ふかわりょうが語るアイスランドと人生 臨機応変こそラクで楽しい

お笑いタレントとしてだけではなく、「ROCKETMAN」名義での音楽活動、コラムやエッセイなどの執筆活動と、さまざまな分野で活躍するふかわりょう。彼がアイスランドを深く愛し、一時期は毎年のように彼の地を訪れていたことは、ファンの間では有名な話である。その一人旅を綴った旅行記『風とマシュマロの国』(2012年、幻戯書房)によれば、当初は地球が「生きている」ことを確かめるはずだったアイスランド旅行は、回を重ねるごとに、放牧された羊たちに会いに行く旅へと変貌していったという。

同書の中で「マシュマロ」と表現している、アイスランドの羊たちにふかわがそこまで魅了されたのは、一体なぜだったのだろう。今からおよそ25年前に芸歴10年を迎え、それまでの芸風から「ありのままの自分」をさらけ出す方向へとシフトした彼が、アイスランドで見つけた新しい価値観とはどのようなものだったのだろうか。

2020年11月に出版した彼の新刊『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)では、その一見ネガティブにも見えるタイトルとは裏腹に、この生きづらい世界で「小さな幸せ」を見出すヒントをたくさん提示していた彼のユニークな発想力に迫った。

地球が生きていることを、この目で確かめるにはアイスランドへ行くしかないなと思ったんです。

ふかわりょう
1974年8月19日生まれ。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学在学中の1994年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘアターバンを装着し「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。「シュールの貴公子」から「いじられ芸人」を経て、現在はMX『バラいろダンディ』のMCや『ひるおび!』のコメンテーターを務めている。また、ROCKETMANとして全国各地のクラブでDJをする傍ら、楽曲提供やアルバムを多数リリースするなど、活動は多岐に渡っている。著書に、アイスランド旅行記『風とマシュマロの国』など。

―そもそもふかわさんは、なぜアイスランドへ行こうと思ったのですか?

ふかわ:端的にいえば、地球が「生きている」ということを確認したかったんです。2007年当時「エコ」みたいな概念が蔓延して、いろんなものを節約する風潮になってきたとき、「このまま我慢を強いるような生活スタイルでは、きっと続かないだろうな」と。エコの概念を、我慢ではなく普通のこととして習慣にするためには、地球への愛情がないと無理だろうなと思ったんですよね。

―地球への愛情ですか。

ふかわ:ええ。どうしたら地球に愛情を抱けるのかを考えたときに、地球は生きているものだと実感できなければ無理だろうと。しかもそれを、理屈ではなく体で感じる必要がある。さらに、自分たちが「地球で暮らしている」という実感も必要です。それって日常ではあまり意識しないじゃないですか。

―確かにそうですね。

ふかわ:地球上の大陸や海は、プレートと呼ばれる岩盤の上でゆっくりと動いている。アイスランドは、そのプレートが生まれるところを、唯一地上で見られる場所。つまり、地球が生きていることを、この目で確かめるにはアイスランドへ行くしかないなと思ったんです。もともと北欧には興味があって、フィンランドへ旅行をしたばかりでしたが、帰国して3ヶ月後にはアイスランドへ向かっていました。

―北欧にはどうして興味があったんですか?

ふかわ:ちょうどその頃、日本の価値観についていろいろ考えていたときだったんです。「日本でよしとされていることは、本当に正しいのだろうか」「北欧の人々の考え方や社会のあり方などに、学ぶべきものがあるんじゃないか?」と。自然との共生というか、北欧の人々の暮らしや自然との距離感に、すごく興味があったんですよね。

それとは別に、僕はABBAがすごく好きなんですよ(笑)。ABBAだけでなく、Ace of BaseやEggstone、The Cardigans……。ラジオを聴いていて「あ、これいいな」思うと大抵は北欧の音楽だったんですよね。

ふかわが愛するABBAの代表曲“Dancing Queen”。ABBAについてはこちらの記事も掲載している(記事を読む

手付かずの自然に包み込まれていると、だんだん恐ろしくなってくるんですよ、このまま呑み込まれてしまうんじゃないか? って

―昨年11月に出版された『世の中と足並みがそろわない』という本にも、「自然を愛するということは、単に自然を大切にするだけではなく、人類がその力には到底及ばないということを認識すること」と書かれていましたよね。

ふかわ:我々を取り巻く世界というのは、あくまでも人間の尺度で認識していることで、ある意味「都合のいい解釈」なんですよね。今は世界中がコロナ禍ですが、「果たして人間とウイルス、どちらが地球にとって脅威なのか?」という視点もある。善と悪のような、我々は単純な二元論では片付けられない矛盾の中で生きていることを意識する必要があるんじゃないかと思ったんです。そういう考え方は、アイスランドへ何度も足を運んだことで、少しずつ固まっていったところはありますね。

―実際にアイスランドに行ったときには、「地球は生きている」と感じました?

