天と地とを貫く大きな木・宇宙樹ユグドラシルが世界の中心にあり、神々と巨人たちの戦いが繰り広げられるというユニークな物語を持つ「北欧神話」。興味深いのは、そんな北欧神話の世界観が、八百万神を崇める日本の伝承や風習、神話のそれとも通じる部分があることだ。北欧の人々や私たち日本人のライフスタイルの多くは、木々や草花に神性を見出し、自然物を心の拠り所とする神話や言い伝えなどを通じて育まれてきたと言っても過言ではないだろう。
そこで今回、国内外の木の文化や聖樹、自然にまつわる思想などを研究している文筆家・杉原梨江子と、ここ最近は屋久島や沖縄でのフィールドワークを自身の作品世界にフィードバックさせているコムアイ(水曜日のカンパネラ)による対談を実施。人々はなぜ、樹木をはじめとする自然物に対して畏怖の念を持つのか、都市部に住む人々が自然をより身近に感じるためにはどうすればいいのか、語り合ってもらった。
※この取材は、換気・手指の消毒等新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策を十分に行った上で実施しました。
北欧神話は「樹木崇拝」の頂点をなす神話と言われています。(杉原)
―映画やゲーム、漫画など様々なコンテンツに影響を与えた北欧神話は、樹木崇拝ととても深い関係があるそうですね。
杉原:はい。北欧神話はスカンジナビア半島、すなわちスウェーデン、ノルウェー、デンマークに口承で伝わってきた神話ですが、その世界の中心には「宇宙樹ユグドラシル」という巨大な木が存在しています。ユグドラシルがなんの木であるかは諸説ありますが、現在はトネリコとイチイが有力とされているんですよ。
―なぜトネリコとイチイが有力とされているのですか?
杉原:トネリコは天に向かって真っ直ぐ伸びる高木で、昔は治療薬として使われました。北欧神話では「人間はトネリコから生まれた」と語られ、人々から崇拝されてきた歴史があるからです。日本でも御神木として多いイチイは樹齢1500年くらいになる長寿の木。こちらも薬木として信頼され、かわいらしい赤い実がなるんですよ。
コムアイ:北欧神話の世界では、天は巨人ユミルの頭蓋骨でできているんですよね。神話ではよく神様の体の一部から国が生まれたりするけど、それにしても頭蓋骨って(笑)。
杉原:北欧は厳しい自然環境の中で、捕獲した獲物は余すところなく食べるというか。解体して全て利用するという生活の知恵が神話の世界観にも反映されているんでしょうね。ちなみに巨人ユミルの骨は山や岩に、血は海、肉は大地、脳味噌は雲で、歯と顎は石、そして睫毛は防壁として利用されています。
コムアイ:え、人間が生まれる前から世界に防壁が作られていたんですか?
杉原:そう。防壁は神様が巨人から人間を守るために作るのですが、これは北欧神話がベースになっている『進撃の巨人』にも出てくる設定ですよね。
コムアイ:そうなんだ!
杉原:神様が中心にいて、人間の運命に影響を与えたり、巨人と戦ったり恋に落ちたり。様々な事件が巻き起こる、その世界の中心にはユグドラシルがそびえ立っているため、北欧神話は「樹木崇拝」の頂点をなす神話と言われています。いろいろ調べていくと、巨大な1本の木が天と地を繋ぎ、世界を支えているという「中心軸の思想」は世界中にあるんですよ。
人間が自然の中に存在していられたのは、言葉や名前が存在していなかった時代だと思う。(コムアイ)
―北欧神話以外にも見られる思想なんですね。
杉原:はい。たとえば日本の『古事記』の国造り神話では、天の御柱の周りをイザナギとイザナミが巡る場面がありますが、これもある意味「中心軸の思想」が根底にあると言えます。エジプトではイチジクの木が聖樹とされているし、イギリスではオークの木が崇拝の対象になっている。人間を支える大樹の話は世界中にあるんですよ。
―旧約聖書の『創世記』にも、アダムとイブに知恵を与える聖樹としてリンゴの木が出てきますよね。
杉原:リンゴは北欧神話にも登場する重要な木です。女神イズンが「若返りのリンゴ」をいつも持ち歩いていて、最高神オーディンや雷神トールたちはこれを食べているから歳を取らない。ところがある時、そのリンゴを女神もろとも巨人に盗まれてしまうんですよ。
途端にオーディンたちは腰が曲がってヨボヨボの老人になってしまい、慌てて取り返しにいくというエピソードがあります。ちなみにユグドラシルも実がなって、食べられるんですよ。そういえば、コムアイさんは制作のために屋久島へ行かれたそうですね。森の中で精霊を感じました?
