ロイ・アンダーソン監督の人間論 人は独りだが、ひとりきりではない

人間を部分ではなく、全体で捉えるために必要な、ロイ・アンダーソンの距離感

スウェーデンを代表する監督のひとり、ロイ・アンダーソンの『ホモ・サピエンスの涙』は、映画の原初の力を体感させる。

わずか33の場面で全編は構成される。そこには、明確なストーリーはない。だが、そんなことすら忘れて画面に観入ってしまう。そうして、観客は人間たちの息吹きを味わい尽くすことになる。

ロイ・アンダーソン
1943年、スウェーデン・ヨーテボリ生まれ。スウェーデン・フィルム・インスティチュートで文学と映画の学位を取得。少年少女の恋のめざめを瑞々しく描いた初の長編映画『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』(1970年)が、ベルリン国際映画祭で4つの賞に輝き、世界的な成功をおさめた。長編6作目となる最新作『ホモ・サピエンスの涙』(2019年)は、『ヴェネチア国際映画祭』にてプレミア上映され、見事、銀獅子賞(最優秀監督賞)に輝いた。

ワンシーンワンカットで展開される映画には、絵画のような美しさがあり、被写体とカメラが織りなす尊い「距離感」がある。常に一定のディスタンスを保ちながら見つめているからこそ生まれる愛おしさ、慈しみ。近すぎない、遠すぎない「アンダーソン・ディスタンス」について、まず訊いた。

ロイ:絵画の素晴らしさから大きな影響を受けていて、ヨーロッパの美術史に接していると、クローズアップの絵はほとんどないことに気づきます。ほとんどの絵は、遠くから対象を見ています。そのことによって、人間が明らかになる。人間の部分や細部ではなく、人間そのもの、生き方そのものが現れてくる。私はそれを映画にしたいのです。

最近の映画に対して、不満を抱いていて、それはクローズアップが多すぎることです。いま、映画から「人間らしさ」が失われているのではないかという危機感があります。そのすべてがクローズアップのせいではありませんが、多用しすぎですね。

確かに、クローズアップは単純なエモーションを獲得しやすい。人間の感情を瞬間的につかまえることはできるだろう。しかし、アンダーソンが捉えようとするのは、感情という部分的なものではない。人間の全体である。

ロイ:ルイス・ブニュエル監督の名作『アンダルシアの犬』(1928年)には、眼球を切り裂く場面があります。映画がすべてをクローズアップになってしまったら、あんなふうになにも見えなくなってしまうでしょう。対象を遠くから見つめることで、さまざまな要素と要素のつながりを示すことができます。

映画史に残る名シーン(まさにクローズアップ!)を引用しながら、茶目っけたっぷりのジョークで、映画を観ることの本質を衝く監督。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

きっと彼は、人間の感性を復活させようとしているのだ。人間が人間を見つめ、感じる力。もともと人間に備わっている能力に向けたルネッサンスが、ロイ・アンダーソンの映画なのだと思う。

ロイ:そうであることを願っています。芸術は人間のためのもの。あらゆる芸術はすべて、人間のために存在しています。だから、芸術とはヒューマニズムなのです。だからこそ、このことを死ぬまで続けたいと思っています。

一人ひとりの孤独に美しさを見出す、優しい視点

『ホモ・サピエンスの涙』は、この真理を体感させる。芸術は、人間への捧げものなのだと。この映画は、クローズアップとは別の手法で、人間の感情に肉薄する。散文的に紡がれる各シークエンスにはいくつかの共通点があり、そのひとつに、公共の場で感情が溢れ出てしまう人を描写していることが挙げられる。パブリックな空間で、とてもプライベートな人間性を露呈させるその姿は、観る者の胸を打つ。否応なく見せつけられる、私たちの「弱さ」。

ロイ:人間には欠けているものがあると思うのです。私は無宗教な人間で、神を信じてはいませんし、ほとんどの現代人はそうでしょう。つまり、多くの人が神から見捨てられているのです。

リアルな、本当の心は、独りだからこそ存在しています。その状況が、ときに美しくもあります。神に見捨てられた私たちは、みな独りだけど、頑張っている、闘っている。そこから美しさが生まれているのだと思います。このことが非常に大切なことなのではないでしょうか。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

アンダーソンの映画は、人間の多種多様な孤独を見つめている。一人ひとりの孤独を肯定し、そっと提示する。そこに安易な救済はない。けれども、その孤独は、静かに共有されている。その優しさ。これが、映画作家ロイ・アンダーソンならではの視点である。

ロイ:私の映画はともかく、本当に素晴らしい芸術にふれると希望を感じますよね。「希望」は、私にとって大切な言葉で、その言葉によってなにかを信じることができます。どんなに辛く、さみしいときも、芸術は希望を与えてくれるし、そのことで人間は救われると思うのです。

『ホモ・サピエンスの涙』予告編

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

「終わらない」を表現する。断片と断片を結びつける「フラグメント」

それは「神なき時代の宗教画」なのかもしれない。そしてロイ・アンダーソンが作り出す芸術がもたらす希望は、従来の物語様式から解放された新しい筆致から生み出されている。そのありようは、人間の心をシンプルにしてくれる。

