グラミー賞にノミネートされた日本人ジャズ作曲家
受賞こそ逃したものの、『グラミー賞』の「最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル・アルバム部門(Best Large Jazz Ensemble Album)」にノミネートされたことが大手メディアで盛んに報じられたばかり。ジャズという枠を超え、世界中からその限りない才能に熱い視線が注がれている挾間美帆をご存知だろうか?
日本国内では「ジャズ作曲家」という肩書きを名乗っているが、活動はジャズに留まらない。優れた編曲家(アレンジャー)として、坂本龍一、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの音楽で知られる鷺巣詩郎、はたまた演歌の大御所である五木ひろしからの信頼も厚い。ジャズを聴かずとも、気づかぬうちに彼女の関わった音楽を耳にしていることも多いはず。まだ30代前半という若さながら、国内外で確固としたポジションを築いているのだ。
デンマークの名門が選んだ逸材。挾間美帆の高いマネジメント能力
グラミー賞のノミネートと並び、昨年の挾間の活躍を語る上で絶対にはずせないのが、2019年10月からデンマークラジオ・ビッグバンド(DR Big Band)の首席指揮者に就任したというニュース。ジャズといえば米国が本場……というイメージが強いかもしれないが、公的な支援の少ないアメリカでは人数の多いビッグバンドが経済的に困窮しがちなのに対し、ヨーロッパでは(クラシック系のオーケストラや合唱ほど数はないのだが)公共のラジオ局に属することで安定してレベルの高いパフォーマンスを披露するジャズのビッグバンドが存在するのだ。
1964年に結成されたデンマークラジオ・ビッグバンドは、西ドイツ放送・ビッグバンド(WDR Big Band)と並ぶ、ヨーロッパ屈指の実力を誇る老舗の楽団として知られているが、その礎を築いたのがビッグバンドの歴史を語る上では欠かせない伝説的ミュージシャンの1人、サド・ジョーンズ(1923~86年)であることは間違いない。彼が首席指揮者に就任した1977年以降にレコードの発売が増えていったため、そうした録音を通じて世界中の(特にビッグバンドが好きな)ジャズファンにデンマークラジオ・ビッグバンドは知られていった。亡くなって30年以上を経た現在でも、サドの楽曲は折を見て取り上げられる大事なレパートリーとなっているほどだ。
サド・ジョーンズ『A Good Time Was Had by All』を聴く(Spotifyを開く)
その後も、サドのようにビッグバンドの最先端で活躍するアメリカ人ジャズ・ミュージシャンをたびたび首席指揮者、客演指揮者として招き、関係を深めてきたデンマークラジオ・ビッグバンドだが、実は挾間が就任するまで首席指揮者の座は17年間も空席だった。彼らはなぜ挾間を選んだのだろうか。就任1年目となる2019年10月~2020年3月にかけてのライブを眺めてみると、その意図がみえてくる。
この半年の間に12種類のプログラムが組まれており、そのうち挾間が指揮するのは3公演。まず1つ目は、これまたレジェンドとして知られるジャズギタリストのジョン・スコフィールド(1951年~)をゲストに迎えたプログラムで、彼女はもちろん指揮だけでなく編曲もおこなっており、「現在」のジャズを代表するミュージシャンとデンマークラジオ・ビッグバンドのコラボレーションをアシストすることが求められている。2つ目は、メインゲストとして挾間が冠されているプログラム。挾間自身の楽曲を取り上げることで、ビッグバンドの「未来」を提示することが求められているのだろう。そして最後となる3つ目は、デンマークラジオ・ビッグバンドが培ってきた遺産――つまりサド・ジョーンズをはじめとする「過去」の共演者の楽曲を取り上げるというプログラムである。
こうして見ていくと「過去」「現在」「未来」と、異なる視座すべてに対応することが挾間美帆に求められていることがわかる。そもそも挾間とデンマークラジオ・ビッグバンドの初共演となったのは、2017年9月の『東京JAZZ』。この年、ジャズが初録音されてから100周年を記念したプログラムとして、1時間ほどでその歴史を振り返るという企画がたてられた。演奏の母体となるのがデンマークラジオ・ビッグバンドで、指揮者(兼プロデュース)を務めたのが挾間だった。異なる曲ごとにゲストが加わる、かなりイレギュラーな難しいプロジェクトであることは、誰の目にも明らかだった。
