだろう。

そもそも高木にとって、「村の人たちが見ている豊かなイメージを未来に引き継ぎたい」というのが移住の大きな理由のひとつだったと言うし、相良は「茅葺き」という伝統を今の時代に引き継いでいる張本人だ。二人は、「伝統」や「受け継ぐ」ことをどう捉えているのだろうか?

高木:「伝統」や「受け継ぐ」というと、堅苦しく感じるかもしれませんが、意外といい加減だったりもするんですよ。前に、地元の秋祭りに演奏する曲を教えてもらったときに、三味線がチューニングされていなくて、間違ったままというか、よくわからないまま大人から子どもたちに伝わっていることがあって(笑)。それがいいなあと思ったんです。

きっと、自由にわからないことは減らしたり、時には勘違いしたりして横にずれたりしながら続いてきたものってたくさんあると思う。いっくうの茅葺きの仕事でもそういうのってある? みんなが、これは職人の仕事で、間違いがないって思っている分野でも。

相良:あるよ。縄の結び方ひとつにしても、盛大に勘違いしていたり。技や道具や屋根の部分の呼び方なんて、それこそ勘違いから定着してしまったものはたくさんあると思います。村で伝わっていることもそうですけど、茅葺きも基本的に口伝なので。

相良育弥

高木:もちろん、様式を守っていくことが必要な場面もありますよね。でも僕は、その時代に合っているというのは大事な要素だと思っていて。「新しいもの」ってどの仕事でも要求されるけど、「新たにする」ってことは「改める」のと一緒のことなんじゃないかなと。

どんなものもまったく新しいということはありえなくて。例えば、僕自身、前からずっとやっていたことがあって、それはすごくいいんだけど、今年またやるとなると、空気感が合わない……だから今に合うように、その年ごとに調整しているだけという感じがする。

高木正勝

―往々にして「新しいものなんてない」と言うときには、「過去に先人がいる」という考え方にもとづいていますが、高木さんが話されているのは、「新しさはその人のなかにある」ということですか?

高木:いっくうの茅葺きの仕事は、「新たにする」が「改める」に近いのがわかりやすい気がする。昔に作られた屋根の修繕もするし、誰も見たこともないような新しい発想の茅葺き屋根を作ったりもする。僕は、どっちを見ても、なにか昔の人たちが喜んでいる気配を感じて嬉しくなる。汗を流して、みんなで泣いて笑って、あるものでなんとか工夫してきた先人たちが、「おお、いっくう、良い仕事しとるな。わしらもそうしてきたんやで」って喜んでる気がする。

僕みたいに「毎年新曲を出します」というふうに見える音楽の仕事でも、自分の表現したい根本にあるものは毎年同じです。世の中が動いていて、まったく同じことをやっても合わないというか、僕自身も楽しくならない。今年よく効くやり方を探さないといけない。

―そのとき、「根本にある部分」というのはどういうものですか?

高木:屋根で言ったら、茅葺き屋根のあのなんとも言えない柔らかな包容力とかかな。音楽も「そこに触れたかった」という感じに近いかな。触りたいところに触れたような、潜っていけるような感覚を出したいし、共有したいし、しかもそれでなにか起こるかというと、ただ気持ちよかったり、嬉しいだけかも(笑)。大きな自然の中で自分が確かに生きている、生かされているという当たり前の気づきかな。でもそういうものって、空気のようにふっと移動してしまうものだから、去年うまくいっていても必ずしも今年うまくいくとは限らない。

相良:茅葺きの業界全体で言うと、現状維持が基本になっていて、改められていないなあ。でも僕はもっといろいろ改めたいから、いろんな技法を試しています。北欧やオランダの茅葺きがすごく進んでいるから、近所のえびす神社というところで、手法を取り入れてみたりしていて。いろんな意見はあるけど、恐れずにああやって改めていっているのは見習わないといけないなと思う。

淡河えびす神社の新築茅葺き。ヨーロッパの茅葺き業界の最新の工法をとりいれた
淡河えびす神社の新築茅葺き。ヨーロッパの茅葺き業界の最新の工法をとりいれた

デンマークの茅葺き。国によって材料として使う素材が異なり、デンマークは海草葺きをおこなう
デンマークの茅葺き。国によって材料として使う素材が異なり、デンマークは海草葺きをおこなう

