手話という表現の世界。NHK手話ニュース那須英彰が語る

たまたま流れていた『NHK手話ニュース845』を見ていて衝撃を受けた。字幕を読んでいないのに、画面に引き込まれる。

その日手話を担当していたのは、2歳の頃に全ろうとなったものの、幼い頃から映画と演劇に興味を持ち、現在も手話を自身の第一言語としてだけでなく、手話を用いた舞台や映画への出演など表現活動も行なう那須英彰。口から言葉を発する以上に、顔が、手が、物語る。

存在は知っているのに、実は「聞こえる」私たち(=聴者)が全く知らない手話の世界について、実際に表現をしてもらいながら教えていただいた。

手話という自由な言語表現。意味や表現は、その人によって異なるもの

那須英彰(なす ひであき)
1967年3月、山形県生まれ。2歳の時に両全ろうとなる。幼い頃から映画と演劇に興味を持ち、大学時代に青森の劇団、後に日本ろう者劇団で計15年間、舞台出演。1995年NHK手話ニュースキャスターに抜擢され、NHK Eテレ「手話ニュース845」の毎週金曜日夜8時45分~9時に出演中。著書に『手話が愛の扉をひらいた』『出会いの扉にありがとう』(写真エッセイ)がある。2006年、カナダのトロント国際ろう映画祭2006で大賞・長編部門最優秀賞受賞した『迂路』という映画に主演。現在、講演、1人芝居活動中。

―那須さんの手話を拝見して、顔の表情がすごく豊かだなという印象を受けました。「手話」というと、手だけでなく表情も用いて伝えるのでしょうか?

那須:そうですね。もっと言えば、顔だけでコミュニケーションを取ることもできますよ。たとえば満員電車に乗っていて、しかも荷物で両手が塞がっている場合には、「次の駅で降りる」という意思表示を目や口の動きで表現します。

―目や口の動きですか?

那須:「行く」という動詞がありますよね。これを否定する場合には、「行かない」とか「行く必要がない」みたいに2つ3つ単語を並べて表現することになりますが、ろう者の場合は「行く」という手話に加えて、顔の表情でYESかNOの意思を表現できます。つまり、顔の表情には手話の文法があるわけです。みなさんも首を横に振ったら否定のニュアンスが読み取れますよね。

表情も手話の一部

―確かに。手話には上手い下手というものはあるんですか?

那須:世の中には歌が上手い人と下手な人がいるじゃないですか。それは音程の取り方はもちろん、トーンだったり、表現だったり、いろんな要素が合わさって判断されるわけですが、それと同じように手話の世界でも「これはとてもまねできないな」ってこちらが思わされるような表現をする人がいるんです。

―手話は表現がルール化されていると思っていたのですが、想像以上に自由な世界が広がっているんですね。

那須:もちろん、普通に会話をするだけなら、そこまでの表現は求められないんですけどね。ただ、先天性のろう者、つまり私みたいに言語を獲得する前にろう者になった場合、第一言語として、日本語ではなく手話を覚えるので、日本語を第一言語として習得している難聴者や中途失聴者とは感覚が違うと思います。たとえば、これまで見た中でほとんどそうでしたが、手話コーラス(歌詞を手話で表現しながら行なう合唱)なんかは日本語がベースになっているので、曲を聞いたことがない私が見てもよくわからない部分があるんですよ。

―そもそも「ろう者の手話(=日本手話)」と「日本語をベースにした手話(=日本語対応手話)」は異なるということですよね。

那須:ある高齢のろう者が、日本語をベースにした手話ではなく、「日本手話」で“蛍の光”を演じているのを見たことがあるのですが、とても素敵で。それを「日本語対応手話」で表すとなんの感動もなく、せっかくの美しい曲が台無しになってしまうんです。

表現の例ですが、カップルでスキューバダイビングをしているとしますよね。海底を優雅に泳ぎ餌をついばむ魚、カニ、水面で揺れる光。そして海面に出ると、沈む夕日が辺り一面を照らし出す。夕日に消えていく海鳥に視線を向けた後、互いに見つめ合い口づけする。こういう情景描写は「日本手話」独自のものなので、日本語をベースにした手話ではおそらく表現できないと思うんです。

手で表現する「スキューバダイビング」の映像的情景描写。本文で語っている、スキューバダイビング中の魚、カニ、水面や夕日を表現している。(撮影:矢澤拓)

那須:日本語を読んで手話に変換するのは翻訳としての作業なので、プロじゃないとなかなかできません。それに、同じことを手話で表現するにしても、私と他のろう者では表現が異なります。だから、手話には話す人によってそれぞれの独特の表現があることを知ってほしいですね。

戦時中からつい最近まで、ろう学校で使用が禁止されていた手話。「聞こえる人」が知らない場所

―子どものころはどんな風に過ごされてきたんですか?

