淀川長治の言葉から見るベルイマン作品「スウェーデン映画は神」

映画解説者・評論家の淀川長治氏が、解説のなかで各国の映画を一言ずつで表現していたのが印象に残っている。それによると、「アメリカ映画は『生活』」、「フランスは『恋』」、「イタリアは『三面記事』」、そして「スウェーデンは『神』の映画」だという。

もちろん、どの国の映画にも豊富なジャンルがあり、一概にそればかり描いているとはいえないものの、この発言を聞くと、驚くほど各国の映画の性質を端的に表していることに感心させられる。たしかに、アメリカ映画は多くのジャンルで、ライフスタイルや人生を下敷きにしている作品が多く、フランス映画も恋愛が様々な要素と絡まっている場合が多い。そしてイタリア映画は、最近『幸福なラザロ』(2018年)がそうだったように、アイディアの起点が新聞の三面記事である例が見られる。この指摘は、現在もかなりの部分で、まだ健在なのだ。

それでは、「スウェーデン映画は神」とはどういうことなのか?

スウェーデンの巨匠イングマール・べルイマン

(メイン画像:©2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved)

「スウェーデン映画の父」ヴィクトル・シェストレムから、巨匠ベルイマンへと受け継がれた意志

背景には、なんといっても偉大な映画監督イングマール・ベルイマンの存在がある。スウェーデンを舞台にした『ミッドサマー』(2019年)が日本でも話題になっているが、そのアリ・アスター監督はじめ、これまで多くの映画監督がベルイマンを尊敬し、多大な影響を受けている。そのベルイマン監督が多くの作品で扱っていたのが、キリスト教を根源的にとらえた宗教的なテーマだった。

ベルイマン監督の最も有名な作品が『第七の封印』(1957年)だ。主人公は、黒死病(ペスト)の蔓延によって人々が死んでいく故郷に帰ってきた十字軍の騎士(マックス・フォン・シドー)。騎士は遠征の戦いのなかで信仰心が揺らぎ、神とのつながりを取り戻そうとしているが、希望の光が見いだせないまま、彼の身に死神が迫る。

『第七の封印』

『第七の封印』(1956年) ©AB SVENSK FILMINDUSTRI

『第七の封印』における、鎌を持った死神のモチーフを、さらに以前から映画で描いていたのが、「スウェーデン映画の父」と呼ばれた、ヴィクトル・シェストレムだ。視覚効果を使った幻想的な映像が印象的なサイレント映画『霊魂の不滅』(1921年)は、初期スウェーデン映画を代表する名作である。

『霊魂の不滅』では、神をも畏れぬ暴力的な男が死神にとらわれるものの、信仰心の篤いシスターのまごころによって改心をしていくという内容。監督自身が不信心な主人公の男ダヴィドを演じ、逃げる家族を追いまわし、斧で扉を壊す場面は、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980年)の有名な一場面にそっくりで、この箇所は『霊魂の不滅』からの引用だといわれる。

ベルイマン監督の『野いちご』(1957年)で、シェストレムは俳優として主演し、老齢の教授を演じている。冒頭で教授の見る悪夢には、『霊魂の不滅』を想起させる、死と馬車のイメージが見られる。このことから分かるように、スウェーデン映画の父たるシュストレムの仕事を受け継ぐという意識がベルイマンに見られるのだ。

『野いちご』(1957年) ©AB Svensk Filmindustri

「本当に神はいるのか」という問い。厳しい現実を生きる人々の光はどこにあるのか

さて、そんなベルイマン監督が多くの作品で描いてきたのが、「神の沈黙」というテーマである。キリスト教信者の多い西洋社会だが、科学文明が発達した現代においては、「神」の存在が大きく揺らいでいることは確かである。テレビやラジオでは日々凄惨な事件が報道され、権力を持った悪人は裁きから逃れている。神が存在するのなら、そんな事態をなぜ看過しているのだろうか。

