『タイガー&ドラゴン』『昭和元禄落語心中』など様々な作品が起因となって断続的に巻き起こる落語ブーム、松之丞改め、六代目・神田伯山が切り開いた講談界の活路。無数の娯楽が横溢する中で、日本の演芸が再び日の目を見るようになって久しい。
「浪曲」という芸がある。落語、講談と並び称されるが、節や啖呵を交えながら時に登場人物を演じ、時に語り手となる浪曲師、その傍らで三味線を奏でる曲師との鍔迫り合いを想起させる駆け引きは、聴き手の想像力に委ねられる話芸の域を脱して観客の情感を揺さぶる。
浪曲を「ひとり和製ミュージカル」と例えた浪曲師・玉川太福は、90代の現役も存在し、女性が過半数を占めるこの世界に20代で飛び込んだ。浪曲界の若き旗手として活躍する彼の持ちネタは、ブルーワーカーの男たちの他愛ないやりとりを切り取ったオリジナル作品である『地べたの二人』シリーズや古典の名作『天保水滸伝』、映画『男はつらいよ』シリーズの浪曲化など際限がない。
Fikaのテーマでもある「クラフトマンシップ」、作り手のこだわりを、伝統的な世界で発揮する表現者から聞く今回の企画。この新たな試みは、浪曲師・玉川太福のインタビューから始まる。伝統芸能でもある浪曲という表現をもって新しい作品を作り続ける彼の創作精神と、演芸界の今後を聞いた。
※この取材は東京都の外出自粛要請が発表される前に実施しました。
―Fikaは北欧メディアでサウナのことを取り上げることも多いんですが、太福さんはサウナ好きで浪曲のネタにもされてますよね。いつから好きなんですか?
太福:ここ2年くらいですね。大学卒業してから13、4年間くらいはずっと風呂なしの部屋に住み続けていたので、銭湯に通うこと自体が私の生活の一部になっているんです。ここ数年通っている近所の銭湯のサウナが割と広くて、気がついたら湯船に浸かるよりサウナにいる時間の方が長くなってました。
―忙しいときでもよく行くんですか?
太福:仕事が重なったりすると整理できなくなってテンパるんですけど、サウナに行って心身を整えると、すっきりリセットされて、すごく気持ちよく創作に向き合えますね。で、その忙しい時期を乗り越えると「ああ、よかった……ご褒美サウナ行こう」とまあ、結局いつも行ってます(笑)。
―サウナをネタにした最新作の『地べたの二人 ~愛しのロウリュ~』では、舞台道具のテーブル掛けを使ってロウリュのまねをしていましたよね。「舞台道具ってそんな使い方していいんだ」ってビックリしました(笑)。
太福:あれは去年、1ヶ月のうちに8席くらいネタおろしがあったときに「ああああぁぁぁぁ!」って切羽詰まって、気づいたらサウナのことを唸ってました(笑)。「テーブル掛けでアウフグースできるじゃん!」って閃いたんです。
太福:それに、サウナでロウリュ、アウフグースを浴びるようになっていろんなところに行くと、熱波師の方にも個性があるのが面白いなと思って(笑)。あとは「熱波」というものをまだまだ知らない人が多いから、こういうサウナの魅力があるんだぞというのを伝えたくて。
―そんなことをする浪曲師は他にいないと思いますが、玉川みね子師匠(太福の公演で三味線を弾く曲師)はテーブルかけをブンブン振り回すことについて何もおっしゃらなかったんですか?
太福:全く何も。心の中はわかりません(笑)。
「何が一番好きで、面白くて、何がしたいんだ」の自問自答。放送作家、コント作家、浪曲師と流れ流れた20代
―『地べたの二人』はシリーズとして多くの作品を作られていますが、どの作品も「名もなき人たちの、何も起きない日常」を笑いとして作品に取り入れていますよね。この形式はどこから生まれたんですか?
玉川太福『地べたの二人 おかず交換』を聴く
太福:『地べたの二人』は元々お笑いをやっていたころにコントとして作ったものが原型になっています。それを浪曲にして、どんどんシリーズ化して増えていきました。
―そもそも太福さんは、浪曲師になる前にテレビの現場で放送作家見習いとして裏方を経験したり、自身でコントを作って演じることもしたりと紆余曲折ありますよね。
太福:行き当たりばったりじゃないですけど、流れ流れてきましたね(笑)。小学生のことからお笑いの世界の裏方として働きたいと思っていて、大学卒業後、コント作家になるために放送作家の事務所に入ったんですけど、「ここコント書かなくていいところだから」「視聴率を取る企画を考えるためのところだから」って言われて。テレビの世界の「視聴率を取れる面白いもの」ってまた独自のベクトルなんですよ。
―太福さんの考える「面白いもの」と「視聴率が取れる面白いもの」は違った?
