北欧出身の落語家・三遊亭じゅうべえが見つめる日本社会の不思議

最近は「国際化」「多様化」といった言葉が日本中を飛び交っているものの、国としてまだまだ一歩も二歩も足りない状況なのは知ってのとおり。外国人就労、移民や難民の受け入れ、社会制度の整備など、課題は山盛りである。そんな日本の東京で、落語家として日々修行に励んでいる人がいる。

ヨハン・エリック・ニルソン・ビョルクさんは留学生として日本に来日。そこで出会った落語の世界に魅せられ、現在は『笑点』(日本テレビ系)メンバーの三遊亭好楽師匠のもとで「三遊亭じゅうべえ」として前座修行中だ。なぜ彼は、遠く離れた極東の島国で落語に打ち込むことを決めたのか? また、彼が落語を通して触れる日本は、どんなものなのだろうか?

落語って、面白ければいいってものではないと思うんですよ。

―現在は三遊亭好楽師匠に入門されて、三遊亭じゅうべえとして活動されてますが、かつては「ボルボ亭イケ也」という、いかにもスウェーデンらしい名前だったそうですね。

じゅうべえ:素人時代にお世話になっていた方から、つけていただいたのがその名前だったんですよ(笑)。ちょっとした落語会をやるから出てみろ、って言われて「お前さんはスウェーデン人だから……ボルボだな。あとはIKEAだ!」と、その場で。

―ストレートすぎる命名(笑)。それにしても、海外の人が日本の話芸である落語に興味を持つというのは珍しいですね。もちろん初代快楽亭ブラック(明治~大正時代に活躍したイギリス出身の落語家)さんや、桂三輝(読み方は、かつら さんしゃいん。カナダ出身)さんといった先輩たちもいらっしゃいますが。

じゅうべえ:もともと言語や演劇、日本のアニメに興味がありまして、中央大学に1年間留学していたんですよ。サークルの新歓で、演劇部を見たり、背が高いからって理由だけでバスケ部に誘われたりもしたんですが、そのなかでたまたま出会ったのが落語研究会でした。それまではもちろん落語って存在自体を知らなかったんですが、新歓ライブで見た噺が奇妙で面白かった。それで入部しました。

三遊亭じゅうべえ(さんゆうてい じゅうべえ)
落語家。本名は、ヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。2016年8月15日、三遊亭好楽の十番弟子として入門。入門前はボルボ亭イケ也として活動。スウェーデンのストックホルム大学で日本語を学ぶ。その後、中央大学に交換留学した際に、落語と出会う。母国スウェーデンに似たようなものがないため、落語家になると決心。将来的には、落語を世界に広めていきたいと思っている。趣味はアニメ、映画、読書、ゲーム。

―落語に惹かれた理由はなんでしょう?

じゅうべえ:いろいろありますけど、世界観の不思議さですかね。突然物語が終わったりするじゃないですか。欧米の演劇のセオリーからすれば、この後の話がもっと必要だろう、もっと盛り上がるだろうって手前で唐突に終わったりする。それが新鮮でした。

それから、日本語を勉強していったとしても、自分が普通に就職して勤め人になるイメージはまるでなかったわけですよ。興味のないものには努力できないですし。せっかく落語と出会ったのだし、これも縁だと思って真剣にやってみようと。それで三遊亭一門に入門を決めました。

―数多いる落語家のなかで、好楽師匠に惹かれた理由は?

じゅうべえ:落語を勉強しようと決めて、いろんな方の高座を見ましたが、うちの師匠の噺には「温かい感じ」があったんですね。師匠は、滑稽噺でも人情もののように聞こえる噺をする方で、人間としても尊敬できる。「師匠」というのは、単に教えてもらうだけの人ではなくてお父さんみたいなものですからね。まっすぐにリスペクトできる人でないといけない。それが理由です。

―技術だけではなく「温かい感じ」というのが良いですね。

じゅうべえ:落語って、面白ければいいってものではないと思うんですよ。落語はコメディーというよりも演劇として見ているところがあって。多様なキャラクターが登場して、ストーリーがあって、愉快な話のなかにも人間のダメなところ、美しいところが見えてくる。それって、非常に演劇的です。

ちょっと話がそれますが、日本人は映画や芝居を見る経験を、「そのとき限りのもの」に終わらせる傾向があると思うんですよ。感動はあっても、劇場を出た瞬間にそれを止めちゃうというか。

スウェーデンや欧米だと、批評家でなくても分析的に作品を見るし、そこで扱われていたテーマや主張を持ち帰って、ずっと考えたりするんですね。例えば『ドラゴンボール』は海外でも人気ですけど、作品を見ることで「俺も強くなりたい!」みたいな前向きな気持ちになって、そのあとの人生に大きな影響を受ける人はけっこういます。と言っても、空を飛んだりかめはめ波を撃てるようになったりはしませんけど。

―そりゃそうですね(笑)。

じゅうべえ:でも、そのくらい作品が人に影響を与えるものとして認知されてるわけです。でも日本人は、漫画やアニメが「がんばって生きよう」「自分らしくあろう」「夢に向かって、あきらめずに進もう」みたいなテーマを観客に伝えても、それが人生に大きく影響を及ぼさない。まあ、実際の社会を見れば仕方ないとも思うんですけどね。社会は作品のテーマとはまったく逆のことを求めてきますから。

―たしかに。自分らしくあろうとする人は、日本ではだいたい抑圧されます。

じゅうべえ:本当にそう! それもあって落語が好きなのかもしれません。人間の良いところ、悪いところをいろいろ伝えてくれるじゃないですか。その全体で感じさせる「味」みたいなものに惹かれるのかもしれません。

(落語は)わからない言葉も多いですが、人間として共感できることのほうが多いです。

―じゅうべえさんは現在3年目の前座ですね。落語修行はいかがですか?

