パンクの全盛期は、一説では1977年とされている。それから40年の月日が流れ、パンクの思想は形を変えながら、ポップミュージックの歴史のなかで何度も立ち現れてきた。アシッドハウス旋風に沸いた1980年代末のイギリスや、グランジが勃興した1990年代初頭のアメリカは、まさにそうだと言えるだろう。そして、2010年代におけるその発火点は、デンマーク・コペンハーゲンであった。
カリスマ的なフロントマン、エリアス・ベンダー・ロネンフェルト率いるIceageの登場により、それまでの北欧のイメージとは異なる新たなスタイルのパンクがシーンを席巻。その意義は、今後世界的にロックバンドが息を吹き返したとき、改めて語られるべきかもしれない。
そこで今回は、Iceageを日本で見出した第一人者であり、コペンハーゲンのバンドを数多く日本でライセンスリリースしている原宿のレコードショップ兼レーベル「BIG LOVE」の仲真史にシーンの動きを振り返ってもらった。渋谷系の中心的レーベル「ESCALATOR RECORDS」を通じて、1990年代から良質な音楽を紹介し続ける仲ならではの視点を楽しんでいただきたい。
いかにも「北欧」っていう感じの音楽と全く違ったので、Iceageは衝撃だった。
—仲さんがコペンハーゲンの音楽シーンに興味を持ったきっかけから教えてください。
仲:それはやっぱり、Iceageです。最初の7インチ(2009年リリースの『Iceage』)で存在を知ったんですけど、激しさもありながら、でもいわゆるハードコアともちょっと違うところが気になったんですよね。それでホームページを見たら、血を流していたり、SM的な要素が窺えたりして。
2000年代はバイオレンスな表現より、ポップな表現が多数派だったと思うんですけど、そういうなかで、若い人たちがいきなり過激なことをやっていて、「これは何だろう?」って思ったんです。
仲真史。取材はBIG LOVEにて行われた(レーベルのサイトを見る)
—それ以前のコペンハーゲンの音楽シーンには、どんな印象をお持ちでしたか?
仲:正直、これといって印象はなかったです。1980年代でいうと、Gangwayとかいましたけど、特に「デンマーク」とか「コペンハーゲン」って括りで音楽を探すことはほぼしていなかったです。
—2000年代でいうと、Mewの印象が強いのかなと。
仲:Mewは、デンマーク固有の個性を持っていたというより、スウェーデンやフィンランドの音楽にも近い感覚はありますよね。あとEfterklangもデンマークのバンドですけど、Iceageは、ああいうエレクトロニカと混ざった繊細なポップスみたいな、いかにも「北欧」っていう感じの音楽とも全く違ったので衝撃だったんです。
Iceageの出発点は、街のおしゃれさんチームで、なおかつ不良だった、というところにあるんじゃないかな。
—では、なぜIceageのような音楽性のバンドが急にデンマークに現れたのでしょうか?