ふかわ:ものすごく感じました。アイスランドには鉄道がないので、出国前に国際免許の手続きを取って、向こうではずっと車で移動をしていたんですよ。アイスランドには巨大な滝や崖がたくさんあって、そこには柵が全くない。日本の観光地だと厳重に柵が張り巡らされて、「ここから先は立ち入り禁止」の表示も立っているじゃないですか。それはそれで大事なことなのかもしれないですけど、アイスランドでは自分の身は自分で守るしかないんです。

―ある意味、人間を信頼しているともいえますよね。

ふかわ:場所によっては観光客が全くいなくて、たった一人で大自然と対峙することになるんです。一度、滝が枯れた絶壁だけの場所に行ったことがあるのですが、そこはアイスランドでは珍しく森の中にあって、車を停めてどんどん奥まで歩いて行くと、本当に手付かずの自然に包み込まれていくんですね。そうすると、だんだん恐ろしくなってくるんですよ、このまま呑み込まれてしまうんじゃないか? って。

物理的に危険な場所ではないし普通に歩ける場所なのに、畏怖の念と言いますか、「これ以上はもう、進めないな」という領域の存在を感じたんですよね。そのことがとても印象に残っています。

羊は人間が生きていくための、ある意味では犠牲になった動物だと知ると胸が痛む。

―そうやって毎年のようにアイスランドを訪れているうちに、羊に会いに行くのが目的になっていったそうですね。

ふかわ:そうなんです。最初のうちは、あくまで羊は風景の一部でした。でも、3回目くらいに一線を超える瞬間があって。地平線までバーっと緑が広がっている中、いつものように羊たちが草を食んでいるんですけど、それがホワホワしたマシュマロのような、ファンタジックなものに見えて。それ以来、羊を見かけるとわざわざ車を停めて、声をかけるようになりました。すぐ逃げてしまうので、実際に触ることは難しいんですけどね。

一人旅の寂しさを、ほっこりと癒してくれる瞬間が何度も訪れるうちに、だんだん羊への愛情というか愛着が湧いていったんです。そのうち「地球が生きている」とかどうでもよくなって(笑)、完全に羊に会いに行く旅へと変わっていました。

ふかわがアイスランドで撮影した羊

―(笑)。そんな羊たちとの出会いは、ふかわさんの「死生観」にも繋がったと『世の中と足並みがそろわない』には書かれていましたよね。

ふかわ:そうなんです。出会う羊の中には、仰向けになっているものもいて。「なんだろう?」と気になって起こしてあげたりしていたんです。調べてみると、家畜用に品種改良された羊は毛がモフモフし過ぎてしまい、一度ひっくり返ると自力では立ち上がれなくなってしまったらしいんですよ。放っておくとそのまま死んでしまう。実際、手遅れになっている羊や、朽ち果ててほとんど骨だけになった羊もたくさん目の当たりにしました。

ふかわ:羊は可愛い動物ですが、ずっと昔から人間の暮らしとともに存在し、人間なしでは生きていけなくなってしまったわけですよね。人間が生きていくための、ある意味では犠牲になった動物だと知ると胸が痛む。それが分かってからは、アイスランドでの僕は「仰向けの羊を探す目」になってしまいましたね(笑)。

「僕が嘘をついたのではなく、君が僕に嘘をつかせたんだ」みたいな、「使役」の概念が好きなんです。

―今の羊の話もそうですし、先ほどのウイルスの話もそうですが、ふかわさんの中にある視点の置き換え、物事の多面的な考え方は、どのように培われたものなのでしょうか。

ふかわ:昔から、いろんなところに主語を置き換える癖があったんですよ。「僕が嘘をついたのではなく、君が僕に嘘をつかせたんだ」みたいな、「使役」の概念が好きなんです。それが、人間以外のものにも派生していって。窓や家、車……みたいに。そういうものに気持ちが移りやすいタイプなんですよね。

もともと持っていたそういう感覚が、アイスランドやフィンランドとは相性がいいんですよ。北欧は、主観的な目線だけでいると退屈に感じるかもしれないけど、視点をずらしていくといろんな発見がある。

