登場人物を支配、断罪しない。ファジーな寛容さに満ちたダルデンヌ兄弟
その感動は衝撃だ。名匠ダルデンヌ兄弟の最新作『その手に触れるまで』は、現代を生きる私たちを直撃する。
1人の少年が狂信的な教えに感化され、自身の女教師を殺そうとする。なぜなら、彼女は宗教上「正しくない」から。宗教がときに陥る絶対性は、ゲーム好きの普通の13歳を凶暴に変革する。かくして彼は殺人未遂を犯し、少年院へーー。
全肯定か、全否定か。現代におけるネットでの炎上は、不寛容な時代の自画像だ。つまり中間層が希薄になり、他者に対するファジーな容認が欠けているように感じられる。
この映画における少年の姿はそのことを私たちに考えさせる。そして同時に突きつける。あなたは、この少年をどのように受けとめうるのか? やはり、全否定なのか? と。
世界が過酷なソーシャルディスタンスを余儀なくされているいま、彼らのクラフトマンシップを探るべく、ベルギーの兄弟監督にオンラインインタビューを試みた。
まず、弟のリュック・ダルデンヌは語る。
リュック:不寛容な時代のありようは、当然この映画に関係があります。主人公のアメッドは、彼が抱えきれない大きな力によって支配されている。その力とは世の中を2つに分断する力です。その力が、「よいイスラム教徒」と「悪いイスラム教徒」というように分断している。自分たちを「よいイスラム教徒」だと盲信する人たちは穢れのある者、不浄な者を排除していきます。アメッドはまだ「生」に満ちていて、人生を謳歌する年齢です。そんな少年が、宗教のために生か死かで迷っている。彼が、生を、つまり人生を取り戻すことができるか。そして、人はなぜ絶対的な価値観を求めるのか? この作品は、そんな物語です。
ダルデンヌ兄弟は、この迷える少年アメッドを決して断罪しない。そして、物語構造の中で支配もしない。彼には彼の自由がある。その生き方を否定せずに、カメラを通じて粘り強く見守っていく。
この点が、この監督たちならではの誠実なスタンスだ。人間を、道具立てに貶めない。悪を正す、というようなありきたりの教条主義に陥らないのである。兄のジャン=ピエール・ダルデンヌは以下のように語る。
ジャン=ピエール:どうしたらアメッド少年が元の人生に戻ることができるのか。私たちは宗教世界に取り憑かれた彼に、現実の側に戻ってきてほしいと思っている。そのような相手に対して、彼の現在を批判したりはできません。
それよりも、私たちは彼を好きになる必要がありました。映画の中の彼を好きになってもらえるように「生かして」いかなければならない。アメッドには、自由に生きてもらわないといけない。
たしかに私たちの他の作品の主人公に比べて、彼を苦境から脱出させることは難しかったです。様々な人物たちと出会わせてみても、彼の心には届かない。狂信は根深いものです。こちらも、その狂信を本気で受けとめるしかありません。
「彼の身体を映画の中心にしようと思いました。だからこそ、あのようなラストになったのです」と、ジャン=リュックはいう。ラストでなにが起きるかは、どうか映画で目撃してほしい。衝撃的な感動がそこにはある。
ジャン=ピエール:私たちは、彼の母親のような気持ちで、アメッドを見つめていました。彼は常に母親の手から逃げようとしていた。なぜ彼はこうなってしまったのか? なぜこんなことをしているのか? なぜ元の彼に戻ってくれないのか? そんな気持ちでいたのです。
登場人物を支配しない作り手だからこその、切実な思い。それを兄ジャン=ピエールは切々と述べた。
人生とは、混じり合うこと。純潔さを讃美せず、人と人とが出会い続ける美しさ
主人公は少年院で、様々な年長者と出会う。その人々の善意や愛情が、アメッドを根源的に変えることはない。だが、その地道な、ひたむきな描写の連鎖は、私たちに教えてくれる。
たとえ無駄になることがあっても、人と人とは出会い続けるべきだと。なにがあっても、出会いの可能性を諦めるべきではないのだと。「おっしゃる通り」と、弟のリュックは口火を切った。
リュック:話し続けることの必要性があります。狂信者の心になにかを届けることは難しい。でも、この物語において、なにも起きなかったわけではありません。なにかが起こったのだと思っています。たとえ、わずかな間だけでも、少年は現実世界に戻ったし、幸福な人生に触れることができたと思っています。
そう。束の間だが、輝かしい場面がある。それは永続的なものではないかもしれないが、その瞬間、彼の心には間違いなく光が射したはずだ。映画を見つめるという行為は、そうしたことを信じる振る舞いではなかっただろうか。
リュックは、さらに次のように続けた。
リュック:「誰かの手に触れる」ということは、「不浄なものを受け入れる」ということです。穢れを受け入れられるかどうか。そのことが問われているのです。兄と一緒にこの映画を作るにあたって考えたのは「不浄なものへの讃歌」にしたいということでした。過激な思想はとにかく純潔に向かいがちですが、実際の人生、現実世界はそれほど純潔なものではありません。いろいろなものが混じり合っています。いろいろな人が出会う場所なのです。混じり合うこと。それこそが人生なのです。
ハッとさせられる言葉だ。私たちもまた、無意識のうちにこうした排他主義に陥っているのではないか? 自分とは考え方の違う他者を否定してしまってはいないか。
ダルデンヌ兄弟の真摯さが、観客の胸を刺すのは、つまりは「混じり合うこと」への可能性に捧げた強靭な祈りが存在しているからに他ならない。
そして、この映画が問いかけるのは、「子どもを前にして、大人はどうしたらいいのか?」ということでもある。
血縁関係があるにせよ、ないにせよ、少しでも長く生きている者が、年少の人々に対してできることとはなんなのか。そして、そもそも大人とはどのような存在なのか。子どものような大人が大手を振って闊歩している現代。「大人であること」を、この監督に尋ねてみたかった。「うれしい質問だね」と、兄ジャン=ピエールは微笑んだ。
ジャン=ピエール:私が思うに、よい大人というのは、自分が子どもだったときのことを忘れない人。ナイーブだった自分の子ども時代を滑稽なものとして捉えるのではなく、そのような時間があったからこそ、なにかを信じることができるようになったと思える人。それが大人だと思います。
まさに大人の優しさを感じる、抱擁力のある言霊だった。わたしはフランス語がわからないが、彼の語り口にはそれだけで救済された。
私たちは、映画から愛される存在なのか。ダルデンヌ兄弟の語る映画と観客のあり方