そして苦痛のただ中にあり、神の救いを求める、何の罪もない弱い人々にも、神は何の恩寵も与えない……。そこで一つの懐疑が生まれる。「本当に神はいるのか」。

そんな葛藤を描いてきたベルイマン監督の到達点が、『冬の光』(1963年)である。ここでは、妻を亡くしてから、失意のなかで信仰心を失いつつある聖職者が描かれる。聖職者には愛人がいるが、彼女は冷淡に扱われている。しかし、彼女は傷つけられてもなお彼に愛情を捧げるのである。見ようによっては、沈黙する神と信徒の関係が、この二人によって表されているように見える。そして、そんな無償の愛のなかにこそ、神が存在しているのかもしれない。

「神の沈黙」というテーマは、厳しい現実の世界をほんのりと照らす光を描き、愛こそが神だという真理へと至った。テレンス・マリック監督の『名もなき生涯』(2019年)は、そんなテーマを受け継いだ作品だといえよう。

『名もなき生涯』

厳しい寒さと大自然。スウェーデンという地に住む独特な感覚も映画の雰囲気に影響

神について真に考えるためには、一度神を疑わなければならない。そして現代の社会や科学、人間のこころの問題を通して、もう一度神の必要性を問うことが必要だ。そこまで真剣になってこそ、「神の映画」と呼ばれるに相応しいものになるといえるのではないだろうか。それを考え続けたベルイマンがいたからこそ、スウェーデン映画は神の映画といえるまでに押し上げられたのである。

そのような作風を生んだのは、スウェーデンそのものであるともいえる。

世界的に人気のある児童文学作家のアストリッド・リンドグレーンの作品は、『ロッタちゃん』シリーズや、のちにハリウッドで活躍するラッセ・ハルストレム監督による『やかまし村』シリーズなど、スウェーデンで数多く映画化、映像化されている。

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』

リンドグレーン作品の根底に流れているのは、自然のなかで謙虚に生きる人間の精神である。アストリッドが自然に神への信仰を持つに至る流れは、伝記映画『リンドグレーン』(2018年)で描かれている。厳しい寒さが訪れる大自然が広がるスウェーデンの地は、そのシンプルさによって神を感じるに相応しい舞台になっている。この地に住む独特な感覚が、『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008年)や『ボーダー 二つの世界』(2018年)の原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストや、『ミレニアム』シリーズの原作者スティーグ・ラーソンなど、後の世代のスウェーデンの様々なクリエイターに通底する、冷ややかで幻想的な雰囲気に通じているように感じられる。

『ぼくのエリ 200歳の少女』©EFTI_Hoyte van Hoytema
『ボーダー二つの世界』©Meta_Spark&Kärnfilm_AB_2018

とはいえ、スウェーデン映画は、けして神の存在ばかりを志向しているわけではない。ベルイマン監督の『不良少女モニカ』(1953年)は、のちにヌーヴェルヴァーグといわれる革新的なフランス映画を生む先駆的な存在になった恋愛映画である。フランス映画の革命の源流に、スウェーデン映画が関与している部分もあるのだ。

『不良少女モニカ』

ドイツのマルガレーテ・フォン・トロッタ監督は、ベルイマン監督の足跡や新世代のスウェーデン監督たちに取材したドキュメンタリー映画『イングマール・ベルイマンを探して』(2018年)を撮っている。そこではベルイマン監督の偉大さが語られつつも、じつはその流れに反発する監督たちも少なくないという事実が映し出される。スウェーデンにおける「神」ならぬ映画……。その話はまた別の機会にしたいと思う。

作品情報
『第七の封印』(1957年)

監督:イングマール・ベルイマン

『野いちご』(1957年)

監督:イングマール・ベルイマン

『冬の光』(1963年)

監督:イングマール・ベルイマン

『霊魂の不滅』(1921年)

監督:ヴィクトル・シェストレム

『名もなき生涯』(2019年 / 公開中)

監督:テレンス・マリック

『リンドグレーン』(2018年)

監督:ペアニレ・フィシャー・クリステンセン

『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008年)

監督:トーマス・アルフレッドソン

『ボーダー 二つの世界』(2018年)

監督・脚本:アリ・アッバシ



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かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

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スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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