―そもそも人間主体で動いていない国だから。

ふかわ:そう。それが、いい加減のお湯に浸かっているような心地よさなんです。もちろん、そんなことを常に考えながら旅をしているわけでは全くなくて、現地では常に頭が空っぽになっています。ただただ羊たちを愛でにいこうという感じ。帰国して文章に起こしたときに、ようやく自分の気持ちが分かるというか。

―ふかわさんは以前、芸能人としてデビューして10年くらい経ったときに、本来の自分とテレビのイメージとの乖離に葛藤を覚え、破裂しそうになり「ありのままの姿を見せよう」と思ってから、生き方がかなり楽になったと、どこかの番組で話していました。そのことと、海外に目を向けるようになったこととは、何かしら関連はありますか?

ふかわ:どこかで繋がっているのかもしれないですね。海外へ行くようになったから、そういう心境になったわけではないですけど、アイスランドに限らずいろんな価値観に触れることって、すごく意味のあることだと思っているので。一方的な価値観しか持てないのって、生き方をすごく限定してしまうと思うんですよ。「あ、こういう生き方もあるんだ」「こういう考え方もあるんだ」というものに出会えることは、とても心地いいことなんです。そのために一人旅をしているわけではないのですが、結果的にそういう気づきが得られるので、一人旅をすると豊かな気持ちになれるんですよね。

それに、一人旅だと自分のペースで行動できるし、ものを見たときの吸収の仕方も違う。自分でチケットを手配したり、バスの時刻を調べたり、そういう一つひとつの行動に心が動くし、些細なことでも感動できると思うんです。道に迷って人に道を聞いたりすれば、そこでのちょっとした触れ合いにも気持ちが和んだり、思い出の一つになったりもしますしね。

ボーッとする時間が必要だと思う。だからみんな、焚き火をしに行くんでしょう?

―『風とマシュマロの国』には、旅をすると脳がクリーンアップされるとも書かれていましたが、それも今おっしゃっていたことと繋がりますか?

ふかわ:脳がクリーンアップされると感じたのは、具体的にいうと旅先でスマホが繋がらなくなった状況に置かれたときですね。初めてアイスランドへ行ってスマホが繋がらなくなったときに、最初はちょっとソワソワしたけど、2日目からはむしろ気持ちが軽くなっていたんです。スマホが登場する前は当たり前だった「繋がっていない状況」が、どれだけ身軽なことなのかを改めて感じたんですよね。

もちろん不都合なこともいろいろあるのですが、それって言い換えれば、たかだか数100グラムのスマホに人間の脳や心がどれだけ支配されているということじゃないですか。「携帯」とは言うものの、心への負荷は相当重く、いくら収集しても場所を取らない情報こそ危ないものなのだなと実感したわけです。

―「デジタルデトックス」を、半ば強制的に経験したわけですね。日本にいるときも、スマホとの付き合い方など気をつけていることはありますか?

ふかわ:僕はSNSを極力やらないようにしていますね。TwitterやInstagramに投稿したとき、フォロワーからレスが返ってくるじゃないですか。あれ、負担に感じるときがあるんですよ。それがポジティブなものだとしても、人が発した言葉に一つひとつ向き合ってしまう。それを考えると「もう上げなくてもいいかな……」と思ってしまうんです。ネットを介したアクションに、あまり心を動かされたくないというか。

―人によっては、それで承認欲求が満たされ止められなくなってしまうわけじゃないですか。

ふかわ:そうか、確かに。おそらく、僕も承認欲求を満たしたいときもあると思うんですよ。でも、常にそれを求めてはいない。レスが欲しくなるのは年に数回くらいかな(笑)。人がどう思うかを気にしだすと、キリがないし、沈んでいくように思います。かつては、人がどう思っているか分からない状況だったし、その方が今考えてみるとよっぽど楽だったよなって。

ふかわ:話が横に逸れましたが、たとえば電車に乗っているときも、人と待ち合わせをしているときでもスマホをいじっている人が多いけど、頭の中を整頓し脳をクリーンアップするために、僕はボーッとする時間が必要だと思うし、意味があるからこそ昔はやっていたんじゃないのかな。だからみんな、焚き火をしに行くんでしょう? ボーッとする時間を、手間暇かけて意図的に作り出すというか。

