『世界で一番しあわせな食堂』が描く、東洋の食文化と北欧の自然

(メイン写真:『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 ©Marianna Films)

※本記事は映画本編の内容に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。

北欧の小さな村を舞台に生まれた、異文化交流のドラマ

フィンランド北部に広がるラップランド地方。森では野生のトナカイが草を食べ、サンタクロースが住んでいるという伝説の山もある。『世界で一番しあわせな食堂』は、そんな北欧の原風景とも言える自然豊かな土地を舞台にした物語だ。

ラップランドの小さな村、ポホヤンヨキ(架空の町)のバス停に、中国人の親子が降り立つところから物語は始まる。父親のチェンと息子のニュニョはバス停の近くにある食堂に入るが、そこは女主人のシルカが1人で切り盛りしていた。店内に客は少なく、常連らしい老人がちらほらいるだけ。そんななか、父親は片言の英語でシルカや客に話しかける。どうやら人を探しているらしい。

左から、父親のチェン、子どものニュニョ / 『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 ©Marianna Films

なぜ親子ははるばるラップランドまでやってきたのか。探しているのは誰なのか。気になったシルカは、泊まるところを決めていないという親子を自分の家に招待する。翌日もチェンは食堂で客を相手に人探し。そこに中国からの団体観光客が突然やって来てシルカは大慌て。その様子を見かねてチェンは荷物から秘密兵器のように調理道具を取り出し、見事な手際で調理を始める。彼の正体は上海の一流レストランで働いていたシェフだった。チェンの料理は観光客に大受け。それがきっかけになって、チェンはこの食堂で調理人として働くことになる。

左から:チェン、シルカ / 『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 ©Marianna Films

本作の監督・脚本を手掛けたのはミカ・カウリスマキ。弟のアキ・カウリスマキとともにフィンランドを代表するベテランだ。物語はチェン親子とシルカの関係の変化が軸になっていくが、そこで描かれるのは異文化の交流でもある。お茶を入れようとお湯を沸かすシルカに、チェンは「沸騰させないで。80度がちょうどいいから」と声をかけ、シルカは「中国人って細かいわね」と肩をすくめる。チェンは生真面目で礼儀正しい。一方、シルカは開放的で「この国では本音で話すの。社交辞令はダメ!」とチェンに言う。そんな2人の異文化交流はまず料理から。トナカイの肉や魚など地元の食材を使った中華料理は、フィンランドの自然と中国文化のコラボレーションだ。初めて中華料理を見た食堂の常連客たちは、最初は戸惑いながらも次第に虜になっていく。

『世界で一番しあわせな食堂』ポスター / ©Marianna Films

健康に結びついた料理と、清浄な景色。お互いが惹かれる東洋と北欧の文化

そこで気になったのがフィンランド料理のこと。一体どんなものがあるのかと調べてみると、かつてフィンランドは農作物にあまり恵まれず、香辛料も手に入れにくかったため、フィンランド料理は素朴で淡白なものが多いらしい。中国の団体旅行客が来たとき、彼らは食堂のバイキング料理のメインディッシュがソーセージだということを知って不平をこぼすが、ソーセージはフィンランドの国民食。一方、中国には4000年の食文化がある。なかでも、食と健康を結びつけた「医食同源」という考え方にカウリスマキは興味を抱いたという。チェンの料理で体調がよくなった常連客は大喜び。料理を通じてチェン親子は地元に溶け込んでいく。

『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 / ©Marianna Films

チェンは料理という文化を通じて村人に影響を与えるが、彼もまた村から影響を受ける。チェンが惹かれるのはラップランドの美しい自然だ。高層ビルがひしめく上海で働いていたチェンにとってラップランドは別世界。息子と緑溢れる森を散策し、常連客とフィンランド名物のサウナで汗をかいた後は、美しい湖を裸で泳ぐ。チェンはシルカに「ここにはすベてがある」とため息を漏らす通り、本作の真の主人公はラップランドの自然かもしれない。カウリスマキは愛情たっぷりにラップランドの夏景色を映し出しているが、なかでも印象的なのは白夜のシーンで、薄い琥珀色の光が登場人物を包み込む。カウリスマキのインタビューによると、撮影中に大気汚染を調べる機関が現地を調査したところ、世界でも最も清浄なレベルだったとか。そんな澄んだ空気を通した光が、この映画に柔らかで繊細なルックを生み出している。

『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 / ©Marianna Films
『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 / ©Marianna Films

大自然の中では、人は人にすぎない。異なる文化背景を持つ人々が過ごす豊かな時間

映画の中盤、チェン親子が辛い過去を引きずってフィンランドにやって来たことがわかる。その過去のせいでチェンとニュニョの親子間には溝が生まれていた。そして、シルカもまた孤独を抱えて生きていた。そんな3人がひとつ屋根の下で暮らすことで、次第に気持ちが解きほぐされていく。チェンとシルカが森の中のダンスホールで生バンドの歌で踊って距離を縮めたり、チェンが地元の男たちと船上で酒盛りをして中国の歌を熱唱したり。料理だけではなく、音楽が人間関係を結びつける役割を果たしているのは、ブラジル音楽に惚れ込んでブラジルに移住したことがあるほど音楽好きのカウリスマキらしいところだ。

『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 / ©Marianna Films

「分断」という言葉が声高に叫ばれる世界の片隅で、全く違う文化背景を持った人々が出会い、お互いの文化に触れて、それぞれのよさを受け入れながら癒されていく。その様子を、カウリスマキはゆったりとした時間の流れのなかで描き出した。地元の常連客は老人ばかりだが、ラップランドも日本の地方同様、若者たちが都会に出て過疎化が進んでいるらしい。シルカの食堂は、さまざまな事情を抱えた社会的弱者が身を寄せ合うささやかなユートピアになっていくが、それを脅かすのがチェンのビザの期限が切れることを知った警官たちだ。権力やイデオロギーが人々を分断させる。でも、そんな彼らもラップランドではのんびりしていて、シルカの食堂でチェンの料理を美味しそうに食べている。この物語では雄大な自然の中で登場人物たちが親密に語り合うシーンが度々登場するが、自然を前に肌の色も言葉の違いも関係なく、人は人に過ぎない。そんな堅苦しいことは登場人物の誰も言わないが、彼らの笑顔がそのことを教えてくれるだろう。

『世界で一番しあわせな食堂』場面写真 / ©Marianna Films
『世界で一番しあわせな食堂』予告編

公開情報
『世界で一番しあわせな食堂』

2021年2月19日(金)から新宿ピカデリー、渋谷シネクイント 他、全国順次ロードショー

監督:ミカ・カウリスマキ
出演:
アンナ=マイヤ・トゥオッコ
チュー・パック・ホング
カリ・ヴァーナネン
ルーカス・スアン
ヴェサ=マッティ・ロイリ
上映時間:114分
配給:ギャガ
後援:フィンランド大使館
©Marianna Films



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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