世界経済フォーラムが毎年発表している「ジェンダーギャップ指数」で12年連続1位を記録しているアイスランド。つまり、世界でもっとも男女平等な国の首都・レイキャビクに、1942年に設立された「主婦の学校」がある。かつて、教育の機会に恵まれない女性が「よき主婦」になるため、家事一般を学ぶ「主婦の学校」は世界中にあったが、いまでは時代遅れなものとして姿を消した。
そんななか、レイキャビクの「主婦の学校」は「家政学校」と名前を変え、1997年から男女共学で運営されてきた。アイスランド全土から集まった生徒たちは学校に3か月間通い、自立して生きるために役立つ知恵や技術を学ぶという。そこでは一体どんな授業が行なわれているのか。
学校に興味を持った監督、ステファニア・トルスが、入学した生徒たちの様子を追いかけたドキュメンタリー映画が『〈主婦〉の学校』だ。これまで仕事と家事を両立させてきたトルス監督は、取材を通じて家事に対する考え方が大きく変わったという。家事を学ぶというのはどういうことなのか。監督に話を訊いた。
「女性が学校に通って料理や掃除を学ぶなんて時代錯誤だと思った」
―監督は学校の存在を知ったとき、「時代遅れなのでは?」と思われたそうですね。女性の就業率が上がったいまの時代に「主婦の学校」という名前を聞くと、監督と同じように感じる人も多いと思うのですが、監督はリサーチをしていくなかで学校に対する印象が変わったとか。どういうところに興味を持たれたのでしょうか。
トルス:以前、私は学校が建っている通りに住んでいました。そこはレイキャビクの真ん中にあって、交通量の多い、騒がしい場所なのですが、学校は古風な美しさがあって、そこだけ時が止まったような雰囲気が漂っていたんです。はじめは何の建物かわからなくて、気になって調べたら「主婦の学校」でした。
女性が学校に通い、料理や掃除を学ぶなんて時代錯誤だと思ったのですが、調べてみると生徒たちがじつに多くのことを学んでいることがわかりました。特に興味を惹かれたのは、編み物や刺繍、機織りなど、アイスランドの伝統的な文化を学んでいたことです。学校は若い人たちが伝統文化を学べる場所でもあり、この学校を通じて次の世代に伝統が受け継がれていることがとても素晴らしいと思ったんです。
―家の仕事を学ぶ、ということは、伝統文化を学ぶことでもあるわけですね。
トルス:例えば作中で現在の生徒がドーナツをつくっている場面がありますが、あれは昔ながらのお菓子で、私は子どもの頃に祖母からつくり方を教わっていました。でも、いまの在学生のような18歳の若い子たちにとってドーナツは、自分でつくるものではなく、「お店で買うもの」だったと思います。
―アイスランドでは、若い人たちが伝統的なことを学べる機会は少なくなっているんでしょうか?
トルス:一般の学校の家庭科では少し学ぶことができます。編み物や料理なんかを。
―「主婦の学校」が1997年から男子生徒の受け入れを始め、共学になっているのも興味深かったです。日本では家庭科が女子のみ必修だった時代もありますが、現在は高校において男女必修となっています。アイスランドでは一般の学校でも男子生徒は編み物や料理を学んでいるのでしょうか。
トルス:そうです。女子生徒は木工も学びます。男女が若いときからジェンダーに関係なく、同じことを学ぶのは重要なことだと思います。(Zoomでこちらの部屋の様子を見て)あなたの後ろにピンクのぬいぐるみがあるでしょう? とても可愛いですが、女の子だからピンク、男の子だからブルー、というふうに色分けするのもよくないと思うんです。あなたみたいに、男性がピンクのぬいぐるみを持っていてもおかしくないですから。
―確かに。男性の卒業生の一人である、アイスランドの環境大臣は「自分の面倒は自分で見たかった」と、学校で料理や裁縫を学ぼうと思った理由を語っていましたが、アイスランドでは男性がこうした家政学校に通って家事を学ぶのは特に珍しいことではないのでしょうか?
