自分の中の怪物とどう付き合うか。小国少年の抱えた葛藤
久しぶりに会った小国さんはいつもと変わらずスマートないで立ちだ。元NHKディレクターで、いまはフリーでさまざまなアイデアを形にする彼のもとにいろんな人が自然に集まってくるのも頷ける。子どもの頃からそんな風だったのだろうか? ふと興味が湧いて尋ねてみると、彼の答えは意外な方向へと進んだ。
小さい頃から勉強も運動もできて、ある種クラスの人気者だったんです。クラスをすっかり掌握していたつもりだったんですが、実態は「頭のいいジャイアン」、あるいは「意地の悪い出木杉くん」だったんでしょう。10歳のある金曜日、突然起きたんですよ。クーデターが。クラスで「小国くんについて」というお題の学級会が開かれたんです。
驚きましたね、本当に。僕の目の前で、クラスの皆が「小国くんはファミコンの順番を守らない」とか「こういう部分が嫌いだ」とか、辛辣なコメントをいうんです。しかも僕はクラスの書記係だったから、それを逐一記録しなくちゃいけない。最後にクラスのみんなが僕のよくないところについて書くことになって。そして次の日の土曜日、先生に手渡されてそれを読みました。週末、何回も読み返しましたよ。そう、どこか極端に思い上がってしまう自分がいたんでしょうね。
その経験から小国少年は、「自分の中にはモンスターがいて、こいつとずっと付き合っていかなければならないんだ」と強烈に意識するようになったのだという。
大学を卒業し、2003年にNHKに入社した。もともとは民放のバラエティー番組が大好きで、入社するまでNHKは見たことがなかった。しかし入社するや否や、難しいことをわかりやすく深く伝えるNHKの番組作りに衝撃を受け、自分がいままで知らなかったテレビの面白さを痛感した。当時、先輩ディレクターが教えてくれた井上ひさしさんの言葉がいまでも強く心に刻まれている。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでもゆかいに」。
NHKという存在は、小国さんにとって、自分の中のモンスターを流し込む「水路」だったという。その「水路」とは、ときに狂気的にさえなるエネルギーを社会のために生かすという道。つまり、方向さえ間違えなければ、ありのままの自分を社会で存分役立てることができる。小国さんにとって自分の存在価値を認めることができた場所、それがNHKなのだった。
NHKを内と外から見たからこそ見えてきた、自分のやるべき課題
こうして番組ディレクターとして着実に実績を積み重ねていた2014年、予期せぬ出来事に見舞われる。体調を壊し、番組作りの第一線から退かざるをえなくなったのだ。しかし禍福は糾える縄の如し、そこで舞い込んできた広告代理店への社内留学が新たな気づきをもたらす。NHKの外からはじめてNHKを眺めることで、その価値を改めて知り、復職後は「番組を作らないNHKディレクター」として、新しい仕掛けを次々と繰り出し話題を呼ぶようになる。
200万ダウンロードという大ヒットとなったアプリ「NHKプロフェッショナル 私の流儀」がその一例だ。予期せぬ出来事さえも、見事に自分の枠を突き破る力に変えながら「NHKを骨の髄までしゃぶり尽くす」と公言していた小国さん。なのに、2018年にNHKを退社することになる。いったいなぜ?
