ダニエル・クレイグ『007』ミスター・ホワイトが表す、現代の悪

北欧は、味のある俳優たちを世に送り出してきた土地でもある。デンマーク出身の俳優、イェスパー・クリステンセンもそのひとりだ。『メランコリア』(2012年)や『僕とカミンスキーの旅』(2015年)などにも出演している彼が、ひときわ存在感を放ったのが、ダニエル・クレイグ主演『007』シリーズの「ミスター・ホワイト」役だろう。敵の犯罪組織の大物として、シリーズ4作のうち3作に登場し、作品全体のキーパーソンになっている。今回は、イェスパー・クリステンセンが演じたミスター・ホワイトに着目することで見えてくるダニエル・クレイグ版『007』シリーズを、映画ライター小野寺系に解説してもらった。

敵の組織をどう設定するか。ダニエル・クレイグ版『007』シリーズが直面した課題

「殺しのライセンス」を持つ、粋で凄腕の英国諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描いた映画『007』シリーズ。主演俳優が代替わりしながら、約60年前より24作も制作された、この人気スパイ映画は、映画史のなかでもほかに類を見ないほどの長寿シリーズになっている。

その最新作であると同時に、6代目ボンドを演じてきたダニエル・クレイグの最終作と見られる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、新型コロナウイルスの影響によって度重なる延期の末、米Amazonがシリーズの権利を所有する大手映画会社MGMを買収する協議がなされるなど、さまざまな憶測を呼びながらも、日本では今年中にようやく公開される見込みだ。

その新作を前に、これまでダニエル・クレイグが演じた「クレイグ・ボンド」シリーズをもう一度振り返る一環として、ここではボンドを追い詰めた敵役の1人、「ミスター・ホワイト」に注目してみたい。

ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンド
ダニエル・クレイグ版『007』シリーズ作品
『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年 / マーティン・キャンベル監督)
『007 慰めの報酬』(2008年 / マーク・フォスター監督)
『007 スカイフォール』(2012年 / サム・メンデス監督)
『007 スペクター』(2015年 / サム・メンデス監督)
※ミスター・ホワイトは、『007 スカイフォール』以外に登場する

「クレイグ・ボンド」シリーズは、『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年)からスタートした。『007 カジノ・ロワイヤル』は、作家イアン・フレミングの原作第1作『カジノ・ロワイヤル』(1953年)を基にしていて、ボンドが「007」のコードネームを得た瞬間から、謎の犯罪組織との戦いが本格的に開始されるまでを描く、『007』そのものの「リブート」としての意味を持つ作品だ。『007』シリーズは作品ごとに監督も異なり、その監督の特色が色濃く現れるが、本作では、先代の俳優・ピアース・ブロスナンがボンド役として初登場した『007 ゴールデンアイ』(1995年)でも監督を務めたマーティン・キャンベルが再登板し、またしてもシリーズに新しい風を吹かせることになった。

そもそも、ショーン・コネリーが初代ボンドを演じていた初期の映画シリーズでは、基本的に「スペクター」という架空の秘密組織と戦うことが多かった。一方、原作小説でボンドの強大な敵だったのは、ソ連の諜報機関「スメルシュ」であり、もともと「スペクター」はそれほど巨大な犯罪組織として登場していなかったが、さまざまな国で公開されるためにマーケティングを考えなければならない映画シリーズでは、特定の地域に縛られない、独立した犯罪組織としての存在は利用しやすいところがあったはずだ。よって、『007 カジノ・ロワイヤル』でも、この独立した犯罪組織がボンドの敵として設定されているのだ。

しかしシリーズの途中で原作側が組織の名称などの権利をめぐって訴訟を起こしたことで、映画シリーズは「スペクター」の使用を途中で断念してきた過去がある(シリーズ7作目、1971年『007 ダイヤモンドは永遠に』以降、「スペクター」の名称は使用されなかった)。『007 カジノ・ロワイヤル』の時点でも、この問題は継続したままだったので、「スペクター」という名称を登場させないまま、「クレイグ・ボンド」シリーズはボンドと犯罪組織の戦いを描き始めることとなったのだ。

そのときの社会を反映するシリーズで、ミスター・ホワイトが表したのは、「現代の悪」

シリーズではボンドのライバルたちとして、犯罪組織に所属するマッツ・ミケルセン(デンマーク出身の俳優)が演じる、血の涙を流すギャンブルの達人ル・シッフルや、マチュー・アマルリック演じる、軍事クーデターで金儲けをたくらむ企業人ドミニク・グリーンが登場。ボンドや、彼と恋愛関係となるボンドガールらを窮地に陥れた。この時点で、敵役が所属する犯罪組織の名称は「クァンタム」とされていた。その後、めでたく映画側は交渉によって「スペクター」の名称をついに使用できるようになり、「クレイグ・ボンド」第4作目『007 スペクター』(2015年)のなかで、「クァンタム」は「スペクター」の下部組織であったという設定をつけ加えることで、ストーリーのなかに「スペクター」をはめ込むこととなった。

