菊地成孔の美食コラム 分類できない新スウェーデン料理を味わう

コロナ禍によって、我々は食文化全般に対して一時的に混乱する

この記事の取材は世界規模のコロナ禍が始まる前(2020年明けすぐ)に行われ、原稿は6月30日に書かれたものだが、現時点での筆者の見通しでは、この禍は外食産業、自炊、宅配、配給制、と、世界中の食文化をーー恐らく、だがーー望むと望まぬとに関わらず、小さく、しかし根本からリセットするのではないかと思われる。

「ミシュラン20東京は出版されるかどうか?」「どの店舗が生き残り、どの店舗が閉店を余儀無くされたか?」「新たな繁盛店はどこに?」といったリージョンの話は、むしろ、ほとんどの市民にとっては物見遊山であろう。「小さい、しかし根本からのリセット」は、いつまでに完了するかは分からない。しかし、確実なのは、我々が食文化全般に対して、一時的に混乱することだけは免れない。という事実に尽きる。

行きつけの店を失った者、行きつけの店がやっと営業再開し、おめでとうと言わんばかりの勢いで繰り出した者、が、しかし、気がついたら前ほど通わなくなってしまった者、自炊を始め、料理に目覚めたばかりの者、早くもそれに飽きてしまった者、宅配業がカバーするメニューの、余りの豊かさに、永遠性に近いものを感じている者、もはや宅配は見るのも嫌だという者、母乳を卒業した瞬間からずっとコンビニ菓子で生きているというストイックな者たちが交差し、毎日食事をする。毎日のことなので、根本的な、そして小さな混乱は、そのまま捨て置かれ、淘汰を待つ。

菊地成孔
1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。

混乱には必ず調停者が現れる。それは多く、調停者たらんと意識立てて行動する者ではない。ノーマークで無意識的な者の中から、ニューオーダーを示す選ばれし調停者が決定される。

筆者はそのひとつとして、「欧州料理のミクスチュア」を挙げる。明治時代から続く「洋食」「洋菓子」こそは、北欧、東欧、西欧、南欧、ロシア、そして和食のミクスチュアと淘汰の産物であった事は言うまでもない。輝かしき、とんかつ、ハンバーグステーキ、洋食屋のカレー、ビーフシチュー、マカロニグラタン、スパゲッティ・ナポリタン、愛すべき、いちごショート、シベリア、アルミホイルで包まれたサバラン、あらゆるフルーツパフェ、等々は、空想の領域から換骨奪胎、地元への定着というリアルまで包括した淘汰の果てのエリートであることは言うまでもない。その後、料理のみならず、あらゆるカルチャーを包括した、情報と分類の方向性は、最早、「イタリア料理」という陽気な軽口も叩かせないほどに人々の分類力を圧迫し、スイス国境沿いアルト・アディジェ地方からシチリア島まで、トラットリアレベルでさえ分類が前提化する。時代は閉塞後、必ず閉塞前に新しく回帰する。さらに強化されたミクスチュアとしての「新しい洋食」は、「コロナ後の混乱の調停者」の有力候補の一人である。

全てのミクスチュアは大博打。この博打に大勝ちしている新スウェーデン料理

「ALLT GOTT(アルトゴット)」はスウェーデン語で、意味は英語だと「ALL’S WELL」つまり「全て良し」と云った意味である。46歳にして26年のキャリアを持つ料理長 / 店長の矢口氏は、明言していないだけで、事実上、この、本当に素晴らしい新スウェーデン料理が、イタリア/ フランス / スペイン料理との混血であることを隠さない。

ALLT GOTT矢口シェフ

メニューの字面と料理の写真を比べてみて頂きたい。「え? ニシンの前菜食ってから、サーモンの前菜が出るの? ディルで咽せそう……」「メインの鹿と仔羊のロースト、森のフルーツソースまみれかあ、年間通してクリスマスメニューだね北欧ってのは。まあ、サンタクロースの故郷だし」と云った、先入観からくる陰性の拒否反応は全て杞憂に終わる。

スカンジナビアコース 6,000円 ~北欧の伝統的なレシピ、食材をより生かしたコース~
自家製パン2種(定番のライ麦にアニス、フェンネルシード入りと日替わりブランデー漬けイチジク入り)
ノルウェー産にしんの前菜(右:自家製にしんのマリネ、マスタードソース 左:にしんのゼリー寄せ、マスタードアイス)
ノルウェーサーモン3種の前菜、北欧ならではの調理法=保存法で3種(スモークサーモン・サーモンマリネのクレープ包み、はち蜜マスタードソース・サーモンプディング、ローストバターソース)
蝦夷鹿のコンソメスープ

