戸田真琴が母の姿と重ね思う「女の値札をはがされる日」の自由

2019年7月に始まった連載『戸田真琴と性を考える』も今回で10回目。生理、男らしさ / 女らしさ、装い、結婚など、昨年、すこしの休止期間をはさみながらもさまざまなテーマで文章を綴ってもらった。

今回は、10回目を記念して戸田真琴の盟友・飯田エリカが写真を撮り下ろし。さらに、連載の回数を重ねるたびに広く深く世界を広げてきた戸田と私たち読者だが、いま一度スタート地点――AV女優という職業でセックスを知り、性を見つめ続けてきた戸田が思うことーーに立ち返り、「性的消費」「『女』として見られること」をテーマにしたコラムをお届けする。

連載:『戸田真琴と性を考える』
AV女優兼コラムニストの戸田真琴による、激変する現代の性について思いを綴るコラム連載。「セックス」「生理」「装い」など、さまざまな視点から性を見つめていく。

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生理から解放された母親が言った「最高なのよ」

戸田真琴(とだ まこと)
2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。

母に生理が来なくなったときのことをよく覚えている。やたらと高いテンションで私に話しかけてきて、「そういえばね、ママもう血が出てこないみたいなの。体調がよくなって、いつでも温泉にいけるし、最高なのよ」とにこにこしながら言っていた。私はそれを聞いてすこしぎくっとした。そうなのではないかとうすうす気づいていたからだった。

いざそのときがきたら、どんな言葉をかけていいかわからなくなるのではないか。そう思っていた私の不安は母の晴れやかな表情に拭い去られ、目の前にいる、「自由」を顔にしたらこんなふうだろうな、と思わせられるような笑顔に、ただ静かに驚くしかなかった。

生理が、なくなる。子どもをつくる機能が失われる。望まない妊娠の心配がなくなる。毎月憂鬱で体調も悪くなる、あの期間が来なくなる。

子どもの頃はなかったものが、長い間当たり前にやってくるようになって、そしてまたいつか、なくなる。人の身体の持つ重要な役割のひとつとしてあるのが「生殖」で、女の場合、閉経によってそれが永遠に失われるときがいつか必ず来るのだった。

生理が終わる、という話とはまた別の話だけれど、「いつか、女として見られなくなる」ということについて最近はよく考えるようになった。「抜けなくなりました」や「中身を知ってしまうと友達のそういうシーンを見ているような気持ちになり、観られませんでした」などと、しなくてもいい報告が並ぶSNSのダイレクトメッセージ欄を見ながら、性的興奮のための条件がいかに繊細なバランスで成り立っているかということに思いを馳せる。

AV女優になって4年半が過ぎ、さらにはこうして毎月のように自分の考えなどを発信し続けているせいで、実際のところ、肉体よりもずっと、心を剥きだしにして見せ続けている感覚がある。それが「抜けなくなりました」のメッセージがくる理由に少なくとも関わっていると感じるのは、私が多分、女として「わきまえていない」自覚があるからだと思う。

ベテランの域に達してもセールスを上げ続けている女優さんは皆、どこかミステリアスな部分がある人ばかりだ、というのが私見だ。容姿はもちろん抜群に美しく、裸をさらけだしているはずなのに、どこか心の奥に見透かせない何かを持っているような、そういう人が性的にも魅力的であり続けることは女の私にもよくわかった。

いつか来る「終わり」を恐ろしいと思う日も、自由だと感じる日もある

アダルト業界という消費サイクルの恐ろしく速い業界で、いつかは誰からも「女」として見られなくなる日がくることは察してはいたけれど、思っていたよりも早く、そのときがもう間近に迫っているような、そんな予感がしている。それは悲観などではなく、ただの直感のようなものだ。

