杉山純、宮澤謙一が結成するmagmaは、既存の家具やガラクタ、廃材などを組み合わせて、想像もしなかったオブジェをつくり出すアーティストユニット。その活動は個人的なアートワークだけでなく、映像作品やオフィスへのアートワークの提供などクライアントワークにも及び、広がり続けている。
その活動をさらに推し進めるべく、彼らは数年前に都心近郊の大きなスタジオに拠点を移した。日々、さまざまな素材を収集し、そこから新しい「かたち」を生み出すmagmaにとって、この空間の広さ、雑多さは重要なものなのだろう。そんな秘密基地のような空間で、日々作品を生み出し続けるmagmaに、そのクリエイション、クラフトマンシップの精神が沸き立つ根源を聞いた。
magmaのはじまり、美大時代を振り返る
―magmaは、今年で結成何年目ですか?
宮澤:結成が大学3年生の頃で、2009年だから12年目でしょうか。僕らは武蔵野美術大学出身で、同じく二浪して入学した多浪生。現役生のなかでは浮いてしまうので、5人ぐらいでよく固まるようになるんです(笑)。そこで出会って、意気投合して……という感じですね。
杉山:学内の芸祭が最初でしたね。そこで初めて一緒に作品をつくって、そのあとは学外で展示したり、卒制も一緒でした。
―卒制でグループ制作というのは美大では珍しい気がします。いまでこそアーティスト同士でチームを組む「コレクティブ」の動向も当たり前になりましたが、学内では作品はあくまで1人でつくるものという空気があります。
宮澤:けっこう尖った人が担当教授だったんです。小竹(信節)先生という舞台美術家で、「天井桟敷」(1960~83年代にかけてアングラ演劇ブームの流れをつくった前衛劇団。寺山修司が主宰)の舞台美術もやっていたサンタクロースみたいな外見の人。
―小竹さん、ジャンルを超えていろんな人たちが一緒に表現活動することを当たり前にやっていた時代を知る人ですね。
宮澤:だから「なんでもやっていいよ」という雰囲気があって。ハービー・ハンコックの“Rock it”のミュージックビデオを小竹先生から教えてもらって、そんな感じの世界観の作品をつくりたいなと思い、僕らは人型ロボットがウェイターで、頭部だけのロボットがご飯を食べているレストランのようなインスタレーションをつくりました。
―無人のシアター作品のような。
宮澤:そうですね。これを見てくれた映像作家の鎌谷聡次郎さんが声をかけてくださって、木村カエラさんのMVに参加できたのが嬉しかったです。僕らが学生の頃ってMVへの憧れがめちゃくちゃありましたから。プロの現場に参加できたのは、その緊張感も含めて勉強になったし、カエラさんを直に見られたのも嬉しかったです(笑)。
裏原ブームやハイファッションーー東京に憧れを募らせていた中高生時代。その影響はいまにつながっている
―そこから約12年って、かなり長いですよね。お二人がそれだけの時間を一緒に活動できた理由はなんだと思いますか?
宮澤:なんだろう(笑)。お互い知り合ったときから、作品のテイストに共通するものがあったとは思うんですよ。僕はフィギュアやおもちゃが好きで、それを切ったりつなげたりして、また新しいフィギュアをつくるみたいなことをしてました。
杉山:僕はファッション系のコースに進みたかったので、作品も布とか柔らかい素材が多くて。
杉山:お互いの出身は山梨と静岡で、通ってた美術予備校も違うんですけど、年齢が一緒だから見てきたものや憧れたものは共通してるんです。例えば、高橋盾さんのUNDERCOVERとか。服をつくると同時にフィギュアも扱っていて、違うジャンルの表現を自分の世界観として融合させていたり。
宮澤:中学生ぐらいのときに裏原ブームもあったしね。田舎に住んでたので遊びには行けないし、お金もないから実物は買えない。だから『smart』とか『relax』とか『STUDIO VOICE』の雑誌を隅々まで読んで憧れを募らせる、っていう10代でした。
テレビでNIGOさん(裏原ブームの火つけ役となったファッションブランド「A BATHING APE」創業者)の自宅訪問する番組があって、ケンタッキーフライドチキンのカーネルおじさんの立像とか、アメリカのガソリンスタンドのネオン管が置いてあったりするのを見て「か、かっこいい!」って痺れてました。
杉山:音楽とファッションの関係も近くて強かった時代だよね。先日亡くなってしまいましたけど……SHAKKAZOMBIEのオオスミタケシ(Big-O)さんが「SWAGGER」っていうアパレルブランドを持っていました。その時代の影響はめちゃくちゃにあって、例えばmagmaの作品タイトルに、当時の日本のHIPHOPの曲名をつけたり。いまでも憧れがありますね。
宮澤:教科書の隅に、自分で考えたNikeのスニーカーのイラスト描いたりしてたなあ……。
クライアントワークとアーティスト活動を両軸で動かすことの難しさ、面白さ
―卒制がきっかけで木村カエラさんのMV現場に参加するなど、キャリア初期から自分たちの作品と商業の仕事を行き来する活動を続けてきた印象があります。その経験を振り返って、いかがですか?