コムアイ:うーん、あまり感じなかったかもしれないです(笑)。屋久島に精霊をイメージしていたのは行く前の自分で、実際に行ってみると人が普通に暮らす場所だったことが、私にとっては逆に衝撃でした。人間が自然の中に存在していられたのは、言葉や名前が存在していなかった時代だと思うし、その時って自然信仰という概念すらなかったと思うんです。
私は、言葉は境界線を作るものだと思っていて。何かに名前をつけるという行為は、人間とそれ以外を区別するような、悲しい気持ちを起こさせることだなと。今を生きる私たちは、自然の外側にいることを否が応でも強く感じるし、どうにかして自然からエネルギーをもらいたいと思って信仰の対象にしている。そこに人間の悲しさも感じるんです。
自然界には他者の概念はないし、コントロールできない時間の流れの中を進んでいる。(コムアイ)
―森の中にいる動物たちは、木を「木」と認識していないからこそ森の一部でいられるけど、私たちは「木」や「動物」と名づけてしまったがために、自然と切り離されてしまったとも言えますよね。
コムアイ:そうなんです。自然界には他者の概念はないし、自分でコントロールできない時間の流れの中を、ワーッと進んでいるんじゃないかなって。善悪の判断を自分で下し、行くべき方向へ進もうとしたり、逆に悪のほうに惹かれてしまったりするのは、人間だけじゃないですか。
そういう概念のない世界が自然にはあって、私が森の中に入って木に触れている時に感じるのは、そういう世界の入口なのかなと。それと同時に、人間であることを忘れてしまうような場所へ、連れて行かれるようなちょっと怖い感覚もあるんですよね。
杉原:その感覚はわかります。屋久島でいちばん有名な木は「縄文杉」と名づけられていますが、木の立場からしたら名前なんてなくて。ただ森の中で特別大きかっただけの話なんですよね。その巨大な木に圧倒され、人間より遥かに長い年月を生きる生命に私たちが崇拝の念を抱くのは自然のことのように思います。
コムアイさんがおっしゃるように、人間も木も動物も、みんな繋がってこの世の中に生きていたのだと思います。縄文杉のような名前のある木を目指してその場所に行ったとしても、その周囲にある「名もない木」に心惹かれるかもしれません。先入観をなるべく捨てて歩き、自分の心に響く木を見つけられたらいいですね。
被爆樹木は御神木とは全く違う佇まいというか、悲しみを背負っているようにも見えて。(杉原)
―杉原さんは、広島で原爆を生きのびた木々「被爆樹木」を観に行くこともあるそうですね。
杉原:はい。被爆の傷痕を残す木々に会いに行き、木のそばで生きてこられた人々のお話を聴いています。これは広島城跡にあるユーカリの木の写真で。投下直後は枝も全て吹き飛ばされて、幹は焼け焦げてしまったのですが、そこから再生して、その後2度の台風で倒れながらもまた芽吹いて、ここまで、大きくなっています。ユーカリは、本来は空に向かってまっすぐ幹を伸ばす木なのですが、これは本当に……。
コムアイ:捻れていますよね。木が焼けるとこんなふうになるんだ。広島には、他にも被爆樹木はあるのですか?