嵐のように激しい流れの中で、こんな頼りない、人を選びそうなへんな船で、よくぞ沈まずにここまで旅をしてきた、と自分を褒めてやりたい気持ちと、とにかく性的興奮をそそる女性が神、それができない女は笑いものになるしかない、といった極端なものさしの中で生きてきたことに冷静に気づかされることの怖さ、そして、あるあっけらかんとした気づきが私の胸に吹き込んできた。

私はいずれ、誰からも女として見られなくなる日が、来る。

学校でも、バイト先でも、職場でも、どこかで必ずといっていいほど浴びてきたあの視線が、どこからも差し向けられなくなる日が来る。思春期のはじめ、ささやかな恋のやりとりに、私は好きになってもらえるような人間だったんだ! と気づかされ、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになったこと。それがやがて性的欲求と深く結びつくことのある感情だと知り、それでも喜ぶべきことなのかもしれないという空気に従って喜び、無理にその要求を通されそうになるとこの世の終わりがきたような気持ちになり、やがてそう望まれることの辻褄を合わせようと仕事として選び……手を変え品を変えずっと付き合ってきたこの、「他者から性的対象として見られるという事実」から、私の人生が切断される日がいつか来る。

それは、私の女体としての身体をすべての人から見飽きられ、アイデンティティを邪魔に思われ、性的興味をそそられなくなるその瞬間のことを指している。世間ではとても恐ろしいものとされ、その瞬間の訪れを引き伸ばすことを、美容や健康が大声で謳っていることさえある(アンチエイジングはその目的には限らないが、「いつまでも女性として見られたい!」などというキャッチフレーズを目にすることも少なくはない)。

当然この仕事をしている限り、私にも「終わり」は近づいて来るもので、背筋が凍るように恐ろしいと感じる日もある。だけれど同時に、その瞬間を想像してみると、「自由」の顔をして笑った母を思い出す。母は美人でよくモテたらしいが、「変な男に好かれないために」と言って頑なに化粧をしないまま今の歳まで生きてきた。その考えに至るまでに何があったのか話には聞いていないけれど、男性の性的眼差しを受けること自体を怖がっている印象があった。その恐れはもちろん姉や私にも影響をあたえたが、性的眼差しを怖いと思うひとりの女性の気持ちも今はわかってしまうため、疑問はない。母はずっと、自由になりたかったのではないかと思う。

自分の肌を晒すことは「挑戦」であり讃えられるもの? 性的興奮をものさしにした世界で生きる苦しさ

グラビア業界も例に漏れず消費サイクルが早い。周りから伝わってくる範囲の話でも、女優志望や元々グラビアをするために業界に入ったわけではない女性たちが、チャンスを掴むために肌を晒すことは少なくない。もちろんグラビアというコンテンツ自体が好きで始める女性もいるものの、一歩入ってみるとその多くは「男性のため」という名目でものごとの価値観が固まっていることが多く、一枚皮を剥がせば「より肌面積が多いほうがいい」「読者にインパクトを与えるべき」という本音が隠れている。

男性の性的興奮をそそるコンテンツがあること自体は決して悪いことではないけれど、あまりにもそこに特化したコンテンツばかりがあふれ、その結果、女性が肌を晒すという行為自体が軽いものとして扱われていると感じる。美しい写真を残したい、見た人に何かを感じてもらいたい、と挑む演者がいたとしても、そこが「より脱いだほうが喜ばれる」世界であることは断固として変わらず、その土壌に乗っている限りは、「脱がない人」は「挑戦しない人」としてすり替えられる。

当事者ではない中での推測で申し訳ないけれど、そのじりじりと選択を迫られるような恐怖は、私の現在の職業下で体験してきたものととても似ている気がする。笑顔で素直に肌をより多く晒すことが「天使」になる条件とされるが、それは交換可能な「天使」で、翌月くらいになると別のモデルがその役割を担っているという光景を、何度も何度も私たちは見てきた。

