『TOKION』創刊者ルーカス・B.B.。ムダが雑誌を伝説にした

もの作り大好きなアメリカの青年が、日本の雑誌に魅せられて住み着くまで

その古い日本家屋は、渋谷駅近く、国道246からさほど離れていない場所にある。ルーカス・B.B.さんのオフィス兼住居は、元はシガーバーとして使用されていた。建物の中は美しい空気と、素朴だが洗練された品々で満たされている。聞くと、ルーカスさんが旅先で目に止め持ち帰った品々や、自分自身でプロデュースした旅行用のアイテムだという。

ルーカスの頭文字Lがあしらわれたキャップを被っていた彼に、「それもプロデュースしたの?」とたずねた。「いや、これは西武ライオンズのキャップだよ。気に入ってもう10年くらい使ってるんだ」と優しく笑った。日本に滞在して約20年。クリエイティブディレクターとして、常に時代の「ちょっと先」をいくアイデアを形にし、世に送り出してきたルーカスさん。この生きざまは、うろうろアリの歩みそのもののようだ。

西武ライオンズのキャップ姿のルーカス・B.B.
1971年、アメリカ・ボルティモア生まれ。サンフランシスコ育ち。1993年に来日、1996年にニーハイメディア・ジャパンを設立する。カルチャー誌『TOKION』を発行し、斬新な切り口で若者の注目を集める。その後もトラベルライフスタイル誌『PAPERSKY』やキッズ誌『mammoth』を手がけながら、『Metro min.』(スターツ出版)や『Planted』(毎日新聞社)など、数多くのメディアの創刊にクリエイティブディレクターとして関わる。ファミリー向け野外フェスティバル「マンモス・ハローキャンプ」や日本各地を自転車で巡る「ツール・ド・ニッポン」のイベント企画やプロデュースなど、雑誌以外のさまざまなフィールドでもクリエイティブ活動を行う。

幼い頃から文章やレイアウトを考えるのが大好きだった彼は、自然と小学校低学年の頃から学校の新聞や雑誌作りを行なってきた。大学時代には、趣味で演劇の衣装デザインやスタイリング、クリエイティブディレクションまで行うようになった。彼を駆り立てたルーツはいったいなんだったんだろう? しばらく考えたあとで思いついたように語ってくれた。

ルーカス:そういえば、僕のおばあちゃんが町の印刷所を経営していたんだ。そこでのインクや紙の匂いをいまでもはっきりと覚えているんだよ。

そう、ルーカスさんのもの作りの原点は、祖母の印刷所での体験なのかもしれない。中学生のときには、自身が手がけた新聞がカリフォルニア州のコンテストで賞を獲得した。新聞は、もともとただの真っ白な紙に過ぎない。そこに思いを込め、自分ならではの表現を綴り彩っていく。そうしてできあがった、まるで自分の分身のような作品が認められたことがこの上なくうれしかった。

進学したカリフォルニア大学サンタクルーズ校では、「アメリカ文化学」を専攻。当時アメリカのアーティスト、トム・ウルフが提唱した、フィクションとノンフィクションを合わせた「ニュージャーナリズム」というスタイルに心を惹かれたからだ。ただ1つの見方に執着するのではなく、歴史や政治、アートなど、一見関連性のない角度からものごとを見つめることの面白さを知り夢中になった。そして、より成熟した海外の文化に興味を抱き始めた。

そんな彼が週末によく足を運んだのが、サンフランシスコのジャパンタウンにある紀伊国屋書店だった。日本語は読めなくても、そこで目にする日本の雑誌は、写真やデザイン、レイアウト、その全てでルーカスさんを魅了した。そして1993年、カリフォルニア大学の卒業式で帽子を高く投げ上げた翌日、卒業旅行で念願の日本へと旅立った。そして、帰国することなくそのまま住み着いてしまったのだった。

20年以上が経過したいまでは、英語より日本語で話すほうが楽なくらい。たまにアメリカの実家に帰省しても1週間くらいで日本に帰りたくなる。そんなルーカスさんだが、日本に初めて来たときには日本のことはほとんどなにも知らなかったという。それを象徴する面白いエピソードを語ってくれた。

子供の頃、ベースボールカードのコレクターだった彼は、両親からもらったランチ代を節約するため、クラスにいた同級生たちからおこぼれを買い取っていた。中でもそのうちの1人が、2個1ドルで売ってくれる食べものがルーカスの大のお気に入りだった。日本に来て初めて、その名前がなにかを知った。「おにぎり」だった。