NHKのことが大好きだから、NHKが持つ膨大なリソースの価値も知っています。それを徹底的に生かすためには、中からだけでなく、外に出て動いたほうがいいのではないか。つまり、社外の他のリソースと縦横無尽に組み合わせることよって、もっともっと活動のスケールを大きくすることができるのではないかと考えたんです。
会社は社会の公器。ならば、ひとつの会社だけでなく、より多くの力を社会のために結集させたい。社会という、より大きな器が抱える問題に対してどのようなことができるのか、存分にチャレンジしてみよう。NHKという場所で実績を作ってきたいまだからこそできることではないかと思ったんですよね。
この思いは、番組制作を通じて小国さんが感じていた使命感にも端を発している。社会課題に関する番組を作るとき、課題先進国といわれる日本には取り上げるトピックがたくさんあるものの、いざソリューションとなると具体的な活動はあまりなく、海外の事例を紹介することが多かった。その度に、「もっと日本を土壌とするソリューションを自分で作りたい」と思っていた。だからこそ、会社という土俵から、社会という、より広い土俵に活動の拠点を移し、クリエイティブなアイデアを開発することに全力を注ぎたいと考えたのだった。
YouTuberで思い知った、「熱狂する素人」の強さ
独立後は、まさに八面六臂の活躍ぶり。認知症の人が活き活きと働く『注文をまちがえる料理店』『ラグビーワールドカップ2019』を通じて街作りに取り組む「丸の内15丁目PROJECT.」、がんを治せる病気にするプロジェクト「deleteC」など、様々なテーマに取り組む。
正直、自分自身がなにか特別なテーマや専門性を持っているわけではないという。自称「CSO」=チーフ素人オフィサーだ。それは、難しいと思われている問題に対して、誰よりも熱狂するサポーターでありながら、枠にとらわれない発想や行動力を持ち込み、多くの人を巻き込む役割。その根底にあるのは、「熱狂する素人のほうが、中途半端なプロよりも強い」という思いと自身への反省だ。
「YouTuber」なる人たちの存在を初めて知ったとき、コンテンツ作りのプロとして、彼らを正直バカにしていたという。しかしご存知のとおりYouTuberは、既存のメディアがおよそ到達し得ない未知の領域をあっという間に切り拓き、いまや小学生にとって「将来なりたい職業ランキング」のNo.1になった。自らの経験や常識にとらわれ、得体の知れないメディアをイケてないと切り捨て、世の熱狂の萌芽に気づかなかった。自分は中途半端なプロだと感じたという。
『注文をまちがえる料理店』で実感した、「誰も見たいことのない風景」作りの面白さ
独立してもう1つわかったことがある。それは、自分が本当にやりたいことは「television(テレビジョン)」だと再認識したこと。NHKに入社してすぐの頃、お笑い以外の番組を見たことがなかった自分の役割を模索する中で、その言葉の意味を調べたことがある。ギリシャ語でteleが「遠く離れた」、visionが「映す」を意味する。番組作りとはまさに、遠く離れたなにもないところからストーリーを形作り映し出す作業ともいえる。そしてディレクターという役割は、誰も見たことのない風景を描き出し、それを制作に関わるあらゆる人々に共有することだ。小国さんがNHKで最も鍛えられたこの力が、いまいかんなく発揮されている。
その一例となるのが、先出の『注文をまちがえる料理店』といえよう。それは、「介護の素人」である小国さんが、「認知症の人びとが働くレストラン」という、誰も見たことがない風景を思い浮かべたことから始まった。認知症介護施設の取材をしていたある日、献立がハンバーグと聞いていたのに出てきたのは餃子だった。「あれ、おかしいな?」と自分では思っていたのに、みんなは平気で餃子をパクパクとおいしそうに食べている。その様子が半端じゃなく素敵に見えた。途端に、ある光景が一気に鮮明に映像となって浮かんできた。
とてもおしゃれなレストラン。入り口には「注文をまちがえる料理店」という看板がある。小国さんがドアを開けて入っていく。オーダーを取りに来るのは、かわいいエプロンをつけたおばあちゃん。「ハンバーグください!」というと、ハイハイっていいながら餃子が出てくる。「頼んだの違いますよ~!」って一緒に笑う。
だから『注文をまちがえる料理店』も、僕はあの映像として見えた新しい風景をただ丁寧に話して、形にしていっただけなんです。
飲食業では通常、注文をまちがえることが一番ダメなこととされる。はじめ多くの外食サービスのプロが「面白いが、誰も手を挙げないだろうな」と思っていたという。しかしながら、ここがチーフ素人オフィサーの力の見せ所だ。26社の外食サービスの社長の前で15分間のプレゼンをしたとき、「外食の素人」として自分の頭の中にある映像と熱意を語る小国さん。業界の著名な経営者たちがその熱を感じ取ってくれ、実現に向けエネルギーの流れが大きく変わったのだった。
2017年6月、『注文をまちがえる料理店』プレオープンの初日。僕は小国さんに招待いただき、家族で訪問した。認知症の皆さんはニコニコとそれは楽しそうだ。期待に違わず(?)付け合わせのサラダが1つ足りない。いっていいのかな、と気を遣いながらやんわり指摘してみると、「あら、ごめんなさいねー」と笑ってくれた。お互いを思いやり、ハプニングすら楽しみながらおおらかに笑って過ごす。これって、認知症の方だけでなく、人と人とのコミュニケーションや社会全般のあり方にも必要なことなんじゃないか? 通常、レストランで注文をまちがえることはマイナスのことだが、僕たちにとってはプラスの価値に変わっていた。みんながお互いに対して優しい気持ちを持てるって本当に素敵なことだ。