仲:リリース元の「Escho」というレーベルが、Gang Gang Danceみたいなアメリカの前衛的でオルタナティブな音楽を北欧に輸入するっていうイメージでやっていたみたいなんです。そういう実験的な、ある意味では北欧的とも言えると思うんですけど、ジャズ、現代音楽、ポップス、ヒップホップなんかのミクスチャーというような、ちょっと変わった音楽をリリースしているレーベルがIceageのバックにいたのは大きいと思います。
—ニューヨークのアンダーグラウンドシーンへの憧れを抱くレーベルの存在がまずあった。
仲:そう。第三国っていう表現は語弊がありそうですけど、僕らと同じようにイギリスやアメリカの音楽への憧れがあって、その上で独自のものを作ってきた文化的な土壌というか。 あとこれは僕の個人的な分析なんですけど、Iceageに最も影響を与えたのは、2007年に公開されたJoy Divisionの映画(『Control』)と、ブラックメタルの本(マイケル・モイニハン著『Lords of Chaos』。2003年に再訂版が刊行されている)だと思うんですよ。
—ブラックメタルは北欧で生まれた、デンマークとも所縁の深いカルチャーですけど、Iceageもその影響を受けていると。
仲:しかも、その当時の彼らは10代前半だから、すごく衝撃だったんじゃないかと思うんです。
仲:実際、彼らは2007年以前、当時のエレクトロのパーティーとかに顔を出していたっぽいんですよ。そういう状況から考えると、Iceageはカテゴライズされた音楽シーンから出てきたというわけではなくて、その出発点はもともと街のおしゃれさんチームで、なおかつ不良だった、というところにあるんじゃないかなと。
彼らは中学生の頃から有名で、「モンスター」みたいなあだ名がつけられていたみたいなんです。そのなかでも、エリアスは特別だった。
—とにかくセンスがいい若者で、それは音楽に対してもそうだし、ファッションにしてもそうだった。仲さんはブログで彼らのファッションについて、「ノームコア」(norm(=標準)とHardcoreを組み合わせた造語。「究極の普通」を意味する)との関連で書かれていましたよね。
仲:彼らと初めて会ったときは、みんなシャツとかスウェットもパンツにインしていて、「すげえダサいな」って思ったんです。「一緒に原宿歩くの恥ずかしいな」って(笑)。
でも、1週間一緒にいたらだんだんわかってきて、僕らもインし始めたんですよね。それがノームコアが世界的に注目を集める寸前だったから、彼らはいち早くそういうスタイルを取り入れていたんだなって、あとから気づいたんです。
—面白いですね。彼らなりのパンクファッションだったというか。
仲:でも、他の人がやってないなかで、インするのって恥ずかしいじゃないですか? 僕もそのときは相当笑われたし。「いつものコーヒーショップのお姉さんの態度が全然違う」みたいな(笑)。そういう目もあるなかで彼らが意思統一できた理由を考えると、ロンドンみたいな大都市ではなくコペンハーゲンだからできたんじゃないかと思うんです。
—ローカルだからこそ、意思統一ができたと。
仲:話を聞くと、彼らは中学生の頃から有名で、みんなでゾロゾロ歩いて、ケンカも相当して、「モンスター」みたいなあだ名がつけられていたみたいで。そのなかでも、やっぱりエリアスは特別だった。
仲:ドラムのダン(・ケアー・ニールセン)のお父さんは学校の先生なんですけど、未だに「エリアスは大丈夫か? ちゃんとやってるのか?」って聞いてくるらしいんですよ。それくらいヤバい少年時代だったみたいです(笑)。
—エリアスは昔から問題児で、逆に言えば、カリスマだったと。
仲:そうみたいです。当時の写真を見ると、今とは全然違う感じで、前髪を下して、チェックのシャツを着てたりするんですけど、すごいオシャレなんですよね。それに「リーダー」だっていうのも一目でわかる。
Girlseekerっていうバンドに「どうしてコペンハーゲンのシーンはこうなったの?」って聞いたら、ひと言「Iceage」って答えたんですよ。それまでもいろんなシーンはあったけど、みんなバラバラで敵対していたのが、Iceageの登場によって、それぞれが結束してひとつのシーンができたみたいです。
Iceageはコペンハーゲンだからこそ活動できたんじゃないかと思う。
—実際に、コペンハーゲンのバンドはLowerにしろLust For Youthにしろ、メンバーが被っていることが多くて、コミュニティー感を感じます。その中心にはIceageがいて、エリアスがいたわけですね。
