幸福で悪いことなどない。戸田真琴が解きほぐす嫉妬と憎悪の関係

「幸せそうに見える」から、スカートを履くのをやめた

ふと、電車に乗って出かけようとメイクをしているとき、あることを思い出して手を止めました。そして、カラコンと眼鏡を見比べて、メガネのほうを選びました。頬にチークを塗るのもやめ、ひらひらしたスカートではなくジーンズを履いて家を出ました。黒目が大きく見えて可愛らしい印象を与えるカラコンも、血色がよく華やかな印象になるチークも、これを選ぶと「幸せそう」に見えるということが頭のなかにちらついたからでした。

戸田真琴(とだ まこと)
2016年より活動開始。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラムなどを執筆し、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018を受賞。愛称はまこりん。著書に『あなたの孤独は美しい』『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』。2021年より、少女写真家の飯田エリカと共にグラビア写真を再定義するプロジェクト「I‘m a Lover, not a Fighter.」をスタート。ディレクション・衣装スタイリング・コピーライティング等を務める。

そんなふうに、私たちは日々さまざまなきっかけで、自分たちが綱渡りの日常を生きていることを思い出します。いつ、どんな因縁で誰に憎しみを向けられるか、完全に予想することも防ぐこともできないのだということ、そしてそれは時に、ただ幸福に生きていることや特定の性別であることなど、自身にまったく非がない場合もあるのだということを。

小中学校で巻き起こるいじめや暴力が理不尽に誰かに降り注いでいたあの頃のように、この世には防ぎようのない暴力というものがあります。そして、それらが生み出される仕組みは、社会の提示する価値観と個人的な負の感情が複雑に絡み合い、簡単には浄化できない段階に至っている、とも感じます。

今回は、立場の違う人間に対する憎悪――例えば、嫉妬から生まれる暴力やそれを牽引する社会の構造について、一緒に考えていけたらと思います。

自分とは違う世界の住人だから。共感できない人への攻撃的な感情を紐解く

世の中では日々、理不尽な事件やトラブルが巻き起こっています。特に私は女性としてこの社会で生きているので、性属性が理由で起こる出来事に対していっそう心理的ダメージを負う傾向にあります。女性憎悪によるトラブルというのは、全国で報道される事件から、まわりの知り合いたちに襲いかかる仕事上のトラブル、また、SNSやインターネット上での誹謗中傷や攻撃など、大小さまざまなかたちで後を絶ちません。

その事件やトラブルが起きる理由を探しても、なかなか腑に落ちる答えは見つかりません。また、理由として語られるものは多々あれど、それらは多くの場合「理不尽」の範囲を出ません。「幸せそうに見えること」が逆恨みの理由になる場合もあれば、「不幸せそう」であったり、見下してもよい存在だと思われることで加害していいと判断された場合もあります。たとえばショップやレストランの店員だから、性産業に従事しているからなどの理由で判断されることもある。嫉妬の感情による加害と、見下しの感情による加害は、相反するようでじつは同じ構造から起こっているものだと私は思います。嫉妬と見下し、あるいは侮蔑と崇拝ですらも、オセロの駒のように同じひとつの理由――「自分とは別の世界 / ランクにいる存在」だから人間として尊重しなくていい、という心理があるように思えるのです。

スプラッターものの映画を臆せず観る人は、「フィクションだと割り切っているからエンタメとして受け止められる」という感覚を持っていることも多いです。また、芸能人の不祥事に対して我を失ったように誹謗中傷をする人も、「テレビのなかの人」は自分たちと同じ横並びの同種族だとは思っていないからこその行動かもしれません。とても恐ろしいのですが、人は、共感するポイントがないもの / 少ないものに対して、ときに、その人に起こる苦痛や痛みを想像できなくなることがあります。

男性が女性に暴力をふるって加害したニュースが流れるとき、しばしば、実際に傷つけられた被害者に心を寄せるよりも先んじて、加害者の社会的背景などを慮って同情しようとする意見がSNS上に散見されます。同情する人の多くは加害者と同じ性別で、共感できない被害者の痛みや恐怖よりも、共感するポイントのある加害者の負の感情のほうが人間味をふくめて解釈できるという人たちが一定層いるのだと思います。

また、何かよくないことが起こったとき、そこに対する単なる道徳的な正しい / 正しくないの判断と、個人的な感情からくる怒りや憐憫や同情心を分けて考えられない人というのもまた多いように感じます。それは単に男性が、女性が、という問題ではなく、自分の善悪の判断基準を因数分解できていない人が社会全体においてとてもたくさんいるように見えます。