じゅうべえ:難しいです。いまは落語を披露するのは全体の1割くらいで、師匠のかばん持ちをして、お茶を出して、着物をたたむっていう、下っ端の仕事がメインですから。でも逆に言えば、噺のうまさを求められるような段階ではないので、師匠や先輩の方の落語をたくさん見て、教えていただくことだけに集中できる幸せな時間かもしれません。

ただ、私の場合は日本語を喋るだけでもいっぱいいっぱい。早いスピードで言葉が出てくるように訓練して、正しいイントネーションで喋って、キャラを演じ分けて、所作をきれいに保つとか、ハードルはたくさんあります。正座も足が痛い!

―正座で過ごす生活のスタイルはいまやほとんどないですから、日本人だって同じです(苦笑)。ライフスタイルで言えば、古典落語の多くは江戸時代の生活習慣に基づく噺です。そういった部分は、スウェーデン人であるじゅうべえさんにとっては、どのように感じますか?

じゅうべえ:もちろん「へっつい(かまど)」だとか、わからない言葉も多いですが、人間として共感できることのほうが多いです。例えば江戸っ子の粋。これは、いまの東京の人にも欠けているものだからこそ、落語の人気はいまも廃れてないんじゃないでしょうか?

渋谷のスクランブル交差点を歩いていたりすると、みんな他人には気をつかわず、せわしない感じですけど、江戸時代はまるで違った人のあり方だったはずです。侍を相手にするなら別ですけど、町人同士なら上下関係もいまほど厳しくなくて、互いにからかったりシャレを言い合うことが当たり前のコミュニケーションをしていたはず。その軽く生きている感じに、私も大いに共感します。

じゅうべえ:例えば、『文七元結』は落語では有名な人情噺ですけど、賭け事をやめられない父親が娘を吉原に取られてしまって、娘を取り戻すための50両を、行きずりの若者にほどこしてしまう。吉原の女将は、借金を返すのが遅れたら娘を女郎にするぞと言って父親の改心を期待しています。だけど、そもそも娘が風俗で働くことになる可能性がちょっとでもある状態を良しとする父親の気持ちとか、欧米の感覚で言ったらまったくわからない(笑)。でもわからないなりに、理があるように思えるのは、この時代の軽さが理由かもしれないとも思います。

あるいは、ダメな夫のために妻が知恵をふるって支えるような『芝浜』は、世界のどんな人にも通じる噺ですね。

コンビニでも「いらっしゃいませー」と言うけど、心が入ってないなら言わないほうがいいでしょ、と思います。

―なるほど。じゅうべえさんにとってはいまの日本よりも落語のなかの日本のほうに親近感を覚えるわけですね。

じゅうべえ:正しくは「いまの東京よりも」って感じです。東京はとにかく人が多すぎて、他人に冷たい。昔の江戸は、もう少しコンパクトなコミュニティーがあって、みんな親しく優しく付き合っていたんだと思います。

―それは、スウェーデンの社会にも近いですか?

じゅうべえ:うーん。ヨーロッパのなかでも、スウェーデンは日本に近い気質のある国だと思います。シャイだし、他人に対して「あまり調子にのるなよ?」っていう空気も、日本ほどではないけどある。それでも、もうちょっと気楽な感じですね。

―「調子にのるなよ?」というのは「空気読めよ?」みたいなことですか?

じゅうべえ:出る杭は打たれる、みたいな。とはいえ、個人主義の国なので、謙遜や慎み深さを良しとするってことです。いまの日本の謙遜はかたちだけで、コンビニでも「いらっしゃいませー」と言うけど、心が入ってないなら言わないほうがいいでしょ、と思います。

―わかります(苦笑)。

じゅうべえ:あとは、同調圧力ですよね。日本って「みんな好きで飲んでるよ」とか「この映画は10人のうち9人が泣いた」とか、世間の評価を過度に持ち出してきますよね。あれも不思議です。みんながどう思おうが自分は自分だし、作品や物事に対する感じ方を指図されるようで、どうにも気に入らない。

それと比べて落語には、基本的に気楽さがあるし、噺家が提供したものに対して、受け手であるお客さんがどう反応しても自由っていう空気があるんです。実際、素人時代に10人くらいのお客さんの前で落語を披露したことがあったんですが、まわりは笑っているのに1人だけずっと仏頂面の人がいたんですよ。こっちは「面白くなかったのかな? 失敗しちゃったかな?」って思ったんですけど、あとになって「すごく面白かったです」と言われて。そういう、観客としての自由さがあるのも好きですね。

日本の社会の特殊性について、外から来た人間だから言えること、表現できることがあると思う。

―日本とスウェーデンで共通するところ、違うところが少しわかってきた気がします。ではお笑いはどうでしょう? スウェーデンにも話芸のようなものがありますか?

