涙を生むメロドラマの力は今も残る 映画研究者・河野真理江が語る

涙を生むメロドラマの力は今も残る 映画研究者・河野真理江が語る

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松井友里
撮影:寺内暁 編集:久野剛士、CINRA.NET編集部

メロドラマ研究者から見た、近年の日本映画

―そのような盛り上がりがあった一方で、日本においてジャンルとしての「メロドラマ」の勢いはいったん収束していきます。

河野:大学で講義をすると、最近の学生のほとんどが、「メロドラマ」という言葉自体を知らないと言います。ある程度以上の年代の人はメロドラマという言葉は知っているけれど、そこで思い浮かべているのは昼メロや、山口百恵の「赤いシリーズ」(TBSが大映テレビと共同で1974年から1980年にかけて製作したドラマシリーズ)だと思うんです。でも、それよりも前に「メロドラマ」の黄金期が日本にはあって、「メロドラマ」と言えば、ある種の映画を指すことを誰もが理解できた時代があった。研究者はそのことを知っているにもかかわらず、フィルム・スタディーズにおけるメロドラマの概念と日本における固有のジャンルとしての「メロドラマ」の関係とをこれまできちんと整理してきませんでした。じゃあ、このダブルミーニングを解決しようじゃないかと。私がこの本で試みたことはそうしたことです。

―そのように現在の若い世代においてはほとんど死語になった。けれども「泣ける映画」のように、いまの映画のなかにもメロドラマ的な想像力が息づいている作品がありますね。そうした観点から、近年話題になった作品について、河野さんがどのようにご覧になられたかも伺っていきたいと思います。いくつか編集部からお題が出ているのですが、まず『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督 / 2021年)について。

河野:主役の2人の関係が表面的だと感じました。口に上るサブカルチャーの固有名詞が彼らを結びつけているけれど、具体的にどこがよかったという話はしなくて、タイトルだけを並べ連ねている。たとえば『モテキ』(大根仁 / 2011年)ではそうしたサブカルチャー作品について、主人公がどう思っているかがきちんと彼のモノローグで吐露されていましたよね。だから彼らがなんで結びついていたかというと、結局表面的な趣味でしかなかった。「そういうありふれた恋愛をみんなしてるんじゃない?」ということであるのなら、それに気づかず涙する観客を挑発するような映画なのかもしれないと思いました。

河野真理江

―あるカルチャーを好きだということによって結びついた二人であることが、恋愛初期の「特別な関係」という意識を強くしている一方で、描かれるのはありふれた恋愛の顛末で、そういう意味ではけっこうアイロニカルな映画なんですよね。

河野:あるいは、絹ちゃん(有村架純)が圧迫面接を受けていたということを、麦くん(菅田将暉)のモノローグで語っていて。彼は現場を見ていないのに、なぜ麦くんのモノローグで、彼女が圧迫面接を受けていたと言っていたのか。シナリオはあえてそうしているんでしょうけれど、その辺のすれ違いも気になりました。もしかしたら脚本家の坂元裕二は「泣ける映画」で涙を流す観客に対して、「アンチ・メロドラマ」に挑戦しているのかなとも思いましたね。一方で最近ですと『あのこは貴族』(岨手由貴子監督 / 2021年)はとても面白かったです。

―どんなふうにご覧になられましたか?

河野:冒頭でもお話したように、メロドラマは複雑な問題を、単純化した二項対立で描くことが特徴で、なかでも「階級」の問題が取り扱われやすいんです。これまで階級の問題というのは日本では『万引き家族』(是枝裕和監督 / 2018年)のように極端なかたちで描かれることが多かった。一方、『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督 / 2019年)は上流階級と下層階級の問題を扱いながらも「下には下がいる」ということを描き出していた。『あのこは貴族』はいわばこの逆バージョンで、「上には上がいる」という話ですよね。極端な貧困層と富裕層だけがいるのではなく、そのなかにも「不可視の階級」というものがじつはある。そうした階級の問題をあれだけ鋭くかつ清々しく描くのは、なかなかできることじゃないと思いました。

成瀬自身は「僕にはメロドラマは手に負えない」という趣旨の発言をしていますが、私は『あのこは貴族』を成瀬巳喜男の『女人哀愁』(1937年)の現代版だと思いました。たしかに「メロドラマ」という言葉は日本では死語になってしまったかもしれない。けれども、映画監督たちは過去の「メロドラマ」やフィルム・スタディーズにおけるメロドラマの概念についてよく研究しているので、岨手監督が『女人哀愁』を見ているかはわからないですが、それでもいまに至るまで脈々と引き継がれているものがあるんだと思います。

河野真理江

―清々しいというのがまさにそうですね。異なる環境に生まれ育った女性たちを描きながらも安易に対立させないし、お互いの世界を垣間見て気づきを得たりはするけれど、特別仲良くなったりもしない。

河野:相反する立場に置かれているものの、彼女たちはきちんと対話をするじゃないですか。そこが面白いですよね。それに地方の雰囲気をリアルに描くことをさらりとやってのけるのもなかなかの手腕だと思いました。都会では見かけなくなったヤンキー文化みたいなものの描き方も、くどくどしていなくてよかったです。

あと最近の「泣ける映画」と言えば『ミッドナイトスワン』(内田英治監督 / 2020年)がありますね。バレエのシーンがよかったですが、一果(服部樹咲)の友達の、途中でバレエを挫折してしまう少女(上野鈴華)が、一果と同じくらい魅力的に描かれているともっと面白くなったのではないかと思いました。

また、最後にトランスジェンダーの主人公、凪沙(草彅剛)が性別適合手術に失敗して亡くなったというちょっと非現実的なラストシーンがありましたけれど、彼女がなぜ死んでしまわなければならないのかわかりません。

―性的マイノリティーが、「悲劇」の題材として扱われがちな傾向がある点も気になります。

河野:かつてフィクションのなかで「女性」が負っていた「悲劇のヒロイン」という役割を、性的マイノリティーが担わされるようになってきているのだと思います。性的マイノリティーが登場する作品は、真摯に向き合おうとしているものと、そうしようとしながらも結局悲劇の主人公に仕立ててしまうパターンがありますね。そしてさらに『窮鼠はチーズの夢を見る』(行定勲監督 / 2020年)のように、「BL」という異なるジャンル・カテゴリーに属する作品も生まれています。

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書籍情報

『日本の〈メロドラマ〉映画 撮影所時代のジャンルと作品』
『日本の〈メロドラマ〉映画 撮影所時代のジャンルと作品』

発売日:2021年3月3日(水)
著書:河野真理江
価格:4,180円(税込)
出版:森話社

プロフィール

河野真理江(こうの まりえ)

1986年東京生まれ。映画研究。立教大学現代心理学研究科映像身体学専攻博士課程修了。博士号(映像身体学)取得。現在、立教大学兼任講師、青山学院大学、早稲田大学、東京都立大学、静岡文化芸術大学非常勤講師。近著に、「渋谷実の異常な女性映画──または彼は如何にして慣例に従うのを止めて『母と子』を撮ったか」(『渋谷実 巨匠にして異端』志村三代子、角尾宣信編、水声社、2020年)、論文に「「メロドラマ」映画前史──日本におけるメロドラマ概念の伝来、受容、固有化」(『映像学』第104号、2020年)などがある。

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