そんな下部組織「クァンタム」の重要人物が、ミスター・ホワイトである。『007 カジノ・ロワイヤル』では、ル・シッフルを影から動かす黒幕として登場し、大物ぶりを見せつけるが、ラストシーンではボンドに強襲されることになる。その次の作品『007 慰めの報酬』(2008年)は、ミスター・ホワイトを捕らえたボンドが、敵の追撃を受ける場面からスタートする。さすが組織の大物だけあって、執拗かつ激しい抵抗が襲いかかる。結局、イギリス諜報機関の本部にまで入り込んだクァンタムの人間の手引きによって、せっかく手中に捕らえたと思ったホワイトは、またボンドの前から消えてしまう。シリーズを通し、暗中模索のなかで組織の秘密を追い続けるボンドという構図を、ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』にたとえるなら、ミスター・ホワイトは、アリスを不思議の世界に引き込み、追いかけられてもなかなか捕まらない「白うさぎ」のようだ。

イェスパー・クリステンセン演じるミスター・ホワイト

『007』シリーズは、時代とともに愛され、それぞれが当時の社会の様子を反映させている。そんなシリーズにおける、ミスター・ホワイトなる人物の存在というのは、一体どんな意味を持っていたのだろうか。

前述したように、原作でのボンドの強大な敵は、ソ連の諜報機関「スメルシュ」であり、小説のなかでル・シッフルを始末したのも「スメルシュ」だ。冷戦下におけるソ連を、冷酷な存在として小説は描いていた。ミスター・ホワイトは、その代わりとなる役割を映画のなかで引き受けている。それは、映画があくまで娯楽として制作されているからでもあるし、現代にとって人々を脅かす「敵」が、社会主義という思想から、悪辣な方法で国際的に利益を得ようとする企業や団体にシフトしたからでもあるだろう。その象徴とも言える犯罪組織を擬人化した存在が「ミスター・ホワイト」だったのではないだろうか。

ミスター・ホワイトとの関係から垣間見える、ボンドの人間としての姿

しかし、そんなホワイトですら、『007 スペクター』の途中で組織に見捨てられてしまう。それは、現代の悪が利益によってのみ動き、最低限の信義すら失っていることを示しているかのように見える。利用価値がなくなれば、代わりは誰でもよいのだ。組織は新たな「ミスター・ホワイト」を、そのポストに座らせればいい。なにもかも失ったホワイトは最後に、自分の娘を組織から救ってやってほしいとボンドに頼む。画一的な価値観や虚飾にまみれた鎧が剥ぎ取られると、冷酷だったミスター・ホワイトも、ただ娘を思うひとりの父親という側面が残されていただけだった。

左から:ミスター・ホワイト役のイェスパー・クリステンセンとサム・メンデス監督(『007 スペクター』撮影時の様子)

原作小説でも、悪役たちに同情する視点が存在する。ボンドは、自分を直接殺しにくるような敵よりも、その背後にある、より卑怯で周到な巨悪と戦うことを望む。だからこそジェームズ・ボンドは、イギリスの諜報機関に所属していたとしても、信じるものを持った「個人」であるし、読者が心を寄せられる「人間」なのだ。

『007 スペクター』において、ボンドはホワイトとの約束を律儀に守り、彼の娘マドレーヌ(レア・セドゥ)の命を救おうとする。それは、人間が人間と見なされなくなってきている世の中で、たとえプレイボーイではあったとしても、やはり彼が悪と対抗する資格のある主人公たり得るということを示しているのである。

左から:ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)とミスター・ホワイトの娘・マドレーヌ(レア・セドゥ)

公開が待たれる最新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドと、ホワイトの娘マドレーヌが再び登場する。果たしてボンドは、今回もホワイトの思いと、マーガレットを無事、ラストまで守りきることができるのだろうか。その是非によって、シリーズの意味合いも左右されることになるかもしれない。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』本予告

作品情報
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

2021年公開

監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、スコット・バーンズ、キャリー・ジョージ・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ
音楽:ダン・ローマー
主題歌:ビリー・アイリッシュ“No Time To Die”
出演:
ダニエル・クレイグ
ラミ・マレック
レア・セドゥ
ラッシャーナ・リンチ
アナ・デ・アルマス
ベン・ウィショー
ジェフリー・ライト
ナオミ・ハリス
レイフ・ファインズ
配給:東宝東和



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湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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