ロイ:難しいことを語れば、つまらなくなる。一方、わかりやすいことばかり紡げば、みじめになる。では、どうしたらよいか。一見無関係なシーンとシーンをつなぎ、物事の断片を連鎖させていく「フラグメント(断片化)」のアプローチによって、リッチな話法になることを私は発見しました。見つけたときは嬉しかったですね。この感覚を推し進めれば、わかりやすい物語から解放され、さらに映画は豊かになるのでは、と思えたのです。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

アンダーソンは、話法の発見を喜びと共に語った。その笑顔には、見出したものを分けあう(=シェアする)善なる心も息づいているように感じた。

ロイ:とっても嬉しいです。ただしこの方法は、私が作り出したものではありません。しかし、それを発見することができた。人間の複雑な「人間らしさ」を語るための最良のツールを見出すことができたのです。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

ポジティブだ。温かな前向きさが、この監督にはある。

ロイ:前向きな性格だとは思います(微笑)。そして、それ以上に、人間に対する責任を感じています。その責任を、芸術を通して全うしたいのです。ところで、本作のスウェーデン語の原題はご存知ですか?

―はい、「エンドレスについて(About Endlessness)」ですよね。

ロイ:そうです。「フラグメント」の物語は、終わりません。だから、このタイトルをつけました。終わらない。そこに永遠もあると思います。

誰もが孤独だが、ひとりきりで生きているわけじゃない。本作が示す、穏やかなつながり

孤独。エンドレス。永遠。一見、つながらないはずのものが、つながっていく。『ホモ・サピエンスの涙』は、オムニバスではないし、群像劇でもない。だが、それぞれ別個のはずの情景は、見えざる映画の力によって、穏やかに結びついていく。結んでいるのは、観客のまなざしだ。アンダーソンは、作品にどんな魔法をかけているのだろう。

ロイ:つながりや結びつきのためには、サプライズが必要です。私は、観る人を驚かせたかった。いわゆる物語に準じると、本当の意味での驚きからは遠ざかります。フラグメントなシーンとシーンとをつなげると、驚きが生まれます。その結びつきに、新しい意味が付与されるのです。それがなによりのサプライズ。驚きは、私たちの意識や思考を拡張してくれます。

その驚きを享受すると、不思議な一体感も生まれる。人間は独りだが、ひとりきりで生きるわけではない。そんな感慨がもたらされるのだ。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24

それは、映画館で映画を観る体験によく似ている。たった独りで映画を観に出かけても、映画館には不特定多数の観客たちがいて、自分は、見知らぬその人たちと一緒に、同じ画面を見つめる。そのことによってもたらされるものも、やはり不思議な一体感だ。

ロイ:私が、なぜ、映画という表現を選んだのか。それは、やはり、私自身が映画館の中で素晴らしい体験をし、素晴らしいパワーを感じたからだと思います。特に、イタリアのネオリアリスモ映画(第2次大戦後、写実主義的な手法で作られたイタリア映画の一群)は大きな存在です。この映画という芸術形式で、私も作品が創りたいと、思わされたのです。

映画は、ものの考え方にも影響を与えます。映画館での映画体験が、いまの私を形成しているのです。

『ホモ・サピエンスの涙』場面写真 ©Studio 24
公開情報
『ホモ・サピエンスの涙』

2020年11月20日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開

監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:
マッティン・サーネル
タティアーナ・デローナイ
アンデシュ・ヘルストルム
上映時間:76分
配給:ビターズ・エンド

プロフィール
ロイ・アンダーソン

1943年、スウェーデン・ヨーテボリ生まれ。スウェーデン・フィルム・インスティチュートで文学と映画の学位を取得。少年少女の恋のめざめを瑞々しく描いた初の長編映画『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』(70)が、ベルリン国際映画祭で4つの賞に輝き、世界的な成功をおさめた。続く長編2作目の「ギリアップ」(75)も、カンヌ国際映画祭監督週間に出品。映画界で躍進する一方、75年にはCMディレクターとしてのキャリアをスタート。世界最大級の広告賞カンヌライオンズでゴールドライオンを8度獲得、CM界にもその名を轟かせる。81年、自由に映画をプロデュース・制作するため、自身のプロダクション“Studio 24”をストックホルムに設立し、独自のユニークな映画制作スタイルを発展させる。その後、長編3作目『散歩する惑星』(00)が、カンヌ国際映画祭で審査員賞に輝き、大きな注目を集める。続く長編4作目『愛おしき隣人』(07)も同映画祭ある視点部門に出品、スウェーデン・アカデミー賞で作品賞含む主要賞を獲得するなど、名実ともにスウェーデンを代表する巨匠として不動の地位を確立。この2作で、固定ショット、綿密に構想された絵画的なシーン、不条理コメディ、そして本質的なヒューマニティを特徴とするスタイルが確立された。09年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でレトロスペクティブが開催され、映画だけではなくCMの上映も行われた。長編5作目『さよなら、人類』(14)は、数々の話題作を抑えヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞。『散歩する惑星』『愛おしき隣人』から続いた“リビング・トリロジー”(人間についての3部作)が、同作の発表により15年かけて完結した。長編6作目となる最新作『ホモ・サピエンスの涙』(19)は、ヴェネチア国際映画祭にてプレミア上映され、見事、銀獅子賞(最優秀監督賞)に輝いた。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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