じゅうべえ:スウェーデンのコメディーは、形式としてはコントが多いので、やはり演劇と重なる部分があります。テーマも現実に起きたことや政治をテーマにすることが多くて、皮肉っぽい笑いがけっこう多い。あるいは、イギリスのモンティ・パイソン(20世紀を代表するコメディーグループのひとつ。1969年から83年まで活動。2013年に一時再結成)にも大きな影響を受けているので、単なるおかしさ、ナンセンスなものも多くあります。スタンダップコメディーもありますから。

そういうスウェーデンのコメディー観からして、いまひとつ理解しづらいのが日本の漫才です。日本のお笑いは、ほとんどがボケとツッコミで構成されているように思います。リズムやテンポがいいものは「聞いていて気持ちいいもの」として理解できる気もするのですが、その奥深さは私にはまだわからない部分が多いです。

―それは日本人としては意外かもしれないです。とにかく状況を混乱させるボケがいて、それを真面目に正そうとするツッコミという受け答えの関係から生じるギャップは、単純に笑えるものと理解しているので。

じゅうべえ:うまく言語化しづらいんですが、日本人はギャップにこだわりますよね。もちろん欧米にもギャップの感性はありますけど、日本ほど繊細ではない気がします。このギャップへの関心の強さは、日本で暮らす外国人にとってけっこう印象的なんですよね。外国人が日本語を喋ることを、日本人は過剰に驚きますよね?

―たしかに。「すごいお上手ですね!」とか、つい言ってしまいます。

じゅうべえ:その反応の理由は日本の歴史と教育にあるのではないですか? スウェーデンはヨーロッパのなかでも小国なので、自国の言語だけで暮らすというのは考えられない国です。少なくとも英語も喋れるのは当たり前で、さらにもう1、2個は別の言語を喋れるようになりたいね、というのが一般的です。

そもそも英語はけっして難しい言語ではないですし、スウェーデン語とも文法は似ています。だから外国人がスウェーデン語を流暢に話せても特に驚いたりしない。日本人は、学校教育やテレビの影響で「英語は難しいもの」って先入観に捉われすぎてる気がします。

―日本語と英語の文法の違いだとか、ハードルはいろいろありますが、難しさで言えば日本語のほうがはるかに複雑ですしね。

じゅうべえ:それから外国人に対する先入観。だいたい、日本人の考える外国人のイメージって、金髪の白人でワイワイしてる感じ……つまりアメリカ人のイメージでしょう。実際には白人だっていろんな文化圏の人がいるのに。

人間には、最初に他人を見た瞬間にあるカテゴリーに分類したくなる習性があるそうですけど、日本人はギャップに繊細でありすぎて、その分類癖が強い印象があります。もちろん誰だって、初対面の印象を持つものですけど、スウェーデン人はその心情を見せないようにします。なぜなら、みんな平等であるという考え方があるから。いきなり「あなたは何歳ですか?」とか「あなたはアメリカ人ですか?」と聞くのは失礼なんです。

―容貌に関する差別やルッキズムは、近年日本でも言われるようになりましたが、日本人は異なる文化圏からやって来た人や物事に対して、良くも悪くも反応しすぎる気質がありますね。

じゅうべえ:だから私がスウェーデン人だとわかるとすぐにIKEAの話題を振るわけですよ。他に話題がないなら「スウェーデンのこと知らないんですよ」と言っていいんですよ!

―たしかに。そう考えると、「ボルボ亭イケ也」という名前も逆にスウェーデン流の皮肉が効いてるような(笑)。最後の質問です。今後、じゅうべえさんが実現したい落語ってどんなものでしょうか?

じゅうべえ:せっかく落語をやるからには、スウェーデン人でも日本人と同じように古典落語を究めることができると証明したいです。でも最近思うようになったのは、それを踏まえた上で、自分の考えていること、自分が見た日本のことを落語に込めていけないだろうか、ということ。そして、もちろん海外にも落語の魅力を広めていきたいです。

日本の社会の特殊性について、外から来た人間だから言えること、表現できることがあると思うんですよ。最終的に自分の落語がどこに向かっていくかわかりませんが、どの道を進むにしても、落語の奥深さを伝えていきたいと思っています。

プロフィール
三遊亭じゅうべえ (さんゆうてい じゅうべえ)

落語家。本名は、ヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。2016年8月15日、三遊亭好楽の十番弟子として入門。入門前はボルボ亭イケ也として活動。スウェーデンのストックホルム大学で日本語を学ぶ。その後、中央大学に交換留学した際に、落語と出会う。母国スウェーデンに似たようなものがないため、落語家になると決心。将来的には、落語を世界に広めていきたいと思っている。趣味はアニメ、映画、読書、ゲーム。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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