美しくあることは、自らの意思で選ぶことで、誰かに選ばされることではない

私は人よりも美容や健康に疎いほうだということを自覚しているけれど、それでも肉体の見栄えや美醜で商売をしている自覚がほんの少しはあるので、人並みに見た目に気を遣ったり、太ってきたと感じたら地味に身体を絞ったりすることはある。そのことをブログに書くと、後日他人から「きれいになろうと努力している女性は偉いね」といった意味合いの感想を言われた。それは一見何気ない称賛の言葉のようだけれど、なんとも言えない違和感を抱くものだった。

美容や健康に励む理由は人それぞれで、少なくとも私は、「きれいになりたい」という感情から行動をしているわけではない。たまたま、いろいろなことがあって容姿が重要である仕事をしているから、その最低限の責任としてなるべく整えよう、といったくらいの感覚で、どちらかというと仕事があるから風邪をひかないようにちゃんと布団をかけて寝るとか、そういう感じに近かった。もちろんすべてがそういった淡々とした感情で行われているわけではないが、少なくとも、他人から「偉いね」と尊ばれるようなことではないと感じた。

きれいな女性を好む男性の常套句としての「きれいになろうと努力している女性が好き」という言葉を聞くたびに、悪気がないことはわかっていながらも、胸がぐっと苦しくなる。その言葉からこぼれ落ちるすべての人のこと、そして、いつかこぼれ落ちる自分自身のことを咎められているように感じるからだ。

なにかを称えることが、他のなにかを貶すこととイコールではないことだとわかってはいるけれど、これまで女性たちはあまりにも「きれいであること」や、それをいかに快く消費物として差し出せるかどうかによって価格を査定されるような、そういう感覚に晒され続けてきてしまった。芸能をしていない女性とも、共感をもって通じる話だと思う。美しくあることは、自らの意思で選ぶことで、誰かに選ばされることではない。そんなふうにしていたら値段が下がるよ、と暗に囃し立てられる世界で、「自らの意思」がどこにあったのかもわからなくなることさえ、自己責任なのだろうか。

「女として見られなくなる」ことはすこし寂しくても、決して悪いことではない

生まれたときは皆、ぱっと見では女か男かわからない。思春期まではその境目が曖昧で、その後私たちは女の身体と男の身体にわかりやすく分かれていき、そしていつか、俗っぽい言葉で言うと「女として」「男として」見られなくなるときが来る。街を歩く老夫婦は衣服や持ち物を含めなければ、見た目だけでは男女の区別がつかないことも珍しくない。私たちはみんないつか、また似通っていくときが来る。

「女として見られなくなる」ことは長らくマイナスな意味として使われてきたけれど、私は少しだけ、女として見られなくなったその日がどんなふうに自由なのか、知ることを楽しみにしている。誰かから付けられてきた値札に愛着や執着がわくことはあるかもしれないけれど、それを本当に心から愛おしく思える日は終ぞ来ないのではないかと悟ったのだ。

思春期よりずっと、女として見られるという事実を、慎重に扱ってきた。女として見られ過ぎないように態度や衣服を調整するようなところがあったし、その気持ちに対抗するようにわざと性に関わる仕事を選んだところもある。女であることに漬かりきって生きることを恐れ、同時に女であることを無視することもないよう戒めながら生きてきた。それでもいつか、終わる日が来る。

人よりも肌を晒していることによってより手早く消費されるものなのか、それとも仕舞っておいても速度は変わらなかったのか、それさえもわからないけれど、この値札がいつかはがれることは、決して悪いことではない、そう思えた。新しい視界が徐々に広がっていくような、すこし寂しくとも決して悲しむ必要のないような、そういうことだといい。

番組情報
『Podcast 戸田真琴と飯田エリカの保健室』

毎週月曜日20時に、Apple Podcast、Spotify他で配信中

書籍情報
『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』

2020年3月23日(月)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:KADOKAWA

『あなたの孤独は美しい』

2019年12月12日(木)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:竹書房

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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