仲:『クリエイション・レコーズ物語』(原題は『Alan McGee and The Story of Creation Records』。パオロ・ヒューイット著、2000年刊行)とかを読むと、Primal Screamのボビー・ギレスピーに近いのかなって。アラン・マッギーは「ボビーは最初からスターだった」って言っていて、みんなボビーがどんなものをいいとジャッジするのかを気にしていたみたいなんです。エリアスもそういう存在だったんじゃないかなと思います。
—いつの時代にも、そういうカリスマがシーンを牽引する瞬間がありますよね。イギー・ポップもそういうひとりだと思いますけど、彼がかつて「Iceageが今唯一のパンクバンドだ」って発言をしたという事実にも、カリスマの系譜を感じます。
仲:ただ、イギー・ポップもデヴィッド・ボウイの助けを借りていたように、エリアスにとっても「Posh Isolation」(コペンハーゲンを拠点とするレコードショップを母体とするレーベル)のローク(・ラーベク)のような存在がいたことはすごく大きかったと思うんです。
仲:あとはやっぱり、デンマークっていう国のサポートも大きいと思います。シーンの本拠地だった「メイヘム」っていうクラブでは、反体制的なことをしても、国がそれを規制しなかったんです。それは相当大きかったと思いますね。
—国として、アートを支持する基盤があると。
仲:2年くらい前にコペンハーゲンで芸術家を狙ったテロがあったじゃないですか? 事件の前にその芸術家の展示をやっていたのがメイヘムだったそうなんです。そういう意味でも、Iceageはコペンハーゲンだからこそ活動できたんじゃないかと思います。
—アンダーグラウンドシーンの盛り上がりは、そのあとよくも悪くもセルアウトしていく方向になりがちだと思うんですけど、Iceageは自分たちのスタンスを貫いていますよね。
仲:ブレない価値観みたいなのはすごくありますね。うちからはLP(アルバム)のアナログ盤を出しているんですけど、最初は7インチシングルを出したいって言ったんですよ。みんな日本盤出したいから、だいたいこちらの要求を受け入れてくれるんですけど、全然譲らなくて。
Posh Isolationとの最初の取引もすごく時間がかかって、仲間として認めてもらうまでがすごく長かったんです。それだけちゃんとチェックしてるんだなって思いましたけどね。
—時代的には、ネットの存在も大きかったように思います。メイヘムでのアンダーグラウンドな盛り上がりを、YouTubeなどを通じて自分たちで発信できたっていう。
仲:それでいうと、Iceageの世界的なブレイクにおいては、当時は海外の音楽ブログが力を持っていたのが大きいと思います。当時はSNSの黎明期でしたけど、「Altered Zones」とか、ああいうブログが推したのが大きかったんですよね。
2010年代初頭にIceageがブレイクしたのは、本当にあの瞬間のマジックだった。
—ブログということは、海外で最初にIceageを見出したのは大きなメディアではなく、一般のリスナーだったと。
仲:そう、当時は音楽ブログが力を持っていましたから。ロックシーンはイギリスとかアメリカのバンドで溢れているなかで、Iceageはブロガーたちにとってもカウンター的な存在だったと思うんです。
そういう有力なブログをやっていた人たちは今、Pitchforkに行ったり、レコード会社に入ったりしていて。言ってみれば、選抜隊みたいな人たちがブログをやっていた時代だったんですよね。
仲:今、音楽業界の裏方でシーンを牽引している人たちがIceageを最初に推した。そのあとに『NME』とかでも見開きで扱われるようになっていったんです。
—それまでは『NME』に載って初めて広まっていくという構図でしたけど、音楽ブログで話題になったバンドを『NME』がピックアップするっていうのは、それまでにはなかった流れでしたよね。
仲:ちょうどIceageを紹介したあとくらいに「Altered Zones」はなくなっちゃうんですよ。「これからはSNSの時代で、それには勝てない」「役割は果たした」っていうようなニュアンスでやめていったみたいで。そう考えると、2010年代初頭にIceageがブレイクしたのは、本当にあの瞬間のマジックだったというか、彼らが今出てきたとしても、どうなったかはわからないと思いますね。
—本人たちはネットに対して意識的だったのでしょうか?
