「世界の名作チェア」と呼ばれるもののなかには、北欧で生まれた椅子が驚くほど多くあります。職人技術から生まれる曲線美、体を包みこむ極上の座り心地、それらが量産されているという事実。いかなる風土がこれらの椅子文化を生んだのか? その背景を、20世紀の名作椅子の豊かなコレクションを持つ、富山県美術館の学芸員・稲塚展子さんに教えてもらいました。
(メイン画像:写真提供 HOUSE OF FINN JUHL HAKUBA ©Onecollection)
長く厳しい冬が育んだ、豊かな住空間
まず稲塚さんが着目したのは、北欧の自然観。豊かな森を持つこの土地の人々は、古くから木材に親しみ、その特性を熟知してきたのだといいます。
稲塚:木という素材への愛着や親しみが深いことは、椅子のデザインにも大きく影響していると思います。さらに、北欧の冬は長くて日照時間が短いので、自ずと住空間に心地よさを求めるようになったのではないでしょうか。また、北欧に優れた手仕事が多いのは、長い冬の期間に室内で作業ができたことも関係していると思います。
写真提供:HOUSE OF FINN JUHL HAKUBA ©Onecollection
また、北欧の椅子が発展する契機となった19世紀末という時代も興味深い。
稲塚:この頃、世界では万国博覧会が盛んに開かれるようになり、北欧でもとくに交易が盛んなデンマークの人々は、国外の優れた製品や工芸品に触れる機会が増えました。それが家具製造業の刺激となり、やがて、よりよい物作りへと進んでいくのです。また、自国の木材資源やその加工産業を基盤に世界に通用する家具を送り出すため、家具デザインや製造の教育に力が注がれたことは、北欧に優れたデザイナーが育った大きな理由といえるでしょう。
曲線美を追求した、20世紀を代表する巨匠フィン・ユール
そんな環境下で生まれた北欧チェアの魅力のひとつが、デザイナーやクラフトマンたちによる独自の曲線美。そこで思い浮かぶのが、工芸的ともいえる美を追求した巨匠フィン・ユール(1912~1989年)。デンマークが生んだ20世紀を代表する建築家であり、デザイナーです。
稲塚:当館に所蔵はありませんが、フィン・ユールの椅子はいずれも、名巨ニールス・ヴォッダーとの恊働で生まれた「優美な曲線」を持っています。シンプルでありながら格調高く、重厚感も漂います。流麗かつ有機的なプロポーションが彫刻的で、見惚れるほど美しいです。
稲塚さんが言うように、フィン・ユールの椅子には視覚で愛でる楽しみがあります。例えば『イージーチェア NV-45』は「世界一美しいひじ掛を持つ椅子」と称されるほど。とくに独立直後にデザインしたイージーチェアは360度どの角度から見ても美しい名作です。
『イージーチェア NV-45』(1945年)写真:武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵
稲塚:伝統的な椅子の美しさや優れた部分を、新しいデザインのなかに継承していく、それが最終的に曲線の美しさに辿り着いていることを思うと感嘆します。
人への想いから導き出された、オーガニックな形
人の生活に寄り添うこと。これも北欧の名作椅子に共通する考え方。例えばフィンランドの建築家・デザイナー、アルヴァ・アアルト(1898~1976年)の『パイミオ・チェア』。美しい曲線はフィンランドの豊かな森と湖からインスピレーションを得たものと評されています。一見デザイナーの感性から導き出されたかのようなこの椅子も、実は人への想いから生まれたといいます。
『パイミオ・サナトリウムのためのアームチェア』(1931~32年デザイン)写真:1980年代後半の製造 / 富山県美術館所蔵
フィンランドの白樺積層材を曲げて作られたというアアルトの代表作『パイミオ・チェア』。フィンランドのトゥルク郊外の森に建てられたサナトリウム(結核療養所)のためにデザインされたアームチェアです。自然療法が行われていた結核患者に「心安らげる時間を過ごしてほしい」という想いが込められています。
稲塚:患者が座った際に、ゆったりと息ができる角度で作られた背面と、適度な弾力が考えられています。まさに、使う人への思いやりから生まれたデザインなのです。どんな人が座り、どこに、どんな目的で置かれるのかという、一脚の椅子に求められる機能を満たしたうえで、初めてその曲線美が語られるのではないでしょうか。
求められる機能が美しさを裏づけする。北欧の名作椅子が、半世紀近く経ってもなお、愛されるのはその哲学が徹底されているからなのです。
また、工業的な椅子作りを徹底したのが、デンマークの建築家・デザイナー、アルネ・ヤコブセン(1902~1971年)です。
