田附勝が撮るスウェーデンのいま 「北欧」の言葉で括られる違和感

ひとりの編集者がつづる、写真家・田附勝とのスウェーデンの旅

ストックホルムから国内便にトランスファーし、北部にあるキルナ空港へと向かう。北極圏にあたるこの地域は、初夏は白夜のため23時頃でもなお明るい。おそらく厳しい寒さのため植物が満足に育たない、雪の白と岩肌の灰色に覆われた地表が地平線のずっと先まで伸び、チークをまぶすように太陽がそれらを照らす。飛行機の窓から雄大な「スウェーデンの」大地を鳥瞰しながら、ひとつの疑問についてぼくは考える。「スウェーデンという国は縦に長いのか?」

なるほど、たしかにスカンジナビア半島をノルウェーと大きく二分するこの国は、縦に長い。このキルナ地方は6月でも雪が多く見られるが、南部に行くと暖かく、Tシャツでも過ごせる気候だ。

だが、例えば北極圏を中心にトナカイを遊牧して暮らすサーミ族は、もともとは国境をまたいでノルウェーやフィンランド、ロシアを東西に渡り歩いていた。北極圏一帯で暮らしていたサーミ族をさしおいて、13世紀頃に当時の諸国によって国境が設けられ、彼らは分断され、それが現在まで続いている。

キルナのさらに北、アビスコ付近にあるノルウェーとの国境のサイン(撮影:田附勝)
キルナのさらに北、アビスコ付近にあるノルウェーとの国境のサイン(撮影:田附勝)

現代社会における位置付けや気候的な特徴から、サーミ族はアイヌ族との共通点がよく挙げられるが、いっぽうで大陸と島国という、絶対的な地政学的差異がある。つまり、日本は海という国境が物理的に立ちはだかっているが、地続きのスウェーデンには、それがない。彼らにとって、国境とは人間による便宜上のものでしかない。

「北欧」の言葉が生む、舌触りのいいイメージを疑う

2018年の6月、写真家の田附勝とぼくは、スウェーデンの各地を3週間かけて旅した。北部のキルナ空港から旅を始め、少しずつ南下していく。そのなかでぼくらは様々なものを見、様々なことを話し、そして様々なものを撮った。

天邪鬼な二人は、書店に並ぶ雑誌やおしゃれな雑貨屋で氾濫する「北欧」という単語に辟易していた。ノルウェーやデンマーク、フィンランドといった国々をその単語ひとつに括ってしまっていいものなのか、疑問符を拭うことができなかったし、歴史や文化におけるズレを検証することなく舌触りのいいイメージで思考停止してしまうことに、抵抗を感じざるを得なかった。スウェーデンとは、いったいどんな国なのだろうか。その素朴で強固なクエスチョンの答えを見つけたい、とぼくらは考えた。

ストーラ・ショーファレット国立公園(撮影:田附勝)
ストーラ・ショーファレット国立公園(撮影:田附勝)

田附は、日本の写真界で権威ある賞のひとつと言える『木村伊兵衛写真賞』を、写真集『東北』(リトル・モア)で2011年に受賞した。その後も『KURAGARI』(2013年、SUPER BOOKS)や『おわり。』(2014年、SUPER BOOKS)で東北を撮ってきた彼は、写真を通して彼の地の海や山、動物と向き合う人や物を凝視してきた。

田附勝『東北』に掲載された写真 / Ogamisama September 2007, Kesennuma, Miyagi
田附勝『東北』に掲載された写真 / Ogamisama September 2007, Kesennuma, Miyagi(Amazonで購入する

ある人はそこに、現代におけるアニミズムとしての民俗学的な意味を見出した。そしてまたある人は、正面から被写体に向き合う写真家のアティテュードと熱量を見出した。地政学的な文化と紐付きながら東北──日本の北部──を撮ってきた田附が、北欧──欧州の北部──を撮ることで、スウェーデンのリアルを捉えることができるのではないか。その仮説をもって、ぼくらはスウェーデンの首都・ストックホルム行きの飛行機に乗ったのだった。