宮澤:撮影現場に入ることは頻繁にはないので、そういうときはいまでも緊張します(笑)。自分たちの作品とクライアントワークのバランスって、その年によってけっこう変わるんですよ。
杉山:最近は自分たちの作品をつくって、それを展示、販売する機会が増えています。
宮澤:コロナの前から、年2回くらいは個人で展示するようにしていたから、自分たちの活動のバランスはけっこう気にしていますね。
―そのバランスは気になります。やっぱり自分のつくりたいものをつくる魅力って大きいじゃないですか。
宮澤:クライアントワークは硬いイメージがありますが、いいところもあります。自分たちの作品づくりだけでは出会わなかったであろう技法や、職人芸に出会ったり。チームプレーで自分たちを底上げしてくれることもあります。
杉山:手を動かしてめちゃくちゃつくり込むようなアートワークは楽しいけれど、そればっかりしていると嫌になってきますからね(苦笑)。そういうときは、スピード感があるクライアントワークの仕事が面白くなったり。
「長いスパンでつくり続けるには、ものを集めることが好きで、さらにそこから作品をつくることが好きっていう性格がないと不可能」(杉山)
―そういう絶え間ない変化のなかでmagmaらしさが生まれるのかもしれないですね。
宮澤:最近ふと思ったことなんですけど、自分が「いいな」と思う作品って、とてもじゃないけど他人にはコピーできないものなんです。それは技術の話でもあるけれど、むしろセンスや感覚の側面が強くて、「これは真似できない」ってものに憧れます。
それから、次の作品がいつも違って新鮮で、予想できないような人が好きです。ある種、期待を裏切ってくるような、はたまた王道の王道の大手をかけてくるような。なにをするかわからない、いつも追っていたくなるような存在に憧れます。
杉山:magmaのつくり方って、収集家がものを集めることに似てると思っています。集めたもので作品もつくる。そのあり方は、なかなか他の人には真似できないことだと思うんですよね。
単品としては似たようなものは出てくるかもしれないけれど、もっと長いスパンでつくり続けるには、ものを集めることが好きで、さらにそこから作品をつくることが好きで、っていう性格がないと不可能。だからあえて「magmaらしさ」を強調するのであれば、ゼロからものをつくる発明的なことよりも、つねにものを集めていける継続性、流動性のなかで生まれたスタイルだと思うんです。
―じゃあ、日常的に物の収集・リサーチを行なっているんですか?
杉山:やってます。素材を集めるには不可欠な工程ですから。
―古道具屋さんに足繁く通ったり?
杉山:いろんな方法があります。昔は、解体屋さんが経営してるリサイクルショップに通って探したりしてました。面白いんですよ。分解しすぎて、もはやそれがなんだったかわからないようなパーツが300円で売られたりして。あるいは、家を処分する必要が生じたときに、それをまるごと引き取る商売をしてる人から購入したり。でも、いまはそういうルートも少なくなっちゃって、メルカリとかヤフオクも合わせて使ってます。
宮澤:リサイクルショップが楽しいのは安さもあります。値段が高いとものすごく大事に扱いたくなっちゃうんですけど、安いと素材として割り切ってどんどんバラしたり改造できたりしちゃう。
また、それを探し出すハンティングみたいな楽しさもあって。まだ値づけもクリーニングも終わってないようなものを見つけ出して、言い値で買う、みたいな。そういう店員さんとのやりとりもスリリングですね。
―そういった収集のスタイルにも変化が起きつつあるとおっしゃってましたが、素材との出会い方の変化を感じることもありますか?
