松居大悟が、小説『またね家族』を上梓した。映画監督に舞台の作演出、ミュージックビデオの監督など枠にとらわれず活動してきた松居だが、この『またね家族』は彼にとっての初の小説作品であり、同時に、松居の表現者としての新たな表情をのぞかせる素晴らしい作品となっている。
彼が監督する映画やミュージックビデオでは衝動的とも青春的ともいえる蒼さや激しさが際立っていたが、この『またね家族』には松居の新たなアプローチが見える。ここには、人と人が共に生きることの複雑さと愛おしさ、そして、人間の弱さと悲しさと逞しさが、丁寧な筆致と静かなストーリーテリングで綴られている。これまで「叫び」の奥に隠されていた松居大悟という作家の内省の深さと上質なささやきが、言葉の連なりとして見事に屹立しているのだ。また、これまで松居自身が目を背けてきたという「家族」というテーマは、この作品を読んだ多くの人に、自らの人生のルーツを問うことだろう。
今回、そんな松居と、かねてより交流のあるバンド、クリープハイプのフロントマン・尾崎世界観との対談が実現した。これまでミュージックビデオや映画を通してコラボレーションしてきた松居と尾崎だが、2016年に小説『祐介』を上梓した尾崎は、松居にとって先輩にもあたる。オンラインで質問を投げるという形で、松居と尾崎の現在の関係から、「家族」を巡る話まで、存分に語り合ってもらった。
(尾崎くんとは)たまーに会えば盛り上がるんだけど、ここ数年は倦怠期の夫婦みたいな感じです。(松居)
―今日は松居さんの初の小説作品『またね家族』の発売を記念して、おふたりに対談をしていただこうという企画です。
尾崎:前に、久しぶりに会ったときに「渡したいものがある」と言われて。「映画の主題歌でもやらせてくれるのかな」と思ったんですけど、「小説を書いたから読んでほしい」と言われてびっくりしました。たぶん、最初に渡してくれたんだよね?
松居:そう、最初のゲラ。尾崎くんも、かなり早い段階で『祐介』を読ませてくれていたんですよ。
尾崎:そうだね。
―まず、おふたりの関係性について伺っておきたいのですが、この約10年の間で、お互いの関係性は変わりましたか?
松居:僕の体感では、昔と今とでかなり違いますね。僕らが出会ったのは2011年なんですけど、その年はクリープハイプがメジャーデビューする前の年で、僕も映画監督デビューする前の年だったんです。
その年に下北沢の駅前劇場っていうところで出会って以来の付き合いなんですけど、僕にとっての尾崎くんは、最初は「負けたくないライバル」っていう感覚が強かったですね。でも、この3~4年はもう倦怠期の夫婦というか(笑)。たまーに会えばまた盛り上がるんだけど、やっぱり倦怠期、みたいな感じです。
尾崎:倦怠期というのは……1回来てしまえばもう、どうしようもないですから(笑)。
―ははははは(笑)。
尾崎:1度、セックスレスに陥ってからというもの、お互い、なんとか盛り上げようとしてたまに飲みに行ったりもするんです。その日は盛り上がって、ちょっと熱めのメッセージを交換したりするんですけど、1週間くらいしたら、また同じ場所に戻っている。この3~4年はそんな感じですね。敢えて一切、連絡を取らない時期もあったし。
松居:半年に1回くらいは盛り上がるんですけどね……一晩は。
―しかし、セックスレスに陥る……。
尾崎:2016年に“鬼”のミュージックビデオ(以下、MV)を撮ってもらったのが、表向きには最後なんです。僕としても、クリープハイプと松居くんでやれることは、あれでもうやり切ったという感覚があって。
そもそも、『私たちのハァハァ』(2015年公開)のときから、倦怠期の感じは若干あったんです。別のところから「2組でなにかやってもらいたい」というオファーがあって“鬼”のMVを作ったんですけど、その時にやれることを全部やりつくしましたね。
松居:“鬼”のときも、久しぶりで盛り上がりはしたんですけどね。ただ結局、倦怠期は再び訪れるという……。
尾崎:今日、久しぶりだよね、こうやって話すのも。この数年間は、ずっとお互いが別の場所で闘っている感覚がありましたね。
『祐介』を読んで、純粋に面白いなと思ったし、悔しくもありました。(松居)
―松居さんは尾崎さんをライバルと見ていたということですが、尾崎さんから見た松居さんはそもそもどんな存在だったのでしょう?
