戸田真琴が肯定する「性」の自由 幸せなセックスのための考え方

私たちはこの世に生まれた瞬間、自分の意思とは無関係に、性別によって二分される。そして、教育や経験、さまざまな出会いを経て形成される「性」に対する価値観は知らぬ間に凝り固まっていき、「男性は男性らしく、女性は女性らしく」と性別を確固たるものへと変化させる。それが、これまでの日本のスタンダードだった。

しかし今、日本はついに性の革命期を迎えつつある。2017年の「#MeToo」ムーブメントを皮切りに、SNSでは日夜声が上がり、LGBTQへの理解を求め、従来の「男らしく」「女らしく」という考えに、疑問の嵐が吹き荒れている。北欧・スウェーデンのように「性の先進国」と呼ばれる国もあるなかで、一歩遅れをとってきた日本。今広がりつつある動きには、私たちも早くそこへ行きたい! と、叫びにも似た願望が隠れているように思える。

現役のAV女優である戸田真琴は、「男性は怖いもの」という価値観のもとで人生を歩み、19歳まで処女を守り抜いたのちに自身のデビュー作でそれを「失った」。「セックスを知り、性と向き合うことで楽になった」と言う彼女は、激変する現代の性のあり方を見て、なにを感じ、どう思うのか。戸田真琴とこれからの性を考えるコラム連載を、ここからスタートしたい。(fika編集部)

フェミニズム、痴漢問題、セクシュアリティ。あらゆる「性」を考えてみる

みなさん初めまして。夏へと向かってゆく季節の変わり目、気候の変化に身体が追いつかず調子を損ねてしまう方も多いことでしょう。そんなときに暇をつぶせるのがインターネットのいいところです。私も、気だるさのなか遠隔で作用するなまぬるい心のやりとりとして、偶然あなたに出会えやしないかと期待をしながらこの文章を打っています。

私の名前は戸田真琴といいます。職業はAV女優と、このように誰かに向けて手紙のように言葉を書くこと。

戸田真琴(とだ まこと)
2016年にSODクリエイトからAV女優デビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。

昨今スピード感の早いSNSでは、毎日誰かが炎上し、毎日誰かが誰かに暴言を吐く様子が公開処刑のように繰り広げられています。のんびりと平和に過ごすことがなにより大切な私としては、スマートフォンを開くだけで疲れてしまうこの現状があまり好みではありません。

しかし、日々ネット上で繰り返される議論のなかには、やはり当事者として無視はできないものーー生きていく上で、個人の幸福にあまりに深く関わるであろう議論ーーが混じっていることも確かです。

たとえば、フェミニズム。たとえば、痴漢問題。たとえば、一生のうちに子供を何人産むべきだ、ということに言及した政治家。たとえば、セクシュアリティ。たとえば、AVというコンテンツの持つ責任について。特に気になるものを並べてみると、それは自然と人間の「性」というものに深く関わっている議論のようでした。

AV女優であり、一人の女であり、一人の人間であり、いつか大切な誰かと家族という共同体をつくって生きてみたいと望む個人である私の目から、「性」について、SNS上の限られた文字数同士でのやりとりを超えて、もっとまっさらに広いキャンバスの上を歩き回ってしまうかのように、あなたと考えてみたいと思い、この連載を始めることにします。

SNSで吹き荒れる「性」についての嵐。いつか晴れるものでありますように

今、ぱっとSNS上の「性」に関する議論を覗いてみると、どの議題の上でも大きな雨雲が覆いかぶさるように、どこかままならない窮屈さを感じます。それはもちろん言葉だけによる議論に限界があるからという理由もありますが、もっと大きな意味で、今とても多くの人たちが、混乱のなかにいるからなのではないかと思います。

ネット上で男女差別や痴漢問題の告発が盛んに行われるほどに、「自分も本当は嫌な経験をしたことがあった」と気がつく人。犯行を行うに至っていなかったとしても、もしかしたら自分は犯人と近しい人間かもしれないという予感から、自分のあり方まで罪だと言われてしまったような気分になる人。今まで普通だと思っていた価値観が実は誰かを傷つけていたかもしれないと気がつき、焦ってしまう人。今まで無自覚だったぶんを取り戻そうと、エンジン全開で活動を始め、強すぎる言葉をネットに発してしまう人。

たくさんの人が、「今まで我慢してきたものが決壊する」あるいは「今まで普通だと信じていたものが普通じゃなくなる」という危機感に混乱しながら、それでもなにか言わなければ、と議論を交わしているようにも見えてしまうのです。

嵐の先には、晴れた空が広がっています。時代が変革しようとするときには、大なり小なり混乱は訪れるものです。今、「性」についての価値観を巡って巻き起こっているこの嵐が、本当に私たちが心から自分を誇って生きていけるような晴れの世界へとちゃんと繋がる嵐であるように祈りながら、この場所でお話をしていこうと思います。

女の子がエロいことを考えるのは、おかしいこと?