自分のまねをしていけば、他の人ができないことができる。(高木)

高木:小沢健二さんが久しぶりに新曲をリリースしましたよね。そのこと自体にはいろいろな見方ができるけれど、今話している流れで言うと、彼は根本ではずっと同じことをしているんじゃないかなと思ったんです。

『ミュージックステーション』で、“ぼくらが旅に出る理由”(1996年)のあとに、続けて新曲(“流動体について” / 2017年)を歌いましたよね。はじめは、新曲のほうも昔の曲かな? と思うぐらいそっくりだなと思って聴いていたのですが、最後まで聴くとやっぱりすごくかっこよくて。「オザケンがずっとやってきたことを今年やろうとするとそうなるのかあ、良い仕事してるな」って。その「改めている」感覚を職人だなと感じたし、勇気をもらったんですよね。
新曲を出すときって、いかにもオリジナルな新しいものを出したように映るけど、おそらく本人たちにとっては、出したいものはとっくの昔に見つかっているのではと思っていて。それは、表現者に限らなくて、たとえばいろんな仕事、生き方、日々を暮らしているあらゆる人に共通することなんじゃないかな。

左から高木正勝、相良育弥

相良:茅葺きは誰かが伝統的にやってきた技のアレンジをしていくのが、継続であると同時に、新しく作るということなんですよね。今作るならこう、この場所で作るならこうって。それに、自分のスキルや仲間によるところも大きい。今この瞬間に生きている僕たちがやると、こうなりましたっていう。

高木:前にやってきた人の思いは精一杯引き継ぎたいけれど、やり方は違うかもしれない。

相良:うん。茅葺きの場合は、そこは絶対にないがしろにしたらいけないところで、ものすごく永い時間の研鑽の上に成り立っているということが大前提。そしてその磨かれてきた宝物を、より良いものにして後の職人に渡すのが、今を生きる職人の役割かな。「改める」っていいですね。

高木:「新しい」を「改める」ことだと考えると、少し気楽になれるところもあって。先を見ちゃうとまだひとつも引き出しがないけど、歩んできた後ろを振り返れば莫大な数のストックがあるわけですよね。せっかく自分で開けたその引き出しを1回開けたきりで、他の人の引き出しの上辺だけをさらいに行ったりしがちだけど、それだとすごくもったいない。自分できちんと発見した引き出しの中身は、もう少しじんわり味わってもいいと思うんです。自分のまねは、自分にしかできないから。

高木正勝

高木:「自己模倣」ってどちらかと言うと悪い意味に使われがちだけど、自分のまねをしていけば、他の人ができないことができるってことが最近わかってきて。たとえばCMなどの曲を頼まれるとき、過去の曲のこういう感じでって言われるときがあるんですけれど、「このまま使ってくれたらなあ」と思っていたんです。それがもうできないから、違うことをやっていたのにって(笑)。でも、その曲を見つめながらさらに掘り下げてくってことを何度も繰り返したら、面白くなってきたんです。

子どものときから積み重ねてきたいろんな体験や経験が、自分の根っこのところに溜まっていて、その自分の栄養を使って作れば、面白いものになる。

相良:子どもの頃から積み重ねてきたものを実現できる力がついて、タイミングがきたときに花が咲くのか。面白いなあ。

高木:まわりを見ても、うまくまわり始めたときって、自己摸倣が始まったなあと思うことがあって。そういうときって、一見、似た曲が増えているようにも見えるけど、その人しか触れていなかったところを何度も何度も積み重ねていって、誰もまだ触っていなかった境地まで一気に飛び抜けたものを生み出したりするじゃないですか。職人ってそういう極みですよね。自己模倣の権化というか、自分のまねを繰り返してる。

相良:そうですね。修業時代は先輩の模倣だったけど、ある程度自分の技になってくると、自己模倣が始まるね。

左から高木正勝、相良育弥

―自分を掘ることは、自分を見つめて追求することでもありますよね。それは、楽しいけれど、しんどいことでもある。なぜそれを続けるのでしょう?