みんなで笑いながら革命を。NHK退職後のうろうろアリが目指す社会
小国さんはこれからも、そうした「出会い方のデザイン」を意識していきたいと思っている。
世の中には、認知症やがん、LGBTQなどいろんな課題があるけれど、北風と太陽にたとえていうなら、テレビって北風みたいな描き方が多かったりする。認知症は大変だぞ~ってネガティブな部分にフォーカスしてしまいがちだったり、しっかり真面目に啓発を繰り返している。それは自分を振り返ってもそう思う。もちろんそれも大事なことだけれど、暗い話や怖い話だけだとやっぱりみんな疲れてしまう。関心や支援も続かなくなります。
だから、僕は太陽のようにやりたい。みんなが社会課題に抱く印象を楽しいものに変えて、身構えたりすることなく、より多くの人が参加できる場を作りたいんですよ。
小国さんが目指すのは、みんなで笑いながら革命を起こそうと語りかける存在だという。時代の流行り廃りに左右されるのではなく、たとえば自分の子どもが15年後でも「パパが作ったもの、面白いね」といってくれるようなアイデアを世に送りたい。「公共性」をなによりも重んじるNHKで磨き続けたのは、「なぜいま、その問題を取り扱わなければならないのか」という普遍の水脈を見つけ出す「見立て力」。それを時代のフィルターを通して表現することによって、普遍と時代性を併せ持つ、強いクリエイティブアイデアを生み続けたいのだと語ってくれた。
独立して、「小国士朗事務所」という自分の名前を冠した会社名としたのも、役職などの肩書で自分の動きを規定するのではなく、ただ「小国士朗」として生き続けたい、勝負し続けたいという自分への宣言だそうだ。思ったこと、やりたいことに対して、もう寸止めする必要はない。「毎年1つくらいは大ホームランを打ち続けて、自分の名刺の実績をアップデートし続けたいですね。『プロフェッショナル』のアプリや『注文をまちがえる料理店』をやった小国さんですよね、といつまでもいわれないように」と語る。
最後に、LEGOブロックを使って、小国さんがこれからどんな存在でいたいのか、を表現してもらった。うーん、と一瞬考えた後、パッパッと頭の中に浮かんだ映像を形にしてくれた。自身は真ん中にいて、手を挙げているように見える赤い服のキャラクター、その周りを様々なキャラクターが囲んでいる。小国さんが表現したのは「この指とまれ」をしている自分。どこにも属さない素人の自分が、「みんなで見てみたいと思う風景」を語りながら、「この指とまれ」と呼びかけ、みんなを集めて壮大な遊びを起こし続けたいのだそうだ。
そんな小国さんを見守り続けているのが、10歳の土曜日に手にしたクラスメートからの手紙。自分を律するお守りとして人生の節目で何度も読み返し、いまも大切に保管している。小国さんの謙虚さを支え、多くの人との出会いに導いている。
僕は思った。小国さんの中にいるのはモンスターなんかじゃない。ジャイアンでも出木杉くんでもない。世の中の夢をかたちにして人を熱狂の渦に巻き込み、楽しさや明るさを与える存在……そう、クレイジーなドラえもんじゃないか。なんて勝手にいったら本人には叱られるかもしれないが。
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- 連載『イノベーションを生む「うろうろアリ」の働き方』
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変化のスピード増す現代において、既存の価値観や会社という枠組みに囚われないない「うろうろアリ」こそがイノベーションをリードする。自由な発想で新たな価値を生み出し続ける彼らの、最先端の働き方を紹介するインタビュー連載です。
- プロフィール
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- 小国士朗 (おぐに しろう)
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株式会社小国士朗事務所 代表取締役・プロデューサー。2003年NHKに入局。ドキュメンタリー番組を制作するかたわら、200万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」や世界1億再生を突破した動画を含む、SNS向けの動画配信サービス「NHK1.5チャンネル」の編集長の他、個人的プロジェクトとして、世界150か国に配信された、認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」などをてがける。2018年6月をもってNHKを退局、フリーランスのプロデューサーとして活動。
- 唐川靖弘 (からかわ やすひろ)
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1975年広島県生まれ。外資系企業のコンサルタント、戦略プランニングディレクターを経て、2012年から米国コーネル大学ジョンソン経営大学院Center for Sustainable Global Enterpriseマネージングディレクターとして、多国籍企業による新規ビジネス開発プロジェクトや新市場開拓プロジェクトをリード。自身のイノベーションファームEdgeBridge LLCを拠点に、企業の戦略顧問や組織・人材育成プログラムディレクター、大学の客員講師としても活動。フランスの経営大学院INSEADにおいて臨床組織心理学を研究中。