『ストックホルム・ケース』 それは本当に異常だったのか?

『ストックホルム・ケース』 それは本当に異常だったのか?

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小野寺系
編集:矢澤拓(CINRA.NET編集部)

警察は自分の命を救おうとしているのか? 権力が優先するものへの、人質の疑念

さて、この場合、人質が最も望む展開とは何だろうか。それは言うまでもなく、解放されて命が助かることである。しかし、なかなかそういう流れにはなってくれないのだ。なぜなら、警察がいつまでも包囲作戦を続け、犯人の感情を逆撫でするような行動をとるからである。

もちろん、こんなことになった全ての元凶は、そもそも犯人の身勝手な行動にあることは確かだ。しかし犯人は、逃走さえできれば人質を早く解放したいと思っているのである。対して、警察は長い時間をかけて犯人を足止めしようとする。その間、人質も長く危険にさらされ続けることになる。警察や政府は、人質の命よりも犯人の制圧や銀行の資産を守ることを優先しているのではないのか……。

「このままの状況が続き、ついに警察が突入してくれば、自分の命はどうなるか分からない。もはや犯人に積極的に協力して、犯行を遂げてもらった方が、自分にとっては良いことなのではないか……」人質がそのように考えるのは、むしろ自然なことかもしれない。もはやここでは、政府や警察が、人質の命をおびやかす存在となっているように感じられるのだ。人質たちは、率先して犯人たちを助けようとし始める。

©2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
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客観的に見れば、この人質の思考を異常だと思うかもしれない。だがそれは、事件の外側にいるからこそ、そう思えるのではないか。実際に銃口を向けられ、命の危機が迫っているときに、少しでも生き延びられる可能性が高いと思える道を模索することは異常なのだろうか。その結果、犯人と何らかの心のつながりができてしまうことを、精神的な病だと断ずることができるだろうか。

警察の失態をごまかすためにも使える「異常心理」という道具。他人の行動を異常と断ずる前に考えてみるべきこと

ここで、一つの疑惑が生まれる。もし人質が、自分が助かるために犯人に協力することを、異常心理が発生した結果であると決めつけてしまうことができれば、人質の命を優先する対応をしなかった「政府や警察の失態」をごまかすことができるのではないのかということだ。

とはいえ本作の物語は、あくまで娯楽作品として、実際の事件にアレンジを加えたものである。犯人や、その手助けをする人質を好意的かつ、ときにロマンティックに描き、人質が犯人に共感を覚える姿を表現しつつ、警察署長を悪者として分かりやすく描こうとしている部分もある。その意味では、本作の内容を額面通りに受け取ることはできない。

しかし、本作で映し出される状況を追うことで、一見異常な行動に見えるものが、じつは自然な成り行きで生まれているかもしれないという気づきを与えられることは確かだ。誰かの行動を見て、それが異常だったり病的だったりすると判断する前に、その人の立場に立って気持ちを想像する態度を持つこと、共感する力を持つことで、人は人に対してもっと優しく接することができたり、争いや悲劇を回避できるケースが増えるのではないか。本作が真に描き出したのは、人質の異常心理ではなく、他人の行動を異常だと決めつける人間の傲慢さと無理解だったのではないだろうか。

©2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
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本作で使われるボブ・ディランの楽曲にも注目

本作の場面を彩るのは、4つのボブ・ディランの曲である。ディランはとくに若い頃、体制を批判するプロテストソングなど、社会問題を歌いあげてきたシンガーソングライターだ。さらにその歌詞はときに難解な文学性を持っており、それが世界的な評価を受けて、まさにストックホルムの地で「ノーベル文学賞」を受賞し、発表からかなり遅れて同賞を現地で受け取ったことが伝えられている。

『ストックホルム・ケース』サウンドトラックを聴く(Spotifyを開く

そんなディランという存在と、ここで使われた、愛を求める歌詞が、本作では個人の精神の自由と、埋められない心の空洞を抱えた、ラースやビアンカの気分を象徴していると言えよう。このあたりは、主演のイーサン・ホークとともに、伝説のジャズミュージシャン、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』(2015年)を撮りあげている、ロバート・バドロー監督の音楽的センスが光っている部分である。

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作品情報

『ストックホルム・ケース』
『ストックホルム・ケース』

2020年11月6日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開

監督・脚本:ロバート・バドロー
製作:ジェイソン・ブラム
劇中歌:ボブ・ディラン
劇伴:スティーブ・ロンドン
出演:
イーサン・ホーク
ノオミ・ラパス
マーク・ストロングほか
配給・宣伝:トランスフォーマー

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