さて、もう一度自己紹介しますが、私は現役のAV女優です。初めてのAV出演を決めたときは、まだ性行為の経験がないいわゆる「処女」でした。私の家はなんというか少し変わった古風な価値観を持っていて、私は母に、過剰に男性を恐れるように、ましてやデートや交際などはしないようにと教えられていました。もともとロマンチストだったことも相まって、「結婚して子供を作りたいと思うような人としか絶対セックスはしないし、それ以前のお付き合いとかもしない!」という誓いを掲げて青春時代を過ごすことになりました。

色々あって、自分を潔癖に保つことよりも今の自分を壊して新しい自分になることのほうが優先だと思うようになったとき、思い切ってAVに出てしまおうと決めたわけですが、そういった生い立ちのなかで、一つ大きな疑問が残っているのです。今回はそのことについて少し、考えていきたいと思っています。

それは、「女の子がエロいことを考えるのって、おかしいの?」という疑問です。AVデビューしてから今まで何度も尋ねられてきた質問に、「処女を喪失して変わったことは?」というものや「どうしてAVで処女を捨てたの?」といったものが多くありました。初めはその言い回しをなんの疑問もなく受け入れていたのですが、同じくAVのなかで男性が初体験を終えることは「童貞卒業」というおめでたい言葉で表現されることが多いのに対して、処女でなくなることは「喪失」「捨てた」とまるでなにかを失ったようなネガティヴな言い回しをされるということに、だんだんと疑問を抱くようになりました。

私自身、世間一般の性的価値観のなかに「経験のない女性が好ましい」という類のものがあったからこそ、AVデビューする際に大事に扱ってもらえたり、注目してもらえたりしたという自覚があるので、そういった価値観に救われた側面も少なからずあります。でも、そもそもどうして女性は経験が少ない方が好ましく、男性は経験が多いことが立派だとされる風潮があるのか、納得しきれていないところもあります。

お母さんも学校の先生も、子供時代に目にする大人はみんな性について話すことや知ることをよくないこととしていました。思春期を迎えると、クラスの男の子はエロについて好奇心のままに話し合い始めるのに対し、女の子たちの間では少なくともエロに関することは話題にされないか、ごく内緒話のうちで交わされていたのだと思います。

いざエロについてオープンに話してみたい、と思っても、「下ネタOK」な女の子は自身も性欲が強くて誰でもウェルカム、という偏ったイメージで誤解されることもしばしば、まるであの日の教室でエッチな雑誌を回し読みしていた男子のように思うままに話をすることは、なかなか叶いません。

女性向けのAVも製作されるほどには、だんだんと女性の性欲が明るみになることについても寛容になってきた社会だとも思いますが、それらの内容は感情に重きを置いたソフトな表現が多く、男性向けのAVにあるような「どんなどぎつい性癖でもカバーします!」という頼もしい空気感を獲得するには、きっともう少し時間がかかるのだろうな、と思わざるを得ません。女の子が積極的にエロについて口にできることは、やはり「女性は性経験がなるべく少ないほうが好ましい」とされるこの社会では、困難なことなのでしょうか。

人とセックスの付き合い方において、絶対的に正しい価値観などというものはない

日本の性教育は、とても保守的です。最低限の生物学的な知識と性的な身体の変化に対する対処法をやんわりとグロテスクでない表現で伝え、さらにはその授業は男女別で行われます。親御さんが自分たちの子供に伝えるとしても、それには家庭間の教育差があり、私のように偏って「男はみんなオオカミです!」と教えられてしまう子供もいれば、親御さん自身が性に奔放で、その価値観のまま教えられる子供もいるでしょう。それは、性について正しい知識を得ることや考えを深めることが、多くの場合保証されていない、と捉えることもできます。

それにもかかわらず、セックスをめぐる事象が人生に大きな影響を及ぼすことはとても多いです。早いうちに妊娠中絶を経験してしまう子や、セックスで自己肯定感を得ることに依存してしまう子、望まない性行為を経験してしまう子、なかには私のように未経験がコンプレックスになってしまうこともあります。そういった「自分の理想」や「世の中の普通」から逸れてしまったとき、それでも自分を肯定するためには、どうしたらいいのでしょう。