杉原:この木のすぐ近くにマルバヤナギがありますよ。普通の柳と違って、葉が丸いのでマルバヤナギ。これは樹皮だけを残して幹の内側が空洞になっています。包帯のようなものを巻いているのは、これがないと割れてしまうからなんです。
こうした被爆樹木は、御神木や森の中の大樹とは全く違う佇まいというか、悲しみや恐怖を背負っているようにも見えて。もちろん、それは「被爆樹木」と名づけて、人間が勝手に感じていることであり、木は何事もなかったように毎年スクスクと育っているんですけどね。
―長崎にもやはり被爆樹木はあるのでしょうか?
杉原:長崎で有名なのは、山王神社の境内に立つ樹齢500年を超える2本のクスノキです。御神木としても祀られていて、地元でも愛されています。宮司さんたちがクスノキの姿を通して被爆の恐ろしさを伝えようとなさっていて、木のそばに階段がつけられ、被爆によってできた幹の空洞がのぞけるように工夫してあるんですよ。木と人間とが一緒に歴史を伝承していっているということだと思います。
被爆当時は「75年は草木も生えない」と言われていたんです。「もうこの土地には住めないんじゃないか」とみなさん不安に思われましたが、焼け焦げた木の幹から元気に芽吹いたり花を咲かせたりしている様子を見て「私たちもここで頑張ろう」と思い復興に尽力したという方々がたくさんいらっしゃいました。
長い生命を持つ巨大な木の姿を建物に取り入れることで、自分たちの健康や長寿を願ったのかも。(杉原)
―樹木崇拝は、北欧や日本だけでなく世界各国にもあるのでしょうか?
杉原:あります。たとえばインドネシアのバリ島では、ガジュマルが神様なんです。日本の神社と同じように、バリ島でも御神木の周りに祠があり、だんだん装飾物が増えて大きな建造物になっていったような寺院を多く見かけました。バリでは街路樹もガジュマルが多く、御神木には日本のしめ縄のように布が巻かれているんですよ。
―「ポレンの布」ですよね。白黒のギンガムチェック柄は、光と闇、善と悪、生と死を意味しており、世界はそのバランスで成り立っているというバリの人たちの世界観を象徴していると聞きました。
コムアイ:インドに行った時に、寺院が木を囲うように立てられているのを見ました。木のウロ、コブのような部分がペイントされていて、そこに触ろうと物凄い行列ができていて。ブッダも菩提樹の下で悟りを開きましたけど、ヒンドゥーの女神も、木の下でヴィーナという楽器を演奏している姿が描かれていて、そういうストーリーを通して「木」が聖なる存在になっているのかなとも思うんです。
杉原:確かにそうかもしれませんね。菩提樹は、その下でお釈迦様が悟りを開いたから聖樹になったのではなく、もともと崇拝の対象であった菩提樹だからこそ、お釈迦様はそこへ行って悟りを開いたのではないかと。今の私たちが想像する以上に自然がたくさんあって、自分たちが生まれる前から存在し、自分たちが死んだあとにも存在し続ける木に対して畏敬の念は、今よりも遥か昔にあったのではないかなと思います。
―考えてみれば、木は自然界で最も背が高く大きな生物であり、建築物を生み出すはるか昔の人間が木に対して畏敬の念を抱くのは当然のことだったのかもしれないですね。
杉原:元をたどれば教会も木の形に似せて作られたと言われていて。巨大な木の周辺は自然の中で神聖な場所となり、そこに次第に神殿や教会が造られていった。長い生命を持つ巨大な木の姿を建物に取り入れることによって、自分たちの健康や長寿を願ったのかもしれないですよね。
たとえば北欧の森に多いモミや松などの針葉樹も、長く厳しい冬の間も木々が緑を絶やさないで、雪の中で堂々と立つ姿は命の輝きのように見えたと思うんです。家や家具を作ったり、食料や薬にもなるなど、木は生活に欠かせないものですし、畏敬の念を感じると同時に、家族の健康と幸せを守る存在として信頼していたと思います。
大地にしっかり根を張って、自分の中心軸をしっかりさせることが大切。(杉原)
―そもそも杉原さんはなぜこんなにも木に関心を持つようになったのですか?