筆者は食前から食中、食後にかけて、紛う方無きスウェーデン料理のフォームを味わいながら、「これ、イタリア料理……ですよね?」という、奇妙で軽やかで楽しい、そして何より、可能性に満ち満ちたダブルイメージが払拭できずにいた。全てのミクスチュアは大博打である。相殺台無しの大負けか、21世紀型エキゾチズムによる宝石の誕生か。矢口シェフは46歳という働き盛りで、悠々とこの博打に大勝ちしている。筆者はこの連載で訪れた北欧料理店の中で、旨味の多彩さと重厚感、それに反比例するが如き食後の胃の軽さに於いて、「ALLT GOTT」を最上とするに吝かではない。

小瓶ビールやローカルワインのエチケットデザインが童話の本のように可愛いことは言うまでもなく、ゼリー寄せされたニシンや、それに添えられる、アイスクリーマーで造られたかのようなマスタードアイス、ジビエ派の者なら究極のシンプルである(注)蝦夷鹿のコンソメと云った、「エル・ブジ以降」のアートラボ的なスキリング、「甘鯛の<バロティーヌ(食材を筒状に巻き込んで低温調理><コライユ(内臓、ミソ)ソース>」というのは歴としたフランス料理のタームである。

リンクス ビターエール(リトアニアビール)
甘鯛のバロティーヌ、伊勢エビのコライユソース

フレンチだとグラタン・ドフィノア即ちじゃがいものチーズグラタンにあたり、スウェーデンの国民食でもある「ヤンソンスフレセテルセ(塩味にアンチョビが使われる)」は、がっつりどっさり式ではなく、パスタパエリアにも似た、ストリングに刻んだじゃがいもの、強めに焼かれたグラタンで、「<いくらでも食べれる>って言ったって、それ、北欧のでっかい人だからでしょ?w」という圧力から解放され、実際に我々の胃袋でも無限に食べられるだろう。

ヤンソンスフレステルセ(じゃが芋とアンチョビのグラタン)
左:蝦夷鹿肉のロースト、リンゴンベリー(スウェーデン産野生のつるコケモモ)ソース 中央:ヤンソンスフレステルセ 右:アイスランド産仔羊肉のステーキ、赤ワインにオレンジを使ったソース

個人的に最も懐かしく、驚かされたのは、デザートの盛り合わせの中の「カフェビアンコアイス」である。もう一度名前を確認して頂きたい。これはアフォガードと云う意味ではない。筆者が想起したのはミラノのジェラテリアでの経験で、バニラのジェラートにコーヒー豆をそのまま混ぜて、味だけを移した、「コーヒー味の白いジェラート」である。透明なトマトジュースに代表される「味だけ残して色素を濾過する」技法の楽しさが果たして北欧由来なのか? 筆者がミラノでの経験を話すと、シェフは破顔一笑「はははは。実はコレ、イタリアのジェラート屋に教えてもらったんですよ」と楽しげに語った。

デザート盛り合わせ(ヨートロンシフォン・カフェビアンコアイス・ローズマリーチョコレート)とスウェディッシュコーヒー

押し付けがましくないファミリアな暖かさと、かすかなフォーマル感、料理の完成度と安定感、何よりも未来を感じさせる、余裕綽々な冒険心。責任を持ってお勧めしたい。

(注)メインの、肉のロースト二種盛りのうち、仔羊は、非常に輸入量(=輸出量)が少ない「アイスランドシープ」が使用される。「全く仔羊の臭みがしない」事で、むしろ羊肉愛好者から批判さえ受けている、<(北欧の更に北に生息する)逆ジビエ>とさえ言える、この希少種をさりげなくメインディッシュに配置するセンスは特筆すべき物がある。筆者が知る限り、この肉を食べることができるのは、某ジンギスカン鍋のチェーン店とここだけである。

店舗情報
ALLT GOTT

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-28-1 シバタビル2F
営業時間:
ランチ11:30~14:30
ディナー17:30~21:30
定休日:月曜日
電話:0422-21-2338

連載『菊地成孔の北欧料理店巡り』

2003年に発表した『スペインの宇宙食』において、その聴覚のみならず、味覚・嗅覚の卓越した感受性を世に知らしめたジャズミュージシャン、文筆家の菊地成孔。歓楽街の料亭に生まれ、美食の快楽を知る書き手が、未開拓の「北欧料理」を堪能し、言葉に変えて連載形式でお届けします。全3回、好評のうちに終了した本連載が復活しました。

プロフィール
菊地成孔 (きくち なるよし)

1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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