彼女自身も「デンマークのDRビッグバンドは面識がなくて、リハの時点で私を信用していないことはわかった」と述べているように(2018年11月29日掲載『&M』「若くして海外の名門オーケストラを指揮 「ジャズ作曲家」挾間美帆が語るマネジメントの流儀」より)、ビッグバンド側からすれば、この若い日本人女性の実力は完全に未知数。ところが蓋を開けてみれば、挾間の丁寧な対応によって、公演は大成功。扱いの難しい老巨匠がなんのトラブルもなく、素晴らしいパフォーマンスを披露する場をお膳立てしてみせた挾間のマネジメント能力に、ビッグバンド側は驚かされたに違いない。こうして挾間美帆という作曲家が、自身のユニットで追求しているようなビッグバンド(ラージアンサンブル)の「未来」だけでなく、「過去」「現在」という視座においても素晴らしい能力を発揮できることを、デンマークラジオ・ビッグバンドが気づいてしまえば、首席指揮者への就任は当然のことのように思える。
挾間美帆『タイム・リヴァー』を聴く(Spotifyを開く)
クラシックやジャズの枠で括れない。狭間の豊穣な音楽性
彼女はニューヨークを拠点にしつつ、ヨーロッパ各国、そしてもちろん日本をはじめとするアジアにも活躍の場を広げている。しかも仕事先はビッグバンドだけではない。日本を代表する吹奏楽団シエナ・ウインド・オーケストラや、地方オーケストラの雄オーケストラ・アンサンブル金沢(2019年度)では「座付き作曲家」とも訳されるコンポーザー・イン・レジデンスを務め、クラシック音楽の演奏家から作曲依頼も絶えない。昨年8月からは、「シンフォニック・ジャズ(オーケストラが演奏するジャズ)」をテーマにしたコンサートシリーズもプロデュースし、ここでも「過去」「現在」「未来」という視座をもった企画をおこなっている。
だからこそ、グラミー賞の「最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル・アルバム部門」にノミネートされたアルバム『ダンサー・イン・ノーホエア』も、メディアに取り上げられた際には「ジャズとクラシックの融合」という側面が強調されていた。もちろん、それも挾間の音楽およびこのアルバムの魅力の1つではあるが、なにもクラシック音楽的な要素だけが前面にあらわれたジャズではないことも強調しておく必要があるだろう。
挾間美帆『ダンサー・イン・ノーホエア』を聴く(Spotifyを開く)
わかりやすい例だけを挙げても6曲目の“マジャール・ダンス”のようなハンガリーの民族音楽からインスパイアされた楽曲もあれば、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズの手掛けた名曲“ロサンゼルス・オリンピック・ファンファーレ&テーマ”をミニマルミュージックのように再構築した音楽もある。そうした多種多様な異なる要素が、喧嘩することなく共存。統一感をもった1つのアルバムとして昇華されていることにこそ、挾間美帆という作曲家の凄みがあるような気がしてならない。そして、だからこそジャズやクラシックという枠組みだけで捉えてしまうのがもったいない。ぜひ、この豊穣な世界をジャズやクラシックに興味がないという方にもお楽しみいただきたい。実は誰よりもそう願っているのは、挾間自身なのである。
- リリース情報
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- 挾間美帆
『ダンサー・イン・ノーホエア』(CD) -
2018年11月21日(水)発売
価格:3,300円(税込)
UCCJ-21621. トゥディ、ノット・トゥディ
2. ザ・サイクリック・ナンバー
3. ラン
4. ソムナンビュラント
5. イル・パラディーゾ・デル・ブルース
6. マジャール・ダンス
7. ロサンゼルス・オリンピック・ファンファーレ&テーマ
8. ダンサー・イン・ノーホエア
- 挾間美帆
- プロフィール
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- 挾間美帆 (はざま みほ)
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国立音楽大学(クラシック作曲専攻)在学中より作編曲活動を行ない、これまでに山下洋輔、モルゴーア・クァルテット、東京フィルハーモニー交響楽団、シエナウインドオーケストラ、ヤマハ吹奏楽団、NHKドラマ「ランチのアッコちゃん」、大西順子、須川展也などに作曲作品を提供。また、坂本龍一、鷺巣詩郎、グラミー賞受賞音楽家であるヴィンス・メンドーサ、メトロポール・オーケストラ、NHK「歌謡チャリティコンサート」など多岐にわたり編曲作品を提供する。そして、テレビ朝日系「題名のない音楽会」出演や、ニューヨーク・ジャズハーモニックのアシスタント・アーティスティック・ディレクター就任など、国内外を問わず幅広く活動している。