敵にも味方にもなるトリックスター。北欧神話が描いたロキの姿
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)で、一つのピークを迎えた、マーベル・スタジオのヒーロー映画シリーズ。その後コロナ禍に見舞われたことで、公開、撮影スケジュールの変更を余儀なくされるなど厳しい状況にあったものの、ドラマ作品がディズニープラスで続々と配信され、映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021年)が大ヒットを達成するなど、その勢いがまた増している。
注目を集めているドラマシリーズのなかで、ひと際異彩を放っているのが、『アベンジャーズ』や、『マイティ・ソー』シリーズに登場したロキを主人公にしたオリジナルシリーズ、その名も『ロキ』である。すでにドラマ作品として配信された、驚きの結末が描かれる最終話は、マーベル・シネマティック・ユニバース(以降、「MCU」)の新しい展開を予感させるものだった。
ここでは、そんな『ロキ』をもう一度振り返りながら、キャラクターにまつわる北欧とのつながりや、その設定が活かされた本作シリーズの先進性について考えていきたい。
俳優トム・ヒドルストンが演じるロキは、マーベル・コミックの『マイティ・ソー』シリーズに登場するキャラクターだ。その世界観は、もともと実際に存在する「北欧神話」をベースとしている。
北欧神話は、かつてノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランドなど北方の国々を中心に広まり、バイキングによってイギリスなどにも伝えられた。やがてヨーロッパ全体がキリスト教に席巻される紀元後1000年くらいまで、北方の人々の信仰の対象となってきた。
北欧神話の宇宙観は壮大だ。そこでは「ユグドラシル」と呼ばれる巨大な樹木によって支えられた9つの世界が存在し、人間界である「ミズガルズ」の上に、「アース神族」と呼ばれる神々の住む「アスガルズ」が君臨している。そこに、雷神ソー(トール)や、その父である戦神オーディンなどの神々が鎮座しているのだ。マーベル・コミックの『マイティ・ソー』シリーズは、そんな神々が悪と戦うヒーローとして活躍するという設定になっている。
『マイティ・ソー』シリーズでは、ロキはソーの弟という設定になっているが、実際の北欧神話ではオーディンの義兄弟である。しかし神話のロキとソーは、連れ立って冒険するなど、ソーの叔父として、友人として親しい間柄にあったのは確かだ。また、映画『マイティ・ソー』(2011年)で描かれたように、ロキは神でありながら、アスガルズと敵対関係にある世界「ヨトゥンヘイム」の巨人族の血をも引いているという、複数のルーツがあるキャラクターでもある。得意とするのは、自分の姿を自由に変化させ、性別の境さえも乗り越えられる、変幻自在の変身術である。
神話のロキは、何度もソーの窮地を救う一方で、光の神バルドルの殺害を画策したり、さらには自ら巨人族を率いて、アース神族を絶えさせる神々の終末「ラグナロク」を引き起こすなど、神にとっては敵にも味方にもなる、支離滅裂な行動をとる。これが、ロキが場を混乱させる「トリックスター」と呼ばれる理由である。だからこそ、『マイティ・ソー』シリーズや『アベンジャーズ』シリーズのロキもまた、トリックスターの本領を発揮し、悪に加担して地球を支配しようとしたり、ソーと共闘し正義の戦いに加わったりすることになるのだ。
つかみどころのない気まぐれな神。マーベルが掘り下げたのは、その内面
オーストラリアの俳優クリス・ヘムズワースが演じる、ストレートな性格のナイスガイであるソーを犬にたとえると、ロキの複雑で気まぐれ、影のある性格は猫だと言えよう。犬派、猫派が存在するように、この対照的な二人の人気キャラクターは、それぞれファンの好みがはっきりと二分されているように感じられる。もちろん、どちらも好きだというファンも少なくはないだろう。