前代未聞のウイルスによって、私たちは世界的に「隔離」されている。こんなときこそ、文化の出番のはずだが、カルチャーに触れる自由はいま、確実に制限されている。これから先の未来は、これまで以上に、心が重要な時代になるだろう。そこで、あえて問いかけみた。「映画にできることって、なんですか?」と。
弟リュックはいった。「人の心が硬直化するのを防ぐことはできると思います」。では、「心を開く」ためにはどうしたらいいのだろうか? 兄ジャン=ピエールは答えた。
ジャン=ピエール:映画を観ることで、人はより大きくなれる。あなたの言葉を借りれば、映画は人の「心を開くことができる」と思います。アメッドの心が話しかけているんですよ。でも、私自身、映画にそんなことが可能かどうかはわかりませんでした。でも、この映画を観た観客から感想を聴いて、私自身の心も開かれました。きっと、映画というものを観たあとに、人は元の自分よりもっと人間的になっているはずで、観る前の自分から変わっているはずなんです。
そして彼は、ダルデンヌ兄弟の作品の、映画という創造物の、目も覚めるような真実を伝えてくれた。
ジャン=ピエール:映画監督なら、映画を作ったとき、この映画をみんなが好きになってくれたら嬉しいと思うでしょう。私たちはそうではなく、「この映画が、観客を好きになってくれるか?」を問います。観客がこれまで持っていた先入観を捨てることができるかどうか、映画そのものが観客を見て判断しているというわけです。
そして、このことに成功した日本人監督を私は知っています。小津安二郎監督です。彼の映画を観ると、観客は、人生に対して、愛に対して、人の優しさに対して「開かれた気持ち」になります。それはつまり、映画が観客のことを好きになった瞬間なのです。
はたして、私たちは「映画に愛される」存在だろうか?
このことを、いま一度考えなければいけない。映画を愛するだけではなく、映画に愛されるようになること。この認識と覚悟こそが、これからの世界を生きていく上で必要となるはずだ。
- 公開情報
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- 『その手に触れるまで』
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2020年6月12日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演:
イディル・ベン・アディ
オリヴィエ・ボノー
ミリエム・アケディウ
ヴィクトリア・ブルック
クレール・ボドソン
オスマン・ムーメン
上映時間:84分
配給:ビターズ・エンド
- プロフィール
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- ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
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ベルギー出身の兄弟、映画監督。兄のジャン=ピエールは1951年4月21日、弟のリュックは1954年3月10日にベルギーのリエージュ近郊で生まれる。リエージュは工業地帯であり、労働闘争のメッカでもあった。ジャン=ピエールは舞台演出家を目指して、ブリュッセルへ移り、そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会う。その後、ふたりはガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受け、映画製作を手伝う。原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から製作しはじめる。同時に75年にはドキュメンタリー製作会社「Derives」を設立する。
78年に初のドキュメンタリー映画“Le Chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮りつづける。86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、ベルリン、カンヌなどの映画祭に出品される。92年に第2作「あなたを想う」を撮るが、会社側の圧力により、妥協だらけの満足のいかない作品となった。
第3作『イゴールの約束』では決して妥協することのない環境で作品を製作、カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞をはじめ、多くの賞を獲得し、世界中で絶賛された。第4作『ロゼッタ』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門初出品にしてパルムドール大賞と主演女優賞を受賞。本国ベルギーではこの作品をきっかけに「ロゼッタ法」と呼ばれる青少年のための法律が成立するほどの影響を与え、フランスでも100館あまりで上映され、大きな反響を呼んだ。第5作『息子のまなざし』で同映画祭主演男優賞とエキュメニック賞特別賞を受賞。第6作『ある子供』では史上5組目(他4組はフランシス・F・コッポラ、ビレ・アウグスト、エミール・クストリッツァ、今村昌平、12年にミヒャエル・ハネケ、16年にケン・ローチが2度目の受賞)の2度のカンヌ国際映画祭パルムドール大賞受賞者となる。第7作『ロルナの祈り』で同映画祭脚本賞、第8作『少年と自転車』で同映画祭グランプリ。史上初の5作連続主要賞受賞の快挙を成し遂げた。第9作『サンドラの週末』では主演のマリオン・コティヤールがアカデミー賞®主演女優賞にノミネートされた他、世界中の映画賞で主演女優賞と外国語映画賞を総なめにした。アデル・エネルを主演に迎えた第10作『午後8時の訪問者』もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。そして、第11作『その手に触れるまで』も同映画祭コンペティション部門に8作品連続出品という前人未到の快挙を達成し、さらに監督賞も受賞。本受賞により、審査員賞以外の主要賞受賞の偉業を成し遂げた。
近年では共同プロデューサー作品も多く、マリオン・コティヤールと出会った『君と歩く世界』の他、『ゴールデン・リバー』『プラネタリウム』『エリザのために』などを手掛けている。他の追随をまったく許さない、21世紀を代表する世界の名匠である。