マクドナルドを24時間観察。一見ムダなことの連続が伝説の雑誌を生んだ

日本に住み始めて最初の数年は、右も左もわからないまま、英語教師をしたり、英語メディアに記事を書いたりして食いつないだ。毎日が新鮮な驚きの連続。日本の食べものや人の接し方、畳の上に寝る生活文化など、ごくありふれた日常に感動した。同時に、「なぜ日本人は、自分たちの目の前にある素晴らしい価値に気づかないのか」と不思議に思った。日本文化の素晴らしさに、日本人にこそ最初に気づいてもらいたい。その思いが募るとともに、真っさらな紙に表現することが大好きだった昔の自分を思い出した。そして1996年、自身の会社を設立。『TOKION』(トキオン)という名前の雑誌を創刊した。

ルーカスさんが創刊した『TOKION』のバックナンバー。現在は廃刊している

ルーカス:雑誌はその時代その時代の空気を吸っているから、まるで生きもの。『TOKION』は、漢字で書くと「時音」、つまり、その時代の音を伝えるという意味も込めたんだ。

『TOKION』のコンセプトは「ワイドスクリーン」。幅広い視点やさまざまな角度から遊び心ある企画を発信し続けた。「マクドナルド」をテーマにした号では、当時としてはまだ珍しかった24時間営業で話題の新宿歌舞伎町店で、24時間、ただひたすら人の出入りを観察しつづけた。マクドナルドを舞台に展開される人間模様を5分間隔でカメラに記録していったのだ。24時間休みなくシャッターを切り続ける。想像するだけで気が遠くなる。その無謀ともいえるチャレンジを支え、ルーカスさんと交代で撮影を担ったのは、妻の香織さんだった。

また「Dream」をテーマにした号では、当時まだ無名の新進アーティストや文化人に登場してもらい、夢を見るための相棒でもある自分の枕を紹介してもらいつつ、自身の夢を語ってもらった。その号の表紙を飾ったのは、ファッションデザイナーのNIGOさん。当時、一部の若者たちから熱狂的な支持を受けながらも、まだメディアに顔を出すことはほとんどなかった。彼を起用した表紙は、3パターン存在した。撮影用に手にしているライトセーバーの色が、赤、青、緑と異なっているのだ。時間やコスト、労力ばかりがかかる「一見ムダなこと」にルーカスがこだわった結果だった。

「1号店を銀座に出した日本のマクドナルドは、アメリカにあるマクドナルドとは全く別物ではないのか?」「ライトセーバーの色が異なる表紙を用意したら、コレクター文化をもついまどきの日本の若者はコレクションしたくなるのではないか?」大学時代、アメリカ文化をさまざまな角度でとらえ続けたように、ルーカスさんならではの視点で日本のポップな文化をとらえた『TOKION』は読者の共感を呼び、たちまち伝説の雑誌となった。マクドナルドの企画は、当時日本マクドナルド社長だった藤田田さんに大変気に入られ、藤田社長はポケットマネーで掲載号を数百冊と大量に購入。自らたくさんの人に配って紹介して回った。

「すでに世の中にあるものを自分が作る必要はない」との考えでやってきた。だから、『TOKION』が成功してからも、部数を伸ばし続けることより、新しいことに挑戦することにこだわった。そして2002年、日本を始めとする世界各地の美しい文化や自然、ライフスタイルを紹介する雑誌『PAPERSKY』(ペーパースカイ)を創刊した。ガイドブックや団体観光からは決して得ることのできない、ルーカスさんの感性に裏打ちされた深い見聞や経験を提案する独自のコンテンツは、世界のみならず、日本文化の素晴らしさをも再認識する機会を与えることとなった。デジタル版も追加され、愛読者はいまや、日本人だけでなく海外からの旅行客にも広がりつつある。

ルーカスさんが創刊した、日本や世界各地の文化や自然を紹介する雑誌『PAPERSKY』のバックナンバー

さらに2003年には、「旅」をテーマにした本屋を企画した。「世界を旅しているような感覚」を味わってもらえるよう、 本と雑貨を混在させた空間や、新刊と古本を一緒に陳列する仕掛けにチャレンジ。いまではよく見かけるような光景も、当時は極めて斬新だった。