トルス:普通のことだと思います。家庭においても、男性も女性も平等に家事をこなしています。男性が床掃除や皿洗いをするのは自然なこと。私も家の掃除を怠けたいときは、夫にお願いすることもあります。そういうふうに夫婦で家事をするのが普通なんです。
家事は家族で分担するのが「普通のこと」。女性運動の転換点となった1970年代のストライキ
―男女で家事を分け合う、という習慣はアイスランドの伝統なのでしょうか? それとも、意識して変えてきたことなのですか。
トルス:1975年に女性たちによるストライキがあって、その影響は大きいと思います。その日、女性たちは家の仕事をせず、街に集結して女性の権利や男女平等を求めました。その後、女性が政治に関わるようになってからは、女性が家庭の外で仕事ができる環境がつくられていったんです。ストを決行した日はいまも祝われていて、その日は1日、女性は仕事を休んで街に繰り出します。
―アイスランドでは1980年に民選では世界初となる女性の大統領が誕生。女性の国会議員比率が高いことでも注目されていますが、1970年代から始まった運動が身を結んだわけですね。
トルス:ただ、私の亡くなった祖母は、男性と同じような権利を求めた段階で、女性は自分たちの力を失ってしまったと考えていました。
かつては女性が家のすべてを掌握していました。子どもたちのこと、さらには夫のこともコントロールできていた。男性たちが社会の中心になっていたとしても、家庭では女性が采配を振るっていたのです。でも、女性が働きに出ることで家庭をコントロールできなくなった。それが女性の力を失うことになってしまう、というのが祖母の考え方だったんです。
―なるほど。主婦は家事をこなすことで、家庭に影響力を持っていたわけですね。
トルス:もちろん、無理やり家に縛りつけられていた女性もいただろうし、女性が仕事をする機会や男女平等は求めるべきです。でも、祖母の考えにも一理あると思っています。
祖母には子どもが5人いたのですが、祖母は家のことを完全に掌握していて、家計の支えは祖父が稼いでくるという家庭でした。それでバランスが取れていたのです。ただ、いまの社会で5人も子どもがいたら、夫の稼ぎだけでは生活できないので女性も働きに出なければいけないでしょうね。
―子どものいる人が仕事と家事を両立するのは大変だと思いますが、パートナーと家事が分業されているのであれば助かりますね。
トルス:我が家の場合、夫が料理好きで洗濯が苦手なんです。なので、私が洗濯をして夫が料理をすることが多い。夫には娘が2人、私には息子が1人いて、一緒に暮らして10年になりますが、食事をしたあとは夫の娘たちが後片づけをするなど、家族で家事を分担しています。特に役割を決めてそうしたのではなく、自然にそうなったのです。
―とてもいいバランスですね。国際的にみて日本は子どものいる家庭における男性の家事分担率が低く、うまく家事の分担ができていないのが現状です。
トルス:私たちにとっては、男性も女性と同じくらい家事をするのが普通のことなので、日本でそうじゃないのが不思議なくらいです。
「家族や仲間と一緒に何かをすることの大切さ。それが学校の教えの核にある」
―学校に話を戻すと、家事の基本的なことだけでなく、破れた衣服の修理といったサステナブルな生活についての学びや、ベリー摘みなどの野外学習も行なわれていますね。映画に登場する在学生の入学動機は「手仕事に興味がある」「将来役立つ技術を身につけたい」とさまざまでしたが、監督が特に興味を惹かれたカリキュラムはありました?