太福:そうですね。大学時代の終盤からコントを書き始めていて、放送作家事務所で働き始めたころは「俺の思う『面白い』とは!?」って青臭く取り組んでいた時期でした。でもそれが、「テレビの面白い」に侵食されていく気がして、「その影響を受けたくない! 俺のほうが面白いよ!」「じゃあもうしょうがない! 自分でやればいいんだ!」と。裏方を志していたのが一転、高校の同級生を誘ってお笑いのライブに出るようになったんです。
太福:そんな時期に、役者になった幼馴染に誘われて、THE SHAMPOO HATという現代口語演劇の劇団公演に行ったんですよ。自意識過剰な男たちの、本人たちは真剣なんだけど客観的に見ると滑稽な、哀愁漂うコメディーみたいな演劇を作っていて、それがすごく面白くて。それからTHE SHAMPOO HATの中で一番好きだった黒田大輔さんが出ていた五反田団を観に行ったら、まあこれが衝撃的に面白くて。友達同士でするような無駄話の現代口語コントをやりたいと。ここに自分が表現したいものが基本的には全て詰まっているなと。そこから、お笑いよりも演劇を意識したコントを作る方に舵を切りました。
―そのころ作っていたコントが、『地べたの二人』の「何も起きない日常」を切り取る作風の原型なんですね。そこからさらに浪曲という表現に至ったのは?
太福:23歳でコント芸人を始めて3年くらい、自分で作・演出していたんですけど、お客さんの前で滑ったりしていると現実の壁にどんどんぶち当たっていくんですよ。さらにある時、プロの役者として飯を食っている人たちと一緒にお芝居やらせてもらったんですが、「君、なんにも芝居できてないよ」って強烈なダメ出しを受けて。台本についても同じように。それは自分の中の感性が鍛えられていくっていう道のりでもあるんですけど、同時に未熟さとか荒さとかがどんどん見えてきて、前に書いた台本を見ても、全然面白いと思えなくなったんです。どこにも所属してないし、「お芝居寄りのコント」っていう一番微妙な、飯の種になりにくいようなことをやっていて、「どうすればいいのかな」と迷っていました。
そのダメ出しの張本人でもある(笑)村松利史さんという役者さんが、「浪曲って知ってる?」ってチラシを見せてくれたのが(のちに師匠となる)玉川福太郎の会で。「全然知りません」って言ったら「面白いから行こうよ」って浅草木馬亭に行って……それが浪曲との出会いですね。
―浪曲のどんなところに魅力を感じたんですか?
太福:当時、木馬亭定席が10日間あって、7、8日通って聴いていたんですけど、福太郎師匠のような優れた演者だと、興味なかった古典の話でもジェットコースターに乗っている子供みたいな楽しい気持ちで引き込んでくれて、「芸」の力ってこんなにすごいのか、と。熱波のように体に訴えてくる話芸の迫力に感動してしまったんです。それまでは「どういう物語で」「どういう良いセンスで」って発想にだけ気をとられたり、「いかに小さな声でしゃべれるか」みたいなぼそぼそしゃべるコントをやっていたので……。
それでいつからか、「このとんでもなく面白い浪曲の世界に、自分が面白いと思える現代的なコントを組み合わせたらどんなことになんのかな?」と思うようになって。何の自信もないし、歌ったりするのも嫌いだし大きな声出したこともないけど、誰もやったことのないチャレンジになるんじゃないかなと。そう思ったらもうやってみるしかないなと、初めて浪曲を聞いてから半年経たないくらいで浪曲界の門を叩き、師匠福太郎にはハッキリと「新作を作りたいです」と言った上で弟子入りして、今に至ります。
―「自分の中にあるものを浪曲という形で出したい」という表現欲求ありきで今に至ったですね。
太福:結局「何が一番好きで、面白くて、何がしたいんだ」の自問自答を続けているんだと思います。
玉川太福『地べたの二人 湯船の二人』を聴く
私たちの些細な日常は、生き別れた親子の再会に劣らない
―浪曲は、浪曲師さんと曲師さんの臨場感あふれる駆け引きも魅力の1つだと思います。三味線の音色が登場人物の鼓動になり、情景の中の雪や雨や土煙になり、芸を彩ってくれる。でも『地べたの二人』はそのダイナミズムを放棄していると言っても過言ではないくらい素朴で。
太福:そうですね(笑)。
―『地べたの二人 ~十年~』というオリジナル作品では、歳の離れた齋藤さんと金井くんという二人の登場人物が「十年?」「丸十年?」「十年と丸十年って違うの?」って言い合っているだけで本当に何も起きない、オフビートとミニマリズムの極致なのに本当に面白い。
太福:大きく言えば僕が面白いと思うのはディスコミュニケーションなんです。2人の人間が普通にいるんだけど、うまく意思疎通ができなくて躓いたり、転んだり、何かささやかな衝突があったりして、でもそれがすごく面白いみたいなものがベスト。なるべく作者の意図が見えない感じでそれをやりたい。実際、私たちは日常の些細なできごとにすごく心を囚われるじゃないですか。それって十分描くに値すると思っていて。生き別れた親子の再会に劣らない、むしろ共感を覚えるのはこっちでしょう、と。
