「センスがいい人」って? 半田悠人が思うセンス、感性、デザイン

建築家・半田悠人が、今もなお恋するように向き合う建築やデザインの魅力を紐解く短期コラム連載。初回ではアルヴァ・アアルトに代表される北欧建築の魅力、そして「人類総デザイナー時代」について語られたが、第二回目となる今回は、デザイナーになる上で大切だと考えられている「センス」について。

「センスいいね!」と言われたらきっと嬉しいものだが、果たして「センス」とは一体どのようなものなのか? いまいち掴みきれないその正体について、中学時代の気づき、そしてムーミンで知られるトーべ・ヤンソンを引き合いに出しながら、半田なりの「センス考」を綴る。

「センスのいい人」というけれど、そもそも「センス」って何?

「センスのいい人になりたい」。そういう相談をされることがある。自分自身「センスいいね!」とよく言ってしまうし、そう言われれば嬉しい。

前回のコラムで、私は「センスが良ければデザイナーになれる」と書いた(参考記事:「建築家・半田悠人が恋するように綴る、建築とデザインの魅力」)。しかし改めて考えてみると、「センスがいい」とは一体どういうことだろう? そもそも、センスとはなんだろう?

今回は「センス」について、私なりの考えを綴ってみる。

「SENSE(センス)」=「感覚」で、「勘」で、「審美眼」で、「観念認識思慮分別」で、その他も訳語はたくさんある。おそらくは、センスがどういうものか、日本語だと一言で語れないものなのだろう。

でも、もしかしたらどういう状態であるかは表せるのではないかと思っている。センスのよい状態に少しでも近づき、センス自体に気がつくきっかけになればと思う。

半田悠人(はんだ ゆうと)
幼少のころに見た大工さんに憧れ、挫折と紆余曲折を経た後、建築の道へ進む。総合芸術制作会社デリシャスカンパニー主宰。現在も建築家として数々のプロジェクトを手がける。

物事がどのように意味をなしているのかーー「make sense」の重要性に気づいた中学生時代

私は思春期真っ只中、髪の毛には漫画『ルーキーズ』の御子柴さながらワックスをつけ、眉毛をいじり出し、何がかっこいいのかなんて見よう見まねで、何となくKinKi Kidsの堂本剛は「おしゃれ」なのだろうなと思っていた。

そんな「センスの無い」中学生のころ、英語の教科書に「make sense」という熟語が出てきた。センスを、作る? 直訳だとそう思うかもしれないが、この意味は「意味をなす」。センスを作っているのではなく、意味をなしている。その文字面と響きに惹かれた。素敵な熟語だと思ったからか、それからあらゆる物事の、「意味をなしている」側面を探そうとしていた。

左利きなのに右手で習字を書かされることの意味とか、髪を染めルーズソックスを履いて怒られている女子の、怒られている意味とか、成長期には小さすぎた教室の机の意味とか。最後は靴の意味さえ疑って、裸足で校舎を歩いてもみた。何事にも意味を求め、思い込みを呪っていた。恥ずかしながら思春期だった。

しかし、そこで何となく、世の中のほとんどのものがよくも悪くもデザインされていることに気がついた。

そして今も、デザインを理解する上では、この「make sense」がとても大事だと思っている。デザインが何に、どのように意味をなしているのか、また意味をなすようにどのようにセンスを発揮するのか。そもそもそこにどんな意味があるのか。それを考えるのも、デザイナーの仕事だと思う。

トーべ・ヤンソンの「センスのよさ」を裏付けるムーミンの存在

前回のコラムで、私は「デザインは選択だ」と書いた。私なりのセンス考をまとめると、センスのいい選択とはつまり、どのように意味をなす選択をできるかであると言える。

北欧でいうと、憧れのスナフキン様が颯爽とハーモニカを吹く、ムーミンの世界がある。『ムーミンシリーズ』は、文章だけでも哲学的で面白い。すぐ疑問に思うムーミンと、その疑問に対して斜めに答えるスナフキン。さらに、スナフキンは常に、ムーミンや誰かの心に刺さる言葉を選んでいる。

トーべ・ヤンソン著『ムーミン全集[新版]2 たのしいムーミン一家』(2019年、講談社)

話も素敵ではあるのだが、それでもやはり、もともと画家だったトーベ・ヤンソンの描く独特の線のあの挿絵がなければ、ムーミンがこんなにも愛されることはなかったのではないかと思う。

あの絵なくしてはトーベ・ヤンソンはその素晴らしい世界観を他人に共有することはできなかっただろうし、読者の想像するムーミントロールはもっと人っぽかったはずだ。あの挿絵や、あの哲学的な会話があるからこそ、ムーミンは世界に広がった。その構成はとてもよくデザインされている。

それは自分の家族を物語に当てはめたトーベ・ヤンソンだけのファンタジーだった。彼女は彼女らしく世界を表現したことが彼女だけのセンスを作り上げた。

トーべ・ヤンソン / Artist and writer Tove Jansson in 1956.