杉原:実は以前、体調を崩して静養していた時期があったんです。当時は人と話すのも怖くなってしまって。その時に、家で育てていたガジュマルの木が芽吹く姿に勇気づけられたんです。姿形は違うけれども、同じ命が一緒の空間に存在することに助けられた気がした。木の命と私の命とが共鳴し合うような感覚。
少しずつ体調も良くなって散歩にも出かけられるようになった時、ある公園で大きなイチョウの木と出会ったんです。しばらく幹に寄りかかっていたら、自分の中にある後悔や怒りや悲しみなどを、全て受けとめてくれて許してくれる気がして。
―なぜその時、助けになったのが「木」だったんだと思いますか?
杉原:木は大地にどっしりと根ざし、樹冠は天高く伸びていく、その力強い生命エネルギーが細胞のひとつひとつを蘇らせてくれるようでした。人と関わるのが辛くなると、家族の言葉も恋人の言葉も、誰の言葉も自分に届かなくて、そこから先に進めなくなる時があると思うんです。孤独な時に、「木」という物言わぬ命が内なる自分に囁きかけてくれ、生きる勇気をくれるのだということを私は実感しました。そこから「この感覚は私だけのものだろうか?」と、世界中の木や花にまつわる伝説を調べ始めたんです。そうすると、古今東西様々なところで人々が木や花と心を通わせ、生きる力をもらっていたことがわかって。
杉原:心理学でも、枝が腕、幹が胴、そして根が足といった具合に、木と人間が連動して考えられているように、大地にしっかり根を張って、自分の中心軸をしっかりさせることが大切であるということも学びました。いろいろな活動をしていますが、私の中では「木は人を支え、力を与えてくれる」というひとつの考えに基づき、それを伝えたいと思っています。
自然を持ち帰り、それを自分の視点で美しく生かせるのは、人間だけが持つ美的感覚。(コムアイ)
―コムアイさんは、屋久島や沖縄での体験を経て都会で感じる「自然」に変化はありましたか?
コムアイ:新宿御苑は年間パスポートを持っているのでたまに行きます。ただ、御苑はルールもしっかりあって「自然に触れる」という感覚ではないですね。「都会の植物はしっかり管理されているのだな」と寂しくなっちゃうこともある。
もし自分が今後、子どもを育てるとしたら「自然」を生活の中に取り込めるような環境で暮らしたいと思っているんです。自然を持ち帰り、それを自分の視点で美しく生かせるのは、人間だけが持つ美的感覚じゃないですか。
―生花や盆栽などもそうですよね。
コムアイ:他にも食べたり、お薬に使ったり、葉っぱで笛を作ったり(笑)。自分の生活に自然を取り込むのは素敵なことだと思っていて。でも都会だとなかなかそういう機会がない。薬草の知識ももっと身につけたいんです。自分で植物を栽培するなら、薬草やハーブがいいし、役に立つ植物が好き。病気に効いたり、いい香りがしたり、人間に作用する植物に興味があります。
人間が長い時間をかけて実験を繰り返し、効能を見つけたということにドラマを感じるし、薬草の知識を持って森に入ると、楽しさも全然違う。山椒を見つけた時とかメチャクチャ嬉しかったんです。薬草の様々な言い伝えも世界中にありますよね?