宮澤:ありますね。個性的な店はどんどんなくなって、逆に一人暮らしする人がとりあえず冷蔵庫を買いに行くようなチェーン店が増加しました。それはけっこう寂しい。
ただ、メルカリのように、ある意味で人の家にあるものを直結で買えちゃうような新しい面白さ、発見のあるルートも生まれてますからね。
―でも、インターネットは当たり外れが大きそうです。
宮澤:大変ですよ。モニターに映る画像で判断するしかないから、いざ実物が届いたら思った以上にサイズが小さかったり、なぜかおまけでお香がついてきたり(笑)。それから「いま欲しい」と思ったものを探すには、検索エンジンが優秀なので便利なんですけど、偶然に予期せぬモノに出会ったり、発見することはない。自分の意思の範囲で止まってしまいます。
―ネット上で古本を探すことがけっこうあるのですが、ワード検索のセンスがないとうまく見つけられなかったりしますからね。ある意味でデジタル時代のフィールドワークだな、って思ったりしてます。
宮澤:ネットでのやりとりが普通になって、たくさんの人が使うようになると、価値も一定になっちゃいますからね。全体の動きを見て、みんななんとなく値段を揃えてくるから、びっくりするような安い価格で手に入って興奮する、みたいなこともなくなって。便利ですけどね。
「もしも僕がmagmaのファンだとしたら、その変化を見ていきたいだろうと想像します。毎日違う、つねに変わるから楽しいだろうなって」(宮澤)
―そういう時代の変化もふまえつつ、そのなかでmagmaがしていきたいこと、できることってなんだと思いますか?
杉山:最近、木材を寄せ集めた作品をつくってるんですよ。大量に囲碁盤や将棋盤が手に入ったので、それを素材に。
囲碁盤っていかにも日本の家庭、ザ和風、って感じで家にあるとなんとなくダサいでしょう。でも、作品のなかに入ってくると、盤面のスリッドとかがモダンなデザインに見えてきて、けっこうかっこよく見えたりする。それは作品だから生じる新しい価値観だと思うんですよね。
杉山:それまでは囲碁盤=ダサいと思っていた人が、僕らの作品を見て「え、これだったらイケるじゃん!」って思ってくれたとしたら成功だし、そういう意識や価値の変化を生み出すためにmagmaをやってるんだなって発見がありました。
―宮澤さんいかがでしょう?
宮澤:いまの話を聞いて思いついたことなんですけど(笑)。magmaっていう一種のタイムラインがある気がしました。
―タイムライン?
宮澤:magmaを通して見えてくる時間のラインっていうのかな。さっき話したように、収集の方法も変わってきて、コロナ直前に、大阪にあるYAMASTOREとアメリカにいろいろ買い付けにいきまして、アメリカをテーマに『AMERI感』という展示を、中目黒のアートギャラリーVOILLDで開催しました。
magma自体も、経験したこと、買い付けてきたモノによって、つくるものが変化していってる気がします。それも含めて、創作のための生態系があるような。
―なるほど。
宮澤:例えば、囲碁盤や将棋盤が大量に捨てられている。それと出会ったことで、僕らの作風自体も変わっていく。バッタの大量発生で作物が壊滅しちゃうのと似てて、すごい大きな変化も自分たちの意思とは関わりなく起きうる。でも、その変化はポジティブであって、受け入れることに躊躇はない。変化自体も楽しんでいける。
もしも僕がmagmaのファンだとしたら、その変化を見ていきたいだろうなって想像します。毎日違う、つねに変わっているから楽しいだろうなって。
宮澤:最近はサステナブルを意識したプロジェクトや依頼も増えていて、廃材として椅子を中心とした家具たちを提供いただきました。それを使ってmagmaの手によって新しい家具につくり変えてほしいと。そういうふうに、外からやってきたお題に応じて、自分の頭の回転や腕の動かし方も変わっていく。シェフのように、その時期の旬の素材を使って、料理の方法も内容も変えていく。それはとても楽しいクラフトの感覚、クリエイションだと思います。
- イベント情報
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- magma Pop-up store
『ISETAN MAGMA館』 -
開催期間:6月2日(水)~6月22日(火)
場所:東京都 新宿 伊勢丹新宿店メンズ館2階 メンズクリエーターズ
- magma
『SUMMER CHAIR 21』 -
開催期間:6月9日(水)~7月4日(日)
場所:東京都 新宿 Bギャラリー
- magma Pop-up store
- プロフィール
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- magma (まぐま)
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杉山純と宮澤謙一によるアーティストユニット。廃材や樹脂、電動器具などを組み合わせ創りだす独自の世界観で、作品制作にとどまらず家具やプロダクト、空間演出ディレクション・制作まで幅広く手掛ける。2017年に活動10周年を迎え、ラフォーレミュージアム原宿にて大型展覧会を開催。近年の実績は映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES』のアートワーク、LAのアート・クリエイティブ集団Brain Deadとのコラボレーション、メルカリ,BOSCHなどオフィスのアートワーク制作、ゆず,サカナクション,PUNPEEをはじめとする多数ミュージシャンへの作品提供などがある。どこか懐かしさを覚えるアナログ感とクレイジーな色彩が融合した作品群は、国内外から注目を集めている。