トルス:クリスマスの時期に葉っぱ型のパン(「リーフブレッド / ルイヴァブルイズ」と呼ばれるアイスランドの伝統的なクリスマスの食べ物)を調理する授業です。そのパンは私にとってノスタルジックで、感情を強く揺り動かすものでした。
子どもの頃、クリスマスの時期になると、祖母の家に子どもから大人までみんなが集まりました。母がパンの生地を平たく薄くして、子どもたちがそれを型抜きして揚げていく。家族みんなでクリスマスのパンを調理するのは重要な伝統なのですが、最近では忘れられていました。学校の授業を通じて、このパンのことを思い出したんです。それで去年からクリスマスの時期に母の家にみんなで集まって、昔のように一緒にパンをつくるようになりました。
―どこの国でも、そうした伝統的な家庭行事は失われているのかもしれませんね。
トルス:家族がひとつに集まって、一緒に何かをするというのは素敵なことだと思います。学校の生徒たちも、キャンドルライトの明かりに照らされながらパンを調理するのを楽しんでいました。
―この学校は家事の知識を伝えるだけではなく、家庭のあり方を考えさせられる場所でもあるんですね。
トルス:その通りだと思います。家族や仲間と一緒に何かをすることの大切さ。それが学校の教えの核にあると思います。この学校では性別に限らず生涯の友情が育まれますが、それも重要だと思います。
―映画を観ていると学校の家庭的な雰囲気が伝わってきます。
トルス:授業を通じて生徒も教師もひとつの家族になるような感じです。特に生徒の多くは、在学中の3か月間、寮で共同生活を送ります。夜も仲間と話をして、ずっと一緒にいるので親密な関係になるんです。
―映画では卒業生が当時の学校の様子を振り返っていましたが、昔といまと生徒の様子や授業に対する向き合い方に変化を感じましたか?
トルス:昔は学校で学んだ知識を利用して、ハウスキーパーの仕事に就いた女性も多かったようです。彼女たちは主婦の仕事を学ぶというよりも、自分自身の教育のためにこの学校を選びました。
1980年代や1990年代には生徒数が減ったそうですが、それは女性の権利運動が高まり、女性が社会進出するようになったことで、私が最初に抱いたような古いイメージを持たれてしまったのかもしれません。でも、最近は入学生がまた増えているので、家事に対する意識が変わってきているとも考えられますね。
とにかく時間が早く過ぎていく現代に、家での過ごし方や働き方を見つめ直す
―監督ご自身はこの映画を通じて家事に対する意識は変わりました?
トルス:大きく変わりました。仕事を辞めて主婦に専念したいです。
―えっ、専業主婦に?
トルス:いえ、まだ仕事は続けるつもりです(笑)。でも、仕事のやり方について考えさせられました。いまの時代はとにかく時間が早く過ぎてしまう。学校への取材を通じて、自分らしくいられる時間、自分が心から楽しいと思える時間をつくることの大切さを知りました。学校の生徒たちは、そういったことも学んでいると思います。
―家の時間、自分の時間をどう過ごすか。それは働き方を考えるうえで重要なことですね。働いていると、どうしても仕事が最優先になってしまいがちですし。
トルス:最近では、そんなに仕事をガツガツしなくてもいいんじゃないか、来た仕事を全部受けなくてもいいんじゃないかと思うようになりました。家でリラックスしたり、何かクリエイティブなことをする時間をもっとつくったほうがいいんじゃないかって。いまは週のうち4日は外で働き、3日は主婦として働く、というのが自分にとって理想的な働き方だということがわかってきたんです。
―会社勤めだと自分のペースで働くのは難しいかもしれませんが、家族で助け合うことでそれぞれの負担は軽くなる。「主婦の学校」は家事だけでなく、人生を豊かにするための考え方も学べる場所なんですね。
トルス:家事は女性だけの仕事ではありません。女性が仕事をして男性が「主夫」をしている家もあります。女性が社会進出するようになったなかで、「主婦」という言葉はネガティブに捉えられることもありますが、本当はとてもポジティブなものなのです。
- 作品情報
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- 『〈主婦〉の学校』
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2021年10月16日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・脚本:ステファニア・トルス
出演:
アゥスロイグ・クリスティヤンドッティル
グナ・フォスベルグ
ラグナル・キャルタンソン
グズムンドゥル・インギ・グズブランドソン
上映時間:78分
配給:kinologue
- プロフィール
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- ステファニア・トルス
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アイスランド・レイキャビク出身の映像作家。プラハで演劇を学び、舞台芸術アカデミーで修士号を取得。在学中に編集助手を務め、2007年に初の長編映画『The Quiet Storm』の編集を担当。その後、アイスランドに戻り、映画編集者として活躍している。本作がドキュメンタリー監督デビュー作。