映画『わたしの叔父さん』 家族と夢の狭間で揺れる主人公を描く

(メイン画像:『わたしの叔父さん』©2019 88miles)

※本記事は作品の内容に関する記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。

さりげない視線や仕草が人物の思いを伝える。酪農家を舞台にした物語

酪農王国として知られるデンマーク。農産物の輸出量も多く、日本でもデンマークのチーズは人気だが、最近は国の政策で伝統的な牛の飼育方法が廃止され、その影響で小規模の酪農家が廃業に追い込まれているらしい。『わたしの叔父さん』は、そんな酪農家が舞台になっている。

酪農を営んでいる27歳のクリス。彼女の家族は、同居している身体が不自由な年老いた叔父さんだけ。子どもの頃に兄と父親を失ったクリスは、叔父さんに引き取られて育てられた。農場での暮らしは同じことの繰り返し。映画の冒頭では、典型的な1日の行動が淡々と描写される。朝早く目覚めるクリスは、叔父さんを起こして着替えを手伝い、一緒に朝ごはんを食べる。牛の乳を絞り、牧草を与え、昼食を食べてさらに一仕事したら、夕方には2人で近所のスーパーへ。2人は一切話をしないが、スーパーで初めて叔父さんが「ヌテラ」と呟く。毎朝、パンに塗っているクリームを買っておけ、ということだ。

喋らないからといって仲が悪いというわけではない。2人がお互いを気遣っていることが、ちょっとした仕草や視線から伝わってくる。そんな平穏な1日が終わろうとしていた夜、牛が産気づく。危険な逆子だったが、クリスの適切な処置で子牛は一命をとりとめた。その小さな出来事が、2人の生活に変化をもたらすことになる。

本作の監督・脚本を手掛けたのは、デンマークの新鋭、フラレ・ピーダセン。小津安二郎をリスペクトするピーダセンは、日常の些細なやりとりを通じてクリスと叔父さんの関係を描き出していくが、なにも言わなくても通じ合うクリスと叔父さんの関係は小津映画の笠智衆と原節子を思わせて、親子のようにも長年連れ添った夫婦のようにも見える。10代の頃、獣医になるのを夢見ていたクリスは、獣医学校への進学が決まっていたが、叔父さんが倒れて身体が不自由になったことで、進学を諦めて農場を手伝うことに決めた。

それから時間は流れ、逆子の子牛を無事取り上げたことを獣医のヨハネスに褒められたクリスは、封印していたかつての夢を思い出す。いつもクリスと叔父さんの食事中に会話はなく、クリスは食べながら本を読んでいる。でも、子牛が生まれた翌日は、本からふと顔を上げて遠くを眺める。クリスの胸の奥でなにかが動き始めたのだ。こうしたさりげない描写を重ねながら、ピーダセンは寡黙な2人が胸に秘めた思いを観客に伝え、繊細な語り口で観客を物語に引き込んでいく。

左から:叔父さん(ペーダ・ハンセン・テューセン)、クリス(イェデ・スナゴー) / 『わたしの叔父さん』©2019 88miles

昔からクリスのことを知るヨハネスは、再びクリスが学問に興味を持ったことを知り、彼女に往診を手伝ってくれないかと持ちかける。さらに教会で出会った青年、マイクがクリスをデートに誘う。突然、クリスに差し伸べられた2本の手。これまでクリスは叔父さんと2人だけの小さな世界で生きてきた。クリスに友達はいないようで、大きなトラクターを乗りこなしても小さな携帯は持っていない。子どもの頃に家族を失った悲しみのせいか、いつもクリスは無表情で冗談を言うこともなければ、笑顔を見せることもない。でも、仕事と叔父さんがすべての生活に変化が訪れたことで、クリスの心は次第に浮き立ち、叔父さんと一緒にいてもうわの空になっていく。そして、叔父さんはそんなクリスの変化を受け入れて彼女を後押ししようとする。

