人々の日常を描いて危険視された ソ連の亡命作家ドヴラートフ

人々の日常を描いて危険視された ソ連の亡命作家ドヴラートフ

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上田洋子
編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)

直接的には政権批判をしていなかった、ロシアの亡命作家たち

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』のもうひとりの主人公である詩人のヨシフ・ブロツキーは、映画で描かれた時期の半年後にあたる1972年5月、国家権力から亡命を迫られ、祖国を捨てる羽目になった。同年9月、ドヴラートフも自由を求めてレニングラードを離れ、エストニアのタリンに移り住んだ。その後、ドヴラートフはいちどレニングラードに戻るものの、1978年に亡命した。ふたりともニューヨークに住み、亡命ロシア人コミュニティーを形成した。その後祖国に戻ってくることはなかった。

だから、映画『ドヴラートフ』で描かれるのは、まもなく祖国を捨てることになる作家と詩人なのだ。11月7日は革命記念日。建国の祝祭日であるこの日の直前の一週間が舞台とされているのは偶然ではないだろう。ソ連という国は革命によって生まれた。いくら彼らが政治的な記念日に無関心であったとしても、11月7日という日付は彼らの人生を規定している。いまではドヴラートフもブロツキーもロシアを代表する作家・詩人として、国民に広く愛されている。彼らが亡命作家であることを、いまのロシア人はどう思っているのだろうか。

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages

亡命を余儀なくされた彼らは、どのくらい反体制的だったのだろうか。じつはドヴラートフもブロツキーも、たとえば現代の作家や芸術家たちによくみられるような、政治家や政策を名指すような直接的な政権批判は行なっていない。ブロツキーは1963年にいちど逮捕され、収容所に送られているが、そのとき問われた罪は「徒食者」として、定職につかずにぶらぶらしていることだった。ブロツキーの作品は政治色が薄い。むしろ、社会参画を促すような政治的なテーマを持ないことにこそ、ブロツキーの危険性があるとみなされていた。

ドヴラートフの小説も、社会や人間に対するアイロニーはあるものの、政権批判的であるわけではない。彼の作品のうち、『わが家の人びと』『かばん』の2冊が日本語になっているので(ともに成文社)ぜひ読んでいただきたいが、この作家の本領は笑いとペーソスのある飄々とした文体にある。作品で描かれるのは、身近な人々の日常的で人間的な振る舞いだ。彼の作品にはロシア文学に人々が期待するような苦悩や重苦しさは一切ない。だからこそ、彼の作品は同時代のソ連文学に与することがなかった。実際、ドブラートフはヘミングウェイやフォークナー、サリンジャーら、20世紀アメリカ文学に影響を受けているという。あえてロシア文学の系譜に当てはめるなら、チェーホフの短編に見られるドライな笑いが近いのかもしれない。

ソ連がなくなる直前の1990年、ドヴラートフはアルコールが原因で49歳の若さで亡くなった。死後4年を経て、1994年にペテルブルクで3巻本のドヴラートフ作品集が刊行されると、文字通りドヴラートフ・ブームが起こった。この作家の作品は、その後も様々な版で出版され、ブロツキーの詩集とともに、どこの本屋にも欠かせないベストセラーであり続けている。

ドブラートフの代表作のひとつに、彼が徴兵で収容所の看守をしていたときの体験に基づく『ゾーン』(未邦訳)がある。沼野充義(日本のスラヴ文学者)の言葉を借りれば、作家はこの作品で「『収容された側』からだけでなく、『収容する側』、つまり囚人を閉じ込め、管理する立場にある人の視点からも収容所の生活を描き出し、人間としては囚人も看守も驚くほど似通っているということを示した」(『わが家の人びと―ドヴラートフ家年代記』 / セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフ著 / 沼野充義訳 / 成文社)。そこに描かれているのは収容所に暮らす人々のふつうの日常だ。収容所のシステムを批判するのでも、犯罪の善悪を問うのでもない。ドヴラートフもブロツキーも、国家のイデオロギーや政治を軽やかに回避した。だから、彼らの作品は、かつてのソ連人を政治の言葉から解放した。彼らの作品によって、人々は自分たちが生きている時代や生活、文化を語る言葉を得たのだ。

最後に、監督のアレクセイ・ゲルマン・ジュニアについて。彼は日本でも公開され、カルト的な人気を得た『フルスタリョフ、車を!』、『神々のたそがれ』の監督、アレクセイ・ゲルマンの息子である。父はまさにドヴラートフやブロツキーと同じ世代のペテルブルグの知識人。ゲルマンJr.にとって、本作で描かれた世界は父の生きた世界である。この作品は2013年に亡くなった父が属したカルチャーへのオマージュでもあるのだろう。

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』場面写真 ©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages
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作品情報

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』

2020年6月20日(土)から渋谷ユーロスペースほか全国で順次公開
監督:アレクセイ・ゲルマン・ジュニア
出演:
ミラン・マリッチ
ダニーラ・コズロフスキー
スヴェトラーナ・コドチェンコワ
エレナ・リャドワ
上映時間:126分
配給:太秦

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