さて、こういった共感できない属性(今回は、男性から見た女性のパターンを主に扱います)への見下し / 嫉妬と、それを理由にした加害という悲劇のプロセスは、一体何によって生み出されたものなのでしょうか。この思考に至る種はかなり深い無意識まで埋め込まれていて、一時的な感情に流されず慎重に掘り進めないと、それが「歪み」であることに気づくことさえ難しいように思います。これまで気づかずにすんでいたはずの歪みを、自らも持っていることにあえて気づきにいくことは、とても面倒で、居心地の悪いことかもしれません。

しかし、それは自分の人間としての本当の意味でのまともさを担保していく、ごく基礎的な自己反省の儀式だったりもします。人は、皆当たり前のように間違っていたり、社会が発信するメッセージによって「間違わされている」ものです。そして、それを省みたり、あるいは失敗から学び自らにとってよりよい方角へ進んでいこうと努力できることも人間の強みです。

人は幸せそうであって悪いことなんて、何ひとつないのに

本来フラットに見るべきものを、「女性のせい」にして自己を正当化することで加害が進んでいく。あなたもそういう光景を、よくよく考えたら見たことがあるかと思います。自分が不幸なのは女性たちが自分を選ばないからだ、という考え方に捉われている男性や、性的加害を「向こうが誘っていた」と捉えて正当化する加害者もいます。夜道でスカートを履いて歩いていることは犯罪ではなく、そうしている人に加害することが犯罪だとくっきりと法律で決まっているように、冷静に考えるとわかりきっていることでさえ、認知の歪みによって正しく受け取れない人もいます。

それは、インセル(自身の容姿や社会的立場をコンプレックスに思い、女性にモテないことに深く傷ついている男性を指す言葉)に限らず、一見数多くの女性と関係を持っているような、いわゆる「モテる」とされる男性にも多く見られ、そういう人たちはしばしば男性同士のコミュニティーのなかで、いかに女性と関係を持ってきたかを自慢話として競い合ったりします。モテない男性が女性をある種神聖化して、自身を救済してくれと強請ることも、モテる男性が女性をモノ化して自身の力を示すのに利用することも、どちらも本質は「自分自身の『男らしさ』の実現」に女性という属性の人々を使っていることには変わりありません。

そしてそれらは、もっとスケールを大きくしていくと、資本主義社会の構造において、そのほうが都合がいいからゆえに保たれている歪みだということがわかります。男性同士が男らしさを競い合い、「マッチョイズム」を中心に競争し、そこから脱落するものたちには落伍者の烙印を押して、大きな財産や権力を力のあるわずかな人たちで独占し、女性たちには男性たちのケア係をさせる。そういう構造を人類に押しつけることで、経済は大きくなってきました。それは、この資本主義社会を生きる我々がきちんと自覚的になり、真剣に向き合わない限りは、自然に解けることはない巨大な鎖のようなものに思います。

誰かの尊厳を踏みつけにしたり、本来比べようのないものを競わせることの違和に対して疎い人のほうが、生きやすかったり得をしやすいようにこの社会はなっている、という見方も確かにあり、そういったことに多くの人が無自覚であること自体が、これらの認知の歪みをより強固なものにしてしまっているのです。

「幸せに見える」ことが加害の理由として挙げられているなか、私は思うのです。そもそも、この社会で「女性向け」に発信されている情報に、「幸福そうであれ」というメッセージを含んでいるものがとても多いということを。女性、というものをそもそも「癒し」「安心」「幸福」を与える存在であってほしい、と内心願っている男性がたくさんいることも、これまで生きてきてよく知っています。

SNSでは幸せそうできらびやかな投稿が日々絶えません。それは何も異性に対するアピールとしてだけではなく、同性に好かれたり憧れられるためにも効果的だったりします。それ自体は何ひとつ悪いことではありません。本来、人が幸福でいて悪いことなど、どこにもあるはずがないのです。

自己防衛本能は、無意識に思考にひそむもの

ただ、私たち女性はここまで生きてきたなかで、わかってしまっています。これらの幸せアピールには、自己防衛の意味も隠されているということを。例えば女性が不幸そうに見えるとき――パートナーがいないことや、美容やファッションに気を使っていないこと(多くは男性目線での小綺麗さのことを指し、個性的すぎるファッションについては「女を捨てている」と取られて嘲笑の対象になったりもする)、不美人と思われることなどで、嘲笑されたりネタ枠のように扱われて傷ついた経験がある、あるいは誰かがそのように扱われている光景を見たことがある人もいるでしょう。馬鹿にされて傷つけられないためにも、女性たちは「嘲笑われる隙」をつくらないように努めざるをえない、という状況があります。

