「結婚ができない」のは恥ずかしいことですか? 戸田真琴と考える

「結婚」とは、何だろうか。

結婚は幸せの象徴で、ステータスで、憧れ。ある程度の期間をともに過ごした恋人同士の男女は、結婚をする。そのように思うこと自体はまったく悪いことではないし、素敵なものだ。けれど、一つひとつの言葉を裏返して見たとき、ときとして「結婚できない人は幸せではない」「劣っている」「結婚しなければ、好きな人と一緒にいることはできない」という排他的な考えに至ってしまう可能性がある。

戸田真琴自身も、偶然電車内で目にした広告の言葉から「結婚できない人は、かわいそうなんだろうか?」と考えるようになったという。時代が移ろい、恋愛における自由を手に入れるようになっても、私たちは今でも「結婚する / しない」ではなく「結婚できる / できない」と考えてしまう。それは何故だろう?

性を考えるコラム連載第6弾は「結婚」について。あらゆる愛のあり方を肯定できる世の中になりますように、と、願いを込めてお届けする。

結婚が「できない」のは恥ずかしいことなの?

「結婚できない人をゼロに。」

このキャッチコピーを電車内で目にしたとき、なぜだか自分のことを責められているような気がした。毎日ドア付近に立って流れていく街並みを眺めることに癒されていたのを、目線の高さに貼られた広告シールに遮られたようで苛立っていたのもあるし、その頃の私はまだまだ結婚なんて考えたこともない年齢で、「できない」かどうかも本当は測りようがなかったのだけれど……それでも、なんだかすごく、「結婚できない人はかわいそうだから、私たちが手助けをしましょう」という主張がこの広告には含まれているように見えて、ぎくっとしたのでした。

わたしも、適齢期と言われる年齢になったときに結婚につながる恋愛をじょうずにできていなかったら、そのときは「かわいそう」だと思われてしまうのだろうか。そんな嫌な感情でいっぱいになって、とても困ってしまったのです。

戸田真琴(とだ まこと)
2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に発売。

それはとある結婚相談所の広告で、もちろん結婚を望んでいる人たちに向けたサービスなので、実のところそんなに突飛なコピーというわけではなかったのかもしれません。きっとよく考えたら、「結婚『したい』のにもかかわらず『できない』」人、という意味での言葉選びだと予想はついたし、そういう意味でなら別に特別おかしい表現じゃない。

だけれど、そもそもこのコピーを除いても、巷でよく目にする「結婚」にまつわる言葉選びには排他的な目線が混じっていることが多いように感じます。

「結婚できない人」という言葉はよく見かけるけれど、「独身ではいられない人」という言葉遣いはほとんど見たことがないし、結婚をしないことがあきらかにマイナスイメージ前提で語られていることにはみなさんもお気づきだと思います。

あなたは、結婚という言葉を聞くときどんなふうに感じますか? その印象には、結婚制度を知っただけの幼い頃に抱いていた気持ちと、どんなふうに差がありますか。今回は、「結婚」について一緒に考えていきたいと思います。

子どもの世界に登場する大人たちは、ほとんどが男女のペア。「なんとなくいつか結婚する」と思っていた頃

「結婚」について個人的に抱いてきた印象を振り返ってみます。

私が物心ついた頃は、両親も周りの大人たちも一応、恋愛結婚が主流で、現在の関係性はどうあれはじめは好き同士になって結婚した人が多い印象でした。子ども心に、いつかは好きな人ができて結婚するのかな、というぼんやりとした未来図を描いては、結婚しない未来をまだ想像に組み込めずにいたのは、身の回りに「結婚しないまま大人になった人」という存在が見当たらなかったせいもあったかもしれません。

どうしても、世帯向けのマンションや一軒家、幼稚園や学校での保護者同士の交流など、こどもの目にする世界では男性と女性が1組ずつのペアになって誰かの両親、という形で現れることが多く、たいていの人たちにとって「結婚は何となくみんな、いつかするものだ」という認識が芽生えたことでしょう。ご両親が早くに別居や離婚をしたり、あるいは両親の関係性が悪かったりすると、子どもが結婚という約束事に対してポジティブな気持ちを持てないこともあります。私はそのパターンで、喧嘩の多い両親を見てなんとなく、「結婚」に対していい感情を抱ききれない時期がありました。

