探検家・角幡唯介とグリーンランド。土地と暮らしの無限の広がり

例年幸福度ランキング上位に名を連ね、北欧デザインや先進的なテクノロジーが生み出される地、北欧。

そのなかでもとりわけ異彩を放つ、極北の地・デンマーク領グリーンランド。世界最大の島で、大部分が北極圏に属し、80%は氷床と万年雪に覆われている。

この過酷な大地で、旅をする男がいる。極地探検家・角幡唯介だ。角幡は、2016年に「白夜」と正反対の、まったく太陽が出ない「極夜」を、グリーンランドから北極圏まで、4か月に渡り徒歩で旅する「極夜行」を遂行した。旅を終えて以降は、グリーンランドの小さな村に拠点をおき、目的地を目指すような旅ではなく、犬ゾリを使い、狩猟を行ないながら、イヌイットの文化圏で旅をしている。

「極夜行」で得た境地と、現在の狩猟を行ないながら続ける旅のスタイルへの変化。そこに生じた思いとはなんだったのか。角幡への取材は、私たちが忙しない日々のなかで忘れてしまいがちな「暮らし」への大切な視点を思い出させてくれた。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)
1976年、北海道芦別市生まれ。探検家・作家。長いあいだ「謎の峡谷」と呼ばれていたチベット、ヤル・ツアンポー探検を描いた『空白の五マイル』(集英社)で2010年に開高健ノンフィクション賞、2011年に大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した。そのほか、『雪男は向こうからやって来た』(集英社 / 新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(集英社 / 講談社ノンフィクション賞)、『極夜行』(文藝春秋 / Yahoo!ニュース 本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞)など著書多数。

北欧デンマークの一部でもある、極北グリーンランド。自給自足で生きるイヌイット

―これまで極北への旅の中継地として、デンマーク・コペンハーゲンには何度も訪れていると思いますが、北欧にはどんな印象を持ってらっしゃいますか?

角幡:北欧といっても、ぼくが主に滞在しているのはグリーンランド(デンマーク領)のイヌイット社会です。コペンハーゲンには、極北地域へのトランジットとして数泊することが多く、旅の準備としてアウトドアショップで不足している装備を補充したり、旅先の地図を購入したりしています。

世間一般にいわれる「北欧」のイメージがぼくにはよくわからないのですが、アジア諸国のような、発展途上のパワフルさとは対照的な、物静かでシックな、成熟した印象です。

―角幡さんが旅を続けているグリーンランドの印象はいかがでしょうか。

角幡:まずは人種からデンマーク本土とは違いますね。イヌイットはモンゴロイドで、顔立ちは日本人に非常によく似ています。

グリーンランドはもともとデンマークの植民地で、現在はデンマーク領として通貨にデンマーク・クローネが使われていたり、警察や役所はグリーンランドが自治を進めていたりしますが、現地で生活しているのは、多くが先住民系です。

狩猟民族ですから自給自足で生活し、その暮らしや文化に誇りを持っていると感じます。イヌイット文化は、カナダやアラスカまで広がっていますが、アザラシやセイウチを獲ったり、犬ゾリを使ったりして生活している、伝統的な狩猟民族としてのイヌイットは、グリーンランドに住む一部にかろうじて残っているだけといわれています。

写真:角幡唯介
写真:角幡唯介

デンマークの先進的な文化に触れ、変化していくイヌイットの暮らし

―彼らと本土のデンマーク人たちは、どんな関係性なのでしょうか。

角幡:グリーンランドでぼくが接するデンマーク人は、警察や役所の人たちが多いですね。彼らはデンマーク語と英語しか話せないから、地元の人と話すのに通訳が必要なくらいです。ぼくがたどたどしくも現地語でコミュニケーションを取っていると、「犬ゾリにも乗るし、言葉も話せるのか、クレイジーだな!」と言われます(笑)。

グリーンランドには、警察や役人だけでなく、デンマーク本土から学校の先生が赴任してくることがあるのですが、馴染めていないことが多いみたいです。

実際に、グリーンランドのイヌイット社会に赴任した教師の話は映画(『北の果ての小さな村で』 / 2019年公開)になっていて、作品ではその教師がイヌイットたちの文化に魅せられていって、そこで生活していく道を選ぶ、というストーリーでした。