尾崎:ライバルという感覚はなかったです。松居くんは僕がやりたいことを具現化してくれる人だし、もっと仲間意識がありました。ただ、お互いに嫉妬深いので、どちらかの調子がよくなると関係がおかしくなるんです。同じ状態じゃないとダメなんです。
松居:そうだね。そもそも僕の方が年齢は1個下ではあるんですけど、僕は尾崎くんがやってきたことを追いかけている感じがあるんですよね。ラジオもそうだし、『AERA』の「現代の肖像」もそうだし、今回の小説ももちろんそうだし……『アウト×デラックス』(フジテレビ系)もそう。いつも尾崎くんがやったあとに、僕がそれをやっているんですよ。
尾崎:『アウト×デラックス』に出たのは松居くんのほうが先だよ。
松居:そうだっけ。
尾崎:そうだよ。松居くんのほうが本当にアウトだから(笑)。
―(笑)。
尾崎:裏を返すと、松居くんは僕のあとにやっているから、そのぶん上手くいっているんですよ。映画監督だから、冷静に見ているんでしょうね。いつも、「上手くやりやがって」と思っています(笑)。
―(笑)。今回、松居さんが小説を執筆されたのは、尾崎さんが小説を執筆されていたことの影響もあったのでしょうか?
松居:ありました。実は、もっと前にも小説を書いてみようとしたことがあったんですよ。でも、そのときは書けなかったんです。そうこうしているうちに尾崎くんが『祐介』を書いて。それを読んだときに、尾崎くんの感覚や言葉が、音楽的なものではなく、ちゃんと小説作品になっていて、すごいと思ったんです。もともと、出会った頃にはお互いに好きな小説をお勧めし合ったりもしていたんですよ。
そういう相手が小説を書いたっていうことに、すげえなと思いました。『祐介』を読んで、純粋に面白いなと思ったし、悔しくもありました。自分ができなかったことを、尾崎くんはできていると思ったので。
尾崎:『祐介』に関して言うと、正直、自分自身としては届けたいところに届かなかった感覚がありました。タレント本のコーナーに置かれているのを見て落ちこんだし、手には取ってもらえたけど、文芸が好きな人には相手にされなかった。結局は、もともとあった器のなかで書いた作品だったので、実力不足だということがはっきりわかりました。
あと、「半自伝」という触れ込みは出版社が譲らなかった部分なんですけど、もっとちゃんと抗っておけばよかったと今でも後悔しています。そんな感じで、いろんな悔しさがすごくある作品なんですけど、でも書いてよかったとは思っています。
松居:うーん、なるほどなぁ。
―ただ、『祐介』を執筆されたことによって音楽に還元された要素もあるのでは?
尾崎:まず、歌詞を書くうえで、今までラクをしていたんだということを実感しました。言葉としておかしくてもメロディがあれば成立するのが音楽だとしたら、小説の場合はもっと緻密に言葉を積み上げていかないといけない。まったくラクができない、長距離走をしている感覚になるんです。
そういう意味では、小説を書いたからこそ自分についた筋力があるし、それによって、自分の歌詞に対して確信を持てるようになりました。それまでは「これでいいのかな?」と思うことも多かったけど、それがなくなって、歌詞においても「これは言葉として成立しているな」と、自分のなかでの正解が見えやすくなったと思います。
MVのような3~4分で伝えきらなきゃいけない作品を撮っている人が、ここまで「抑えた」表現をしているのも面白かった。(尾崎)
―尾崎さんは『またね家族』を読まれて、いかがでしたか?