那須:私は2歳でろうになったので、物心がついた頃には手話で話していたんですよ。大人たちの手話を通じていろんな表現を学びました。それから小学校5年生くらいになると、友人たちと手話表現の上手さを競うようなこともしていましたね。ただ、私が通っていたろう学校では手話が禁止されていたので、授業中は先生の目を盗みながら机の下で手を動かして「昨日観た映画、すごく面白かったよ」なんて会話をしていました。

―ろう学校なのに手話を禁止されていたんですか?

那須:昭和8年に国がろう学校に、手話を禁止する訓示を出しました。学校を卒業したら一般社会に出るわけじゃないですか。だから、手話を使わないで意思疎通を取れるようにしろって言われていたんです。その方針に反いて学校で手話を使うと、手を叩かれたり、バケツを持って廊下に立たされたりしました。

那須:とはいえ、私のように生まれてすぐにろう者になった人間には唇の動きから言葉を推測することってすごく難しいんですよね。だから、隠れて手話を使っていました。ただ、帰りの電車やバスに先生たちが同乗していることがあったのですが、そのときは手話を使っても怒られなかったので、先生たちも上から指示されていたのかなと思います。

―今はその状況から変わってきているんですか?

那須:詳細はわからないのですが、今はだいぶ改善されていると思います。手話を認めているろう学校も増えてきているのではないでしょうか。

現在日本では、2011年8月に成立した「改正障害者基本法」により、「全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保される」と定められている。しかし、「可能な限り」とされているため、手話への理解はまだまだ浸透していない状況ではないだろうか。

バイリンガルろう教育の必要性。日本語に接しているから聞こえなくても理解できる、というものでもない

―「FIKA」は北欧の文化を発信しているメディアなのですが、スウェーデンは手話と書記言語のふたつを習得させる「バイリンガルろう教育」の先進国でもあるんですね。そういう教育の方がコミュニケーションは取りやすくなるのでしょうか。

那須:年配のろう者の中には、日本語を読むことも書くこともまともにできない人がけっこういます。だから、手話を第一言語として学びながら、日本語を書く練習をするのはすごく良いと思います。特に現在は、パソコンを使えれば日本語が喋れなくてもメールでやりとりできますから。

―第一言語が手話である日本のろう者にとっては、第二言語として日本語を勉強するのと英語を勉強するのは違うものですか?

那須:どうなんでしょう。私が通っていたろう学校では、アメリカ人の生徒と文通ができる取り組みがあったのですが、それが楽しくて熱心に取り組んでいました。でも英語の授業は全然面白くなくて(笑)。だから、家にあった英語で書かれたスポーツ雑誌やメジャーリーグの記事を読んで学びました。写真と文字を照らし合わせながら読んでいると、なんとなく頭に入ってくるんですよ。

憧れの気持ちから第二言語を習得した小学生時代。日本語を学ぶ気になったきっかけ

―自分が興味を持てるかが重要だということでしょうか。

那須:そうですね。もともと私は日本語の読み書きが苦手で、先生が何を喋っているのかわからなかったんですよ。その状況を変える出来事が小学5年生くらいのときにありました。バスの中で出会った女子高校生に女優の岡田奈々さんによく似た人がいて、中学部や高等部の先輩の間で憧れの的だったんですよ。しかもあるとき、乗っていたバスでたまたま居合わせて、窓を息で曇らせて筆談をしたんです。もうそれだけで中学部や高等部の先輩から羨ましがられる状況だったのですが、それがきっかけでその女子高校生と交換日記をすることになりました。

ただ、自分は日本語を書く文章が得意ではなかったので、最初は妹に訳してもらって、それを丸写しで日記に書いていたんですね。でも、妹と喧嘩をしたときにそのことを母親にバラされてしまって、いよいよ自分で日記を書かなければいけなくなってしまったんです。それで意を決して女子高校生にも事実を白状し、それからは本を読んだり、日本語の文章を女子高校生に添削してもらったりしながら日記を書くようになりました。そしたら、自然と国語の点数も伸びていって。そういうきっかけがあると強いですよね。

人・情景・時間を手話で描写する。那須英彰の表現の面白さ

―那須さんは1995年から現在に至るまで、約25年にわたり『NHK手話ニュース845』のニュースキャスターを務めていますが、普段のコミュニケーションとの違いはありますか?