仲:いや、そこはよくも悪くもですけど、自分たちの範囲だけで成り立っていたと思います。海外のアーティストを呼んだりはしていたみたいなんですけど、自分たちが外に行くことはあんまりしないんです。
彼らのブレない姿勢はすごいなって思うけど、それがよかったのかどうかはわからない。
—それってどうしてなんですかね?
仲:裏を返すと、濃いアートをやる環境がちゃん整っていたということだと思います。たとえば、Posh Isolationはさっき言ったロークと、もうひとり、クリスチャン(・スタズガード)っていう人の二人でやってるんですけど、クリスチャンは大学の先生で、ロークはその生徒なんです。で、SMについての講義をして、一緒に本を作ったりもしている。
仲:学校がそういう状態だから、自分たちの範囲で濃いアートを作ることができて、わざわざ外に出る必要がなかった。まあ、そのあとの広がりっていう点から見ると、そこにコペンハーゲンの限界があったのかなって、月日が経った今は思いますね。
—国のサポートも受けつつ、ローカルのなかで生まれた濃いアートが、音楽ブログの時代と合致することで2010年代初頭の爆発を生んだけど、その後は限界がきてしまったと。
仲:Iceageはアメリカツアーもやったし、フェスにもちょこっと出たんですけど、やっぱりすごく嫌だったみたいで。『SXSW』(世界最大規模のデジタルとクリエイティブの見本市)とかも、ほとんどのバンドが「最高だった」って言うんですけど、彼らは口を揃えて、「スーツを着たビジネスマンみたいなのがたくさんいて最悪だった」って言っていました。
アメリカでのツアーも、大手のインディーレーベルから出したからビッグネームともやれたはずなんです。でも、彼らは自分たちの単独にしてバンでアメリカを回った。ブレない姿勢はすごいなって思うけど、それがよかったのかどうかはわからないですね。
—もしかしたら、もっと世界的なブレイクをしていたかもしれない。
仲:でも、彼らの目的はそこじゃないんですよ。その姿勢っていうのも、ある意味デンマークならではなのかなと。彼らは全然貯金がなくて、未だにみんなバイトをしているんです。「こういう音楽をやりながら、ちゃんと働く姿を見せる」っていうスタンスを示しているわけでもなく、マジで金がない(笑)。
あと、彼らの多くは家族と一緒に住んでいて、親から援助受けてるっぽいんですよね(笑)。意外とそこは等身大で、アメリカとかイギリスのバンドとは全然違う。
—裕福な国に住んでいるから、「一発当ててやる」みたいな感覚がないと。
仲:だと思います。そういうバンドに会ったのは初めてだったので、面白かったですけど。
Communions周辺とかは、上の世代とは雰囲気も違って、トゲトゲしてないというか、普通なんですよ。
—今のコペンハーゲンにはすでにIceageの次の世代が登場していて、CommunionsやLissが注目を集めていますね。
仲:Communionsには、まだシングル1枚しか出してないときに初めて会ったんですけど、みんな10代とかで、めちゃくちゃやんちゃでした。CommunionsはもともとIceageとも近いところにいたんですけど、彼らは自分たちのチームで、別のパーティーを持っていて、そこはIceageのパーティーとは違ってポップなロックがかかるんです。
—メイヘムとは違うコミュニティーができてるんですね。
仲:そう。Communionsの音楽性って、最初からハイファイで、The Stone Rosesとかを意識してて。「上の世代とは逆のことをやるんだ」って公言していたりして、Iceageの世代とは全然違うんです。
それに彼らはすごくフレンドリーで、握手会とかもガンガンやるんですよ。モデル事務所にも入ってるみたいで、この前もPoloとタイアップしたりしてて、そういうことはエリアスは絶対にやらないだろうなって思いましたけど。
—ある意味、反面教師的な見方というか。
仲:そうなのかも。だから、Posh Isolationとの関わりも、今はそんなにないみたい。Lissに関しては、彼らはIceageやPosh Isolationのことは好きらしいのですが、Posh Isolation周辺の半分の人たちは好きだけどその半分は嫌いって言ってるようです。どちらが正しいかは時代が証明してくれると思いますけど。
—Iceageの時代に起こった爆発に感化されつつも、それぞれが独自の道を選んで、多様性が生まれつつある状態というか。
仲:そうだと思います。Communions周辺とかは、上の世代とは雰囲気も違って、トゲトゲしてないというか、普通なんですよ。ノームコアじゃなくて、ただのノームっていうか(笑)。あと最近だと、Smerzって女の子がEschoから出てきるんですけど、彼女たちもIceage周辺とは近からず遠からずのようで、新しい世代を感じさせますね。
彼らには幸せを身近に感じる価値観があって、無茶をしないんですよ。
—最後に、今後のコペンハーゲンのシーンはどうなっていくとお考えでしょうか?