尾崎:この小説に書かれていることって、僕はほとんど知っている話なんです。「これはあの人だな」とか「これはあのときのことだな」とか、実際に松居くんから話を聞いていたのでわかることも多いんですけど、見事に僕の影だけないんですよね(笑)。僕の匂いだけが消えているという……これはなんなんだ? って。
松居:いや、これはフィクションだから(笑)。フィクション。
尾崎:まぁ、いくら実際に仲がよくても話せなかったこともあるだろうし、「本当はこう思っていたんだな」という発見がありました。松居くん自身、時間が経って客観視できるようになったこともあるだろうし。そうやって、いろんなことがわかってよかったですね。
お父さんの話は、ここまで深くは聞いていなかったんです。だから、知らなかったこともたくさんあったけど、きっと松居くん自身、この作品を書くことで気づいたこともあるんだろうと思いました。
松居:受け入れることができなかったから人に話していなかったんだと思う。ちょうど、この小説に書いた出来事があったくらいの時期に、尾崎くんとはよく一緒に動いていたけど、その尾崎くんにも話していなかったということは、自分のなかでも避けていたし、逃げていたことだったんだろうなと思う。
ただ、僕が『祐介』を読んだときに思ったのは、小説って、自分の内面を掘り下げてそれを言語化することで見えてくるものがあるのかなって。演劇や映画は、一緒に作品を作る仲間に共有しないといけないんですよ。「小説は、共有しなくていいのか」と気づいたときに出てきたテーマが、今回のテーマである「家族」だったんです。自分にとって「家族」は、あまり他の人と共有したくないことだったから。
尾崎:あと、普段は映画を撮っていて、しかもMVのような3~4分で伝えきらなきゃいけない作品も撮っている人が、ここまで「抑えた」表現をしているというのも面白かった。この小説のなかでは、ものすごく大きな出来事が起こるわけでもないんだけど、そういう物語をここまでの長い分量で書くのは、我慢しなければいけないことも多いと思うんです。そこは、松居くんの新しい表現の引き出しが開かれたんだろうと思いました。
松居:それくらい、「やらなければいけないこと」だったというか。そもそも僕自身には、あんまり感情的な部分ってないんですよ。僕の作品って、音楽や物語の力によって感情的な表現になっていたんだけど、自分自身だけの表現になると、あんまりエモーショナルな部分は出てこないんですよね。
尾崎:書き始めたのはいつ頃?
松居:去年の夏くらい。
尾崎:映画が延期になったんだっけ?
松居:そうそう。映画も延期になったし、家を引っ越したんだけど、広すぎて居心地が悪くて。いろいろ節目だった気がする。クリープハイプとの関係性もそうだし、よく一緒に仕事をしていたカメラマンの塩谷(大樹)くんとも「これ以上はないよね」っていう感じになっていたし。
自分がやってきたいろんなことが、もう極北まできたというか、行き切った感じがあって。「とりあえず、1回、なにもせずに考えよう」と思って、半年間仕事も入れずに時間を空けたときに、小説を書きたいなと思った。そのときは、「人と出会いたくない」って思っていたんだと思う。
尾崎:もともと引きこもり体質だから、そこは苦じゃないんだろうね。
松居:うん、楽しかった。小説を書くことって、心のなかをずっと文字にしていく感じというか。この小説の値段がいくらかなんて考えていなかったし、誰に読んでほしいとも思っていなかった。こうして作品として世に出るけど、発売される実感がいまだにないんですよ。本当に出るのか? と不安なくらい。それは、今までにまったくない感覚なんですよね。
僕は今年36歳ですけど、今だからこそ、この小説を自分事として捉えることができたと思います。(尾崎)
―先ほど松居さんが仰っていた、「他人と共有したくない」ものとして「家族」というテーマが出てきたのは、なぜだったのだと思いますか?