いつでも自分らしくあること。それがセンスを磨くための方法

トーべ・ヤンソンは、自分自身で学校に通い、画家としての技術を学び、その傍らで『ムーミン』の世界を表現し続けた。彼女自身の努力ももちろんあるが、私は「センス」という点において大切なことは、「自分らしく」あるということだと考えている。人はすぐ変わろうとするけれど、変わらないよさもあると思う。

何となく人の真似をして、他人の価値観で生きてしまっては自分のセンスは磨かれない。本当に優れたセンスは、いつも少し「先」を行く。何からも影響を受けないというわけではないけれど、行く先に道はなく、自分の内側にあるものを信じて進んでいく人に宿ることが多いように思う。

私が思いつくだけでも、そういった人はたくさんいる。建築では、近代建築の四大巨匠として知られるル・コルビュジエ(スイスの建築家)やヴァルター・グロピウス(ドイツの建築家)、日本では「世界のタンゲ」と呼ばれ、都庁などを設計した丹下健三。他のジャンルでは、手塚治虫、宮崎駿、川久保玲、イチロー、お笑い芸人のダウンタウン……。

草間彌生のように幼少期の気づき(何故か水玉が好きだった)や、衝撃的な出会いや、理由もなく好きなもの、いつもドキドキしてしまうもの、それを突き詰めて何かに表現できる力を持った人を、センスがあるというのだろう。

例えば建築家・安藤忠雄は「建築は、小説には敵わない」とかつて講演で言っていた。しかし彼は建築という手法において、コンクリートの壁や差し込む光、余白を使って自分の哲学をうまく表現している。身近なところだと、服装がおしゃれな人は、何も全身ブランド物に身を包んでいればおしゃれなわけではない。その人が「いい」と思ったものを見事に着こなしているのがおしゃれなのではなかろうか。つまり、自分なりに最適な方法で表現できている人を、きっと周りは「センスのいい人」と言うのだろう。

安藤忠雄『光の教会』

そしてもう一つ加えるならば、センスは常に表現しないと存在しないし、「こんなの面白そう」「こんなのよさそう」と思っているだけではセンスにはならない。表現としてそれを受け取る他者がいて初めて、センスは成り立つものだ。

トレンドを追うだけでは、自分だけのデザインは生まれてこない

デザインをする上では、デザインされたものを受け取る人のことも考えた上で、独自性を出せればよりよいと言える。

デザインをしていく中で、データや社会を要因にして考えていくと似通った答えになることが多い。「これが流行っている」「こんなものが売れている」「青は落ち着く」「ピンクがトレンド」「エシカル」「サスティナビリティ」というすでにあるキーワードだけを紡いでいっても、オリジナリティあるものは生まれないだろう。

しかしそこに、自分なりの社会への疑問や、気づきや、インターフェースへの考えがあることで、素晴らしいデザインは生まれる。

仮に、「子どもに本を読ませたい」という要求をデザインするならばどうする? まずは文字に抵抗をなくす仕組みを考えるだろうか? あるいは脳科学的な側面をリサーチするか、本好きな子どもの統計を調べるのか、アプローチはさまざまある。

ある巨匠デザイナーのやり方を引用したい。イタリアのデザイナーであるブルーノ・ムナーリは、『本に出会う前の本』という文字の読めない子ども向けの知育玩具を作っている。ページに穴が空いていたり、素材が違ったり、ボタンがついていたり、ページをめくる楽しさを突き詰めた回答を出している。

ブルーノ・ムナーリ著『本に出会う前の本』(原題:『I PRELIBRI』)

大切なのは感性を養い、自分の言葉で表現すること

オリジナリティのある表現をするためには、インプットの際の「感性」も必要になってくる。感性の鍛え方はすごく簡潔で、本や作品や場所により多く触れ、より多くの感想を持つこと。それだけのことだと思う。

子どものいる方は是非、色んな体験をさせてあげてほしい。もう大人になってしまったと思っている方は、その思い込みを捨て、一番読まなそうな本を手にとってみたり、泥んこ遊びをするのもいいかもしれない。

どんな性格や見た目であろうと、才能などなくても、センスは必ず発揮できるはずだ。どうかさまざまな体験をして、なるべく自分の言葉で物事を表現したり、自分の頭で感想を持つ癖をつけてほしい。『ムーミン』ではスナフキンも、「大切なのは自分のしたいことを、自分で知っていることだよ」と言っていた。

しかし、センスを身につけられたとしても、センスが「いい」かどうかだけは、時代と社会によるところもある。そこが奥深い。ここまでセンスのよさについて綴ってきたが、私で言えば、じつは今、人から「センスがいい」と言われたい気持ちはそんなにない。考えぬいた結果、周りの評価よりも本当の意味で自分が美しいと思ったり、痺れるものを作っていきたいと思っているからだ。もちろん、共感してくれる人がいたら嬉しいのだけど、それは二の次だ。

時代と社会、歴史と宇宙も考えて、実はまだ抜け出せていない思春期の中で自分なりの「make sense」を探し続けたいと考えている。意味のないものこそ、特に。

プロフィール
半田悠人 (はんだ ゆうと)

幼少のころに見た大工さんに憧れ、挫折と紆余曲折を経た後、建築の道へ進む。総合芸術制作会社デリシャスカンパニー主宰。現在も建築家として数々のプロジェクトを手がける。



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かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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