稲塚:成形合板とスチールの脚による『アント・チェア』は、一枚の合板を曲げる際に、力がかかる部分や人の体が当たる部分を綿密に計算し、合板が割れないようにと生まれたフォルム。あのユニークな曲線はそうやって生まれたのです。
『アント・チェア(3本脚)』(1951年)写真:1980年代後半の製造 / 富山県美術館所蔵
スタッキングした時や複数並べた時の美しさが考え抜かれているのも、ヤコブセンが量産品としてこの椅子をデザインした証。元々は製薬会社の社員食堂用にデザインされた椅子だといいます。また、シルエットが蟻に似ていることから、日本ではアリンコチェアとも呼ばれています。
究極にエレガントな知られざる名作椅子
多様な広がりを見せた北欧の椅子は、60年代後半にこんなユニークな一脚も生みだしています。デンマーク家具の黄金期に登場した、ヨルゲン・ホヴェルスコフ(生没年不詳)が手がけた椅子『ハープ・チェア』です。
『ハープ・チェア』(1968年)写真:1990年代後半の製造 / 富山県美術館所蔵
十字に組んだ木のフレームにロープを貼ったシンプルな構造ながら、ほかの椅子にはない斬新なデザイン。バイキング船の船首の形からインスピレーションを受けて生まれたという説がありますが、詳しいことはわかっていない謎の多い名作椅子です。
稲塚:ボリュームがあるように見えますが、実際はとても軽い椅子。これこそ彫刻的というべき美しい椅子ですが、デザイナーの経歴は不詳という点も興味深いです。
「自然」の親和性が北欧と日本をつなぐ
数え切れないほどの名作がある北欧チェア。そのなかでも一番と言っていいほど世界に普及しているのが、デンマークのデザイナー、ハンス・J・ウェグナー(1914~2007)の『Yチェア(正式モデル名は『CH24』)』です。発表されてから現在まで、ほぼ変わらず現行品が作られ続けている不朽の名作です。
『Yチェア』(1950年)写真:2000年代初頭の製造 / 富山県美術館所蔵
稲塚:北欧の家具の魅力は、量産品であるとともに手仕事のクラフトマンシップに溢れたところにあると思います。『Yチェア』は実際に家庭で愛用している方も多く、本当の意味で時代を超えて生活のなかで愛されている一脚。量産を目してデザインされており、生産には機械が使われていますが、脚部のゆったりとした膨らみなど細部の最終的な部分は人の手に依るといいます。とくに、座面のペーパーコードの編みは工芸的とも呼べるのではないでしょうか。
ちなみにこの『Yチェア』の原型と言われているのが、ウェグナーの出発点ともいえる『チャイニーズチェア』。この椅子はデンマークの博物館に並んでいた中国の王座からインスパイアされたと言われています。『チャイニーズチェア』が持つ伝統的な美しい形。そのエッセンスが、国境を越えて新しいデザインに継承されていることが感じられます。
『チャイニーズチェア』(1943年)写真:1990年初頭の製造 / 富山県美術館所蔵
「椅子は体を預ける=安息できる場所」と稲塚さん。その意味で椅子は、家具のなかでも一際、人に近い存在です。北欧のデザイナーたちはその時代の人々の暮らしを見つめ、技術と感性を注いで椅子のデザインに取り組んできました。実際にハンス・J・ウェグナーのデザインポリシーの第一は「座りやすさ」でした。
稲塚:プロダクトとしての正確さや精密さに、手仕事の温かさが一体となって立ち上がる美しさ。これが北欧の椅子の大きな魅力だと思います。また、 北欧の家具が日本の暮らしに溶け込むのは、「豊かな自然」との距離感が似ているからではないでしょうか。日本人が自然と共生していこうとする感覚や、木造住宅に住まう文化のなかから湧き上がる、木という素材への親近感。これらが北欧チェアとの距離を縮めているのだと思います。
暮らしの豊かさを真摯に見つめた結果、おのずと辿り着いた美しいデザイン。一時の流行やデザイナー個人の表現ではないからこそ、時代や国を越えて、さまざまな場面で暮らしを豊かにしてくれるのではないでしょうか。
- プロフィール
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- 稲塚展子 (いなづか ひろこ)
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約170種に及ぶ椅子コレクションを所蔵する富山県美術館に学芸員として勤務。2007年に富山県美術館の前身である富山県立近代美術館で、企画展『椅子の森から—20世紀の椅子コレクション』を担当。今年の8月26日に全面開館した富山県美術館では、デザインコレクションの展示室を担当。