松居:これまでも、「家族」についての作品は仕事で持ちかけられたこともあったんです。でも、僕自身が家族のことを俯瞰できていないと思っていたから、全部お断りしていて。そのくらい、家族は自分のなかで一番「なかったこと」にしているテーマだった。
そもそも、僕には「家族」の定義がわからなかったんです。テレビで家族を描くとしても、どういうものが普遍的な家族なのか、ステレオタイプな家族なのかもわからない。そういう気持ちもあって「家族」というテーマは避けてきたんだけど、ずっとそういうわけにはいかないだろうとも思っていて。この小説は、「書きたいこと」があって書いているというよりは、「どうなるかわからないから書いてみよう」という感じだったんです。尾崎くんが言ったように、「書きながら考えよう」とも思っていたし。
―尾崎さんは、本作の「家族」というテーマをどう捉えましたか?
尾崎:僕の父親が2年前に癌になったんですけど、そのことを思い出したりしました。あのときの病院の記憶とか。僕は今年36歳ですけど、今だからこそ、この小説を自分のこととして捉えることができたのかもしれないと思います。もし、僕らが出会った頃の年齢でこの小説を読んでいたら、「松居くん、大変なんだな」としか思えなかったかもしれない。
でも、客観的に見ると、松居くんの家族を「羨ましいな」と思いますね。トコさん(松居の母で、コラムニスト)は毎回、東京に松居くんの舞台を見に来たりしているし。
松居:尾崎くんにも、由美子と勝(尾崎の両親)がいるじゃん。
尾崎:まぁ、よくMCとかラジオでネタにしているね(笑)。
松居:尾崎くんには、家族の歌はないよね?
尾崎:ないなぁ。
松居:作りたいとも思わない?
尾崎:うん、そういう歌が好きじゃないのかもしれない。聴いていてもピンとこないというか、ミュージシャンが家庭の歌を歌い出したら、寂しくなるから。自分は孤独であるべきだと思っていて、表現者が急に満たされてしまった時に感じるあの何ともいえない寂しさをよく知ってるから。だから、「家族」というテーマは、避けているのかもしれない。誰かの「家族」の物語に触れるのは好きだけど。
―松居さんは、本作を書かれるうえで一番苦労したポイントというと、どこになりますか?
松居:最後のほうで、主人公が初めてとある感情に気づくシーンがあるんですけど、最初はそこに理由を書いていなかったんですよ。今までその感情を出せていなかったのに、どうして感情が高ぶるのか、その理由を書いていなかった。でも、編集担当の方に「もっと、ここの感情が知りたい」と言われたんです。ただ、それでもなにを書いていいかわからなくて。
結果、編集者とやり取りを重ねながら書いていったんですけど、あれは大変でしたね。書きこむべきところで書き込むっていうことが、すごく難しかった。
尾崎:それは、映画監督の癖かもしれないよね。察してもらう職業だから。
松居:たしかに。普段は画角や表情で想像してもらうことを、言語化しなければいけないっていうのは、難しかった。それに、そこを書いてしまうことによって一方的になってしまうというか、その情報だけになってしまいそうで怖いなって。そういう意味でも、内面を書くのが難しかったんですよね。
松居くんが珍しいのは、恋愛じゃなくて仕事で依存的になるんだよね。仕事仲間に対しての気持ちが強いんだと思う。(尾崎)
―『またね家族』と『祐介』を比べてみても思うのですが、松居さんは「家族」や「劇団」というコミュニティを描いているのに比べ、尾崎さんはあくまでも「個人」という視点にフォーカスを当てて書かれていたような気がしたんです。そこに、お互いの作家性の違いがあるのではないかと思いました。
尾崎:でも、やっていることは一緒だと思います。僕の場合は、人との関係を切り捨てることで、人との関係を欲していることを伝えていたけど、松居くんの場合はもっとストレートに、「繫がりたいけど、繫がれない」という状態を書いている。根底にあるものは、実は一緒なんじゃないかと思います。