―ソロキャンプやアナログレコードのブームもそうですけど、「手間暇をかける」ことの大切さが、昨今見直されているところはありますよね。

ふかわ:スマホを含め、テクノロジーによって面倒臭いことが排除されて。まあ、人間関係の新たな面倒臭さは生まれたのですが、基本的には効率化がどんどん進んでいったわけですよね。でも実は僕ら、効率化だけを望んでいたわけではなく、面倒臭いことも愛していた。そのことにようやく気づき、ソロキャンプだとか、アナログレコードを聴くことで取り返している側面もあるとは思いますね。

予定調和になってしまうと途端につまらなくなってしまう。

―『世の中と足並みがそろわない』の中で、「最近はプレイリストを持たずにフロアに合わせてその場でDJをするようになり、それが仕事にも影響を与えるようになった」と書かれていました。その感覚は、予定を細かく立てずに行く一人旅の楽しさ、気ままさとも通じるところはありますか?

ふかわ:ああ、それもありますね。僕が本の中で言いたかったのは、綿密に作り込んだエンターテイメント作品の素晴らしさはもちろんあるけど、場合によっては作り込んでいない自然体に近いものを届けたいときもある。僕が今、生放送でやっているのはまさにそれなんです。ほどほどに予測を立てつつ、その場の状況に合わせて臨機応変に動くというか。

なんでもそうだと思うのだけど、自分がイメージしたものと違う現実が訪れたときに、あたふたしてしまうことってあるじゃないですか。そのときのリカバリー力、あたふたしないでいることってすごく大事で。そもそも現実なんて理想どおりにはいかないわけで、そういうものなのだという気持ちでいないと、余裕のない生活になってしまうんじゃないかなと思います。

―ただ、「世の中的にこれが正解、これこそが理想」と思い込んでしまって、どうしても正解や理想に期待し過ぎてしまうというか、そっちを追いかけてしまう人もいると思うんですよね。そういう場合、どうしたらふかわさんのように物事を俯瞰して捉えられるのでしょう。

ふかわ:たとえば地方へDJにいくと、あって当然だと思っていた機材がなかったりするんですよ。そうなったときに、最初の頃は「え、なんでないの?」みたいになっていたんですけど、もうキリがないなと悟って。そこであたふたするより、あるもので楽しんだ方が気持ちは楽じゃないですか。

―それって『風とマシュマロの国』の中で書いていた、「幸せは、手に入れることではなく、今存在しているものを感じること」ということや、最初におっしゃっていた自然との向き合い方にも通じますね。

ふかわ:そうなんです。むしろ、予定調和になってしまうと途端につまらなくなってしまう。文章を書くこともそうですよね。「なんとなくこういうことを書こうかな」と思っていても、いざ書き始めると思わぬ方向へ進んでいくことがあって。それがいいのか悪いのかは別として、目には見えない勢いやエネルギーがそこにはあるじゃないですか。そういうものを尊重したいんですよね。

―さっきの「使役」じゃないですけど、「ペンが僕に、それを書かせてしまった」みたいな(笑)。

ふかわ:そうですね。たとえばアイスランドでSigur Rósやビョークを観ていると、人間を介在して音が奏でられているような気がしてくるんです。「アイスランドでSigur Rósを聴いている」ともいえるし、「Sigur Rósを介在したアイスランドの音を聴いている」ともいえる気がして。

Sigur Rós“Hoppipolla“。アイスランドの雄大な自然の中で演奏するライブ映像

―とてもよく分かります。我々は、アーティストという「媒介」を通した作品を観ているという言い方もできる。

ふかわ:たとえばワインにしても、その土地の風土や気候によって味が変わるように、アイスランドで育ったSigur Rósだからこそ生まれる音というものは絶対にあるわけで。それは自然環境だけじゃなくて、ベトナム戦争があったことでジョン・レノンの“Imagine“(1971年)が生まれたことも、「時代がジョン・レノンを介した音になっている」ともいえますよね。

―ふかわさんご自身のクリエイティブはどうですか?

ふかわ:今挙げたアーティストと並べるのはおこがましいのですが(笑)、僕自身も今まで経験してきたことが材料になって作品が生まれている気はします。小さい頃に見ていたドリフや漫画、アニメ……そういうものが、ずーっと溜まってきているというか。

それと、10代の多感だった頃、渋谷のHMVでジャケ買いをしていた、「何か満たされない気持ちを埋めてくれる音楽はないかな」と貪るように探し求めていたあの頃に吸収していた音楽が、今になっても大きな材料になっている気がしますね。大人になってから吸収したことももちろん肥やしにはなっているけど、ものを作る尺度というか、物差しになっている根本は、10代のときに一度できたと思っています。

小西康陽︎とのユニット・ROCKETMANの“どうにかなりそう-highway mix-”

「7崇拝」が強すぎることが、世の中の閉塞感を生み出していると思うんです。

―人生についてはどうでしょうか。明確な目標を立てて、それに向けて進んでいるのか、それともDJや生放送と同じように、ある程度の段取りは決めているけど、その都度、臨機応変に生きていこうと思っているのか。ふかわさんはどちらですか?