ドラマシリーズ『ロキ』で描かれるのは、そんなつかみどころのないとされるロキの内面である。プライドが異常に高く、その場その場の思いつきで無責任な行動をとっているように思われたロキだが、彼のなかにも熱い情熱や優しい感情が渦巻いていることがわかる。
ロキがMCUの映画に登場したのは『アベンジャーズ/エンドゲーム』が最後だった。地球を支配しようと画策してアベンジャーズに捕まった彼は移送される途中で、インフィニティ・ストーン(MCUシリーズに登場する不思議な力を持つ石。1つで惑星を消滅させる力を持ち、6つすべて揃えたものは宇宙を支配する力を得られる)の力を借りて現場から逃亡。その行方は描かれないまま、映画は幕を閉じた。そんなロキの次なる物語を描くのが本シリーズだ。
『ロキ』のストーリー展開はロキにとって望ましいものではなかった。彼は時間の秩序を保つ機関「TVA」の部隊に捕縛され、裁判にかけられてしまうのだ。TVAは、時間が分岐することを防ぎ、時間の流れを守る役割を果たすため、本来『アベンジャーズ/エンドゲーム』で死ぬ運命を逃れてしまったロキを「変異体」として、抹消しようとする。しかし、さすが気まぐれなロキと言うべきか、じつは変異体は主人公のロキだけではなく、ほかの時間軸の「ロキ」もまた時間の流れを混乱させていたことが判明する。主人公のロキは、そんな別の「ロキ」の暴走を止めるためにTVAを手助けするという条件で、抹消の運命から逃れることになるのだ。
性別を越えて姿を変えられるロキ。その性愛のあり方が示す現代性
意外なのは、もう一人の「ロキ」が、常時女性の姿をしていること。さらに驚かされるのは、そんな「ロキ」にロキが心を惹かれる展開が用意されている点である。自分に惹かれるという展開は、ロキのナルシスティックな性格を表していると言えばそれまでだが、一方で、視聴者に愛のあり方を深く考えさせるような面も持っていると言えるかもしれない。
恋愛において異性愛者は、性別の違いによる身体的な特徴を重視する場合が多い。いかに性格の相性がよく、尊敬できる人物であっても、それが同性であれば、恋愛関係を持つことを避けるだろう。同性愛者もまた、異性を恋愛対象にしないという意味では似ている。
だが、どのような姿にも自身を変えることができるロキにしてみれば、そのような身体的な違いに縛られることはない。何にでも変身ができるロキは、何にでも変身できるもう一人の「ロキ」の身体的な特徴にこだわっても意味がないことを理解しているはずだからだ。その点でロキは、性別にこだわらないパンセクシャル(全性愛者)と言えるし、他人に恋愛感情を抱いていないという意味では無性愛者とも言えるだろう。そのような性的指向を持つキャラクターを主人公としたのは、マーベル・スタジオ関連作品では初であり、娯楽大作においても画期的なことだ。
本作の監督ケイト・ヘロンは、性についての若者の悩みを解決するNetflixドラマ『セックス・エデュケーション』を手がけるドラマのつくり手だ。彼女がSNSで、ロキの性的指向について、「重要な挑戦」だったと自ら述べているように、本作は北欧神話から飛び出たロキの設定を利用することで、性的な偏見や違いを超越した、現代的な存在として描く。そして、性愛の多様さをこれまでにない方法で表現しているのではないか。
北欧の国々は、LGBTの幸福度や友好度の調査で、必ず上位にランキングされる、世界のなかで先進的とされる地域だ。もちろん直接的な北欧神話の影響があるわけではないだろうが、『ロキ』という作品を通じて、遠い過去に記された神話の世界と、現代の多様性への想いが間接的につながったという事象は、興味深いことだ。いずれにせよ、本シリーズが従来のドラマの枠からはみ出し、新しい世界のあり方を提案する一つの試みになっているのは、紛れもなく確かなことである。
- 作品情報
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- 『ロキ』
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ディズニープラスで独占配信中
監督:ケイト・ヘロン
出演:トム・ヒドルストン