―なるほど。
尾崎:ただ、松居くんはすごく依存する人なんですよ。さっき、カメラマンの塩谷さんの話も出ていましたけど、一時期よく一緒にいて、1~2年くらい会わなくなることなんて仕事ではよくあることじゃないですか。
でも、松居くんはずっと一緒にいないと納得できないんです。だから、ちょっとでも離れちゃうと、その人とは「絶縁だ!」となってしまう。今回の小説を読んで、松居くんはそんな自分の依存的なところをすごく客観視できているんだと思いました。
松居:自分では依存しているとは思っていないんだけど(笑)。「依存」という言葉を使うなら、僕らはみんな依存しているもんだと思っているから。だから、「意外とみんなサバサバしているんだな」って世間の驚きのほうが強い。自分の感覚のほうが普通だと思っているから。
尾崎:いや、あなたは特に依存しているよ(笑)。
松居:そうかなぁ。
尾崎:そうだよ。松居くんが珍しいのは、恋愛で依存的になるんじゃなくて、仕事で依存的になるところなんです。その分、仕事仲間に対しての気持ちが強いんだと思います。
松居:それはそうだね。カメラマンを変えると不倫しているような気持ちになったりする……。一つひとつの作品を恋人とか家族くらいの気持ちで作ろうとしているからかもしれない。
尾崎:前に、ヨーロッパ企画の山口さんが僕らのMVを撮ってくれたときに(ヨーロッパ企画所属の山口淳太が、“イト”のMVを監督した)、山口さんが松居くんに「クリープハイプのMVを撮るから、アドバイスがほしい」と連絡したらしいんです。でも、松居くんはそれを無視したんです(笑)。
―そうなんですか(笑)。
松居:……正直、「なんでお前が」って嫉妬してました(笑)。
尾崎:そういうやつなんです、松居くんは(笑)。でも、それも愛情ですからね。
―周りに依存的になる、その根底にある「寂しさ」のようなものが、松居さんを表現に駆り立てている部分もあるのでしょうか。
松居:それは少なからずあると思います。人にかまってほしいから発表し続けてきたっていう感覚があるんですよね。作品を発表することをやめると、誰にも必要とされなくなるような気がするんですよ。それが怖くてずっとやってきたっていう感覚は、この10年くらいはあったように思います。
―だとすると、今回、「世に出る」という実感がないくらいの内省から小説作品が生まれたというのは、松居さんにとってすごく特別なことなんですね。
松居:……諦めたのかもしれないです。諦めたというか、「もう大丈夫だろう」と思えたというか。去年の夏くらいまでは「不安だ、かまって」っていう感じで、なにかしら発表し続けないといけないと思っていたけど、大きな映画が延期になったこともあって、「1回、忘れられてもいいか」と思えたんですよね。「忘れられてもいい」というより、「もう忘れられないだろう」という感じだったかもしれないけど。それで、一度閉じこもって小説を書いてみたら、その作品のなかに「不安だ、かまって」っていう今までの自分が持っていた感覚があったっていう。
家族に対して「向き合おうとした」という事実が、僕にとっては大きいです。(松居)
―『またね家族』を執筆されたことで、松居さんはなにを得ることができたのだと思いますか?
松居:結局、「家族ってなんだ?」ということに対しては、なにもわからなかったんですよ。それに、向き合えたのかどうかもわからない。ただ、家族に対して「向き合おうとした」という事実が、僕にとっては大きいです。それが今の自分にとってはすべてかなと思います。あとは、読んでもらって感想をもらうことで、実感が出てくるのかもしれないです。
―尾崎さんは、今後の小説執筆に関してはいかがですか?