ある新聞社の依頼で、「植物」をテーマにした雑誌のクリエイティブディレクションを担当したときのこと。クライアントである新聞社は、安定した読者層が見込めるとの理由から「園芸の雑誌にしたい」と言ってきた。しかしルーカスが提案したのは、「植物の大切さや儚さ、植物と調和したライフスタイルの美しさ」をコンセプトにした雑誌だった。クライアントからは「なんでわざわざこんなわかりづらい雑誌を作る必要があるのか」と冷めた反応もあったという。しかしフタを開けてみると、競合の新聞社でさえもその雑誌を好意的に紹介する特集記事を組むなど、大きな話題を振りまいた。

一見ムダなことでもチャレンジをやめないクリエイターの現在の関心事

ルーカスさんが新しいアイデアを考える際に意識していることが、2つある。1つは、世の中に必要なもの。もう1つは、イメージが固まっていないもの。その2つが合わさったアイデアを作るためなら、どんなに手がかかろうと、一見ムダに見えようとも、彼は新しいことにチャレンジする道を選ぶ。

そんなルーカスさんがいま最も興味があるテーマは、「HIKE & BIKE」。徒歩や自転車によって自力で日本各地を旅することだ。そもそもは妻・香織さんの実家がある静岡県焼津まで歩いて帰ってみたいと思ったことがきっかけだった。ところが香織さんは「そんな大変なことなんて」と大反対。なんとか彼女の気を惹く接点を見つけようと思案していたところ、焼津の隣の藤枝を旧東海道が通っていることを知った。試しに、この旧東海道を香織さんとともに歩いてみたところ、その土地ならではの文化や自然、魅力的な人々に出会える、この上なく楽しい快適な経験となった。

ルーカスさんの作る雑誌『Hike』&『Bike』

ちょうど、東日本大震災による原発事故によって、無防備に信じていた科学や技術の脆さを痛感し、いいようのない不安に包まれていた時期だった。日本が長年にわたって積み重ねてきた歴史や文化の大切さを改めて痛感し、以来、ルーカスさんは日本中のあらゆる街道を自分の足で旅し、情報発信を続けている。

ルーカス:過去はいまも生きているし、未来にもつながっている。過去をきちんと知って、活かすことは僕たちの世代の仕事だ。

世の中にないアイデアを考えて、形にすることが好き 。そして、もともと寂しがり屋だから、1人で全てやるよりも、他の人と力を合わせてやり遂げることが好き。1つ1つのパーツが組み上がっていくプロセスを体感することが、無上の喜びだという。そんなルーカスさんに、これからの人生に欠かせないものをたずねてみた。「そうだねー」ちょっと考えてからニコッと笑った。「僕の人生に必要なのは、すごくシンプルで、いい文化。おいしい食べものと空気。あと、妻の香織。それさえあれば十分だね」。

左から:唐川靖弘と、ルーカス・B.B.さん
プロフィール
ルーカス・B.B. (ルーカス・ビービー)

1971年、アメリカ・ボルティモア生まれ。サンフランシスコ育ち。1993年に来日、1996年にニーハイメディア・ジャパンを設立する。カルチャー誌『TOKION』を発行し、斬新な切り口で若者の注目を集める。その後もトラベルライフスタイル誌『PAPERSKY』やキッズ誌『mammoth』を手がけながら、『Metro min.』(スターツ出版)や『Planted』(毎日新聞社)など、数多くのメディアの創刊にクリエイティブディレクターとして関わる。ファミリー向け野外フェスティバル「マンモス・ハローキャンプ」や日本各地を自転車で巡る「ツール・ド・ニッポン」のイベント企画やプロデュースなど、雑誌以外のさまざまなフィールドでもクリエイティブ活動を行う。

唐川靖弘 (からかわ やすひろ)

1975年広島県生まれ。外資系企業のコンサルタント、戦略プランニングディレクターを経て、2012年から米国コーネル大学ジョンソン経営大学院 Center for Sustainable Global Enterpriseマネージングディレクターとして、多国籍企業による新規ビジネス開発プロジェクトや新市場開拓プロジェクトをリード。自身のイノベーションファームEdgeBridge LLCを拠点に、企業の戦略顧問や組織・人材育成プログラムディレクター、大学の客員講師としても活動。フランスの経営大学院INSEADにおいて臨床組織心理学を研究中。

連載『イノベーションを生む「うろうろアリ」の働き方』

変化のスピード増す現代において、既存の価値観や会社という枠組みに囚われないない「うろうろアリ」こそがイノベーションをリードする。自由な発想で新たな価値を生み出し続ける彼らの、最先端の働き方を紹介するインタビュー連載です。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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