本当は、人とセックスの付き合い方において、絶対的に正しい価値観などというものはないのだと思います。あるのは、関わる相手によって都度変わる「自分にとっての正しさ」と「他人にとっての正しさ」の境界線だけで、私たちはそれぞれ違う価値観を孕んでいる個々人として生きている限り、本当に向き合って追求することができるのは「自分にとっての正しさ」だけです。

運悪く、セックスを巡る価値観について、しっかりと考えを深めることが推奨されているとは言えない世の中を生きている私たちですが、やはり誰にも教えてもらえなかったものだからこそ、自分で自分のためのオリジナルの「正しさ」や「普通」を編み出してしまいさえすれば、いくぶんか生きやすくなるのではないかとも思うのです。

私専用の「正しさ」を見つけることで、もっと自由になれる

たとえば私なんか超平和です。お仕事として月に一度セックスをする機会はあるものの、それとプライベート……私の人生そのものに直接的に関わる時間は別のものとして考えていて、気持ちの伴うセックスについてはいまだに「家族になりたい人と行う、本来子供をなすための営み」という価値観をきちんと貫いています。

お仕事でのセックスは行為として楽しめるものの、本来の私の重た~いセックスに対する思い入れが本当の意味で反映されるのは、もっとプライベートな時間のなかでの出来事かもしれないな、と思っているのです。

これは端から見れば結構おかしな話で、AV女優をしている時点でビッチじゃん! と決めつけられることもあれば、セックスは全部セックスで、仕事もプライベートも関係ない。と捉える人もいるでしょう。なにが異常でなにが普通かはあまりに人によって違い、一般常識とたとえられるような、なんとなくの基準はあれど、その中身も細かく見ていくと人によってやっぱり微妙に異なったりするものです。

誰がなんと言おうと私は仕事で毎月セックスをするし、心はいまだに「結婚して子供を作りたいと思うような人としか絶対セックスはしないし、それ以前のお付き合いとかもしない!」と思っていたあの当時のまま生きているのです。とんちんかんに見えるかもしれませんが、これが自分で編み出してきた私専用のカスタム済みの「正しさ」で、本当は、正しさなんてものは人によってどこまでも自由であるべきなのです。

無数の選択肢から答えを見つけることで、心地よく生きていく

性について語ることは、長い間タブーとされてきました。誰にも教えを請うことができず、なにかがおかしいと感じても、そう気軽に相談もできなかった人も多いと思います。そういう事柄だからなおさら、古くからの価値観が根強く残っていたり、誰かが言っていた「普通」という言葉に振り回されたり、自分の価値観をうまく固めることができなかったりもします。皆、性について深く考えるということから、目を逸らさざるを得なかったのかもしれません。

それでも、どうすれば自分は本当に幸せに生きていくことができるのだろう? と考えるとき、その思案の道のりのなかでは「自分自身をよく知る」ことを避けては通れません。そして、自分自身のことを深く探ることは同時に「自分が自分以外として生きていたならどうしていただろう?」と考えることでもあります。自分を知ることは、自分以外の世界を知ろうとすることでもあるのです。

性について考えることもきっと同じで、決して割り切れない無数の答えを選ぶことができる世界で、どの答えが自分にとって本当に心地いいものか? と探っていくことが、一人ひとりにとっての「ほがらかな性のあり方」を肯定していくことなのかもしれません。

世の中には色々な価値観の人がいて、あなたの生きてきた価値観とはまるで擦り合わせることができないと思ってしまうような人にだって、たくさん出会うと思います。女の子がけらけら笑いながら下ネタを話すことも、男の子が誇りある童貞を守り抜くことも、なかなかままならない世の中だということは、願うばかりではそう一度にガラッと変わるものでは無いのかもしれません。

それでも、いつもなにかが変わるときというのは、遠目で見るとオセロがひっくり返るように一瞬の出来事に見えていても、その実ほんの少しずつの地道な変化が重なった結果だったりするものです。心はいつだって自由で、自分を自分にとっての心地よい「普通」で防備することも自由のもとに許されています。

きっと未来は、こんな風に生きていたい。という素直な願望を、社会の望んでいる正しさとはまた別のオルタナティブな正しさとして自分の世界に浮かべながら、風通しのいい革命ーーこの連載においては「性革命」ーーを続けていけたらいいのだろうな、と思っています。

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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