尾崎:ちょっとずつですけど書いています。今は、やりたいことが明確にあって。それは、『祐介』のときのように自分に近しいものではなくて、自分とはまったく違った人物を主人公にして、自分に関係ない出来事を通して、自分の内面を書くということ。それができなければいけないと思って進めているんですけど、なかなか上手くいかなくて、苦労しているんですよね。一度は書き切ったんですけど、納得がいかなくて、もう4年くらいかかっているんです。
松居:そうだよね。『祐介』を書き終えたあとにもう取り掛かっていたから。
尾崎:うん。1作で終わるのは格好悪いと思うし、それに「できない、難しい」と思うことに直面できていること自体が、自分の支えにもなるので。
家族に対してできていなかったことが浮き彫りになっているので、考え直したいと思っている最中です。(尾崎)
―最後に、『またね家族』には「血縁」としての家族の複雑な関係性が描かれていると思います。もしかしたら今、仕事や学校に行くことができない自粛生活のなかで、これまで以上に家族との関係性に戸惑ったり悩んだりしている人も多いかもしれないと思うんです。人はどのようにして血縁の家族と向き合いながらよりよく生きていくことができるのか、おふたりの意見を伺いたいです。
尾崎:僕の場合は、今こういう時期でも、母親がスーパーで働いているので、パートに行くんです。「お金は大丈夫だから、やめて」と言うんですけど、「迷惑がかかるから行かなきゃいけない」というんです。そういう部分は、もう話し合っても通じ合えないところだったりして、自分がいかに今まで家族とコミュニケーションをとってこなかったのかが浮き彫りになっている気がします。実は、家族だからこそ簡単にわかり合えないものなのかもしれないですね。
松居:そうだね。
尾崎:「家族」という言葉に対する甘えもあるし。今、家族に対してできていなかったことが浮き彫りになっているので、しっかり考え直したいと思っている最中です。松居くんはどう?
松居:僕は最近、母親がYouTuberになって、動画をどんどんアップしているんですよ。それを僕は見守っているんですけど(笑)、「楽しそうにしているな」と思いながら、連絡も取り合っていて。そう考えると、僕はもう「家族」であろうとも思っていない感じがあるんですよね。
「息子らしくしなきゃ」とも思わずに、YouTubeを見て、ただ感想を伝えているっていう。そう考えると、僕の場合は「家族」というものに対して抵抗しなくなった部分があるんだと思います。この小説を書いたことによってそう思えたのかもしれませんけど、「家族だから仕方がないんだ」と諦めることで、楽になれるというか、優しくなれる感じはありました。期待しなくなった、というか。
尾崎:そうやって前向きに分けることも、時には必要だと思います。もちろん、それは簡単にできることではない。でも、それができずに苦しんでいる人がこの小説を読んだらどう思うのか、すごく楽しみですね。
- 書籍情報
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- 『またね家族』
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2020年5月20日(水)発売
著者:松居大悟
価格:1,815円(税込)
発行:講談社
- 『祐介・字慰』
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2019年5月9日(木)発売
著者:尾崎世界観
価格:660円(税込)
発行:文春文庫
- 『苦汁100% 濃縮還元』
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2020年5月8日(金)発売
著者:尾崎世界観
価格:759円(税込)
発行:文春文庫
- 『身のある話と、歯に詰まるワタシ』
-
2020年6月19日(金)発売
著者:尾崎世界観
価格:1,540円(税込)
発行:朝日新聞出版
- リリース情報
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- クリープハイプ
『愛す』通常盤(CD) -
2020年1月22日(水)発売
価格:1,100円(税込)
UMCK-56881. 愛す
2. キケンナアソビ
- クリープハイプ
- プロフィール
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- 松居大悟 (まつい だいご)
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1985年、福岡県生まれ。劇団ゴジゲン主宰。2012年、長編映画初監督作『アフロ田中』が公開。『私たちのハァハァ』でゆうばり国際ファンタスティック映画祭2冠受賞、『アズミ・ハルコは行方不明』は東京国際映画祭・ロッテルダム国際映画祭出品。2018年には74分1カットの映画『アイスと雨音』や『君が君で君だ』が公開、ドラマ『バイプレイヤーズ』シリーズの監督も務める。最新監督作に映画『#ハンド全力』。
- 尾崎世界観 (おざき せかいかん)
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バンド「クリープハイプ」のボーカル、ギター。自身が編集長を務める雑誌の発行、小説、エッセイや書評コラムでも頭角を表すなど、多岐に亘って活躍中。音楽に止まらず、その言語表現も注目されている。6月19日に文芸誌「小説トリッパー」での対談連載をまとめた書籍「身のある話と、歯に詰まるワタシ」を刊行予定。