自分自身と折り合いをつけるクリス。その人生を描く上で織り込まれるユーモア

この物語ではクリスの自立を邪魔する者は誰もいない。問題はクリス自身だ。彼女は身体の不自由な叔父さんを残して独り立ちすることに罪悪感を感じている。それだけではなく、愛する者をまた失うことに恐れを抱いている。たとえば叔父さんが入浴しているとき、クリスは浴室のドアに耳を当てて異変が起こっていないか確認し、叔父さんが出てくる気配がすると、ドアから離れてなに食わぬ顔をして着替えを用意する。そんなクリスが自分自身とどう折り合いをつけるか。その過程をピーダセンはミニマルな演出で描きながら、そこにささやかなユーモアを織り交ぜる。

なかでも、マイクとデートするくだりは楽しい。デートのことを知り、スーパーでクリスに「これは必需品だぞ」とヘアアイロンを勧める叔父さん。そんな優しい叔父さんを家に置いてデートするのが後ろめたくて、とんでもない作戦を立てるクリス。そして、それを戸惑いながらも受け入れるマイク。善意に満ちた人々に囲まれて、クリスの巣立ちの日は近いと思った矢先に、彼女の生活を揺るがせる「事件」が起こる。

リアリティーを交えて描かれる、普遍的な「人生の選択」というテーマ

ピーダセンは物語の舞台になったユトランド半島南部で生まれ育ったそうだ。彼にとってクリスと叔父さんの暮らす農家は子どもの頃から見慣れた風景であり、廃れゆく伝統的な酪農家の日常を映像に記録したいという思いもあったらしい。撮影中、ピーダセンは映画に登場する農場にキャンピングカーで滞在。撮影には小型カメラを使用していて、自然光をいかした映像からは現地の澄んだ空気が伝わって来る。日常に対する眼差しは小津譲りかもしれないが、小津のような完璧なショットへの執着は感じさせず、自然な佇まいを大切にした映像が物語を身近に感じさせる。

リアリティーはこの映画にとって1つのエッセンスで、クリスを演じたイェデ・スナゴーは女優になる前は獣医で、叔父さんを演じたペーダ・ハンセン・テューセンは、なんとイェデの実の叔父さんで酪農家だという(今回、初めて演技に挑戦した素人)。そして、2人を取り巻くキャストは、農場から半径15kmに暮らす人々から選ばれたそうだ。登場人物みんなが慎ましくてナイーブなのは土地柄なのかもしれない。

『わたしの叔父さん』予告編

しかし、ピーダセンは生まれ故郷をレペゼンする作品を作りたかった訳ではなく、知っている土地、知っている人たちを通じて、誰もが直面する「人生の選択」という普遍的な問題を描いている。自分の夢を目指すのか、それとも年老いた叔父さんを世話するのか。クリスが10代だったら、叔父さんが実の父親だったら、悩み方は違うだろう。クリスの状況ではどちらを選んでも厳しい現実が待っている。それだけに観客はクリスを見守りながら、クリスの葛藤に共感する。

クリスにとって叔父さんは自分の運命を司る存在であり、『わたしの叔父さん』は「わたしの運命」と言い換えることができるかもしれない。人生の選択に悩むクリスを見て思い出したのが『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ)だ。アンは夢だった大学進学の直前に、孤児だった自分を引き取ってくれた養母マリラの目の病気を知って、進学するか家に残るか決断を迫られるのだ。

映画のラストシーンで、クリスが食事をしながら叔父さんをちらっと見る。その表情が印象的で、いまクリスはどんな想いを抱いているのだろう、と想像せずにはいられない。アンは人生の選択をしたあと、「神は天にいまし、すべて世は事もなし」とブラウニングの詩の一節を読んで自分の運命を受け入れるが、クリスはどうだったのだろう。『わたしの叔父さん』はありふれた人々の日々の営みを丁寧に描きながら、観る者一人ひとりに「自分にとって人生で大切なものはなにか」を静かに問いかける。ありがちなヒューマンドラマに落とし込まない、優しくてリアルな物語だ。

作品情報
『わたしの叔父さん』

2021年1月29日(金)からYEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国で順次公開

監督:フラレ・ピーダセン
出演:
イェデ・スナゴー
ペーダ・ハンセン・テューセン
オーレ・キャスパセン
トゥーエ・フリスク・ピーダセン
上映時間:110分
配給・宣伝:マジックアワー



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湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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