映画『北の果ての小さな村で』予告編

角幡:でも、イヌイットと話していて、デンマーク人のことはほとんど話題に上がらないし、彼らは彼らの文化に誇りを持っているから、いわゆる「北欧的な暮らし」とは別世界にいます。

犬たちと暮らして、獲ったアザラシやセイウチを氷の上で開腹するような生活をしてきたわけだから、どこかに勤めて、キャリアを築いて……というような、賃金労働で成り立っている社会とはまったく違う世界なんです。

写真:角幡唯介

―イヌイットたちも都会の先進的な文化に触れて、生活が変わっていっているのではないかと想像します。北欧諸国には手厚い福祉制度がありますが、その恩恵を受けているのでしょうか。

角幡:デンマークの福祉制度でどこまでイヌイットの生活が保護されているのか、詳しいことはわかりませんが、それが結果的に狩猟文化を衰退させているのは間違いないと思います。

自給自足をしながら毛皮を現金や商品と交換していたのが、過剰に保護されてしまうと、これまでのように狩りや釣りをしたり、犬ゾリで白熊を獲るために旅をしたりする必要性が薄れてしまいます。

私が接している村人も、生活が楽になってどんどん太ってきています。狩猟をしなくなっても、アザラシなど高カロリーな脂たっぷりの食文化を続けていたらそうなりますよね。

土地を見つめることで、これまで見過ごしていたものが次々と意味を持つようになる

―ご著書『極夜行』での、極地を目指して歩みを進める旅とは対照的に、最近ではイヌイットたちの狩猟文化にフォーカスした旅をしていますよね。それはどういう理由でしょうか。

角幡:『極夜行』では、太陽の昇らない極夜のなかを探検することが目的でした。ですが、旅の目的が山の登頂であったり、目的地に到達することになると、目標を達成したとたん、その場所はもう用済みになってしまいます。

さらに、限られた食糧のなかで、なるべく効率的な道筋を地図に引いて、1日に何キロ歩かなきゃいけないとか、日数を計算しながら目的地を目指すことになります。すると、その過程で通り過ぎる土地は、まったく意味がないものになるんです。

角幡:しかし、旅の目的を「狩り」に置くと、移動しながら、獲物を獲りながら、ずっと旅を続けることができます。旅を続けるためには狩りをしなければいけないし、そのためには土地や獲物に合わせて行動をしなければいけません。

土地の特徴や気候を可能な限り深く把握して、「この時間のこの場所にアザラシが現れる」とか、天候の荒れとかが予想できるようになると、これまで見過ごしていたものが、次々と意味を持つようになったんです。

そして、獲物さえ獲れれば旅を続けられるので、行動範囲はどんどん広がっていきます。自然環境や野生動物たちに合わせることは、自由を手放しているようで、より大きな自由を獲得することにつながります。そのことに気づいたとき、極夜行のようなゴールを目指す旅とは違った方向に展開していきました。

写真:角幡唯介

―イヌイットの自給自足の生活に近づいたわけですね。旅のスタイルを変えたことで、土地の見方や関係性なども変わりましたか。

角幡:いままでの旅はゴールしか見えていなくて、過程にあるものは無機質で、単調な広がりに過ぎませんでした。ですが、動物の習性や土地への理解度を上げて、知識を蓄えて行動ができるようになると、いままで見てきた土地のもう一段下に流れているものが見えるようになってきました。空間的には有限でも、無限の営みが広がっているという視点で楽しめるようになりました。

人間の営みで楽しいのは、移動することと、食べることなんだなと。それは小さい山でも釣り場でも同じで、その拡大版を北極でやっているんです。

写真:角幡唯介

自分の外にあるものと身体的に関わることで得られる、人間としての成長

―土地や自然環境とより深い関わりをもつことのように、ご著書『そこにある山 結婚と冒険について』では、対象物とより積極的に関わっていくことで、深いところで理解できると書かれてらっしゃいました。現代社会でも同じことがいえるのではないでしょうか。