サーミ族の女性・アンナとの出会い。現代社会と伝統の間で揺れる立ち位置

旅の途中、キルナ付近にあるストーラ・ショーファレット国立公園をヘリコプターで巡った。荒々しい山肌や一面の雪原が広がり、間にサーミ族のサイト(住居)がいくつか見える。そこには、国境──人間が作った国の境──は見えなかったが、ヘリコプターから降りると、一通のメールが届いていた。ノルウェーのフリーWiFiサービスのお知らせだった。気づかないうちに、ヘリコプターはノルウェー側に入っていたらしい。

ストーラ・ショーファレット国立公園にある、サーミ族のサイト。湖のそばに建つ小さな家が見える(撮影:田尾圭一郎)
ストーラ・ショーファレット国立公園にある、サーミ族のサイト。湖のそばに建つ小さな家が見える(撮影:田尾圭一郎)

翌日、実際にサーミ族のアンナという女性に会う機会があった。伝統的な衣装に身を包んだ彼女は、トナカイの毛皮でできたテントにぼくらを誘い、サーミ族やムース(日本名ではヘラジカのこと。スウェーデンでは「森の王様」とも呼ばれる)が遊牧する自然が次々に奪われていること、各国にいるサーミ族が連携し保護や啓蒙の活動を行なっていることを話し、伝統的な料理を振舞って、ヨイク(サーミ族の伝統的な音楽。無伴奏の即興歌を指す)を唄った。

サーミ族のアンナ(撮影:田附勝)
サーミ族のアンナ(撮影:田附勝)

一通りを終え、ぼくらが殊勝な気持ちで考えにふけっていると、アンナは突然腰を上げ、会合の終了を告げた。子どもを寝かさなければならないため、早く帰らなければとのことだった。ぼくらは妙に肩透かしを喰らったような心地になりながら、テントを出た。

日頃、ジーパンを履きTシャツを着ている彼女は、資本主義や消費社会と、そしてスウェーデンの社会システムと共生しながら、サーミ族としての立ち振る舞いを模索している。白夜の北部では外は一日中明るく、昼と夜が二分されないまま、明日もそのまた明日も、続いていくのだと感じた。

キルナのさらに北、アビスコ付近にあるノルウェーとの国境で、田附は写真を撮った。撮影を準備していると、ドイツナンバーのキャンピングカーが目の前を通り過ぎ、軽やかに国境を横切っていった。

書籍情報
キャンペーン情報

田附勝がスウェーデンを旅し撮り下ろした写真に、田附に同行、本記事を執筆した編集者・田尾圭一郎の言葉を加えたフォトエッセイのアートブック『スウェーデン/Sverige』が発売中。先着10名様に、スウェーデン生まれのボルボのコンセプトストア「ボルボ スタジオ 青山」でプレゼントします。ご来店のうえ、スタッフにお問合せください。

ボルボ スタジオ 青山
東京都港区北青山3-3-11 1F
ショールーム・カフェ 10:00~18:00/シャンパンバー 18:00~22:00(L.O.21:30)

プロフィール
田附勝 (たつき まさる)

1974年富山県生まれ。1998年、フリーランスとして活動開始。同年、アート・トラックに出会い、9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、2007年に写真集『DECOTORA』(リトルモア)を刊行。2011年に刊行した写真集『東北』(リトルモア)は、2006年から東北地方に通い、撮り続けたもの。現在もライフワークとして東北の地を訪れ、人と語らい、自然を敬いながら、シャッターを切り続けている。2012年、第37回(2011年度)木村伊兵衛写真賞を受賞。

田尾圭一郎 (たお けいいちろう)

1984年東京都生まれ。雑誌やwebを中心に現代美術の事業を展開する「美術手帖」にて、編集業務、地域芸術祭の広報支援、展示企画、アートプロジェクトのプロデュースに携わる。「やんばるアートフェスティバル2017-2018」広報統括プロデューサー。「美術手帖×VOLVO ART PROJECT」にて、定期的にアーティストによる展示を企画。webメディア「ソトガワ美術館」にて「手繰り寄せる地域鑑賞」を連載。「BIWAKOビエンナーレ2018」に参加。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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