※本記事は映画本編の内容に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。
「北欧の首都」と呼ばれる、スウェーデン最大の都市ストックホルム。『ノーベル賞』受賞式が開かれることでも知られ、文化の中心地として賑わい、また観光地としても人気が高い場所だ。
そんなポジティブなイメージ以外に、この都市の名前は、「ストックホルム症候群」という言葉としても一般に広まっている。これは、誘拐、監禁事件の被害者が、犯人と一緒にいる間に連帯感を持ったり、好意を抱いたりしてしまうという心理現象のことだ。そしてこの「症状」は、実際に1973年のストックホルムで起こった銀行立てこもり事件が基となっている。そんな歴史的な事件をアメリカで映画化したのが、ここで紹介する『ストックホルム・ケース』だ。
そこまで聞くと、おそろしい犯人に次第に被害者が洗脳されていくような恐怖を描いた映画だと想像してしまうかもしれない。だが本作は、そのイメージをかなりの部分で覆すような、意外な事件の描かれ方がなされる。
アメリカ人犯罪者を装った銀行強盗。サブマシンガンで行員を脅し、人質をとることから映画は始まる
主演のイーサン・ホークが演じるのは、銀行強盗を目論むラース。彼はサングラスにレザースーツ、長髪のウィッグにウェスタン・ハットを被って、ボブ・ディランの歌を口ずさむことで、アメリカ人の犯罪者を装う。彼は別人になりきって銀行を襲い、大金をせしめる計画を実行に移すのだ。しかし、銀行に行くために乗ったタクシーの運転手には、「ロックフェスにでも行くのかい?」と訊かれるように、どこか緊張感のない雰囲気をラースは漂わせている。
彼はその格好のまま、ストックホルム最大の銀行に一人で乗り込み、サブマシンガンで行員を脅して人質にとった。そして、犯罪仲間のグンナー(マーク・ストロング)を刑務所から釈放しろという要求を通してしまう。かくしてラースはグンナーを仲間に引き入れ、「映画スターのスティーブ・マックイーンが『ブリット』のなかで乗っていたマスタングを用意しろ」などと、警察に対して脱出のための逃走車両を指定するこだわりを見せる。そんな、いまいち緊張感に欠ける交渉を警察と繰り返しながら、ビアンカ(ノオミ・ラパス)を含む数名の行員とともに銀行に立てこもり、彼らは長い時間をともに過ごすことになる。
持久戦に持ち込もうとする警察と、早く助かりたい人質。停滞する状況で起きる心理の変化
一方、この一大事件に対し、警察は次第に犯人たちに対して強硬な姿勢をとり始めることになる。要求を飲むと見せかけて、持久戦に持ち込もうとするのだ。犯人たちは次第に焦燥感を募らせるが、それは人質も同じことだった。
人質になっているビアンカには夫と、彼女の帰りを待っている幼い娘がいた。彼女はもちろん、「こんなところで死ぬわけにはいかない」と思っている。本作は、この人質の心理の変化を、停滞する状況とともに描いていく。
警察は自分の命を救おうとしているのか? 権力が優先するものへの、人質の疑念
さて、この場合、人質が最も望む展開とは何だろうか。それは言うまでもなく、解放されて命が助かることである。しかし、なかなかそういう流れにはなってくれないのだ。なぜなら、警察がいつまでも包囲作戦を続け、犯人の感情を逆撫でするような行動をとるからである。
もちろん、こんなことになった全ての元凶は、そもそも犯人の身勝手な行動にあることは確かだ。しかし犯人は、逃走さえできれば人質を早く解放したいと思っているのである。対して、警察は長い時間をかけて犯人を足止めしようとする。その間、人質も長く危険にさらされ続けることになる。警察や政府は、人質の命よりも犯人の制圧や銀行の資産を守ることを優先しているのではないのか……。
「このままの状況が続き、ついに警察が突入してくれば、自分の命はどうなるか分からない。もはや犯人に積極的に協力して、犯行を遂げてもらった方が、自分にとっては良いことなのではないか……」人質がそのように考えるのは、むしろ自然なことかもしれない。もはやここでは、政府や警察が、人質の命をおびやかす存在となっているように感じられるのだ。人質たちは、率先して犯人たちを助けようとし始める。
客観的に見れば、この人質の思考を異常だと思うかもしれない。だがそれは、事件の外側にいるからこそ、そう思えるのではないか。実際に銃口を向けられ、命の危機が迫っているときに、少しでも生き延びられる可能性が高いと思える道を模索することは異常なのだろうか。その結果、犯人と何らかの心のつながりができてしまうことを、精神的な病だと断ずることができるだろうか。
警察の失態をごまかすためにも使える「異常心理」という道具。他人の行動を異常と断ずる前に考えてみるべきこと
ここで、一つの疑惑が生まれる。もし人質が、自分が助かるために犯人に協力することを、異常心理が発生した結果であると決めつけてしまうことができれば、人質の命を優先する対応をしなかった「政府や警察の失態」をごまかすことができるのではないのかということだ。
とはいえ本作の物語は、あくまで娯楽作品として、実際の事件にアレンジを加えたものである。犯人や、その手助けをする人質を好意的かつ、ときにロマンティックに描き、人質が犯人に共感を覚える姿を表現しつつ、警察署長を悪者として分かりやすく描こうとしている部分もある。その意味では、本作の内容を額面通りに受け取ることはできない。
しかし、本作で映し出される状況を追うことで、一見異常な行動に見えるものが、じつは自然な成り行きで生まれているかもしれないという気づきを与えられることは確かだ。誰かの行動を見て、それが異常だったり病的だったりすると判断する前に、その人の立場に立って気持ちを想像する態度を持つこと、共感する力を持つことで、人は人に対してもっと優しく接することができたり、争いや悲劇を回避できるケースが増えるのではないか。本作が真に描き出したのは、人質の異常心理ではなく、他人の行動を異常だと決めつける人間の傲慢さと無理解だったのではないだろうか。
本作で使われるボブ・ディランの楽曲にも注目
本作の場面を彩るのは、4つのボブ・ディランの曲である。ディランはとくに若い頃、体制を批判するプロテストソングなど、社会問題を歌いあげてきたシンガーソングライターだ。さらにその歌詞はときに難解な文学性を持っており、それが世界的な評価を受けて、まさにストックホルムの地で「ノーベル文学賞」を受賞し、発表からかなり遅れて同賞を現地で受け取ったことが伝えられている。
『ストックホルム・ケース』サウンドトラックを聴く(Spotifyを開く)
そんなディランという存在と、ここで使われた、愛を求める歌詞が、本作では個人の精神の自由と、埋められない心の空洞を抱えた、ラースやビアンカの気分を象徴していると言えよう。このあたりは、主演のイーサン・ホークとともに、伝説のジャズミュージシャン、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』(2015年)を撮りあげている、ロバート・バドロー監督の音楽的センスが光っている部分である。
- 作品情報
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- 『ストックホルム・ケース』
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2020年11月6日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開
監督・脚本:ロバート・バドロー
製作:ジェイソン・ブラム
劇中歌:ボブ・ディラン
劇伴:スティーブ・ロンドン
出演:
イーサン・ホーク
ノオミ・ラパス
マーク・ストロングほか
配給・宣伝:トランスフォーマー