高木:好きになってくれた人への返答なのかもしれませんね。それは他人だけじゃなく、自分も含めて。自分の根本にあるもの、すごく深い部分を感じ取ったそのときに、音楽とか作品って湧いてくるんです。その不思議な豊かさに気づいてびっくりするんだけれど、勇気を出して誰かと共有してみる。わかってくれる人と出会えたら、それは本当に幸せなことです。そこをちゃんと大事にして、自分で肯定することができれば、それだけで生きていけるんじゃないかなと思います。自分のやったことを愛しなさいということなんだと思います。

二人の話を聞いていると、「新しいもの」も「昔ながらのもの」も、どちらもすでにその人のなかにあるのだ、ということに気づかされる。その人だけの宝物が、時間をかけて磨かれることで、再び外に出たときにまったくの「新しさ」として光ることがあるし、それによってその人は他人から愛されたり、自分自身を少しだけ愛することができたりするのだろう。その循環を生むために大切なのが、高木が話していた「細やかな集中力」を持ち得る環境をととのえることなのかもしれないーー。後編は、二人の暮らしや仕事場を訪れ、より豊かに暮らすためのヒントをもらう。

後編に続く
後編を読む(高木正勝と相良育弥の自宅訪問 いい仕事を生む暮らし方って?

リリース情報
高木正勝
『YMENE』(CD)

2017年3月26日(日)発売
価格:3,024円(税込)
NOVUS-010

1. Dreaming
2. Tidal
3. Bokka
4. Homicevalo
5. Ana Tenga
6. Laji
7. Naraha
8. Philharmony
9. Grace
10. Mase Mase Koyote
11. Earth's Creation #1
12. Omo Haha
13. Ymene
14. Earth's Creation #2
15. Emineli

高木正勝
『山咲み』(2CD+DVD)

2017年3月26日(日)発売
価格:4,860円(税込)
NOVUS-004~6

[CD1]
1. 祈り
2. あまみず
3. 風花
4. Nijiko
5. サーエ~サルキウシナイ~かぜこぎ
6. aqua
7. おおはる
8. うるて
9. 充たされた子ども
10. 夏空の少年たち
11. きときと―四本足の踊り
12. I am Water
13. やわらかいまなざし
14. 紡ぎ風
15. 風は飛んだ
[CD2]
1. うたがき
2. マクナレラ~ヤイサマ
3. 山咲き唄
4. かみしゃま
5. おやま
6. Girls
7. Rama
8. Wave of Light―音頭
9. Grace~あげは
10. 風花~カピウ・ウポポ
[DVD]
1. 祈り
2. あまみず
3. 風花
4. Nijiko
5. サーエ~サルキウシナイ~かぜこぎ
6. aqua
7. おおはる
8. うるて
9. 充たされた子ども
10. 夏空の少年たち
11. きときと―四本足の踊り
12. I am Water
13. やわらかいまなざし
14. 紡ぎ風
15. 風は飛んだ
16. うたがき
17. マクナレラ~ヤイサマ
18. 山咲き唄
19. かみしゃま
20. おやま
21. Girls
22. Rama
23. Wave of Light―音頭
24. Grace~あげは
25. 風花~カピウ・ウポポ

プロフィール
高木正勝 (たかぎ まさかつ)

1979年生まれ、京都出身。2013年より兵庫県在住。山深い谷間にて。長く親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像、両方を手掛ける作家。美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。『おおかみこどもの雨と雪』やスタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』の映画音楽をはじめ、コラボレーションも多数。

相良育弥 (さがら いくや)

1980年生まれ。茅葺き職人。20歳くらいのころに、宮澤賢治に憧れて大地に生きる百姓を志すも、減反で米がつくれず「三姓」止まりに。そんな時に出会った茅葺きの親方に「茅葺き屋根は百姓の業でできている」との言葉で弟子入り。現在は、淡河かやぶき屋根保存会「くさかんむり」の代表を務め、ふるさとの神戸市北区淡河町を拠点に、茅葺屋根の葺き替えや、補修を生業とし、民家から文化財まで幅広く手がけ、積極的にワークショップも行なっている。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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