そんな中で目にした「結婚できない人」という言葉遣いに、繊細なことですが、傷ついたのだと思います。そして、まだこれから未来がどう転ぶかわからないままの子どもである私でさえチクリと胸が痛んだのだから、この表現に対して傷ついた人はたくさんいるのだと想像することができました。独身で生きていくことは、恥ずかしいことなのでしょうか。

パートナーシップの結び方が多様化された世界で、認められるべき「結婚しない」自由

時代はつねに進化し続け、結婚をする人たちの中でも、そこにたどり着く理由は日々多様化していっているのだと想像します。若くしてお見合い結婚をすることが主流だった時代から、恋愛結婚が増えた時代になり、男女交際を結ぶきっかけも学校や会社での接触に限らず、オンラインゲームやSNSなどインターネット経由のものが増えました。そして今では婚活SNSや結婚相談所が「キワモノ」としてではなく、浅く広く世間に受け入れられています。

言うなれば現代は、お見合い結婚と恋愛結婚に便利なインターネットサービスや、プロ運営の相談所という頼もしい選択肢を加えた、いいとこ取りな時代なのだと言えましょう。婚活サイトのキャッチコピーを見て煽られた気持ちになって凹むこともあるけれど、婚活文化が根付いたこと自体はとても明るい現実だと思うのです。

ピュアな恋愛結婚を崇拝する仕組みは打破され、今、恥じらいや情熱などといった不確かなものを尊重する自然恋愛主義がとうとう存在感を消しはじめたシステムの中、WEBサイト上に年齢や趣味や収入等があっけらかんと掲載され、きっと好きになれるかもしれない、お互いの利害が一致するかもしれない、そんなパートナーを自然な恋愛という段階を飛ばして選び合うことが可能になった時代。もちろん、婚活によって出会って恋に落ちる例もたくさんあるのだと思いますが、そういったものと合理性を重視した結婚の例がどちらも否定されない、新しい時代がやってきている。

そして、こうした利害の一致や、恋愛関係だけにたよらないパートナーシップの結び方が選択肢のうちに増えていくことは、それらの選択と「結婚をしない人生を選ぶ」という選択が、個人の尊重のもと、地続きになっていることを示しています。

みんな、もっと自由にやっていい。ルックスや収入を「うまく関係性を築いていけるかどうか」を判断するための材料に加えていいし、そのことを隠さなくてもいい。仲よくならないと言い出せないような趣味を、そっとWEB上に書いてしまって、同志から声が掛かる瞬間を待ってみてもいい。そんな些細な、インターネットの発達した現代だからこそ可能になった「自由」の中に、「結婚をしない」という項目が自然に共存しているのが理想なのだろうな、と思います。

どうか当事者以外の人は、お手軽に邪魔をしないでほしい。

都会で暮らし、SNSで時代の波を察知し、同世代の人たちとばかりいると、「結婚」は自由に考えられる余地があるのだと感じますが、それはこの心地のいい環境から一歩外に出るとまったく通用しないお守りだったりもします。

ふと親戚の集まりで地元に帰ると、「誰かいい人はいないの?」「早くいい男捕まえないと『いきおくれる』よ」「ばあちゃんに孫の顔見せてあげなよ」などなど、踏み込んだ質問やアドバイスのターゲットになってしまいます。私がいくら、結婚をする人生もしない人生も、より自分にあっている方を選択すればいいのだと割り切ろうと、いくらさまざまなパートナーシップ、支え合いのあり方を知ろうと、そんな価値観は説明してもわかってはもらえず、普段なら耳を疑うような偏見が、この人たちにとっては揺らぐことのない「普通」なのだと思い知らされるのでした。

そして、こういう言葉をずっと聞いていたならば、「結婚をしないことは親不孝なことだ / 異常なことだ」と思わされてしまう可能性もあります。結婚という事象を取り巻き、選択肢がせっかくひらけてきた時代の中で、もっとも厄介なことは、他人からのプレッシャーなのかもしれません。結婚にしろ、出産にしろ、学生であれば進路の選択にしろ、誰かから特定の選択肢を選び取るように圧力をかけられることは、とても苦しいことです。

本来、自分の人生において重要な何かを選び取るという行為は、もっといい感触のものであってほしい。ただでさえ、さまざまな思考錯誤をくりかえし、メリットとデメリット、感情面での願望とをすり合わせ、とても繊細なバランスでやっと決定するようなことなのだから、特に結婚や出産という選択は自分ひとりでは決定しきれないところがあるのだから、どうか当事者以外の人は、お手軽に邪魔をしないでほしい。