角幡:そうですね。テクノロジーの発展で自分の作業を機械に任せるということは、社会全体から見れば生産性が上がっているのかもしれませんが、人間個人の能力はどんどん劣化していっていると思います。

手で土を掘り返せば、土の質感や硬さ、手の痛みを感じますが、それは鍬(くわ)や牛馬でやるとわかりません。トラクターでやれば一度に多く土を掘ることができますが、自分の身体で経験するはずだったことはもう体験できないわけですから。

例えば、好きな子に電話をして、お父さんが出てドキドキした経験があると思います。そのときなかなか言葉が出てこなかったり、受話器の手が震えたりする体験って大人になっても忘れないはずなんです。

それがメールのやりとりになってしまうと、会話の内容やドキドキした感情をすぐに忘れてしまうし、メールのやりとりから得られる経験と、震える声で話した経験とではまったく異なります。

対象と身体的に関わると、その間に必ずある種の摩擦が生じますが、その摩擦にこそじつは相手の本質的な部分があらわれます。摩擦を受け止めつつ、コミュニケーションをとることで初めて相手を理解できます。それが何かを「知覚する」ことだと思いますが、便利になりすぎるとこうした知覚のプロセスがなくなってしまいます。

―便利になっていく一方で、その対価として失われているものもあるということですね。角幡さんが運転するとき、カーナビを使わないのもそういう理由ですか。

角幡:そうです。地図を見ることや道を覚えることは、目印を見つけ目的地と結びつけて、対象を志向することですから、自然と道を覚えるようになります。

その目印や対象を漫然と見るのではなく、志向的態度で見つめれば、外の世界からの反応があり、そこに関係が成り立ちます。一度来た道であれば、二度目は違う道で行ってみたり、考えを巡らすことで空間的に構造化されていき、地域全体を捉えられるわけですから。

ただカーナビが指示するように走ってしまうと、角のコンビニも、交差点の信号もただ見ているだけなので、意味のあるものとして機能していません。なので、カーナビがなくなると二度と同じ場所に行けなくなってしまうのです。

テクノロジーによってさまざまな情報が次から次へと高速で入ってきます。一見、便利で効率的になっているようですが、テクノロジーに過度に依存すると、外から与えられたものを頼りに行動することになってしまいます。その結果、自分で考えず、何も生み出さない生き方になり、一人一人の能力は劣化してしまうのではないでしょうか。

―角幡さんの旅が変化したことも、イヌイットたちの生活が変わっていっていることも、一貫して外の世界との関わりや自分との関係性に対して考えていくきっかけになりそうです。

角幡:イヌイットたちは、自分たちで考えないで他人の考えを参考にして物事を進めようとすることは、馬鹿だっていうんですよ。彼らはすべて自分たちで経験し、直接的に関わって暮らしてきたわけですから。彼らの生活を見ていると、すごく頭を使っているし、生きていく術を知っているなと感じます。

イヌイットに限らず、世界の辺境で暮らしている人は、自主的に生きていかないといけないし創意工夫を凝らしながら生きてきたから、自分たちの文化や暮らしに誇りを持っているのだと思います。

書籍情報
『狩りの思考法』

2021年10月29日(金)発売
著者:角幡唯介
価格:1,760円(税込)
発行:アサヒ・エコ・ブックス

『極夜行』(文庫)

2021年10月6日(水)発売
著者:角幡唯介
価格:880円(税込)
発行:文春文庫

『そこにある山 結婚と冒険について』

2020年10月21日(水)発売
著者:角幡唯介
価格:1,540円(税込)
発行:中央公論新社

プロフィール
角幡唯介 (かくはた ゆうすけ)

1976年、北海道芦別市生まれ。探検家・作家。早稲田大学政治経済学部卒、同大学探検部OB。2003年大学卒業後、朝日新聞社に入社するも、2008年に退社。長いあいだ「謎の峡谷」と呼ばれていたチベット、ヤル・ツアンポー探検を描いた『空白の五マイル』(集英社)で2010年に開高健ノンフィクション賞、11年に大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した。そのほか、『雪男は向こうからやって来た』(集英社 / 新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(集英社 / 講談社ノンフィクション賞)、『極夜行』(文藝春秋 / Yahoo!ニュース 本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞)など著書多数。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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