杉原:薬草は、昔は「魔法」のように思われていたんですよ。薬草を食べたり、煎じて飲んだりすると、病気だった人が元気になるわけじゃないですか。それって昔の人にとっては魔法以外の何物でもなかった。だから、神話の中に魔法のツールとして登場する薬草が、現代では医学的に効能が認められているものもたくさんあります。
たとえばニワトコ。エルダーフラワーとも呼ばれる植物で、北欧の伝説やケルト神話にも登場しますが、現代では風邪予防の薬草として知られています。また、セージはアラビアでは長寿の薬草で、「庭にセージを植えた家から死者は出ない」ということわざもあるほどです。
コムアイ:以前ケニアへ行った時、国立公園のレンジャーの方が道に生えていたセージの葉っぱをおもむろに取って、脇の下にめっちゃ塗ってたのを強烈に覚えているんですよ、「ワイルドだなあ」って(笑)。あれは香りづけみたいな意味だったのかな。
―セージは虫除けになるから、虫除けスプレー代わりだったのかも知れないですね。
杉原:そうかもしれないですね(笑)。北米には、ハーブティーなどにも使われるダンデライオン(タンポポ)にまつわる言い伝えがあります。南風の神様が、ある時金髪の美少女と出会って恋に落ちるのですが、南風は怠け者でいつも彼女を眺めているだけ。行動に移すことがとっても苦手なんです。
コムアイ:なんだかかわいい神様ですね(笑)。
杉原:気がついたらすっかり時が経ち、少女は成長して金髪が白髪に変化していました。すると南風の神様は、その成長した女性が恋の相手だと気づかず、フーッと溜め息をつく。その風で綿毛が飛んで女性も消えてしまいます。毎年春になるとまた金髪の少女が現れるのですが、最初に会った少女ほど美しい人には出会えず、いつまでも悔やんでいるお話です。
コムアイ:えー、切ない……。
自分が大切にしていた、人・もの・ことを思い出す時間が、自然と繋がること。(杉原)
―コムアイさんは「自然を生活の中に取り入れたい」とおっしゃっていましたが、具体的に何か考えていることはありますか?
コムアイ:実は私、八ヶ岳に家を借りようと思っているんです。拠点を増やしたいのもあるのですが、薪を割って火にくべたりしながら、植物や動物、虫たちをもう少し身近に感じてみたいんです。自分が「神聖」なものだと思っている自然の中で生活してみたらどう思うのか、自分の意識がどう変わるのかに興味があるんですよね。
―都心ではなかなか「自然」を身近に感じる機会は少ないと思うのですが、杉原さんが部屋のガジュマルに勇気づけられたり、公園の木に生きる力をもらったりしたように、私たちが「自然」との繋がりを感じるには、どんな方法があると思いますか?
杉原:自然との繋がりを感じるために、わざわざ森林浴に出かけたり、大樹を探す旅に出る必要はなくて。近所の公園に立っている木でも、通勤通学途中にある木でも、旅先で出会った木でもいいので、「自分の木」を見つけてほしいなと思います。その木のそばに行くと、自分が大切にしていた「何か」を思い出せるような木。たとえば、子どもの頃に自然の中で遊んだ感覚や、昔旅をした時に感じた安心感や心地よさが蘇ってくるような。
私は「こころの木」とも呼んでいるのですが、その生命力に触れて、前に進む力が湧いてくる木を見つけて、自分の中心はどこにあるのか考えるきっかけにしてほしいなと思います。それは新しい自分自身を見つけにいくことでもあるし、自分が大切にしていた、人・もの・ことを思い出す時間が、自然と繋がることなのだと私は思います。
- 書籍情報
-
- 『いちばんわかりやすい 北欧神話』
-
2013年1月19日(土)発売
著者:杉原梨江子
価格:838円(税込)
発行:実業之日本社
- プロフィール
-
- コムアイ
-
歌手・アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受け歌い始める。「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。その土地や人々と呼応してライブパフォーマンスを創り上げる。好きな音楽は世界の古典音楽とテクノとドローン。好きな食べ物は南インド料理とグミとガム。趣味は世界各地に受け継がれる祭祀や儀礼を見に行くこと。音楽活動の他にも、モデルや役者など様々なジャンルで活動している。
- 杉原梨江子 (すぎはら りえこ)
-
文筆家。広島生まれ。日本の木の文化、世界の聖樹、花、薬草にまつわる伝承や神話、思想を研究。ライフワークとして、原爆、戦争、震災を生きのびた木々を訪ねて撮影し、当時の記憶がある人々から話を聴き取り、後世に伝える執筆、講演活動を続けている。日本文藝家協会会員。著書に『いちばんわかりやすい 北欧神話』『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』(共に実業之日本社)、『自分を信じる 超訳「北欧神話」の言葉』(幻冬舎)、『神話と伝説にみる 花のシンボル事典』(説話社)等多数。