「笑いにすることで救われる」という感覚が根っことしてあるんだと思います。この間の神田伯山さんのパーティーで私の余興が大すべりした、みたいなのもネタにして笑いにすることで自分の中で1個乗り越える。モテないこととか、上手く生きられないことを描いて、それを笑いにする。優しい笑いじゃないですけど、そういう笑いが好きなんです。
伝統の上に乗せているから芸として成立する、浪曲という表現の面白さ
―太福さんの面白さの一つは、落語で言えばマクラ(いきなり落語の本題には入らず、世間話などをする導入の時間)でするような最近のできごとまで、浪曲として作品にしてしまうこともあると思っています。
太福:2018年に『渋谷らくご』で1年間『月刊太福マガジン』という企画をやったんですけど、そこで毎月あったことを浪曲化するというチャレンジをさせてもらったことを続けていて。その流れで『黒豆茶』とかヒット作も生まれました。発明っていうと大げさですけど、自分の武器だからずっとやっていこうと。
玉川太福『地べたの二人 配線ほどき』を聴く
―サウナの熱波師さんのネタもそうですし、伯山先生のパーティーでのほろ苦い記憶を昇華した『サンバが正解』とか、1月下旬にお年玉をあげるあげないで悩むネタとか、直近のできごとを体裁整えずにそのまま浪曲化してましたよね。
太福:やっぱり三味線が入って唸ることで、単なる世間話がお客様にドラマチックに「浪曲」という形で伝えられるんです。三味線が入って、唸って、昔から受け継がれてきた節があるという伝統の上に乗っけているから芸として成立するんだと思っています。私だけの手柄ではなく、浪曲が持っている力ですね。
―太福さんのそういった新作浪曲を創作する姿勢は、ちょっと視点をずらせば、「どんな人間のどんな場面もドラマになりうる」と肯定してくれる優しさがあると思います。それをより強くしてくれるのが「浪曲」という芸の力なのかなと。
太福:そう思っていただけると感無量です。
浪曲界の未来は。次の時代へと進展させる玉川太福の反抗
―これは太福さんにこそお訊きしたいのですが、「これからの浪曲界はこういったものが必要になる」と思うことはありますか。
太福:いっぱいありすぎます(笑)。たとえば定席でいえば、ご常連にだけ向けた意識になっちゃって、「浪曲を知らない人が来てるかもしれない」という意識が失われているんですよね。寄席なんだから、不特定多数の浪曲に馴染みのない方も来てるという意識を持てばいろんなことが変わると思います。あとは番組全体、その日の出演者がチームプレーでお客様を満足させるっていう意識が寄席には必須なんですが、(浪曲は)控えめな芸ではないので「自分が! 自分が!」っていう風にどうしてもなっちゃう。
―私は先日神田伯山先生の披露興行に行ったんですけど、伯山先生きっかけで初めて寄席に来たお客さんが大多数なので、最初はどうしても慣れてないというか、反応が静かで。
太福:そう、そうなのよ。
―でもそこで若手や中堅どころの出演者さんたちが風穴開けて空気をかき回して、後半に出てくる大御所の方々はトリの伯山先生のために引きの高座に徹して。落語・講談は究極の個人芸だけど、主任の演者さんのために全員で襷を繋いでいく寄席という形に感動しました。
太福:芸質の違いはあるんですが、浪曲の場合は、トリの前にがっつり重いものをやって、持ち時間も守らない、みたいな光景がしょっちゅうで。私が木馬亭の番組を作っていた時なんですが、総会で全会員に向かって「持ち時間を守ってください!」って言ったら、「その通り!」「よく言った!」みたいに拍手が起きました(笑)。寄席全体で見て良かったらまた来てくれるし、その中で「この人もうちょっと聴きたいな」と思ったら独演会に来てくれるだろうし。寄席ってショーケースですからね。
―太福さんのような若手でいろんな場所に出向いて頑張っている方の、これからの活躍もより重要になっていきますね。
太福:浪曲をまだ聴いたことがないお客さんの前に出て行く機会をいただいているっていうのはすごく感じています。今の自分の実力とか、芸の力とか、元々持ってる指向性とかでいうと、やっぱり私はまずは新作をぶつけていくでしょうね。その一方で、新作に負けない強度と間口を備えた古典を身に付けたい。自分ができる精一杯の浪曲のアピールは、自分しかできない形でやっていこうと思います。
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- 玉川太福 (たまがわ だいふく)
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1979年生まれ、新潟出身の浪曲師。2007年に玉川福太郎に入門し、2013年に名披露目。2015年に『第1回渋谷らくご創作大賞』、2017年に『第72回文化庁芸術祭』大衆芸能部門新人賞を受賞した。2017年から創作話芸ユニットのソーゾーシーに参加。2019年からJFN『ON THE PLANET』火曜パーソナリティーを担当。サウナ・スパ健康アドバイザー。