仲:今はみんなIceageの動向を見ている感じだと思います。ただ、みんな25歳を過ぎて、家庭を持っていたりもするし、他国の人間よりも野心がないっていうのはバンドとしてはマイナスな部分もあると思います。
—デンマークは世界で一番幸福度の高い国ですけど、それは幸福の裏にあるリアルと言えそうですね。
仲:そうですね。彼らには幸せを身近に感じる価値観があって、無茶をしないんですよ。僕がIceageだったら、絶対アメリカとかイギリスに移住してると思うんですけどね。それに恵まれた環境にいると、ぬるま湯感が出て、文化的にもガラパゴス化してしまうとも思いますし。そこは日本とも同じというか、コペンハーゲンは過渡期を迎えている気がするんですよね。
—難しい時期に差しかかっていると。
仲:今はロンドンが盛り上がりはじめていて、たとえば、HMLTDとかも彼らもIceageのことが好きだけど、逆にカラフルにやってるんだと思う。
仲:イギリス人は影響を受けたものをアップデートするのが上手くて、Iceageから影響を受けつつもイギリス産の本物にしちゃうんですよね。たとえば、Communionsみたいなバンドがロンドンから出てきたら、どう考えても爆発的にヒットすると思う。
でも、Communions自身がそうなってないのは、やっぱりデンマークのバンドだからだと思う。「イギリスからいいバンド出てきたら、一気にやられちゃうよ」っていうのは前から言ってたりしたんですけど、実際そうなりつつあって。そういう状況なので、Iceageにリーダーシップがとってシーンを牽引してほしいなって思いますね。
—2010年代はバンドに元気がないとずっと言われ続けてきましたけど、デンマークのような第三国を発火点にして、少しずつ勢いを取り戻しつつあると言えるかもしれないですね。
仲:イギリスは2000年代末から8年くらいずっとダメでしたよね。そういう状況で、ここにきてバンド音楽やロックがまた元気を取り戻すきっかけを作ったのが、その第三国から出てきたIceageだったっていうのは事実だと思います。スペインのHindsもきっかけになったと思うけど、コペンハーゲンの影響はすごく大きいんじゃないかと思いますね。
—今のIceageのことはどんなふうに見ていますか?
仲:彼らもやるべきことをやってるとは思うんですけど……大物感が出過ぎちゃって、初期の向こう見ずな感じが薄まっているのは、少し寂しさがあります。作品は全て最高なのですが、まだまだ若いのだからもっと無茶してくれてもいいのになと思ったりするんですけどね。
まあでも、ここまできたら続けてほしい。今終わっても伝説になるとは思うんです。でも、彼らならこれからもオリジネイターとして存在し続けることができるんじゃないかなって思うんです。
- プロフィール
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- 仲真史 (なか まさし)
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レコードショップ/レーベル「BIG LOVE」代表。1993年から渋谷系の代表的なレーベル「ESCALATOR RECORDS」を主宰。2001年、原宿に輸入レコードショップをオープン。2008年、レーベル「BIG LOVE」スタート。2010年にショップも同名に改める。The xx、Iceageなど注目アーティストを発掘している。