「私は女性に生まれて、それが幸福で、人生が充実しています。私はかわいそうな人ではありません」という態度を全身で表すことは、ときに不幸を寄せつけないための盾のようなものとしても機能してきたのだと思います。また、男性たちのなかにも、自分が恵まれているということを発信することで、自分自身の立場やプライドを守っている人もいると思います。大事なのは、人には自己防衛本能があり、それは無自覚に当人の意思に潜り込み、防御だという自覚なく思考に組み込まれているということを理解しておくことです。人が外部にアピールする見え方は、単なる本人の意思を超え、一概には言えないさまざまなメッセージが絡み合っています。

あなたの憎悪を飼い慣らすことができるのは、世界で唯一あなただけ

このように、たくさんの要因があり、女性は世の中から「幸せそうに見える」メイクやファッションを推奨されてきました。リアルな女性の実情を想像することのないまま、メディアのつくったイメージで「女性」という生き物を推測する人にとっては、「女は(自分より)幸せそう」「女として生きるのは楽そう」「……自分は不幸なのに(見下しているはずの)女のほうが幸せなんて許せない」といった思考に陥っていく人が少なからず存在するということも、想像することができます。

他人の人生をそのまま体験することはできません。ましてや、勝手な憶測で推し量った他人の幸福度を自分のものと比べて断罪しようとすることなど、言語道断です。それは、SNSで幸福さを比べ合ったとしても、表面からは他人の幸福さの真の数値など見えないのだから、まったく意味を為さないことと同じように、答えのない、とても不毛な行為です。そして、そういう不毛さから生み出される理不尽な憎悪は、何も大きな事件やトラブルが起こる場合に限らず、とても身近なところでも日々生まれては消えています。親しみを持たない相手に対して、「あんなやつ不幸になればいい」と望むことが人間にとって決して珍しいことではないように、自分のなかにも他人を加害するに至る感情の種があるということを忘れてはいけません。それは同時に、自分がいつ被害者になるかわからない、という当事者性の裏返しでもあります。

今回は、「幸せそうに見えること」に対する憎悪感情について、加害にいたる要因を考えてきましたが、そもそもの最重要事項としてお伝えしておきたいのは、いかなる場合でも理不尽に他人を加害することが許されてはならないということです。例えば幸福そうに見えて実情が幸福じゃなくても、本当に幸福であったとしても、どちらであっても加害の劣悪さに違いはありません。人権というのは、個人の境遇や属性、能力にかかわらず、当たり前にその人の権利が守られるためにあります。恵まれて幸福に満ちた生き方をしていることが、誰かに何かを奪われる理由になってはならないし、さまざまなことに恵まれずつらい日々を送っていたとしてもまた何かを奪われていい理由にはなりません。

少しでも多くの人が、自分自身のなかにもある憎悪の感情について、冷静に見つめ、捉え直し、何かを他人から奪おうとする前に思いとどまって自浄に向かってくれることを祈ります。あなたの憎悪を飼い慣らすことができるのは、世界で唯一あなただけで、それは明日の世界をほんの少しましにするための大切な鍵のひとつであることは確かなことなのです。

連載:『戸田真琴と性を考える』
AV女優兼コラムニストの戸田真琴による、激変する現代の性について思いを綴るコラム連載。「セックス」「生理」「装い」など、さまざまな視点から性を見つめていく。

>これまでの連載一覧はこちらから
プロジェクト情報
『I’m a Lover, not a Fighter.』

AV女優 / 文筆家として活動する戸田真琴と、盟友である“少女写真家”飯田エリカによる、「グラビア」を見つめ直すプロジェクト。

配信情報
『Podcast 戸田真琴と飯田エリカの保健室』

毎週月曜日20時に、Apple Podcast、Spotify他で配信中。

書籍情報
『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』

2020年3月23日(月)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:KADOKAWA

『あなたの孤独は美しい』

2019年12月12日(木)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:竹書房

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年より活動開始。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラムなどを執筆し、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018を受賞。愛称はまこりん。著書に『あなたの孤独は美しい』『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』。2021年より、少女写真家の飯田エリカと共にグラビア写真を再定義するプロジェクト「I‘m a Lover, not a Fighter.」をスタート。ディレクション・衣装スタイリング・コピーライティング等を務める。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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