当事者以外の人、というのは血縁関係者や仲のいい友人なども当然に含まれてしまいます。どんなに近くても、例えば生まれたときからその人のことを見て、育てて、見守ってきたのだとしても、『恋愛をするか / しないか』『結婚をするか / しないか』あるいは『そのふたつの項目が結びつくか / 結びつかないか』といった選択については、ごく個人的な領域をでることはありません。ただでさえ、本腰を入れて考えるのにはかなりのエネルギーを要することなのだから、周りにいる人にできるのはできるだけそっとしておくか、その人が思考していくことの自由を削ぐような発言をしないように気をつける、そういった配慮なのかもしれません。

愛のあり方はどんな形であってもいい、ということが共通認識になってほしいのです。

そして、もしも結婚について真剣に考えること、あるいはそこから敢えて目を逸らす生き方を誰かに否定されたり、「こうあるべき」という姿を押し付けられたりしたときは、静かにちゃんと怒っていい。あなたほどにあなたのことを知っている訳ではない人に、知ろうともしないで軽々しく余計なアドバイスをされたのなら、今自分は邪魔をされたのだと、気がついてしまっていい。

ただでさえ繊細な天秤を、遊び半分で他人にわざと揺すられたこと、きちんとわかってほしい。それがどんなふうによくないことなのか、わかってほしい。親だから、友達だから仕方ないのだと思わないでほしい。

そういうことを仕方ないと思って受け入れてしまうたびに、いつからか、自分の足で歩いているという感覚が消えていってしまいます。誰かによって押し出された舞台の上で踊ることは、それが本来自分の意思ではなかったのだと気がつく前まではなんとかやれるのかもしれないけれど、気がついたときには恥ずかしさや悔しさが込み上げてきますし、もうその頃には後に引けなくなっている、ということも十分にありえます。

もはや愛について、厳密にカテゴライズすることは野暮なのだと、徐々に気がつきはじめている時代です。本音を言うならば、そろそろもう、みんな、愛のあり方は本人たちが納得さえしているならばどんな形であってもいい、ということが共通認識になってほしいのです。きっと少しずつでも変わってきていると信じながら、今大事にするべきことは、ひとつずつ、全時代に作られた結婚のシステムに含まれる見慣れた差別的決まりごとや、誰かを排除した上での秩序のあり方にちゃんと疑問を保つこと。そして、何より自分の選ぶ道に誇りをもつこと。そういった強さなのではないかと思っています。

まだまだ、異性間の婚姻しか認められていなかったり、男女で婚姻が可能になる年齢が違っていたり、さらには夫婦関係を結んでいるほうが社会のシステム的に生きやすかったりと、制度上は「あらゆる愛のあり方を肯定する」世界には程遠いのが現実ですが、まずは私たちの心持ちのほうから、より自分に対しても他人に対しても、広い視野を持って認め合うこと、そして自分以外の人に普通のあり方や幸福のあり方を無理に押し付けずにいること、そういった新しい考え方を大事にしていけたらいいのだと思います。

あなたには無数の選択肢があり、それを本当の意味で止めることができる存在はあなた以外ひとりもいない。畏れることは何もなく、夢に見た愛のままに生きることも、もっと合理的な夫婦関係を望むことも、ひとりで過ごす時間を何よりも大事にすることも、利害が一致するパートナーを探し出すことも、友達同士でずっと仲よく生きて生きたい人も、自分の在り方と、これからなりたい姿、そしてもしも共に生きていこうと想う人がいるのなら、その人と自分との間の最大公約数を探して生活を形作っていくのだと思います。そこには、あなた、あるいはあなたたちふたりのオリジナルな居場所が生まれます。自分の巣をつくること、そしてそれを守ることは、美しい行いにほかなりません。それがどんな形で、何色で、何人入れる巣であっても、作ったあなたにとってはただ素晴らしいものでしかないのです。

イベント情報
『わたしが、わたしを愛する日 -戸田真琴が贈る映画上映×トークイベント-』

2020年3月22日(日)
会場:渋谷ヒカリエ8/ MADO

書籍情報
『あなたの孤独は美しい』

2019年12月12日(木)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:竹書房

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に発売。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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