ふかわ:ベタな言い方に聞こえるかも知れないけど、僕は人生を「音楽」と捉えているんですよ。自分が今ハッピーか、そうじゃないかも、音楽でいうところの長調と短調の違いだったり、テンポの違いだったりすると思うんですよね。人も楽器であり、どのような音色を奏でるのか、誰とだったら美しいハーモニーが生まれるのか、みたいな。そんなふうに自分の人生を捉えると、もう少し余裕を持って生きられる気がします。

―確かにそうですね。何か辛いことがあったときに「今、自分の人生は短調の楽章に入ったのだな」と思えば少しは楽になるかも知れない。

ふかわ:そうなんですよ。落ち込んだときに、「辛い」「悲しい」「よくない」とは違う捉え方をしてみることは大切だと思います。とはいえ人生って基本的に辛いですよね(笑)。できる限りハッピーに過ごしたいけど、どうしてもそう思える瞬間って少ないじゃないですか。それってどうしてなのだろう? とずっと考えていたんですけど、僕はその原因が「7拍子」にあるんじゃないかと思っているんですよ。

―7拍子?

ふかわ:はい。1週間って7日単位、つまり7拍子じゃないですか。これがいけないと思っているんですよ。一度、5拍子にして欲しいとずっと思っていて。つまり1週間を「火・水・木・土・日」の5日単位にすれば、平日の3日間を3拍子のワルツで過ごすことができると思うんですよね。

―はははは!

ふかわ:ラッキー7なんて言い方もあるけど、「7崇拝」が強すぎることが、世の中の閉塞感を生み出していると思うんです。DJをやっていても、ずっと4つ打ちの曲ばかりかけていると場が硬直してくるので、途中でビートを変えたりしているんですけど、曜日もそうやってときどき変えてみたらいいんじゃないかって思うんだけどなあ。

―そういえば以前、ラジオ番組で「ふかわりょうという美味しいシチューができあがるのは55歳。おいしくなるのは58歳」とおっしゃっていたのも印象的で。

ふかわ:そんなこと言ってましたか(笑)。全然覚えてないけど、でも言いそうですね。人によって「食べ頃」の時期ってあると思うのですが、僕は55歳くらいな気がするんですよね。今46歳なんですけど、少なくとも20代のときの自分と比べると、世の中からの受け入れられ方、人々の眼差しも変わってきているような気がしていて。そもそもこの世界に入ったのも、若さで勝負をするのではなく、歳を重ねることが味や趣きになると思ったからで。

―そうだったんですね。

ふかわ:自分自身の根本的な価値観みたいなものは、20代の頃とそんなに変わっていないんです。でも、その表現方法や言葉のチョイスが、年齢と共に世の中と噛み合ってきているというか。若い頃は全く伝わってなかったことが、だんだん伝わりやすくなってきているんですよね。そりゃあ同じことを言っても、20代のときと50代のときでは伝わり方が違うのは当然で、そういうところがエンターテイメントの世界にはある。テクニック云々じゃなく、そういうものを超越した「人間力」みたいなものですよね。そういうものを僕は信じていたいんです。

書籍情報
『世の中と足並みがそろわない』

2020年11月17日(火)発売
著者:ふかわりょう
価格:1,485円(税込)
発行:新潮社

『風とマシュマロの国』

2012年3月29日(木)発売
著者:ふかわりょう
価格:1,760円(税込)
発行:幻戯書房

プロフィール
ふかわりょう

1974年8月19日生まれ。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学在学中の1994年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘアターバンを装着し「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。「シュールの貴公子」から「いじられ芸人」を経て、現在は「バラいろダンディ」のMCや「ひるおび!」のコメンテーターを務めている。また、ROCKETMANとして全国各地のクラブでDJをする傍ら、楽曲提供やアルバムを多数リリースするなど、活動は多岐に渡っている。著書に、アイスランド旅行記『風とマシュマロの国』など。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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