那須:フォーマルな場なので、普段使っている手話とはやはり異なります。家族、友人、上司のように相手が異なれば、話し方も変わりますよね。それは手話も同じなんです。その時々の状況に適した表現を使うようにしています。ただ、ニュースキャスターの仕事はどちらかというと翻訳に近いかもしれません。もともとの日本語が難しく、しかも硬いので、わかりやすく伝えるためにはどうすればいいのかを常に考えています。

―先ほどの手話表現でいうと、那須さんの「らしさ」はどこで垣間見られるのでしょうか? 同じニュースを読むにしても那須さんと他の方では少し変わってくるということですよね。

那須:私は可能なかぎりリアルに伝えようと考えています。たとえば、今から10年前に東日本大震災がありました。そのときは、津波で家が傾いていく様子、波にさらわれていく様子、電柱が倒れていく様子、人が流されそうになっている様子。そういったものをスローモーションで伝えようとしました。

また、広島の原爆についての手話をした際には、人々が街を行き交う様子、母親がご飯を作っている様子、柱時計が鳴っている様子、その外では路面電車が走っている様子などを事細かに説明しつつ、アメリカ軍の戦闘機から爆弾が投下され、街が廃墟と化してキノコ雲が現れる様子、そして戦闘機が去っていく様子などを行ったり来たりしながら伝えていきます。そうやって人・情景・時間のすべてを表現するのが私の特徴なのかなと思います。

手で表現する「原爆が落ちた日」の映像的情景描写。本文で語っている、広島の情景を表現している(撮影:矢澤拓)

広島の原爆について、手話を使って表現する那須英彰

―実際に手話で表現していただきましたが、今にも情景として浮かんできそうです。

今回の取材では、「喜び」「怒り」「悲しみ」それぞれの感情について那須さんに文章を用意いただき、手話で表現していただいた。
食事を楽しむ様子や、コロナ禍において感じた事柄、手話を広めるための思いをそれぞれに語っている。私たちの使っている言葉ではなくても、それぞれの表現を通して伝わってくるものがあるのではないだろうか。

「喜び」についての手話表現

「怒り」についての手話表現

「悲しみ」についての手話表現

コミュニケーションが生きる活力。那須英彰のこれから

―今後の活動についてもお伺いしたいのですが、どのようなことをしていきたいと考えていますか?

那須:現在は手話ニュースキャスターの仕事に加えて、演劇や講演などもやっているのですが、引き続きそれぞれの活動を続けていきたいですね。

―講演ではどのようなことを話しているのでしょうか?

那須:その時々で変わります。聴者がお客さんの場合は、少しでも手話に興味を持ってくれるような話題が多いですね。ろう者のお客さんが多い場合はとにかく娯楽として受け取ってもらうことを大事にしています。

直近で秋田に行ったときは「高齢ろう者の魅力的な手話」をテーマに話しました。私が若かった頃に、60代から80代の手話を映像に収めていたことがあるのですが、それを流したら年配の方々がすごく懐かしがってくれました。言葉が進化していくのは手話も同じで、今はもう使われていないものもあるんですよ。

―聴者にもろう者にも、興味深いお話ですね。

那須:講演ではその場で笑ってもらって、日々の活力にしてほしいなと思っています。会場の人たちが笑ってくれると私自身も嬉しいですし。ろう者にとっての娯楽は、テレビや映画なども字幕があれば見ることはできますが、手話を見られるわけではありません。だから手話での演劇や講演はろう者にとって貴重な自分たちの言語が使われている娯楽の場なんです。

―那須さんにとって手話は娯楽でもあるのでしょうか?

那須:私にとって手話は言葉です。第一言語として使っていますので。言葉を使ってコミュニケーションを取ることで、私は生きている実感が湧いてくるんです。聴者、ろう者含めてさまざまな方とコミュニケーションをとるきっかけにもなる演劇や講演は生きているかぎり続けていきたいですね。それに第一言語としての手話に、娯楽や勉強、さらにはニュースで伝えるという要素が加わって今に至ります。手話は私自身が生きるために必要なものですね。

プロフィール
那須英彰 (なす ひであき)

1967年3月、山形県生まれ。2歳の時に両全ろうとなる。幼い頃から映画と演劇に興味を持ち、大学時代に青森の劇団、後に日本ろう者劇団で計15年間、舞台出演。1995年NHK手話ニュースキャスターに抜擢され、現在NHK Eテレ「手話ニュース845」の毎週金曜日夜8時45分~9時に出演中。著書に「手話が愛の扉をひらいた」、「出会いの扉にありがとう」(写真エッセイ)がある。2006年、カナダのトロント国際ろう映画祭2006で大賞・長編部門最優秀賞受賞した『迂路』という映画に主演。2009年、(財)全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画「ゆずり葉」に出演。現在、講演、1人芝居活動中。



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スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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