「わくわくさん」を生きる久保田雅人が語る、自分の道の選び方

「わくわくさん」を生きる久保田雅人が語る、自分の道の選び方

インタビュー・テキスト・編集
飯嶋藍子
撮影:タケシタトモヒロ
2021/02/24
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任せられた以上はとことんやろうと思いましたし、ダメになったら、ダメになったでいいじゃないかと。

―そこからどうやって「わくわくさん」になっていったのですか?

久保田:平成元年の春、田中真弓さんがNHKのディレクターさんから、「『できるかな』(NHK教育テレビで1970年から1990年まで放送されていた工作番組)が終わることになったけど、工作番組は続けたくて出演者を探している」と相談を受けて。

人差し指の第二関節程度の幅に牛乳パックを切ってホッチキスでくっつける。「人差し指の第二関節の長さって、大人はみんなだいたい一緒なんですよ」(久保田)
人差し指の第二関節程度の幅に牛乳パックを切ってホッチキスでくっつける。「人差し指の第二関節の長さって、大人はみんなだいたい一緒なんですよ」(久保田)
人差し指の第二関節程度の幅に牛乳パックを切ってホッチキスでくっつける。「人差し指の第二関節の長さって、大人はみんなだいたい一緒なんですよ」(久保田)

久保田:『できるかな』ののっぽさんは喋りませんでしたが、次は喋らせたいという希望があったそうで、「うちの劇団に、大道具・小道具を作っていて、喋らせてもおもしろいのがいるからオーディションだけでも受けさせてください」と田中さんが紹介してくださったのが私だったんです。

―子どもの頃からものを作るのが好きだったとはいえ、今までやってきたこととはまったく違うフィールドでの仕事ですよね。

久保田:そうなんです。当時は俳優としてもエキストラばっかりで、主役なんてやったことがありませんし、初めて出た映画も死体役でしたからね。あとから聞いたら、実はオーディションしたのが私だけだったんですって。何人も見るのは面倒だし、とりあえず1人受けにきたからこいつでいいかって決めた、と(笑)。

久保田雅人

久保田:ものを作ることに関してはある程度自信がありましたけど、まともにテレビで喋ったことがなかったし、それまで子どもと何かをしたという経験もなかったので、一から勉強でした。幼稚園や保育所に自分で電話をして、実際に子どもたちの前で工作をさせていただき、「これが子どもたちには伝わるんだ」「これは子どもたちには難しいんだ」と学んでいきました。

―「わくわくさんをずっと続けていくんだ」と決意した瞬間はあったんですか?

久保田:しばらくの間はアニメ声優も並行してやっていたんです。番組が始まって3年後、結婚して子どももできたタイミングで、それまでやっていた声優の仕事も事務所も全部やめて、わくわくさん一本に絞りました。

牛乳パックを丸々1本使い、10分足らずで3つの工作が完成。
牛乳パックを丸々1本使い、10分足らずで3つの工作が完成。

久保田:ちょうど自分の中でも、工作を教えるということが楽しくなってきたんです。自分自身も楽しかったから、どこまでできるかかけてみよう、さらに突き詰めてみようと思った。妻がたった一言「いいよ」と言ってくれたことも後押しになりました。やっぱり任せられた以上はとことんやろうと思いましたし、ダメになったら、ダメになったでいいじゃないかと思って。

番組なんていつ終わるかわからないけど、やれるだけやってみようと。そこから必死になれたんです。

―一本に絞りつつも、ダメならダメでという気持ちだったんですね。

久保田:そうですね。何年契約とかっていうものがあるわけじゃないですし、番組なんていつ終わるかわからないけど、やれるだけやってみようと。そこから必死になれたんですよね。物事をひとつ突き詰めている方はみなさんどこかで自分を追い込んでいると思います。自分を追い込んで、「もうこれしかない」って思う状況や環境を自分で作りました。

ころがしたり、キャッチボールをしたり。
ころがしたり、キャッチボールをしたり。
ころがしたり、キャッチボールをしたり。

―追い込むと同時に、先ほどおっしゃっていたように自分が楽しめる状況を作るというか。

久保田:そうですね。私とゴロリくんが本気で遊ぶようになったのも番組が始まって3年目以降です。ゴロリくんは声と操演が別の方ですから、まさに三位一体にならないといけなかった。難しかったですが、初回から最終回まで番組のメインスタッフがずっと変わらなかったので、周りも私たちのことを理解してくれていて。

―ひとつのことを長く続けるってひとりでも大変ですが、チームが長く続いた理由ってなんだと思いますか?

久保田:みんなとにかくものを作ることが大好きで、夢中になれる人間だったんです。あとはみんな明るかった。自分が楽しくないとダメだということを、一人ひとりがわかっていたんでしょうね。みんなが楽しくて、それを伝えられるような番組を作ろうという思いのもとにやれたのが良かったんだと思います。

牛乳パックの底はストローをつければコマに。
牛乳パックの底はストローをつければコマに。

―ただ、同じチームで長年「工作」をテーマにしていると、途中で劇的に何かを変えよう、変化球を出そうという気持ちになりませんでしたか?

久保田:自分たちが変わるというよりは、23年もやっていると世の中が変わります。つまり子どもたちの身の回りにあるものがどんどん変わるので、それに合わせて工作自体がかなり変化しました。たとえば、フィルムケースやキャップを車のタイヤとして使っていたんですけど、今はもうほとんどないじゃないですか。その代わりペットボトルを使ったものが多くなったり、工作でパソコンを作るようになったりしましたね。

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プロフィール

久保田雅人(くぼた まさと)

1961年、東京生まれ。中学高校の社会科の教員免許を取得、大学在学中に劇団「プロジェクト・レヴュー」に所属し、俳優・声優として活動を開始。1990年4月から2013年3月まで放送された、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の幼稚園・保育所向け造形番組『つくってあそぼ』に、「わくわくさん」役として出演。現在も全国の幼稚園や保育所、学校などで、工作を伝え続けている。

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